「月夜見尊(海部氏)」の版間の差分

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* 賀茂系の神と思われる[[天月神命]]
 
* 賀茂系の神と思われる[[天月神命]]
 
* 丹後半島海部氏の伝承的人物「浦嶋子」の祖神とされる'''月讀命'''(宇良神社の表記による)
 
* 丹後半島海部氏の伝承的人物「浦嶋子」の祖神とされる'''月讀命'''(宇良神社の表記による)
である。海部氏の月神は、豊受大神との関係が深く、豊受大神が伊勢の外宮に祀られた際にも、外宮の北側に別宮として月夜見宮がもうけられ、'''月夜見尊'''(つきよみのみこと)が祭神とされている。月夜見宮(つきよみのみや)と外宮を結ぶ「'''神路通り'''(かみじどおり)」の中央は、夜更けに月夜見尊が'''白馬'''に姿を変えて外宮へ通う神の道とされ、真ん中を歩くのは避けるのが習わしである。いかにも月夜見尊が[[豊受大神]]の夫のように受け取れるが、それを示す神話がない。本項ではこの謎めいた「海部氏の月夜見尊」について述べてみたい。
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である。海部氏の月神は、[[豊受大神]]との関係が深く、豊受大神が伊勢の外宮に祀られた際にも、外宮の北側に別宮として月夜見宮がもうけられ、'''月夜見尊'''(つきよみのみこと)が祭神とされている。月夜見宮(つきよみのみや)と外宮を結ぶ「'''神路通り'''(かみじどおり)」の中央は、夜更けに月夜見尊が'''白馬'''に姿を変えて外宮へ通う神の道とされ、真ん中を歩くのは避けるのが習わしである。いかにも月夜見尊が[[豊受大神]]の夫のように受け取れるが、それを示す神話がない。本項ではこの謎めいた「海部氏の月夜見尊」について述べてみたい。
  
 
厳密にいえば、浦嶋子は日下部首の先祖と言われている。しかし、伊勢神宮外宮における月夜見尊と[[豊受大神]]の関係からみて、彼らの関係は丹後半島に神々が座していたときから続いているものであり、宇良神社の月讀命と籠神社奥宮・真名井神社の[[豊受大神]]との間にも何らかの関係があったと考えるのは自然なのではないだろうか。
 
厳密にいえば、浦嶋子は日下部首の先祖と言われている。しかし、伊勢神宮外宮における月夜見尊と[[豊受大神]]の関係からみて、彼らの関係は丹後半島に神々が座していたときから続いているものであり、宇良神社の月讀命と籠神社奥宮・真名井神社の[[豊受大神]]との間にも何らかの関係があったと考えるのは自然なのではないだろうか。
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[[画像:Hangzhou.jpeg|thumb|300px|猪紋黒陶鉢<br />新石器時代(河姆渡文化)、1977年浙江省余姚河姆渡文化遺跡出、陶器、高さ11.7cm、口径21.7cm、底径17.5cm、浙江省博物館所蔵<ref>[http://abc0120.net/words/abc2007070901.html 猪紋黒陶鉢]、考古用語辞典、07-07-09</ref>]]
 
[[画像:Hangzhou.jpeg|thumb|300px|猪紋黒陶鉢<br />新石器時代(河姆渡文化)、1977年浙江省余姚河姆渡文化遺跡出、陶器、高さ11.7cm、口径21.7cm、底径17.5cm、浙江省博物館所蔵<ref>[http://abc0120.net/words/abc2007070901.html 猪紋黒陶鉢]、考古用語辞典、07-07-09</ref>]]
 
[[File:C-shaped_jade_dragon.jpeg|thumb|300px|図1、馬のたてがみを持つ玉竜。紅山文化の出土品。]]
 
[[File:C-shaped_jade_dragon.jpeg|thumb|300px|図1、馬のたてがみを持つ玉竜。紅山文化の出土品。]]
=== 犬神から豚神へ、更に馬神そして竜神へ ===
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=== 犬神から豚神へ、更に馬神そして龍神へ ===
伊勢神宮と同じ三重県にある多度大社は、名前からして海部氏の神社であり、海部氏とは台湾原住民アミ族タバロン社と神話的に連続性のある氏族と考える。なぜならタバロン社には海の向こうにある女人島から魚に乗って生還したという'''チマチウチウ'''という青年の話があり、浦島太郎の物語と良く似ているからである。アミ族と海部氏(あまべ)の名前も似ているし、ヒッタイトにアルマという男性形の月神、古代エジプトにクヌムという男性形の月神がいるので、そもそも「アミ」とか「あま」という言葉が彼らの中では「男性形の月神」を指す言葉だったのではないか、と考える。アミ族の神々にはチマチウチウにあるように名前に「T」音がつく場合が多く、多度大社の名も例に漏れないように思う。
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伊勢神宮と同じ三重県にある多度大社は、名前からして海部氏の神社であり、海部氏とは台湾原住民アミ族タバロン社と神話的に連続性のある氏族と考える。なぜならタバロン社には海の向こうにある女人島から魚に乗って生還したという'''チマチウチウ'''という青年の話があり、浦島太郎の物語と良く似ているからである。アミ族と海部氏(あまべ)の名前も似ているし、ヒッタイトにアルマという男性形の月神、古代エジプトにクヌムという男性形の月神がいるので、そもそも「アミ」とか「あま」という言葉は「男性形の月神」を指す言葉だったのではないか、と考える。アミ族の神々にはチマチウチウにあるように名前に「T」音がつく場合が多く、多度大社の名も例に漏れないように思う。
  
