「ハイヌウェレ」の版間の差分

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[[バロン]]あるいは[[女媧]]の場合、彼らが大洪水の間その体内に隠れているのは「カボチャ」や「[[ヒョウタン]]」といったウリ科の植物である。ヴェマーレ族の神話で生き残った女神ボウワもその名の起源は「バロン」と考える。その母ラビエも名の起源は「バロン」なのではないだろうか。ハイヌウェレ、ラビエ、ボウワと3種類も「[[バロン]]」がいるのがヴェマーレ族の神話と考える。本家ともいえるミャオ族の洪水神話の[[バロン]]に相当するのが[[ボウワ]]なのだ。植物は「死者が化生したもの」といえるので、[[バロン]]あるいは[[女媧]]は洪水の際に、'''死した母親'''から生まれ直した、といえる。ボウワの母親は「月の女神」とされているが、トゥワレに地中に引き込まれて殺されたことは明白なので、「'''死した母親'''」といえる。ただ、ボウワは生まれ直したのではなく、'''母親の形見を身につけることで'''大洪水を生き残る。母親に何か、洪水とか悪しき災害を抑制する力がある、と考えられていた名残ではないだろうか。ボウワは母親から「正当な跡継ぎ」として認められたから、母親の能力も受け継いで生き残ることができた、とも考えられる。
 
[[バロン]]あるいは[[女媧]]の場合、彼らが大洪水の間その体内に隠れているのは「カボチャ」や「[[ヒョウタン]]」といったウリ科の植物である。ヴェマーレ族の神話で生き残った女神ボウワもその名の起源は「バロン」と考える。その母ラビエも名の起源は「バロン」なのではないだろうか。ハイヌウェレ、ラビエ、ボウワと3種類も「[[バロン]]」がいるのがヴェマーレ族の神話と考える。本家ともいえるミャオ族の洪水神話の[[バロン]]に相当するのが[[ボウワ]]なのだ。植物は「死者が化生したもの」といえるので、[[バロン]]あるいは[[女媧]]は洪水の際に、'''死した母親'''から生まれ直した、といえる。ボウワの母親は「月の女神」とされているが、トゥワレに地中に引き込まれて殺されたことは明白なので、「'''死した母親'''」といえる。ただ、ボウワは生まれ直したのではなく、'''母親の形見を身につけることで'''大洪水を生き残る。母親に何か、洪水とか悪しき災害を抑制する力がある、と考えられていた名残ではないだろうか。ボウワは母親から「正当な跡継ぎ」として認められたから、母親の能力も受け継いで生き残ることができた、とも考えられる。
  
そして、ハイヌウェレが「死して月になった女神」であるラビエと同じものならば、ハイヌウェレもまた「月の女神」といえる。というよりも、'''原ラビエ'''といえる女神が死んで二つに分かれ、一方が'''月の女神ラビエ'''、一方が'''芋の女神ハイヌウェレ'''になった、ともいえるかもしれない。彼らは「同じもの」であり「異なるもの」なのだ。イェンゼンの言う「同一の存在の二種の面相」とは月と芋のことを指すのだろう。
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ハイヌウェレには「母」が2つある。一つは豚であり、一つはココヤシである。ココヤシの場合、[[バロン]]と類似していて母親は植物であるといえる。父親はアメタである。死した母親から生まれているから、ハイヌウェレは「娘の太陽神」なのだが、死してバラバラになり、その破片が芋に変わってしまう。ハイヌウェレは日本神話と比較した場合、「[[大宜都比売]]」に相当する女神なのだ。
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と考えると、ハイヌウェレの母は「死して冥界神なる女神・[[伊邪那美命]]」に相当する女神かもしれない、と想像される。それが'''サテネ'''である。
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一方、ラビエは「死して月になる女神」であり、後継者としてボウワがいる。これは日本神話では伊邪那美命と天照大御神の関係に似る。
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だから、ヴェマーレ族の女神達を日本神話と比較した場合、「母なる女神サテネ・ラビエ」が[[伊邪那美命]]に類似した女神、ボウワは[[天照大御神]]、ハイヌウェレは[[大宜都比売]]ということになる。日本神話にはメジャーな祖神として伊邪那美命・伊邪那岐命の一組しかいないのだが、ヴェマーレ族には、サテネ・アメタを祖神とする群とラビエ・トゥワレを祖神とする群があったと思われる。サテネ・アメタからは植物に化生するハイヌウェレが生まれ、ラビエ・トゥワレからは「死なない女神・ボウワ」が生まれているのだ。ただし、神話からラビエのトーテムは豚と思われるので、ハイヌウェレの母親は豚だから、ハイヌウェレの母親がラビエであるとも解され、2つの群の神話には交錯する点があるように思う。女神達の性質もそれぞれ異なる女神のようでいて、交錯している点があるだろう。
  
