=== 実在性 ===
==== 非実在説 ====
「タラシヒコ」という称号は第5代[[孝昭天皇]][[皇子]][[天足彦国押人命]]や12代景行・13代[[成務天皇|成務]]・14代[[仲哀天皇|仲哀]]の3天皇が持ち、時代が下って7世紀前半に在位した34代[[舒明天皇|舒明]]・35代[[斉明天皇|皇極]](37代斉明)の両天皇も同じ称号をもつことから、タラシヒコの称号は7世紀前半のものであるとして、12,13,14代の称号は後世の造作と考える説があり、景行天皇の実在性には疑問が出されている。「タラシヒコ」という称号は第5代孝昭天皇皇子天足彦国押人命や12代景行・13代成務・14代仲哀の3天皇が持ち、時代が下って7世紀前半に在位した34代舒明・35代皇極(37代斉明)の両天皇も同じ称号をもつことから、タラシヒコの称号は7世紀前半のものであるとして、12、13、14代の称号は後世の造作と考える説があり、景行天皇の実在性には疑問が出されている。<ref>日本の歴史〈1〉神話から歴史へ (中公文庫) 文庫 p302</ref>実際、記紀では専ら「オオタラシヒコ」(大足彦、大帯日子)と表記されていることが多い。
また、前述の伝承ならびに事績はその大半が日本書紀に拠ったものである。その『日本書紀』でも、半分以上が子の日本武尊の征討伝説に充てられており、景行天皇自身に纏わる話はかなり少ない。『古事記』にいたっては、事績のほとんどが倭建命の征討伝説に割かれており、景行天皇自身に纏わる話は全くと言ってよいほど出てこない。このことから、景行天皇が実在した可能性が低いとする説がある。<ref>天皇〈125代〉の歴史 山本博文 2018年 西東社 p36</ref>
景行天皇が宮都を営んだとされる志賀[[高穴穂宮]]は考古学的な証拠が全く無いので、景行天皇の実在にも疑いがある。{{efn2|景行天皇が宮都を営んだとされる志賀高穴穂宮は考古学的な証拠が全く無いので、景行天皇の実在にも疑いがある。<ref>志賀の高穴穂宮、これは詳細がまったくわかりません。「古事記」及び「日本書紀」に出てくるだけでございまして、「古事記」には成務天皇、「日本書紀」には景行天皇の宮都として出て参りますが、成務、景行という天皇自身の実在性を含めまして、高穴穂宮が実在したのか?どうかはわかりません。「近江・大津になぜ都は営まれたのか?」 大津市歴史博物館 P59}}</ref>
=== 日本書紀の年代 ===