「ハイヌウェレ」の版間の差分
(→超余談) |
(→超余談) |
||
| 34行目: | 34行目: | ||
また、吉田敦彦はマロ踊りについて、ニューギニアのマヨ祭を、マロ踊りの具現のように挙げて比較研究している。「マヨ母」と定義された若い女性を村の男達が祭りで陵辱して殺して食べてしまうというものである。豊穣を願う祭祀ではあるけれども、現代の感覚から言えば凄惨さが際立つ。「マヨ」と言ったら、子音から見てすぐにギリシア神話の「'''メーティス'''」が思い浮かぶ。ゼウスが妻のメーティスを食べてしまったように、太陽神トゥワレの化身の男達がマヨ母を殺して、もしかしたら昔は「焼いて」食べてしまったかもしれない、と思う。印欧語族には寡婦殉死と言って、夫が亡くなったら妻を殺す(だいたい焼き殺す)祭祀があったはず。インドでサティと呼ばれる習慣である。「マヨ」は、印欧語族とオーストロネシア語族に「共通した祭祀」であって、元々太陽神「'''饕餮'''」あるいはその'''化身の男達'''が、[[女媧]]に見立てた女神を焼いて食べてしまい、彼女の財産と権利を奪う祭祀だったのではないか、と思う。それがニューギニア、インド、ギリシアなどに分かれて、豊穣を求める祭祀になったり、葬儀の際の習慣になったり、神話に残っていたりするのだろう。起源は良渚文化あるいはその直前の文化あたりと思われる。河姆渡系の文化では女神をそのように粗略に扱ったりしないと思われるので。 | また、吉田敦彦はマロ踊りについて、ニューギニアのマヨ祭を、マロ踊りの具現のように挙げて比較研究している。「マヨ母」と定義された若い女性を村の男達が祭りで陵辱して殺して食べてしまうというものである。豊穣を願う祭祀ではあるけれども、現代の感覚から言えば凄惨さが際立つ。「マヨ」と言ったら、子音から見てすぐにギリシア神話の「'''メーティス'''」が思い浮かぶ。ゼウスが妻のメーティスを食べてしまったように、太陽神トゥワレの化身の男達がマヨ母を殺して、もしかしたら昔は「焼いて」食べてしまったかもしれない、と思う。印欧語族には寡婦殉死と言って、夫が亡くなったら妻を殺す(だいたい焼き殺す)祭祀があったはず。インドでサティと呼ばれる習慣である。「マヨ」は、印欧語族とオーストロネシア語族に「共通した祭祀」であって、元々太陽神「'''饕餮'''」あるいはその'''化身の男達'''が、[[女媧]]に見立てた女神を焼いて食べてしまい、彼女の財産と権利を奪う祭祀だったのではないか、と思う。それがニューギニア、インド、ギリシアなどに分かれて、豊穣を求める祭祀になったり、葬儀の際の習慣になったり、神話に残っていたりするのだろう。起源は良渚文化あるいはその直前の文化あたりと思われる。河姆渡系の文化では女神をそのように粗略に扱ったりしないと思われるので。 | ||
| − | + | イェンゼンが「芋栽培は古いのか古くないのか」で混乱してしまって、サテネというのは、自分(印欧語族)のとこの寡婦殉死の女神サティのこと、ギリシア神話でせいぜいセメレーのこと、って言わない時点で「鋭い分析」という言葉の定義ってなに? と思ってしまうわけですが。 | |
吉田がオオゲツヒメと比較することは正しいと思います。でも、穀物に化生したオオゲツヒメの方が、古い形式の神話なのです。日本人の学者なら、そこを指摘して欲しかったな、と思います。あとは「マヨ」なんて、せいぜいが下諏訪の「御船祭」とか。よそでやっている凄惨な祭祀より、自分の国でやっている'''精神的に'''凄惨な祭祀にもっと目をむけてくれても良かったかな、と思います。 | 吉田がオオゲツヒメと比較することは正しいと思います。でも、穀物に化生したオオゲツヒメの方が、古い形式の神話なのです。日本人の学者なら、そこを指摘して欲しかったな、と思います。あとは「マヨ」なんて、せいぜいが下諏訪の「御船祭」とか。よそでやっている凄惨な祭祀より、自分の国でやっている'''精神的に'''凄惨な祭祀にもっと目をむけてくれても良かったかな、と思います。 | ||
