蚩尤は本当に兵主神なのだろうか。これももしかしたら'''女神の性質と入れ替えている'''のではないだろうか。おそらく、古代中国で「母系派」対「父系派」の対立があって、「父系派」が優位を得るために女神を男神に書き換えたのであれば、「母系派」もその逆のことをして優位に立とうとしたかもしれない、と考える。また、中原を離れた遼河文明では、太陽神について、女性形・男性形のどちらも信仰されていたと思われ、'''「同じ名前で同じ性質」の男女の神が並立することが許容されていた'''ように思う。これは、中原から男女どちらの神も「同じ名前」で持ち込まれてくるから、どちらが正当なのかで争いが生じないようにする措置だったのかもしれないと思う。よって、文化の父系化が進むと、「母系派」の人々も自らの女神を男神に書き換えて、「女神を信仰している」と攻撃されないように防衛したのではないかと考える。先に書いたゲルマンのヴェルンド・ベズヴィルドの一対は、どちらも「BT」の子音である。ベズヴィルドを意図的に男性化したものがヴェルンドと考える。このようにして「女神信仰」を女神を男神に変えることで守りながら父系化していったのがゲルマン系の印欧語族と言える。上辺は父系化しながら、「女神(B)」対「男神(D)」の対立構造を強く残したのがイラン・インド系の印欧語族といえる。「ヴァルナ対デーヴァ」の神話はまさに「バロン対ダロン」の神話そのもので、中国的には「魃対蚩尤」に相当する。
蚩尤が「兵主神」となった起源は、苗族のチャンヤンが「7人の牛を屠殺する刀を管理する男性を定めた」とされる神話であると考える。「牛を屠殺する刀」とは「武器」の暗喩であって、要はこれは軍隊のことでもあるし、武器の製造・管理のことも含まれているのだろう。そうやって兵士と武器の「主人」となるからこそ「兵主神」といえるのではないだろうか。蚩尤が「兵主神」となった起源は、苗族のチャンヤンが「7人の牛を屠殺する刀を管理する男性を定めた」とされる神話であると考える。「牛を屠殺する刀」とは「武器」の暗喩であって、要はこれは軍隊のことでもあるし、武器の製造・管理のことも含まれているのだろう。そうやって兵士と武器の「主人」となるからこそ「兵主神」といえるのではないだろうか。そして、もしこれが母系の文化の時代から定められていたとしたら、トップは女性であったかもしれないが、実際に兵士となるのは男性だったと考える。だから、蚩尤が「兵主神」の地位を「魃女神」と入れ替えていたとしても、その下で働く兵士はどちらも男性だったはずだ。「BT」の子音を持つ神の男性化は、「'''総司令官は女性かもしれないけれども、各軍団の軍団長はそれぞれ男性である。'''」ということから始まったのではないか、と想像する。母系社会の中での、中間管理職的な「'''下位の男性神'''」の誕生と言える。そして、彼が軍団の細かな祭祀の祭祀者ともなり得ただろう。
== 概要 ==