== 私的解説 ==
農耕に関する祭祀に生贄を捧げる意味とはなんなのだろか。=== 犠牲獣の意味 ===苗族には'''コ蔵節'''という祭祀があり、そこでは水牛を犠牲獣とする起源が語られている。
おそらく、古くは<blockquote>ワンという青年が、船に乗っていた時に暴風雨に遭い、命を落とした。彼の家族は、ブタを一頭殺しただけで簡単に葬式を済ませたが、立派な副葬品を添えなかったので、ワンの霊は死者が通る関所を越えることができなかった。しばらくすると、ワンの母親が奇病に罹り、長期間の治療を施しても治らなかった。<br>そこでゴウサ(占い師)を呼んで治療を施してもらったところ、ゴウサは、死んだワンのために、もう一度盛大な葬式を開き、もっとも大きな水牛を殺し、彼が好きだった歌舞を行うよう勧めた。ワンの家族が、ゴウサの言い付け通りにすると、母親の病はまるで奇跡のように良くなった――。<br>このことがあった後、ミャオ族は、「コ蔵病」という病があり、水牛を殺して先祖を祭ることではじめて、疫病や災害から逃れられると信じるようになった。<ref>[http://www.peoplechina.com.cn/maindoc/html/guanguang/jieri/200208/200208.htm 貴州・ミャオ族のコ蔵節 10数年に一度、水牛の首を捧げる]、高氷、人民中国(最終閲覧日:24-12-07)</ref></blockquote>
現代のミャオ族では、ノン・ニュウという大規模な祖先を祀る祭祀を行う習慣があり、水牛の生贄が捧げられる。城頭山遺跡の祭祀における生贄の意味には、農耕に関するものの他、「祖先を祀る」という意味もあり、祖先に食料(肉)を捧げる、という面もあったのではないだろうか。すると、大渓文化で「祖先信仰」も開始されていた可能性がある、といえる。鼎はまだ登場していないようである。とのことである。「ワンという青年」とは名前から見て'''「[[ミャオ族バロン]]の祭祀も鼎は使用されていない。」を男性化したもの'''と考える。苗族の始祖とされる[[チャンヤン]]には、大洪水の後水牛を犠牲とした、という伝承があるので、いわゆる「大洪水」の後に、犠牲獣は豚から水牛に変更されたのだと考える。でも、厳密には城背渓文化にあるように「牛」に変更され、その後苗族の中で水牛に変更されたのだろう。すなわち、'''城背渓文化は伝説的な神話の「大洪水」よりも後の文化'''である、と古代の人達は考えていたと思われる。
人の生贄も共に捧げているのは、動物と同一視した人間を食料のために捧げているのか、后稷のように死体から穀物の発生を願うものであるのか、興味深いことである。豚を犠牲にして効果がなかったかどうかはなんともいえない。ヴェマーレ族の伝承では、ラビエという女神が亡くなった際に、豚を犠牲に捧げたら彼女は「月」となって復活した、とあるので一定の効果があった、と考えていた人達もいたし、そういう人達の中では豚は重要な犠牲獣であり続けたと思う。おそらく、当初は'''ダロン・蚩尤は犠牲獣的な存在に過ぎず、「そのトーテム」が豚だった'''ので、彼らをより上位の神としたい人々が、犠牲獣(豚)のトーテムを嫌って、犠牲獣を牛に変更してしまってダロン・蚩尤とは関係のない獣を犠牲にする、としたのではないかと思う。でも、この試みは失敗してしまって蚩尤のトーテムに「牛」が定着することになったので、牛を犠牲獣にすることに変更しても蚩尤は引き続き「犠牲神」であり続けることになってしまった。だから更にそれを「水牛」に変更して、「蚩尤は犠牲獣なんかじゃない」としたのが苗族なのだと考える。
== 参考文献 ==