2026年1月3日 (土) 12:03時点における版
インドネシアのウェマーレ族の神話に登場する半神半人といえる女性である。
ココヤシの花から生まれたハイヌウェレ(「ココヤシの枝」の意)という少女は、様々な宝物を大便として排出することができた。あるとき、踊りを舞いながらその宝物を村人に配ったところ、村人たちは気味悪がって彼女を生き埋めにして殺してしまった。ハイヌウェレの父親は、掘り出した死体を切り刻んであちこちに埋めた。すると、彼女の死体からは様々な種類の芋が発生し、人々の主食となった[1]。
神話
九家族(バナナから発祥した最初の人類)は、ヌヌサク山を下りて部族移動をはじめ、森の中の神聖な踊りの広場、タメネ・シワ(Tamene Siwa.)のある場所に来ていた。そのなかにアメタ(「黒、夜」等の意)という独身の男がいた。狩猟でイノシシ(野生豚)をしとめると、牙(≒骨に相当)から(石のように固い)ココヤシの実が見つかった(そのとき世界にはまだココヤシの木は存在しなかった)。アメタはサロン・パトラ(蛇模様の布)(Sarong patola.)で覆って実を持ち帰ったが、夢に謎の男が現れ、その実を植えよとのお告げにしたがうと、3日で木に成長し、さらに3日後に開花した。アメタはヤシ酒を作ろうと木登りしたが、花を切ろうとして指を傷つけてしまい、血が花にほとばしった。すると花と血が人間のかたちとなり、9日後には少女に育っていた。その彼女をハイヌウェレ(ハイヌヴェレ、「ココヤシの枝」の意)と名づけ、蛇柄のサロン布に包んで持ち帰った。彼女には、いろいろな高価な品物を大便として排泄するという、不思議な能力が備わっていたので、アメタは富豪となった[2][3][4]。
神聖なるタメネ・シワの広場では、9夜連続のマロ踊り(Maro.)が開催された。踊り手はマロ踊りを螺旋を描きながら踊るのだが、中央には女たちが控えていて、清涼剤である「ベテルの実とシリーの葉」すなわちビンロウ(檳榔子(ビンロウジ))とキンマ(蒟醤(キンマ))の葉を配って渡す。ところがハイヌウェレは第二夜にはビンロウジのかわりにサンゴを渡し、第三夜に中国製磁器、第四夜により豪華な磁器、第五夜に大きな山刀(イェンゼンのドイツ語原文では単に"große Buschmesser"だが((Jensen, 1978, p455)、目次を見れば他所でParang (knife)という刀が出ており、Buschmesserである。)、第六夜に銅製のシリー入れ、第七夜に銅鑼と、だんだんと高価な品を配った。しかし人々はこれを気味悪がり、嫉妬心も働いて謀殺することに決め、第九夜の踊りの最中に彼女を生き埋めにし、踊りながらして穴を踏み鳴らし、悲鳴があがるのを歌声でかき消し、殺してしまった[2][5]。
アメタは娘が帰らないことをいぶかり、占いを行って彼女が舞踏会で殺されたと知った。ココ椰子の葉肋を持って砂に突きさして回り、彼女が埋められる場所を突き止めた。そして彼女の両腕をのこし、それ以外の部分を細切れに刻んで広場のまわりの土地に埋めたが、それらの場所から世界に存在していなかったイモ類(ヤム芋やタロイモ)が生じ、その後の人類の主食となった[2]大林, 1979, p137、吉田, 1992, p146</ref>[6]。
異伝では、この時、ハイヌウェレの両親は「おまえ達は彼女を殺した。今やおまえ達は彼女を食べねばならぬ」と言ったという。
