凌家灘文化
凌家灘(りょうかたん)(紀元前3700年頃-紀元前3500年頃)文化は、中国の新石器文化の一つで、長江中下流域の巣湖地域に見られる。凌家灘遺跡は、安徽省黄山県通化鎮凌家灘村にあり、玉溪中流の北岸、総面積約160万平方メートルで、敷地内からは、新石器時代後期の人工的な祭壇、大規模な一族の墓や祭祀場、赤土、ストーンサークルなどの重要な遺物が発見され、精巧な玉製の祭具、石器、土器などの貴重な遺物も出土している。凌家灘文化は、中国5千年の文明の重要な源泉のひとつとされている。
大汶口(だいぶんこう)文化・良渚文化・薛家岡文化の交接地域にあって、それぞれの影響を受けながら、独自に生み出されたのが凌家灘(りょうかたん)の玉器である、とのこと[9]。
凌家灘遺跡は1985年に発見された。放射性炭素年代測定により約5800~5300年前の新石器時代後期の中心集落遺跡である。遼寧省の紅山文化(紀元前4700年頃-紀元前2900年頃)や浙江省の良渚(りょうしょ)文化(紀元前3500年頃-紀元前2200年頃)と共に中国先史時代の三大玉文化と呼ばれている。凌家灘文化、紅山文化、良渚文化では、いずれも「介」字型の玉冠が発見されていることから、三大玉文化の間に密接なつながりがあったと見られている[10]。
凌家灘遺跡からは玉龍も出土している。
目次
概要
凌家灘文化は、安徽省含山郡銅閘鎮凌家灘遺跡を中心とする新石器時代後期の文明であり、約5800~5300年前に存在した。遺跡の総面積は約160万平方メートルで、東は長江から25キロメートル、西は巣湖から30キロメートル離れている。内壕、外壕、裕渓河によって囲まれた三重の防御体系を形成し、生活区、墓葬区、二重の壕溝構造を含む。2020年から2022年にかけての考古学的発見では、3400平方メートルの焼土公共建築基址、祭祀坑、外壕防御体系が確認され、墓葬区は丘の最高地点に集中し、祭壇を中心に分布している。考古学的発見では、祭祀坑から260点の器物が出土し、長さ38センチメートルの新石器時代最大の石鉞、長さ28センチメートルの 玉璜 、および龍頭形玉器が含まれている[11]。
出土した玉器の数は3000点以上に達し、玉人、玉鷹、玉亀などのカテゴリーを含む。その中で、蜷体玉龍は中国で知られる最古の龍形玉彫刻であり、微細な穴の加工技術の精度は0.15ミリメートルに達する。この文化はすでに社会階層と宗教儀礼体系を形成しており、生活区から出土した炭化した稲の種子は稲作農業技術を備えていたことを示している。紅山文化、良渚文化とともに「先史時代の三大玉文化中心」と称され、考古学者の王巍はその玉器体系が良渚文化より約500年早いと指摘している。
また翡翠の装飾品、良渚文化の特徴と考えられていた玉琮も認められる。
私的解説
神人について
凌家灘文化からはなにがしかの神人の像と思われるものが出土している。これは後の「昊天上帝」とか「泰山府君」と呼ばれるような「天を神格化した」とされる神、あるいは「天国の主催神」とされるような神のことかもしれないと考える。おそらく凌家灘文化の頃は人格神だったと考えるが、女神だったのか、男神だったのかといえばはっきりしないように思う。女神でなければ、両性的な神であり、それがもっと後の時代に非人格神的な自然の精霊神に移行したかもしれないと考える。おそらくモン族の陽界の主神ヨーム・スア(Yawm Saub)に近い神だったのではないだろうか。この神については大渓文化からの影響があるかもしれない、と考える。
祈る人
神権と王権が一体化した社会だったのなら、この「祈る人」は王そのもの、あるいは王族や神官の一人なのではないだろうか。彼は「天の神」の子孫と考えられていたので、神に祈ったり、願ったりできると考えられていたのだろう。
空飛ぶ豚神
凌家灘文化の「太陽紋様」を見るに、神としての豚は単なる「家畜的な豚」にとどまらず、鳥神のように空を飛んだり、太陽を内包している、あるいは太陽を守護したり、運んだり、場合によっては太陽をさらう、といったような性質があったとみなされていたと考える。河姆渡文化では「太陽を支える双鳥」の図があるので、この「鳥神」を「豚神」に移し替えた性質も持っていたかもしれないと考える。猪龍もそうだし、この豚鳥神も実在するものではなく、神話的な「合成神」といえる。各地に様々な氏族がいて、それぞれに動物や鳥のトーテムを有していたとすると、凌家灘文化にはそれらを合成(習合)させたり、組み替えたりして「新たな宗教神話体系」を作り出す機能があったのではないか、と考える。
