資料が乏しくて良く分からないのだが、城背渓文化がある程度社会の階層化が進んだ社会であれば、「軍事専門職」のような階級が発生しており、それに熊トーテムが伴っていた可能性があるが、正確なところは分からない。
ということで、「太陽神石刻」の人物は「'''ダロ'''」という名で、アトラースのように「死して岩となり世界を支える巨人」とするのが一番正解に近いと考える。熊トーテムが発生していれば、彼の名は「ダロン」と考えられ、後の苗族の祖・'''[[ダロン]]'''へとつながるだろう。へとつながるだろう。よって「太陽神石刻」は「'''太陽女神とダロの図'''」であって、後の中国神話でいうところの「伏羲・女媧図」と考える。
そして、また資料が少ないので分からないのだが、この神が「'''赤ん坊を食べた'''」りしていたかは謎である。どうもこの後くらいから赤ん坊を中心に「人肉食」の文化が台頭してきたように感じる。それはいったん禁じられたものが、再び復活してきたものなのではないだろうか。