そして、中国語で豚のことを上代語で「トン(およそ***dun**(*tən)に近い音)」と呼んでいたので、チマチマチウがそもそも「豚神」であり「月神」だった可能性があるように思う。またこの名の子音を辿ると海部氏の祖神「倭(やまと)直」に類する名と考えるので、台湾のアミ族の伝承にまでさかのぼると、倭直と浦島太郎は同起源のものだったことが分かる。
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そして、中国語で豚のことを上代語で「トン(およそ***dun**(*tən)に近い音)」と呼んでいたので、チマチマチウがそもそも「豚神」であり「月神」だった可能性があるように思う。またこの名の子音を辿ると海部氏の祖神「倭(やまと)直(倭宿祢命)」に類する名と考えるので、台湾のアミ族の伝承にまでさかのぼると、倭直と浦島太郎は同起源のものだったことが分かる。
  
=== 犬神から豚神へ ===
 
 
[[河姆渡文化]]の猪紋黒陶鉢はこれは「'''月神'''」のことと考える。中国の「桂男」の伝承は、「呉剛伐桂」といって呉剛という男が妻と浮気した相手を殺して、その罰に月に追放され、月の桂の木を切り倒さなければならなくなった、とされる。これは元は、呉剛という男が妻と間男を殺して、罰として呉剛も殺されたので、殺された妻を桂の木、間男を月神とした、という話と考える。そもそも「二人の夫を持つ女神」の神話は母系社会にさかのぼるものと考えられるので、多夫多妻的な結婚生活が当たり前であって、男が自分以外の男と関係を持ったからといって、嫉妬心から妻と相手の男を殺してしまったら、'''そちらの方が許されざる事態'''である。
 
[[河姆渡文化]]の猪紋黒陶鉢はこれは「'''月神'''」のことと考える。中国の「桂男」の伝承は、「呉剛伐桂」といって呉剛という男が妻と浮気した相手を殺して、その罰に月に追放され、月の桂の木を切り倒さなければならなくなった、とされる。これは元は、呉剛という男が妻と間男を殺して、罰として呉剛も殺されたので、殺された妻を桂の木、間男を月神とした、という話と考える。そもそも「二人の夫を持つ女神」の神話は母系社会にさかのぼるものと考えられるので、多夫多妻的な結婚生活が当たり前であって、男が自分以外の男と関係を持ったからといって、嫉妬心から妻と相手の男を殺してしまったら、'''そちらの方が許されざる事態'''である。
  
おそらく、呉剛が月の神とされた二人の後を追いかけて月に昇り、木と化した妻神に暴力を振るい続ける、という神話は中国社会で父系が確立してきた後に付加されたもので、最初から呉剛のエピソードはついておらず、少なくとも[[河姆渡文化]]では付加されていなかったと思われる。
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おそらく、呉剛が月の神とされた二人の後を追いかけて月に昇り、木と化した妻神に暴力を振るい続ける、という神話は中国社会で父系が確立する間に付加されたもので、最初から呉剛のエピソードはついておらず、少なくとも[[河姆渡文化]]では付加されていなかったと思われる。
  