この豚神は時代が下り殷周の時代になると「死者の守護神」ともされて、豚の頭骨や下顎骨が副葬品として埋葬されるようになったと考えられる。また納西族には家族の誰かが亡くなったときに家の守護神である豚の骨を村外に捨てる習慣があるといわれ、これは豚神が「災厄を背負って追放される神」でもあることを示すように思う。空を飛ぶ鳥神でもあれば天界から穀霊をもたらしてくれる神であり、また人々の供物を天界にもたらす神でもあっただろう。そして天の神が怒り祟れば、災厄を地上にもたらす神でもあったと思われる。そして、豚には食料としての意味も当然ある。凌家灘文化の「豚神」はさまざまな民族・氏族の神を習合させた神であるが故に、複雑な性質を持っていたと考える。
おそらくこの豚神は後の中国神話の太昊に相当する神と考える。ただ、地上に舞い降りてきた場合には「天の神」の意向を実行する神でもあるので、上位にくる「昊天上帝」と機能が一致する部分もあると考える。「昊天上帝」が天界で考えたことを豚神が地上で実行するからである。だから、豚神は「天の神」と「地上の神王」をつなぐ中間的な境界神でもあるし、単純に豊穣を求めるための犠牲でもある。人の死に対しては、境界神として死者を守護するとともに、死者が再生(生まれ変わる)ために引き換えとなる犠牲となる魂でもあったと考える。境界神であるときには、人よりも上位の神であるが、「生まれ変わるための引き換えの存在」としては人よりも下位の神霊であるといえ、やや矛盾した性質を内包する神である。
また、これを「特定の氏族のトーテム」とすれば、その氏族を「人」よりも下位の存在として、人身御供を要求したり、高い税金などを要求するようなラベリングの神ともいえたのではないだろうか。凌家灘文化において、人々のトーテムを勝手に書き換えたり、神の性質を変化させたりする機能があり、それが「王権」でもあったのなら、「王」とはどの人々からどれだけの税金や貢納品、人を含めた犠牲を求めるのか決め得る存在であり、それは人々の「トーテム」を王が神の名によって定めることで決められたのではないだろうか。豚神は、単なる神や祖神であるうちは、適度に敬われ、人々に自身を食料として供給してくれる神なのだが、いったんどこかの氏族・民族が「豚神」のトーテムを押しつけられたら、その人々を「食料」とする、という意味にもなる。豚神を鳥神や蛇神と合成して、「龍神」などの新たな神々を増やすことは、上位にくる凌家灘文化にとって、「食い物」となる食料のトーテムが増えることにもなる。蛇も鳥も「食料としての豚」と習合しているから「食料」なのである。
そして、人々に自らのトーテムを食べるように強要すれば、それは「同族食い」「食人」「殺人」と同じ意味になって、その禁忌に対する自らの神々の怒りから逃れるために、人々は「昊天上帝」の権威に頼らなければならなくなるし、自らの祖神や神々の地位を低下させざるを得なくなる。自らの神々の地位を低くしておかなければ、彼らを食べた罰を防いでくれる「昊天上帝」に頼れなくなるからである。
ということで、人々に食料を供給し、神々にも食料を供給し、人と神々を結び、神の怒りを人に与え、あるいは守護し、あらゆるトーテムを食べ尽くしてしまった豚神はやがて「饕餮」あるいは「饕餮紋」というものになって殷周の祭器(鼎)に描かれるようになると考える。でも凌家灘文化の時代には単なる「豚」という単純な姿だったようである。
豚神は太昊であり、饕餮ともなったと考える。そして祖神でもある。王や神官は天の親神の意向を知るために、息子神である豚神と対話し、祈り、占いをせねばならないのだ。そして人々、特に王族・皇族はこの「息子神」の子孫でもある。
日本では、この豚神を単純に須佐之男と呼ぶ。弥生時代の日本では豚の下顎骨を棒にかけておいておくという習慣があった。これは豊穣神・境界神の一種であった須佐之男の原型と考える。おそらく、この下顎骨を目安にして豚神を空から呼ぼう、というもので、日本の神社の「鳥居」の起源かもしれないと考える。「鳥が居る場所」といっても普通の鳥神ではなく「空飛ぶ豚鳥神」の座所であり、そこで降りてきた神と語り合う、と考えられていたのだろう。そして、それらの起源は凌家灘文化にあったとのではないだろうか。
豚の皮を被った熊
ところで、長江流域で王権者のトーテムといったら「熊」であると思う。台湾の伝承でも熊に殺された巨人の話や、熊に親切にされた少女の話が出てくる。よって、祭政一体の王権が存在した社会であれば、「王」のトーテムは当然熊だったと考える。豚を始めとして様々なトーテムを合成した神々を作り出したのも、これらがみな「熊の餌」だと考えれば納得がいく。そもそも「豚神」を神として敬う気持ちがないのである。