 
=== 日本神話との比較 ===
 
=== 日本神話との比較 ===

2026年1月4日 (日) 00:36時点における版

インドネシアのウェマーレ族の神話に登場する半神半人といえる女性である。

ココヤシの花から生まれたハイヌウェレ(「ココヤシの枝」の意)という少女は、様々な宝物を大便として排出することができた。あるとき、踊りを舞いながらその宝物を村人に配ったところ、村人たちは気味悪がって彼女を生き埋めにして殺してしまった。ハイヌウェレの父親は、掘り出した死体を切り刻んであちこちに埋めた。すると、彼女の死体からは様々な種類の芋が発生し、人々の主食となった[1]

神話

九家族(バナナから発祥した最初の人類)は、ヌヌサク山を下りて部族移動をはじめ、森の中の神聖な踊りの広場、タメネ・シワ(Tamene Siwa.)のある場所に来ていた。そのなかにアメタ(「、夜」等の意)という独身の男がいた。狩猟でイノシシ(野生豚)をしとめると、牙(≒骨に相当)から(石のように固い)ココヤシの実が見つかった(そのとき世界にはまだココヤシの木は存在しなかった)。アメタはサロン・パトラ(模様の布)(Sarong patola.)で覆って実を持ち帰ったが、夢に謎の男が現れ、その実を植えよとのお告げにしたがうと、3日で木に成長し、さらに3日後に開花した。アメタはヤシ酒を作ろうと木登りしたが、花を切ろうとして指を傷つけてしまい、血が花にほとばしった。すると花と血が人間のかたちとなり、9日後には少女に育っていた。その彼女をハイヌウェレ(ハイヌヴェレ、「ココヤシの枝」の意)と名づけ、柄のサロン布に包んで持ち帰った。彼女には、いろいろな高価な品物を大便として排泄するという、不思議な能力が備わっていたので、アメタは富豪となった[2][3][4]

神聖なるタメネ・シワの広場では、9夜連続のマロ踊り(Maro.)が開催された。踊り手はマロ踊りを螺旋を描きながら踊るのだが、中央には女たちが控えていて、清涼剤である「ベテルの実とシリーの葉」すなわちビンロウ(檳榔子(ビンロウジ))とキンマ(蒟醤(キンマ))の葉を配って渡す。ところがハイヌウェレは第二夜にはビンロウジのかわりにサンゴを渡し、第三夜に中国製磁器、第四夜により豪華な磁器、第五夜に大きな山刀(イェンゼンのドイツ語原文では単に"große Buschmesser"だが((Jensen, 1978, p455)、目次を見れば他所でParang (knife)という刀が出ており、Buschmesserである。)、第六夜に銅製のシリー入れ、第七夜に銅鑼と、だんだんと高価な品を配った。しかし人々はこれを気味悪がり、嫉妬心も働いて謀殺することに決め、第九夜の踊りの最中に彼女を生き埋めにし、踊りながらして穴を踏み鳴らし、悲鳴があがるのを歌声でかき消し、殺してしまった[2][5]

アメタは娘が帰らないことをいぶかり、占いを行って彼女が舞踏会で殺されたと知った。ココ椰子の葉肋を持って砂に突きさして回り、彼女が埋められる場所を突き止めた。そして彼女の両腕をのこし、それ以外の部分を細切れに刻んで広場のまわりの土地に埋めたが、それらの場所から世界に存在していなかったイモ類(ヤム芋やタロイモ)が生じ、その後の人類の主食となった[2]大林, 1979, p137、吉田, 1992, p146</ref>[6]