[[河姆渡文化]]でこの豚型の月神がなんと呼ばれていたのかは定かではないように思うけれども、チマチウチウの名から見て「トン」と呼ばれていたかもしれないと思う。豚神だから、単に「豚」なのである。では、アミとかアマという言葉はどこから来ているのだろうか。それは犬(quǎn)から来ているように思う。台湾の伝承にラオン(おそらく犬の意)という人物が犬獅子に変身して人妻と関係を持ち、その夫に殺されたという伝承がブヌン族にあるので、呉剛の原型は[[河姆渡文化]]の近隣の[[馬家浜文化]]では既に登場していると考えるが、[[河姆渡文化]]の方では異なる神話が語られていたと思われる。だいたい氏族の祖神として扱われるくらいの犬神なのだから「間男」なんてとんでもなく失礼な言い草であろう。
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[[河姆渡文化]]でこの豚型の月神がなんと呼ばれていたのかは定かではないように思うけれども、チマチウチウの名から見て「トン」と呼ばれていたかもしれないと思う。豚神だから、単に「豚」なのである。では、アミとかアマという言葉はどこから来ているのだろうか。それは犬(quǎn)から来ているように思う。台湾の伝承にラオン(おそらく犬の意)という人物が猪に変身して人妻と関係を持ち、その夫に殺されたという伝承がブヌン族にある。ブヌン族とは、彼らの先祖が中国大陸に居た時に、[[馬家浜文化]]を担っていた人々と考える。そのため、呉剛の原型である「'''間男を殺す男'''」は[[河姆渡文化]]の近隣の[[馬家浜文化]]では既に登場していると考えるが、[[河姆渡文化]]の方では異なる神話が語られていたと思われる。だいたい氏族の祖神として扱われるくらいの犬神なのだから「間男」なんてとんでもなく失礼な言い草であろう。
  
=== 私的解説 ===
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ともかく、アミ族の中では、彼らの先祖が中国大陸にいた時、[[河姆渡文化]]を形成していた時に、「月神」はすでに犬神から豚神に変更されていたと考える。台湾の伝承ではそこで止まってしまっているのだろう。ところで、台湾原住民の先祖が上海付近から海を越えて台湾に去った後、中国では遼河文明で「龍」という存在が誕生した。初期の竜神は「猪龍」といわれるくらい豚や猪に関連した顔をしていた。そして馬のたてがみを持っていたりしたから、「龍」というのは人工的に合成した「架空の動物神」で、主に豚神、馬神、蛇神を一つにまとめて「'''みな同じ機能を持つ神'''」としていたものと考える。
上記にもあるが、おおまかには「太陽女神と月男神」を1セットとする中国雲南省の少数民族にみられる神話に類する神話と、伊邪那岐命・須佐之男を頂点とする中国的な父系の神話の2パターンの神話系統があり、これを1つに纏めた際に、「太陽と月」を組み合わせた神話を削除して「太陽と須佐之男」を組み合わせた神話を多く残したために月読命は非常に影の薄い存在になってしまったと考える。彼の本来の姿は穀物などの豊穣に関する神であったことが、日本書紀のわずかな記述や「月の輪田」といった風習に残されているように思う。
 
  
=== 『古事記』 ===
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伊勢神宮の外宮の月神は「白馬」をトーテムに持つが、もちろん日本で神社等の制度が確立して定まってきたのは古墳時代以降と思われるので、世界全体から見れば比較的新しい信仰体系といえる。そして「龍神」というものが発生した以降の神なので、この'''「馬神」は「豚神」でも「龍神」でも「同じ意味を持つ」'''といえるように思う。
上巻では、月讀命は[[伊邪那岐命|伊邪那伎命]]の'''右目'''を洗った際に生み成され、天照大御神や須佐之男命とともに「三柱の貴き子」と呼ばれる。月讀命は、伊耶那伎命から「夜の食国を知らせ」と命ぜられるが、これ以降の活躍は一切ない。夜を治める月は「日月分離」(後述)後の満月を現すと考えられる<ref>月読命が[[伊邪那岐命]]の右目から誕生するという点は、中国神話のうち、[[盤古]]神話と一致する。</ref>。
 
  
=== 『日本書紀』 ===
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多度大社がある「多度山」は、古くから神が鎮まる地とされており、その神の使いである「白馬」が人々に願いを届け、幸せを運ぶという「白馬伝説」が伝えられている。こちらの「白馬」も伊勢神宮の「白馬神」と根本的には「同じもの」で、元は豚神でもあり、龍神であっても「同じ意味」を持つのではないだろうか。すなわち、多度大社で「一目連」と呼ばれ、'''片目が潰れてしまった龍神'''とされる神が「白馬神」でもあると考える。なぜ彼が「片目」なのかといえば、[[河姆渡文化]]の猪紋黒陶鉢の豚神が「片目」だから、と述べるしかない。豚神の体に描かれた「目」は月に生えているといわれる「桂の木」の目であって、豚神の「目」ではないのだろう。だから、「浮気をした」として殺された女神とその夫(間男)は、月で一体となって、彼らの「2つの目」のうち、一つは男神の目、一つは女神の目とされたのだと考える。
==== 神代紀 ====
 