アメタは娘の両腕を抱えて、劫初より人類を支配してきた、(未熟な青くて石のように固いバナナから生まれた、)ムルア・サテネ(mulua Satene)という女神を訪ねて訴えた。彼女は憤慨して人間界にいることをやめると宣言し、踊りのように九重の螺旋からなる門を築きあげて、すべての人間にそこを通るように命じて選別を始めた。命に従わないものは人間以外の者にされると忠告され、動物や精霊になってしまった。門をくぐる者たちも、大木に座るサテネの脇を抜けようとするが、すれ違いざまにハイヌウェレの片腕で殴られた。大木の左側に抜けようとしたものは五本の木の幹(あるいは竹)を飛び越さなくてはならず「パタリマ」(五つの人たち、Patalima .)となり、右側に抜けようとしたものは九本を飛び越して「パタシワ」(九つの人たち、Patasiwa .)となった。セラム島のウェマーレ族やアルーネ族(Alune people)は、「九つの人たち」に数えられる[2][7][8]。
これは寿命の罰が与えられたと解釈されており、すなわち、それまで世界は人間にとって死の無い楽園だったのに、ハイヌウェレ殺害後は、人類は定まった寿命を授かり、死後に門を通り、死の女神サテネに謁見しなくてはならなくなったと説明される[9]。
その他の伝承
ハイヌウェレはラビエ・ハイヌウェレと呼ばれることもあり、別の伝承のラビエと同一視されている可能性があるようだ[10]。
ラビエ(La Vie / Rabie)という少女が天に住む太陽の男トゥワレから求婚された。これを拒否すると、ラビエはトゥワレの仕業によって地面に引き込まれて死んだ。その間際、ラビエは豚を屠って葬宴を行うこと、三日後に自分は光明となって甦るだろうと言い残した。ラビエの葬儀を行うと、3日目の晩に、西の空に満月が現れた[11]。
太陽神トゥワレと月の女神ラビエの間に娘ボウワ (Bowwa)がいた。父トゥワレが人類を滅ぼすために大洪水を起こそうとした際、娘ボウワは母ラビエの助言(または銀の褌を身につける行為)によってそれを非難し、大地は元通りになったが、その出来事により女性に生理が始まった[12]。
私的考察
ハイヌウェレの神話は彼女が化生する数が多く、やや複雑な形式となっている。わかりやすいところからかみ砕いていきたい。
マロ踊りについて
「マロ踊り」はハイヌウェレを屠る祭祀、ともいえるが、「マロ」と聞いたら死因的にはまず女媧(Nüwa)が思い浮かぶ。ハイヌウェレは常に「蛇」を思わせる布をまとっているが、女媧は下半身が蛇の女神である。いずれも、洪水神話に関連する女神でもある。いずれも水生生物で表され、洪水神話にも関わることから、「吊された女神」である。おそらく、ハイヌウェレは、女媧と同起源の女神であり、その名はバロンから変化したものと考える。
超余談
どうもイェンゼンという人は、芋を栽培している人達の間で女神を殺して芋に変える話を「古栽培民の神話」と呼んで、高名になったのか、といつも思ってしまう。芋に変わるようになったのは、オーストロネシア語族が中国大陸から太平洋へこぎ出した後であって、この神話の原型は、ともかく「神が死んで穀物に変わった」というもので、稲作民の神話だから、米などを想定したと思われる。芋を栽培している人達が「古栽培民」なら稲を栽培している人達は「超超古古古栽培民」とでも言うべき? そして、そう定義したら「鋭い分析をしている」と言われるべき? 神話学っていったいなに? とつい思ってしまう自分がいる。吉田敦彦は日本人なので、一応須佐之男のオオゲツヒメ殺しとこの神話を比較している。でも、民間伝承では鳥神を射たら餅になるとか、病気になった女神に小豆粥を食べさせたら治った、とか、女神は穀物に関することが多い。だから、まず吉田敦彦は日本人と長江流域の稲作民族のことをイェンゼンに倣って「超超古古古栽培民」と言えば良かったのに、と思ってしまうわけです。
