「鬼神のお松」の版間の差分

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== 私的解説 ==
 
== 私的解説 ==
「お松」というのは名前からみて、「[[松浦佐用姫]]」「[[蛇頭松姫大神]]」などの「'''名に松とつく女神'''」が民間伝承化したものと思われる。「夫と不幸な形で別れる」という点が一致している。起源は中国神話の[[塗山氏女]]に遡るであろう。「鬼女」としての伝承は千葉県から青森県まで、要は北関東から東北にかけて分布しているようである。おそらく長野県長野市鬼無里の「鬼女紅葉」の関東・東北版というかクローンのような存在と考える。近隣の流山市に立派な諏訪神社があるので、関係者の誰かが長野県の伝承を持ち込んだ可能性があるかもしれないと想像する。
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「お松」というのは名前からみて、「[[松浦佐用姫]]」「[[蛇頭松姫大神]]」などの「'''名に松とつく女神'''」が民間伝承化したものと思われる。「夫と不幸な形で別れる」という点が一致している。起源は中国神話の[[塗山氏女]]に遡るであろう。「鬼女」としての伝承は千葉県から青森県まで、要は北関東から東北にかけて分布しているようである。おそらく長野県長野市鬼無里の「鬼女紅葉」の関東・東北版というかクローンのような存在と考える。近隣の流山市に立派な諏訪神社があるので、関係者の誰かが長野県の盗賊でもある鬼女の伝承を北関東に持ち込んだ可能性があるかもしれないと想像する。
  
 
伝説の内容は、「お松」という女性が、亡夫の仇打ちをするけれども、仇討ち相手の息子に彼女もまた討たれてしまう、というもの。父親の髑髏を抱いて寝る、というのは、彼女が父親から何らかの財産を受け取ったという「[[天照大御神]]」の伝承の類話でもあるし、彼女が父親を殺して食べてしまったという神話の変形でもあると考える。
 
伝説の内容は、「お松」という女性が、亡夫の仇打ちをするけれども、仇討ち相手の息子に彼女もまた討たれてしまう、というもの。父親の髑髏を抱いて寝る、というのは、彼女が父親から何らかの財産を受け取ったという「[[天照大御神]]」の伝承の類話でもあるし、彼女が父親を殺して食べてしまったという神話の変形でもあると考える。
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==物語==
 
==物語==
[[明和]]4年([[1767年]])、[[仙台藩|仙台]][[藩士]]・早川文左衛門と仕官を望む浪人の山木伝七郎が仕合い早川が勝った。恨みに思った山木は仲間の立見丈五郎、部賀九兵衛、稲毛甚斉に声をかけ、帰城する早川を襲撃した。しかし、立見、部賀は返り討ちにされ、稲毛は[[京都]]に逐電した。
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明和4年(1767年)、仙台藩士・早川文左衛門と仕官を望む浪人の山木伝七郎が仕合い早川が勝った。恨みに思った山木は仲間の立見丈五郎、部賀九兵衛、稲毛甚斉に声をかけ、帰城する早川を襲撃した。しかし、立見、部賀は返り討ちにされ、稲毛は京都に逐電した。
  
 
殺された立見の妻、お松は復讐を決意し稲毛の助太刀を得るために京都に向かう。稲毛は快諾したが、にわかに助平心を起こしお松に迫る。拒むお松が振り回した懐剣が稲毛の胸に刺さり稲毛は落命してしまう。
 
殺された立見の妻、お松は復讐を決意し稲毛の助太刀を得るために京都に向かう。稲毛は快諾したが、にわかに助平心を起こしお松に迫る。拒むお松が振り回した懐剣が稲毛の胸に刺さり稲毛は落命してしまう。
  
お松はひとり仙台に戻り、巧みに早川に近づいて[[陸奥国]][[一関]]への旅に誘い出した。[[衣川村|衣川]]を渡る時に色仕掛けで背負ってもらい、背中から刺して川に蹴りこみ本懐を遂げる。
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お松はひとり仙台に戻り、巧みに早川に近づいて陸奥国一関への旅に誘い出した。衣川を渡る時に色仕掛けで背負ってもらい、背中から刺して川に蹴りこみ本懐を遂げる。
  
 
その後、一関の北にある金岳山で三島権左衛門率いる20余名の盗賊に囲まれるが、巧みに権左衛門を倒し盗賊団の頭目に収まる。そして、手下を率いて近隣の村々を略奪して回り「鬼神のお松」と恐れられようになった<ref name="denkidensetu"/>。
 
その後、一関の北にある金岳山で三島権左衛門率いる20余名の盗賊に囲まれるが、巧みに権左衛門を倒し盗賊団の頭目に収まる。そして、手下を率いて近隣の村々を略奪して回り「鬼神のお松」と恐れられようになった<ref name="denkidensetu"/>。
  