異伝では、この時、ハイヌウェレの両親は「おまえ達は彼女を殺した。今やおまえ達は彼女を食べねばならぬ」と言ったという。

アメタは娘の両腕を抱えて、劫初より人類を支配してきた、(未熟な青くて石のように固いバナナから生まれた、)ムルア・サテネ(mulua Satene)という女神を訪ねて訴えた。彼女は憤慨して人間界にいることをやめると宣言し、踊りのように九重の螺旋からなる門を築きあげて、すべての人間にそこを通るように命じて選別を始めた。命に従わないものは人間以外の者にされると忠告され、動物や精霊になってしまった。門をくぐる者たちも、大木に座るサテネの脇を抜けようとするが、すれ違いざまにハイヌウェレの片腕で殴られた。大木の左側に抜けようとしたものは五本の木の幹(あるいは竹)を飛び越さなくてはならず「パタリマ」(五つの人たち、Patalima .)となり、右側に抜けようとしたものは九本を飛び越して「パタシワ」(九つの人たち、Patasiwa .)となった。セラム島のウェマーレ族やアルーネ族(Alune people)は、「九つの人たち」に数えられる[2][7][8]

これは寿命の罰が与えられたと解釈されており、すなわち、それまで世界は人間にとって死の無い楽園だったのに、ハイヌウェレ殺害後は、人類は定まった寿命を授かり、死後に門を通り、死の女神サテネに謁見しなくてはならなくなったと説明される[9]

その他の伝承

ハイヌウェレはラビエ・ハイヌウェレと呼ばれることもあり、別の伝承のラビエと同一視されている可能性があるようだ[10]

ラビエ(La Vie / Rabie)という少女が天に住む太陽の男トゥワレから求婚された。これを拒否すると、ラビエはトゥワレの仕業によって地面に引き込まれて死んだ。その間際、ラビエはを屠って葬宴を行うこと、三日後に自分は光明となって甦るだろうと言い残した。ラビエの葬儀を行うと、3日目の晩に、西の空に満月が現れた[11]

太陽神トゥワレと月の女神ラビエの間に娘ボウワ (Bowwa)がいた。父トゥワレが人類を滅ぼすために大洪水を起こそうとした際、娘ボウワは母ラビエの助言(または銀の褌を身につける行為)によってそれを避難し、大地は元通りになったが、その出来事により女性に生理が始まった[12]

私的考察

ハイヌウェレの神話は彼女が化生する数が多く、やや複雑な形式となっている。わかりやすいところからかみ砕いていきたい。

マロ踊りについて

「マロ踊り」はハイヌウェレを屠る祭祀、ともいえるが、「マロ」と聞いたら子音的にはまず女媧(Nüwa)が思い浮かぶ。ハイヌウェレは常に「」を思わせる布をまとっているが、女媧は下半身がの女神である。いずれも、洪水神話に関連する女神でもある。いずれも水生生物で表され、洪水神話にも関わることから、「吊された女神」である。おそらく、ハイヌウェレは、女媧と同起源の女神であり、その名はバロンから変化したものと考える。

洪水神話から見た場合

バロンあるいは女媧の場合、彼らが大洪水の間その体内に隠れているのは「カボチャ」や「ヒョウタン」といったウリ科の植物である。ヴェマーレ族の神話で生き残った女神ボウワもその名の起源は「バロン」と考える。その母ラビエも名の起源は「バロン」なのではないだろうか。ハイヌウェレ、ラビエ、ボウワと3種類も「バロン」がいるのがヴェマーレ族の神話と考える。本家ともいえるミャオ族の洪水神話のバロンに相当するのがボウワなのだ。植物は「死者が化生したもの」といえるので、バロンあるいは女媧は洪水の際に、死した母親から生まれ直した、といえる。ボウワの母親は「月の女神」とされているが、トゥワレに地中に引き込まれて殺されたことは明白なので、「死した母親」といえる。ただ、ボウワは生まれ直したのではなく、母親の形見を身につけることで大洪水を生き残る。母親に何か、洪水とか悪しき災害を抑制する力がある、と考えられていた名残ではないだろうか。ボウワは母親から「正当な跡継ぎ」として認められたから、母親の能力も受け継いで生き残ることができた、とも考えられる。