また、吉田敦彦はマロ踊りについて、ニューギニアのマヨ祭を、マロ踊りの具現のように挙げて比較研究している。「マヨ母」と定義された若い女性を村の男達が祭りで陵辱して殺して食べてしまうというものである。豊穣を願う祭祀ではあるけれども、現代の感覚から言えば凄惨さが際立つ。「マヨ」と言ったら、子音から見てすぐにギリシア神話の「メーティス」が思い浮かぶ。ゼウスが妻のメーティスを食べてしまったように、太陽神トゥワレの化身の男達がマヨ母を殺して、もしかしたら昔は「焼いて」食べてしまったかもしれない、と思う。印欧語族には寡婦殉死と言って、夫が亡くなったら妻を殺す(だいたい焼き殺す)祭祀があったはず。インドでサティと呼ばれる習慣である。「マヨ」は、印欧語族とオーストロネシア語族に「共通した祭祀」であって、元々太陽神「饕餮」あるいはその化身の男達が、女媧に見立てた女神を焼いて食べてしまい、彼女の財産と権利を奪う祭祀だったのではないか、と思う。それがニューギニア、インド、ギリシアなどに分かれて、豊穣を求める祭祀になったり、葬儀の際の習慣になったり、神話に残っていたりするのだろう。起源は良渚文化あるいはその直前の文化あたりと思われる。河姆渡系の文化では女神をそのように粗略に扱ったりしないと思われるので。
イェンゼンが「芋栽培は古いのか古くないのか」で混乱してしまって、サテネというのは、自分(印欧語族)のとこの寡婦殉死の女神サティのこと、ギリシア神話でせいぜいセメレーのこと、って言わない時点で「鋭い分析」という言葉の定義ってなに? と思ってしまうわけですが。
吉田がオオゲツヒメと比較することは正しいと思います。でも、穀物に化生したオオゲツヒメの方が、古い形式の神話なのです。日本人の学者なら、そこを指摘して欲しかったな、と思います。あとは「マヨ」なんて、せいぜいが下諏訪の「御船祭」とか。よそでやっている凄惨な祭祀より、自分の国でやっている精神的に凄惨な祭祀にもっと目をむけてくれても良かったかな、と思います。
関連項目
参考文献
- Wikipedia:ハイヌウェレ型神話(最終閲覧日:22-07-13)
- 世界の始まりの物語 吉田敦彦 大和書房 1994年6月30日発行 59p、212-217p
参照
- ↑ 『世界神話事典』「ハイヌウェレ」の項(吉田、p. 153)
- ↑ 2.0 2.1 2.2 2.3 西村朝日太郎「第九章第七節 デマ神の神話学的背景」『人類学的文化像 : 貫削木と聖庇の基礎的研究』吉川弘文館、1960年、400–402頁。
- ↑ 吉田, 1986, pp37–39、吉田, 1992, pp141–143
- ↑ 大林, 1979, pp133–135
- ↑ 吉田, 1986, pp39–40、吉田, 1992, pp143–144、sfn, 大林, 1979, pp135–137
- ↑ 肺腑からアインテ・ラトゥ・パイテ(紫色ヤム芋); 乳房:アインテ・ババウ; 両目:アインテ・マ(生りはじめの形が目に似る); 恥部:"明るい紫色でとてもよい匂いがして美味しい、アインテ・モニという種類"; 尻:アインテ・カ・オク("外皮がかさかさ"); 両耳:アインテ・レイリエラ; 両足:アインテ・ヤサネ; 太股:アインテ・ワブブア(大型種); 頭:ウク・ヨイヨネ(タロ芋の一種)。
- ↑ 大林, 1979, pp138–140
- ↑ 吉田, 1992, pp160–161
- ↑ Antoni, Klaus (1982), “Death and Transformation : The Presentation of Death in East and Southeast Asia”, Asian folklore studies 41 (2): 154, doi:10.2307/534874, JSTOR 534874 Jensen, Adolf Ellegard. Die getötete Gottheit; Weltbild einer frühen Kultur, 1966, p. 134 より(英訳で)抜粋。
- ↑ イェンゼンはラビエとハイヌウェレを「同一の存在の二種の面相を表したものだろう、と論じている」とのこと(世界の始まりの物語 吉田敦彦 大和書房 1994年6月30日発行 p59)。
- ↑ 殺され女神、円環伝承(最終閲覧日:26-01-01)、ハイヌヴェレ神話と月信仰(最終閲覧日:26-01-01)
- ↑ ボウワ、幻想世界神話辞典(最終閲覧日:26-01-01)