これは伊弉諾、伊弉冉、天照大御神の関係に非常に近い物語といえる。大洪水を生き抜いた太陽女神と思われるボウワの母ラビエは、「死せる女神」といえる。ラビエは別の神話のハイヌウェレと同一視されており、少なくとも女神が亡くなって「月の女神」となり結婚する話と、「芋」に化生してしまうという二通りの話があり、これらが非常に起源の近い物語だったことを示している。女神は亡くなって、月にも芋にもなるのだから、芋は月女神そのものでもある。羿神話の嫦娥は月に不老不死の薬を持っていくし、その薬は月で生産され続ける。日本で月が生産し続けるものは餅である。ということは、日本においては月は餅そのものであり、それは'''伊弉冉'''である、ということになる。
その娘ボウワは母の財産を受け取って後継者となる。ボウワは死んでいないのだから「月女神」ではない。でも、月経の起源譚とされるということは、母の要素が彼女にも一部引き継がれており、「'''母が射られて出血したことで、娘達も出血を起こすようになった'''」という意味を暗に示すのではないだろうか。台湾の日が月に変じる「社日神話」と併せて考えれば、ボウワは母の後継者となる新しい太陽女神なのであり、ラビエは死して月と餅に化生した太陽女神なのである。ラビエは、夫に射殺されたといえる。夫のトゥワレは太陽を射殺して自らが太陽神となった、というのは本来の神話と考える。」という意味を暗に示すのではないだろうか。台湾の日が月に変じる「射日神話」と併せて考えれば、ボウワは母の後継者となる新しい太陽女神なのであり、ラビエは死して月と餅に化生した太陽女神なのである。ラビエは、夫に射殺されたといえる。夫のトゥワレは太陽を射殺して自らが太陽神となった、というのは本来の神話と考える。
日本神話では、伊弉諾・伊弉冉は天体としての性質は失っているが、伊弉冉には「死した太陽女神」として古オーストロネシア語族で語られる「月女神」の性質が備わっている。月とは「死した神」であり、冥界でもあるのだ。ヴェマーレ族の「両親と娘」の神話に近い話が、日本でも語られていたと思われる。それが「両親と天照御大神」の神話へと移されている感がある。