好美女
好美女(こうびじょ)とは、神道集における上野国一之宮の抜鉾大明神のことである。
概要
上野国一之宮の抜鉾大明神は、ある伝えによれば、阿育大王の姫君で倶那羅(くなら)太子の妹君にあたる御方と云う。姫は南天竺狗留吠(くるばい)国に生まれた。そこに玉芳大臣という一人の長者がいた。長者には5人の娘がいて、4人はそれぞれ国王の御后になり、末娘の好美女だけが嫁がずにいた。好美女は国内に並ぶもののない美女で、隣国の国王の后に決まっていたが、この話を聞いた狗留吠國の国王が「美しき姫を他国へ出しては成らぬ。」と、姫を后にしようとした。姫の父が王の申し出を断わると、狗留吠王は怒り、長者を殺してしまった。後、再び姫を后に迎えようとしたが「親の仇を夫にすることは出来ぬ。」と姫は断った。
姫は、此の国にいると嫌な思いをすると、抜提河という河に鉾を立て、その上に敷物を敷いて住んだ。大王が「その河も王の領地である。」と云うと、姫は、鉾を引き抜き、この二人の美女を供として、天の早船に乗り信濃の國と上野の國の堺にある笹岡山に辿り着いた。
この船を山の峯に備え、船の中に抜提河の水を湛え、劫火(世の終末)の炎を此の水で消す、と姫は誓った。
笹岡山にそこに住むうちに、母御前の住む日光山へ通う諏訪大明神と知り合い、姫は夫婦となった。諏訪大明神の妻である諏訪の下宮の女神が、此れに腹を立てたので、諏訪大明神は上野国十四郡の内の、笹岡甘楽郡尾崎郷出山成に社を建て、好美女(姫)を住まわせた。供の美女の一人は、船を守るために笹岡山に留まり、荒船明神と成った。そして、好且、美好二人の末裔が大明神の神官として上野国一之宮を守っている。抜鉾明神の本地仏は弥勒菩薩で、後に世に出て人々を救ってくださるとされている。
なお上野國は、赤城大明神が一之宮だったが、赤城は二之宮と成り、他国の神である抜鉾大明神が一之宮と成った。これは、赤城大明神が絹の機織りをするうちに、生糸が足りなくなってしまい、思い悩んで「狗留吠國の好美女は財(宝)の神なので、生糸をお持ちであろう」と「貸して頂けないか」と頼んだ。すると、好美女は快く承諾し、赤城大明神は、たいそう喜ばれて絹を織り終えることができた。「これ程に豊かな財(宝)の神を他の國に移らせてはならない」と、赤城大明神は一位の座を好美女に譲り、当國に末永く留まり頂くために、二位の座についた。好美女は鉾を引き抜いて、脇に挟み抜提河より此の國に飛んで来たので、抜鉾大明神と云い、今なお上野國一之宮として崇め奉られている。(巻第七 三十六 上野国一之宮事)
私的解説
色々な要素が含まれているが、その一つに「泰山信仰」があるように思う。三人の女神が習合的である点。一之宮の地位を交換している点に、泰山玉女の神話との類似性がみられる。
倶那羅(くなら)太子と狗留吠(くるばい)王はほとんど「同じもの」であって、倶那羅(くなら)太子は中国プーラン族の神・グミヤー、狗留吠(くるばい)王は犬トーテムの伏羲のことと考える。姫の父親が王に殺されてしまう点は、ギリシア神話のオーリーオーンがオイノピオーン王を殺そうとした点と類似するように思う。
鉾を持つ女神はサソリトーテムの女神で、鉾は「サソリの毒針」が変化したものと考える。好美女の場合は、「吊された女神」としての要素はほぼなく、「養母としての女神」である。やや欠落的だが、おそらくこの神話での狗留吠王・倶那羅太子には荒ぶる「火の神」としての性質があり、好美女とその船にはそれを鎮める力がある、と述べたいのであろう。彼女が日本に来る際に乗ってきた船は、伏羲・女媧神話の「ヒョウタン」に類するもので、暗に好美女の「母女神」を示していると考える。
諏訪大明神の妻とされる八坂刀売との争いについては、朝鮮の神話になぞらえれば「熊女と虎女」の戦い、と見えなくもない。八坂刀売は八坂刀売で「八」がつく「八神」の影響を受けた女神と言え、泰山信仰と関連すると考える。好美女はどちらかといえばグミヤーの姉妹とされ、鉾を持っている点から、「熊トーテム」であり「サソリトーテム」の女神としての特徴を備えているのだが、「負ける女神」としては「虎トーテム」の女神である、としか言いようがない。