ハイヌウェレには「母」が2つある。一つは豚であり、一つはココヤシである。ココヤシの場合、バロンと類似していて母親は植物であるといえる。父親はアメタである。死した母親から生まれているから、ハイヌウェレは「娘の太陽神」なのだが、死してバラバラになり、その破片が芋に変わってしまう。ハイヌウェレは日本神話と比較した場合、「大宜都比売」に相当する女神なのだ。

と考えると、ハイヌウェレの母は「死して冥界神なる女神・伊邪那美命」に相当する女神かもしれない、と想像される。それがサテネである。

一方、ラビエは「死して月になる女神」であり、後継者としてボウワがいる。これは日本神話では伊邪那美命と天照大御神の関係に似る。

だから、ヴェマーレ族の女神達を日本神話と比較した場合、「母なる女神サテネ・ラビエ」が伊邪那美命に類似した女神、ボウワは天照大御神、ハイヌウェレは大宜都比売ということになる。日本神話にはメジャーな祖神として伊邪那美命・伊邪那岐命の一組しかいないのだが、ヴェマーレ族には、サテネ・アメタを祖神とする群とラビエ・トゥワレを祖神とする群があったと思われる。サテネ・アメタからは植物に化生するハイヌウェレが生まれ、ラビエ・トゥワレからは「死なない女神・ボウワ」が生まれているのだ。ただし、神話からラビエのトーテムは豚と思われるので、ハイヌウェレの母親は豚だから、ハイヌウェレの母親がラビエであるとも解され、2つの群の神話には交錯する点があるように思う。女神達の性質もそれぞれ異なる女神のようでいて、交錯している点があるだろう。

日本神話との比較

人間を治める女神であるサテネは、ハイヌウェレの死と連動して人界を去り、「冥界の女神」となる。サテネとハイヌウェレもまた「一体の女神」であるかのように示される。死後、冥界の女神となる神に、日本神話の伊邪那美命がいる。高天原の三貴子は伊邪那美命が亡くなった後に生まれているから、三貴子もまた「死した母親」の子といえる。

原ラビエの変遷・伊邪那美命等との比較
ラビエ(太陽・豚) →娘・ボウワ(形見あり) 伊邪那美命(太陽) 天照大御神(形見あり)
↓月の女神ラビエ
(死んだ太陽)
大宜都比売
(太陽、バラされたものが月)
乙子狭姫
太陽女神ハイヌウェレ
(母は豚あるいはココヤシ)
→バラバラハイヌウェレ(月) →穀類・芋 ↓穀類・芋
サテネ(太陽)
死後、冥界の女神
↓冥界の女神
伊邪那美命

台湾の伝承には、太陽が死んで月になった、というものがある。死者であり、かつ神でもあるラビエと伊邪那美命は「死した太陽女神」だったと考える。ボウワは母の形見を受け取った次の「太陽女神」なのだ。日本神話では天照大御神は父から首飾りのような形見を受け取る。台湾原住民のバルンという女神は、死後家族に形見を残す。日本神話にあからさまな「洪水」はないが、伊邪那美命は混沌の洪水後の沼のようなところから国土を作り出すし、伊邪那岐命との結婚の場面は、洪水神話のバロン・ダロンの婚姻の場面と類似していて、類話であることが示唆されている。

おそらく、太陽女神が亡くなって、「月女神になる→主に作物などに化生する」「冥界の女神になる」という二通りの似たような伝承があったのだと考える。それが乖離したり、組み合わさったりして各地の神話は形成されたように思える。ヴェマーレ族では、女神達はそれぞれに名前は異なるが、「同じ女神」であると示唆されるように一つにまとめられる傾向にある。女神ハイヌウェレと冥界の女神は別々のようでありながら、それぞれの生命は一体化しているように見えて、一方が現世を去ると、もう一方も自動的に亡くなってしまう。