[[天明]]3年([[1783年]])3月7日、仇と狙う早川文左衛門の遺児・文次郎に金岳山で討たれる{{sfn|芳賀登|一番ヶ瀬康子|中嶌邦|祖田浩一 |1993|p=356-357}}
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天明3年(1783年)3月7日、仇と狙う早川文左衛門の遺児・文次郎に金岳山で討たれる<ref>芳賀登, 一番ヶ瀬康子, 中嶌邦, 祖田浩一, 1993, p356-357</ref>
  
 
== ちょんがれ「鬼神のお松」 ==
 
== ちょんがれ「鬼神のお松」 ==
[[ちょんがれ]]で語られるお松は、奥州笠松峠を根城とする若き女盗賊で、美貌をもって旅人を欺き殺しては金品を奪っていた<ref name=kambayashi>神林尚子,「https://doi.org/10.20815/kinseibungei.88.0_31 「鬼神のお松」の起源と変容 ―歌舞伎における脚色を中心に―]」『近世文藝』 88巻 2008年 p.31-45, 日本近世文学会, {{doi|10.20815/kinseibungei.88.0_31}}。</ref>。武士夏目四郎三郎は、道中、お松に輔され、お松を背負って谷川を渡りはじめたが、川の中でお松に刺し殺される。四郎三郎の息子千太郎(仙太郎)は、父の敵討を志して笠松峠に乗り込み、父の魂瞬の加勢を得てお松を討ち果たす<ref name=kambayashi/>。浄瑠璃や歌舞伎はこのちょんがれの鬼神のお松をもとに、さまざまに変化させ創作している<ref name=kambayashi/>。
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ちょんがれで語られるお松は、奥州笠松峠を根城とする若き女盗賊で、美貌をもって旅人を欺き殺しては金品を奪っていた<ref name=kambayashi>神林尚子,「https://doi.org/10.20815/kinseibungei.88.0_31 「鬼神のお松」の起源と変容 ―歌舞伎における脚色を中心に―]」『近世文藝』 88巻 2008年 p.31-45, 日本近世文学会, 10.20815/kinseibungei.88.0_31。</ref>。武士夏目四郎三郎は、道中、お松に輔され、お松を背負って谷川を渡りはじめたが、川の中でお松に刺し殺される。四郎三郎の息子千太郎(仙太郎)は、父の敵討を志して笠松峠に乗り込み、父の魂瞬の加勢を得てお松を討ち果たす<ref name=kambayashi/>。浄瑠璃や歌舞伎はこのちょんがれの鬼神のお松をもとに、さまざまに変化させ創作している<ref name=kambayashi/>。
  
 
==伝説==
 
==伝説==

2026年2月2日 (月) 14:59時点における版

良渚文化の玉鳥(反山遺跡17号墓出土)。太陽を背負って飛んでいる。[1]
月岡芳年「新撰東錦絵・鬼神於松四郎三朗を害す図」

鬼神のお松(きじんのおまつ)は、歌舞伎・読本・錦絵などで石川五右衛門、自来也と並び、「日本三大盗賊」として描かれる女盗賊[2]。根本資料が乏しく、架空の人物と考えられている[3]

私的解説

「お松」というのは名前からみて、「松浦佐用姫」「蛇頭松姫大神」などの「名に松とつく女神」が民間伝承化したものと思われる。「夫と不幸な形で別れる」という点が一致している。起源は中国神話の塗山氏女に遡るであろう。「鬼女」としての伝承は千葉県から青森県まで、要は北関東から東北にかけて分布しているようである。おそらく長野県長野市鬼無里の「鬼女紅葉」の関東・東北版というかクローンのような存在と考える。近隣の流山市に立派な諏訪神社があるので、関係者の誰かが長野県の盗賊でもある鬼女の伝承を北関東に持ち込んだ可能性があるかもしれないと想像する。

伝説の内容は、「お松」という女性が、亡夫の仇打ちをするけれども、仇討ち相手の息子に彼女もまた討たれてしまう、というもの。父親の髑髏を抱いて寝る、というのは、彼女が父親から何らかの財産を受け取ったという「天照大御神」の伝承の類話でもあるし、彼女が父親を殺して食べてしまったという神話の変形でもあると考える。

亡夫、仇討ち相手、その息子は、元は全部「一人の男」である。「お松」の中にも「仇討ちをする」という「養母としての女神」と、「殺されてしまう」という「吊された女神」の要素が混在している。本来はお松が夫と共に父親を殺して食べ、彼女は更に夫に殺されてしまった。その姉と親の敵を妹の「お松」が討って、姉の夫を殺してしまった、という話であろう。蛇頭松姫大神には「おしも」という妹がいたが、本話ではおしもの存在が省略されて姉のお松と入り交じってしまっていると考える。

スイス・レートロマンの「山のこびと」という民話に、チリアという娘が人さらいの山のこびと「とんがり帽子のギアン・ピッチェン」からさらわれた姉を救い出すために隠して背負わせ、しまいにこびとを川に沈めて殺した、というお松とよく似た話がある。しかも、こちらはちゃんと「姉と妹」が揃っていて、それぞれの役割分担が明確である。ギアン・ピッチェンというのは中国プーラン族の神・グミヤーのこと。日本でいうところの「久米の仙人」のことと考えるので、川に関する神で、女で失敗する早川某とは「久米の仙人」が更に俗っぽく形が崩れてしまったものであろう。