貫前神社に関連する抜鉾神社には「ウナギを食べない」という伝承があり[1]、ここでのウナギとは「蛇」の仮託と思われるので、貫前神社と抜鉾神社を作った物部氏とは、台湾で述べるところのパイワン族、中国のプーラン族と同系統の氏族と思われる。一方諏訪大社下社金刺氏は葛城・賀茂氏に近い氏族で、台湾のパイワン族の内チモ族に近い人々と思われるので、物部氏と神話はとても近く被る要素が大きいのだけれども、「チモ族」の方は「何でも食べる」部類に入ると思われる。その点が違いであるし、人身御供に対する根本的な考え方も異なる。だから、パイワン系の氏族を名乗っても、純然たるパイワン族とチモ族では根本が異なり、本来であれば好美女は純然たる蛇女神である方が分かりやすいのだが、チモ族と神話が近いので熊トーテムやサソリトーテムの特徴を併せ持つ女神となっている。でも、おそらく狗留吠王の名のごとく、「犬トーテムの王(伏羲)は敵」と言いたいと思う。たぶん、赤城大明神の縁起と併せて、
「犬の尾が生えている狗留吠王の住まいはインドではなくて、信濃国更級郡の宇津尾山だ」
と言いたいのだと想像する。葛城の一言主は源氏物語で「一言しか話さないのは全然話さないのと同じ」と叩かれた末摘花の兄のことと思われる。パイワン族以外の氏族からみたら、倶那羅(くなら)太子も狗留吠(くるばい)王も「同じ」と言うであろうと思うので、この2人を対立させる神話は取り扱いに困る感があるが、物部氏の神・邇芸速日命は白庭山に降臨したと言われているので、物部氏は、結果的にはグミヤーでも伏羲でもない、第三の邇芸速日命を作りだし、祖神とすることにしてグミヤーと伏羲をほとんど捨ててしまったものと考える。
として類似性を探れば分かりやすいだろうか[3]。物部氏は古き祖神であったグミヤー・伏羲を、葛城氏の祖神とみなして切り捨ててしまい、新たに邇芸速日命を立て、壇君神話的に熊女を妻とする神話を再構成したと思われる。好美女は三炊媛に相当する女神と思われる。そして、その夫の「諏訪大明神」とは邇芸速日命の「諏訪版」というべきなのだろう。長髄彦とは「すねが長い」というよりは「尾が長い蛇」と言うべきかもしれないと思う。大和の中央での神話には新たに作り出した邇芸速日命を据え、上野国の方には、信濃葛城氏に対する苦情も述べつつ、彼らが本来倶那羅(くなら)太子(グミヤー)を祖神とし、蛇食を忌避するプーラン族だった伝承を残したものと考える。
雷神との関係
貫前神社には「雷神小窓」という雷神が稲含山に臨んでいるという小窓が存在する。
食に関する禁忌
抜鉾神社(群馬県高崎市菊地町)には、子供の病気の身代わりとなってくれたウナギを食さないとする伝承がある[4]。祭神は經津主命と管公である。
また雷電神社(板倉町)では境内裏手の別棟に置かれている鯰(ナマズ)の石像は「なまずさん」と呼ばれ、撫でると地震を除け、元気回復・視力改善・自信が湧き出る、などのご利益があると云われる。また、門前では鯰料理が名物となっている[5]。鹿島神宮にも地震を起こすナマズの頭を武甕槌大神が押さえつけている、という伝承のある要石がある。
經津主命と武甕槌大神は同一視されることもあり、記紀神話ではペアで葦原中国の平定を行ったとされる。記紀神話では、經津主命に雷神としての性質があるとは言われていないが、武甕槌大神と同一視される場合は雷神としての性質も含むと解すべきと考える。
参考文献
- 赤城神社 伝説、赤城大明神と上野国の神々「神道集」(最終閲覧日26-02-26)
関連項目
脚注
- ↑ 抜鉾神社のお参りの記録(1回目)、ホトカミ(最終閲覧日:26-02-26)
- ↑ 日本伝説集、武田静澄著、現代教養文庫723、社会思想社、1971年5月30日、p132-135
- ↑ おそらく、神話の再構成にあたってはアイヌ系の氏族からも広く伝承を収集して検討したものと思われる。アイヌといったら、その名の通り、アミ族系の人々だと考えたと思うので。アイヌの幌尻島の荒神にもおそらく「尻」に何か犬の尾のようなものが生えていたのであろう。
- ↑ 抜鉾神社(群馬県高崎市菊地町)、全国現存伝承地ファイル(最終閲覧日:26-02-27)
- ↑ Wikipedia:雷電神社 (板倉町)(最終閲覧日:26-02-27)