というわけで、凌家灘文化で「空飛ぶ豚神」とされているものは「豚の皮を被った熊神」のことなのだと考える。おそらくこの前身となる考古学的文化が発見されれば、そこでは熊は「熊神」として現されていたかもしれないと考える。この「熊神」の名残は中国神話の「黄帝」、朝鮮神話の熊女や日本の熊野の神・須佐之男にあるように思う。だけど、それを隠したりごまかしたりするようになり、表向き「豚神」等を名乗るようになったのではないだろうか。それが古代中国の王権のトーテムである「龍神」につながっていくように思う。合成獣である「龍」も「熊」の仮の姿なのだろう。
ということで、凌家灘文化の祭政文化は、「父と子と精霊の三位一体」ならぬ、「父神と子神と王(皇帝)の三位一体」であって、真の動物のトーテムは熊だった、ということになるのではないだろうか。
ヒョウタン型の器
白地に黒の装飾、垂れ幕の文様が施された瓢箪型の彩色瓶が、特徴的であるとのこと。ヒョウタンといえば伏羲・女媧神話のヒョウタンが思い浮かぶ。これは台湾の伝承から推察するに「月の桂の木」と同期源の植物神と考えられ、「女神」を示す。河姆渡文化では豚神と一体化して「月神」として現されていたように思うが、凌家灘文化では、豚神にも通じるが「月神」というよりは「飲食物を供給する器の神」としての性質が強まり、月神からは離れつつあるか、分離させられていた可能性があるように思う。時代が下って成立した神話である伏羲・女媧神話のヒョウタンも月神としては取り扱われていないからである。
これは日本神話の「保食神」に相当する女神と考える。この女神も飲食物を供給する女神で、月神としても性質はほぼない。
凌家灘文化は中国神話の源流の一つかもしれないが、日本の特に賀茂系氏族の神話の源流でもあるように思う。『今昔物語集』などでは、この植物神である女神は「蕪」で現される傾向が強いように感じる。また、中国風に「月の桂の木」とされることも多い。
文化の連続性
良渚文化の玉器システム、特に玉琮や玉璜、玉管などを組み合わせる「神権-王権」一体の宗教的・儀礼的社会組織形態へ直接的な影響を与えた。
前身
凌家灘文化の前身は、安徽省周辺の長江中下流地域において、同地域で新石器時代中期に展開していた、例えば大溪文化の初期段階などに連なる地元の新石器文化が、この高度な玉器文明を形成する基礎的な文化基盤として存在したと考えられている。
社会構造と文化的特徴
凌家灘文化には、明らかな社会階層が出現していた:
- 墓の規模に顕著な差異があり、大型墓の副葬品は100点を超え、そのうち玉製礼器が90%以上を占める
- 玉器製作工房と紡織工具(陶紡輪)が出土しており、専門的な分業を反映している
- 石鑽などの加工工具は、先進的な石器製造技術を掌握していたことを示している
考古学者の王巍は、この文化が良渚文化より約500年早く、その玉器体系や宗教的シンボルが後の長江流域の文明に直接的な影響を与えたと指摘している。2024年、故宮博物院の「文明先鋒」展では399点の文物が展示され、玉器の組み合わせを通じて「神権-王権」が一体化した社会組織形態が明らかにされた。
関連リンク
参考文献等
凌家灘文化は「中国先史時代の三大玉文化」と呼ばれ、個性的な玉製品も出土しているのですが、日本ではあまり紹介されていないようなので、備忘録的にページを作ってみました。
- Wikipedia:凌家灘文化:機械的に翻訳
- BaiduWiki:凌家灘文化(最終閲覧日:26-02-22)
- 中国の先史三大玉文化、安徽省の凌家灘遺跡で新たな発掘調査
- 凌家灘 五千年の時を経た地下博物館
- 2007年の干支 亥の像1 、忘れへんうちに Avant d’oublier(最終閲覧日:22-07-13)
- 紅山文化と檀君史話、えにし書房、李讃九著、朴美貞訳、2019
参照
- ↑ BaiduWiki:凌家灘文化(最終閲覧日:26-02-22)
- ↑ BaiduWiki:凌家灘文化(最終閲覧日:26-02-22)
- ↑ 紅山文化と檀君史話、えにし書房、李讃九著、朴美貞訳、2019、p122
- ↑ BaiduWiki:凌家灘文化(最終閲覧日:26-02-22)
- ↑ BaiduWiki:凌家灘文化(最終閲覧日:26-02-22)
- ↑ BaiduWiki:凌家灘文化(最終閲覧日:26-02-22)
- ↑ BaiduWiki:凌家灘文化(最終閲覧日:26-02-22)
- ↑ 安徽省寒山県霊家潭遺跡(23-03-22)、2022年度全国十大考古新发现、国家文物局(最終閲覧日:26-02-22)
- ↑ 2007年の干支 亥の像1 、忘れへんうちに Avant d’oublier
- ↑ 故宮博物院で凌家灘文化玉器展 5000年前の輝かしい文明を披露(24-12-24)、北京観光(最終閲覧日:26-02-23)
- ↑ 含山凌家滩遗址 . 国家文物局 . 2023-03-22