また、なぜ早川某やギアン・ピッチェンが女神を背負うのかというと、「太陽を運ぶ鳥が太陽を背負う」という良渚文化の思想に基づくものと思われる。プーラン族のグミヤーは、良渚文化では「太陽女神を背負う鳥神」と考えられていたのだろう。

余談だけれども、なぜレートロマン(スイスのケルト系の地域)と日本に似たような民間伝承があるのか、といえば、古代の新羅(3世紀頃)ではトラキア(現在のルーマニア)付近からケルト系の技術者を招いて工芸品を生産していたからではないかと思う。古代日本は朝鮮半島と交易していたので、ケルト系の人と直接会って、神話や伝承の話を聞く機会があり、登場人物の名前や役割から、松姫とチリアの相関性を理解している人がいて、松姫の類話として持ち込んだものではないか、と考える。(もしかしたら千葉あたりに招かれたケルト系の技術者もいたのかもしれない。)

人物

「毒婦」とも称せられ、歌舞伎の役柄では「悪婆」に属する。元は深川の遊女で、たまたま拾った亡父の髑髏を抱いて寝るうちに妖艶さを身に付け、「骸骨お松」の異名を持つ評判の芸者になったという前日譚がある[4]

物語

明和4年(1767年)、仙台藩士・早川文左衛門と仕官を望む浪人の山木伝七郎が仕合い早川が勝った。恨みに思った山木は仲間の立見丈五郎、部賀九兵衛、稲毛甚斉に声をかけ、帰城する早川を襲撃した。しかし、立見、部賀は返り討ちにされ、稲毛は京都に逐電した。

殺された立見の妻、お松は復讐を決意し稲毛の助太刀を得るために京都に向かう。稲毛は快諾したが、にわかに助平心を起こしお松に迫る。拒むお松が振り回した懐剣が稲毛の胸に刺さり稲毛は落命してしまう。

お松はひとり仙台に戻り、巧みに早川に近づいて陸奥国一関への旅に誘い出した。衣川を渡る時に色仕掛けで背負ってもらい、背中から刺して川に蹴りこみ本懐を遂げる。

その後、一関の北にある金岳山で三島権左衛門率いる20余名の盗賊に囲まれるが、巧みに権左衛門を倒し盗賊団の頭目に収まる。そして、手下を率いて近隣の村々を略奪して回り「鬼神のお松」と恐れられようになった[3]

天明3年(1783年)3月7日、仇と狙う早川文左衛門の遺児・文次郎に金岳山で討たれる[5]

ちょんがれ「鬼神のお松」

ちょんがれで語られるお松は、奥州笠松峠を根城とする若き女盗賊で、美貌をもって旅人を欺き殺しては金品を奪っていた[6]。武士夏目四郎三郎は、道中、お松に輔され、お松を背負って谷川を渡りはじめたが、川の中でお松に刺し殺される。四郎三郎の息子千太郎(仙太郎)は、父の敵討を志して笠松峠に乗り込み、父の魂瞬の加勢を得てお松を討ち果たす[6]。浄瑠璃や歌舞伎はこのちょんがれの鬼神のお松をもとに、さまざまに変化させ創作している[6]

伝説

  • 青森県十和田市奥入瀬渓流からほど近い場所に「石ヶ戸」(いしげど)と呼ばれる岩屋があり、お松がここを住処として旅人から金品を奪っていたという伝説がある[7]
  • 青森県東津軽郡蓬田村にも鬼神のお松の伝承があり、お松の父親と兄弟分と伝わる家系があったという[8]

登場する主な作品

読本・小説

  • 梅亭半木兎『笠松峠鬼神敵討』
  • 仮名垣魯文『薄緑娘白浪』

参考文献

関連項目

関連項目

  1. 良渚(上) 玉器文化の宝庫、長江文明を訪ねて、丘桓興=文 劉世昭=写真、人民中国インタ-ネット版(最終閲覧日:22-12-05)
  2. アスペクト編集部『巨石巡礼』 アスペクト、2011年。ISBN 9784757218734、p.42-43
  3. 3.0 3.1 田井友季子『日本伝奇伝説大辞典』角川書店 1986年、ISBN 4040313003、pp.293-294.
  4. 児玉花外, 日本艶女伝, 1912, 聚精堂, p132-135, 近代デジタルライブラリー:778497/74
  5. 芳賀登, 一番ヶ瀬康子, 中嶌邦, 祖田浩一, 1993, p356-357
  6. 6.0 6.1 6.2 神林尚子,「https://doi.org/10.20815/kinseibungei.88.0_31 「鬼神のお松」の起源と変容 ―歌舞伎における脚色を中心に―]」『近世文藝』 88巻 2008年 p.31-45, 日本近世文学会, 10.20815/kinseibungei.88.0_31。
  7. 奥入瀬渓流~子ノ口.{{{date}}} - via {{{via}}}.
  8. 第四節 蓬田村の庄屋.{{{date}}} - via {{{via}}}.