日本神話の場合、伊邪那美命は冥界の女神にはなるが、作物になったり月の女神になったりはしない。その代わり、日本には別系統で大宜都比売が亡くなって作物などになる、という神話があったのだろう。これが伊邪那美命の神話と合わされ、大宜都比売伊邪那美命の娘に組み込まれたのだと思われる。大宜都比売には乙子狭姫という娘がいる、という伝承もあり、彼女が母女神の後継者とされているから、この乙子狭姫もローカルでは「太陽女神」であって、大宜都比売伊邪那美命は本来、類似した性質を持つ系統の異なる女神達だったのだと考える。

サテネとは

サテネとハイヌウェレは、本当に「同じ女神」といってよいのだろうか? 神話ではサテネはラビエが死んで変化した、ともされておらず、生きているときも、死んだ後も、サテネとラビエは別のもののように描かれている。冥界の女神サテネが、日本神話の伊邪那美命に相当し、芋に変化するハイヌウェレが日本神話の大宜都比売だとすれば、両者の違いは更に際立つ。大宜都比売伊邪那美命は別々に亡くなるし、亡くなる場所も設定も異なっていて、全く「別の神」である。

では、なぜヴェマーレでは、伊邪那美命(サテネ)と大宜都比売(ハイヌウェレ)が「一体」であるかのように取り扱われるのだろうか。それは、彼らの性質が似通っているから、元は別々の神だったのに、習合してしまった、ということがまず考えられる。似通った神話を2つ纏める際に、例えばそれが「射日神話」のように「太陽を射る話」だった場合、太陽神が二柱いたら、彼らがよほど近くにいない限り、それぞれを射るのに、最低でも2本の矢が必要だと思わないだろうか? それを更に縮めて、1本の矢で、1つの太陽を射落としたら、残りも自動的に落ちてしまうようにして、どちらが射られたのか、それぞれにどんな事情があって射られたのかまで、まぜこぜにして分からなくなってしまっているのではないだろうか

例えば、ハイヌウェレは宝を出してくれる女神であって、本来なら人々は喜んで大切にしても当然であって、殺してしまうなど、ひどい話ではないだろうか。だけど、もし、サテネの方が悪い神であって、射殺されても当然のような神だったとする。彼らをまぜこぜにしてしまったら、ハイヌウェレは「宝を出してくれるけれども、射殺されても当然のような悪い神」とされてしまわないだろうか。そうして、「悪神サテネ」を狙ったはずの矢はハイヌウェレまでも貫いてしまい、ハイヌウェレを殺してしまうのである。

サテネの名には「t」音の子音が入り、その名は饕餮、祝融、ダロンなどと起源が一致する名と思われる。すなわち、ラビエを殺して食べてしまった太陽神トゥワレに近い名なのだ。トゥワレが「殺された女神」のうち「燃やされた女神」に習合し、彼女をいわば「盾」にしているので、「悪しき太陽トゥワレ」を狙って放った矢は、「燃やされた女神」を射殺してしまい、本来あった「悪さをする太陽神を射た、という神話」が「悪さをする燃やされた女神(太陽女神)を射た、という神話」に変換されたものと考える。その彼女が死んで冥界神となるのだ。日本神話の伊邪那美命は、皇祖神をひどい「悪女神」にするわけにはいかないので、特に「悪い」とまで言えることをしているわけではないが、婚姻の際に作法を間違えて、水蛭子を生んでしまう、とか多少のミスは犯している。それが彼女の死の原因と言われてはいないけれども、死の原因として暗示されているようにも思う。サテネの「悪い点」ははっきりしない。ハイヌウェレを死なせてしまったことそのものが彼女のミスとされているのかもしれない。ハイヌウェレも祭りの作法を破ったことが原因で殺される。大宜都比売はもてなしの作法に関して殺される。そのようなささいなことで「悪神」とされて死んでしまう女神は、その陰で「人を殺して食う」ような本物の悪神と習合させられているように感じる。まるで悪神の悪い因縁が、女神の「ささいなミス」にとりついて「悪さの度合い」を増幅させているかのようだ。

