大渓文化で「王権」というもの、特に「'''男性の王権'''」が発生していた、と'''仮'''に考えるならば、それは良渚文化で台頭していた「父系文化」の先駆けといえる。「'''帝'''」という言葉の子音は「'''ダー'''」と同じなので、「'''ダー'''」というのは「人界において'''帝'''のことであり、精霊界において神々の'''帝'''のことである。」といえると考える。'''ツォー・ニュン (Ntxwj Nyug)'''とは「デーヴァ+ニュン」と分けられ、「ニュン」は中国語の「融」に相当すると考える。たいのミャオ族の中では「ニュン帝」、すなわち'''中国でいうところの「[[祝融]]」が陰界の帝'''と考えられている。天帝ならぬ「'''地帝'''」である。これは中国の伏羲・女媧の「'''[[伏羲]]'''」に相当する地位ともいえる。また'''ツォー・ニュン (Ntxwj Nyug)'''は子音から苗族神話の'''[[チャンヤン]]'''のこととも考えられ、大洪水を生き抜いたとされる[[チャンヤン]]は[[ダロン]]とほぼ同じ神話を持つので、精霊の総称ではなく、固有の神の名としての'''ダー'''とは、'''蚩尤(デーヴァ)のことであり、ダロンのことでもあり、チャンヤンのことでもある'''と考えられる。'''蚩尤(ダー)とは、死して「地帝」となった'''と苗族の先祖は考えていたのではないだろうか。その地面から生えた楓もまた「樹木の王」で蚩尤自身なのだ。
ということは「楓の木」に特別性を見いだす大渓文化では、蚩尤はすでに「'''地帝'''」と考えられていたと思われる。陰界の帝「ダー」である。そして兵を纏める「兵主神」の地位も獲得していたので、武器や道具に特殊な強い霊力を与える神として図が刻まれたのだろう。祝融がこの時代に登場していたかどうかは定かでないが、石器が重要視されていた時代であればまだ発生していなかった可能性が高いと考える。祝融の特性はなんと言っても「金属も'''融'''解させる高熱の神」だから、それが必要とされていなかった時代には存在しなかったであろう。
一方中国では、「'''饕餮'''は黄帝によって討たれた蚩尤の首をあらわしている。」という説もある。饕餮紋は後の中原でも王権に関わる紋とされた。 すなわち、'''殺された蚩尤が冥界で饕餮となって、冥界神の仕事を補佐している。死後、そうなったように蚩尤は生前偉大な王だったので、その子孫は偉大な王である'''、ということの象徴が、首だけになって死んでいる獣面紋の意味なのではないだろうか。良渚文化の獣面紋は「'''原始饕餮紋'''」と言い得るもので、ギリシア神話のこれが良渚文化の獣面紋に引き継がれたものと考える。良渚文化の後期が青銅器時代に入るので、その頃までは「獣面紋」は「'''[[ラダマンテュス蚩尤]]'''(これも名前の中にTの子音が2個重なる神人である)と類似したものだったと考える。(デーヴァ)」と呼ばれていたと考える。
== 参考文献 ==