かくして、ハイヌウェレや大宜都比売は、悪い因縁を持った「男性の太陽神」と習合させられている冥界女神と更に一体化しているように扱われて殺されて、作物だけが彼らの死体から取り出される。台湾の伝承には、太陽神を射て血が流れる話はあるが、作物を得る話はない。ヴェマーレの神話にしても、多少話の筋に混乱はあるが、「死した女ラビエの遺産」にまつわる神話は「女性が腹から出血する原因」の神話であって、作物の起源神話ではない。誰かが「男性の太陽が射られて血を流す神話を、女神の月経の話に置き換えた神話」と「女神が殺されて作物を取り出される神話」を一塊にしてしまったものが、ハイヌウェレと大宜都比売の神話と考える。彼らは元は太陽女神なのだから、まず射落とされて、地上に落ちてからバラバラにされたのだと思われる。その破片が「月の女神」とされたのだろう。それを地面にまいて育てたものが、女神の化身の作物である。サテネと伊邪那美命は、彼らの元の半分は「男性神」であってハイヌウェレや大宜都比売とは異なる神なので、それぞれ一体のような、別々の神のような感じで、完全に習合しきれていない不可思議な神話が形成されているのだろう。

トーテムについて

ハイヌウェレの場合

彼女は、

  • 豚→ココヤシ→(+アメタの血)

と変化して生まれる。アメタは男性なので、彼の「血」とは精液の役割を果たすと考える。ということはココヤシは女性ということになる。バロン・ダロン神話で、子供達の母親が「死した女性の化身」のカボチャとして語られるように、ココヤシは「死した女性」の化身と考えられる。

関連項目

参考文献

  • Wikipedia:ハイヌウェレ型神話(最終閲覧日:22-07-13)
  • 世界の始まりの物語 吉田敦彦 大和書房 1994年6月30日発行 59p、212-217p

参照

  1. 『世界神話事典』「ハイヌウェレ」の項(吉田、p. 153)
  2. 2.0 2.1 2.2 2.3 西村朝日太郎「第九章第七節 デマ神の神話学的背景」『人類学的文化像 : 貫削木と聖庇の基礎的研究』吉川弘文館、1960年、400–402頁。
  3. 吉田, 1986, pp37–39、吉田, 1992, pp141–143
  4. 大林, 1979, pp133–135
  5. 吉田, 1986, pp39–40、吉田, 1992, pp143–144、sfn, 大林, 1979, pp135–137
  6. 肺腑からアインテ・ラトゥ・パイテ(紫色ヤム芋); 乳房:アインテ・ババウ; 両目:アインテ・マ(生りはじめの形が目に似る); 恥部:"明るい紫色でとてもよい匂いがして美味しい、アインテ・モニという種類"; 尻:アインテ・カ・オク("外皮がかさかさ"); 両耳:アインテ・レイリエラ; 両足:アインテ・ヤサネ; 太股:アインテ・ワブブア(大型種); 頭:ウク・ヨイヨネ(タロ芋の一種)。
  7. 大林, 1979, pp138–140
  8. 吉田, 1992, pp160–161
  9. Antoni, Klaus (1982), “Death and Transformation : The Presentation of Death in East and Southeast Asia”, Asian folklore studies 41 (2): 154, doi:10.2307/534874, JSTOR 534874 Jensen, Adolf Ellegard. Die getötete Gottheit; Weltbild einer frühen Kultur, 1966, p. 134 より(英訳で)抜粋。
  10. イェンゼンはラビエとハイヌウェレを「同一の存在の二種の面相を表したものだろう、と論じている」とのこと(世界の始まりの物語 吉田敦彦 大和書房 1994年6月30日発行 p59)。
  11. 殺され女神、円環伝承(最終閲覧日:26-01-01)、ハイヌヴェレ神話と月信仰(最終閲覧日:26-01-01)
  12. ボウワ幻想世界神話辞典(最終閲覧日:26-01-01)