日本書紀・神代紀の第五段では、本文で「日の光に次ぐ輝きを放つ月の神を生み、天に送って日とならんで支配すべき存在とした」と簡潔に記されているのみであるが、続く第一の一書にある異伝には、[[伊邪那岐命|伊弉諾尊]]が左の手に白銅鏡を取り持って[[天照大御神|大日孁尊]](天照大神)を生み、右の手に白銅鏡を取り持って[[月読命|月弓尊]](月読命)を生んでいる。日と並ぶ月は日月分離前の新月を現すと考えられる<ref group="私注">日月を分離する前はなぜ新月なのだろうか?</ref>。
 
  
月読命の支配領域については、天照大神と並んで天を治めるよう指示されたとする話が幾つかある。その一方で、「滄海原の潮の八百重を治すべし」と命じられたという話もある<ref>『日本神話 - 神々の壮麗なるドラマ』44頁。</ref><ref name="八百万の神々" />。これは潮汐と月の関係を現すと考えられる。
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ただし、一目連をそのまま「月神」として良いかというとそうではない。この神は「天候(風)を司る神」とされて風神あるいは天候神の性質が強いからである。
  
==== 女神殺し ====
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=== 実は雷神 ===
書紀・第五段第十一の一書では、天照大神から[[保食神]](うけもち)と対面するよう命令を受けた月夜見尊が降って[[保食神]]のもとに赴く。そこで保食神は饗応として口から飯を出したので、月夜見尊は「けがらわしい」と怒り、[[保食神]]を剣で刺し殺してしまう。[[保食神]]の死体からは牛馬や蚕、稲などが生れ、これが穀物他の起源となった。[[天照大御神|天照大神]]は月夜見尊の凶行を知って「汝悪しき神なり」と怒り、それ以来、日と月とは一日一夜隔て離れて住むようになったという。これは「日月分離」の神話であり、月が新月になるのは太陽との黄経差が0度、即ち見かけ上太陽と並んだ時であって、満月になるのは180度、即ち見かけ上太陽から最も離れた時であることを説明した神話と考えられる。
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一目連には「風神」としての性質が強いように思うけれども、伊勢には他に「伊勢津彦」という風神と思われる神の伝承があるので、一目連はむしろ本来の姿は「'''雷神'''」であって、その起源が「片目の月神」にあるので、片目なのだと考える。伊勢神宮の白馬が「月神」なら、多度大社の白馬は伊勢の月神から枝分かれした「雷神」ということである。アミ族タバロン社の伝承は、インド神話の神々とかなり近い相関があり、イラン・インド系の神話に「ヴァルナ対デーヴァ」の神話があるように台湾には「プユマ族対タバロン社」の戦いの神話がある。かつて「月神」が犬神であり月神であった時代に、そのまま月神として伝播したのがヒッタイトの月神アルマやエジプトの月神クヌムであると考える。ではインド神話ではどうなのかというと、アルマに相当する神は「'''インドラ'''」と考える。インドラは雷神としての性質が強い神である。またアルマ的な神の名は、ハヌマーン、ヘルメース、ヘミッツとなって各地に伝播し、神から人間の氏族・部族の族長まで多彩な姿で現されるようになったのではないだろうか。台湾の伝承ではプユマ族と戦った英雄の名としてテオイツとアラモルグッドという名が見える。またアタヤル族には「ブタ」という英雄の名が見えるので、彼らはそのままインド神話の「ティワズ(シヴァ)」「インドラ」「ヴァーユ」へと変化したと考える。テオイツやアラモルグッドは「空を飛ぶ英雄」とされており、その原型は「月神」でも良いし「風神」でもよいし「雷神」でも良いと考える。[[河姆渡文化]]の時代に月神そのものは「アルマ(犬)神」から「トン(豚)神」に変更されてしまったが、元の犬神は「人間の英雄」、「半神半人の英雄先祖」に姿を変えて生き残り、その性質がいくつかに分化して印欧語族の多彩な多神教の男神に変化していったと思われる。
  
一方、古事記では似た展開で食物の神([[大宜都比売|大気都比売神]]・おほげつひめ)が殺されるが、それをやるのは[[須佐之男命]]である。この相違は、元々いずれかの神の神話として語られたものが、もう一方の神のエピソードとして引かれたという説がある<ref name="日本神話事典" /><ref group="私注">管理人の注釈として。古代日本は妻問い婚であり、女性が尋ねてきた男性に「食事を出す」という行為は、相手が家族も同然の非常に親しい相手である、という前提をまず知って、この神話を読むべきであると思う。記紀神話では、このようにして'''月読命と須佐之男命が「同じ神」とみなされるように意図的に記述している'''のだと考える。</ref>。
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だから日本の海部氏の「月神」は伊勢神宮の「白馬」という姿で残ったものと、もっと性質が変化して天候神のような「一目連(白馬神)」に枝分かれしていったものとに分けられると考える。おそらく、当初多度大社を祀った人達は、一目連と伊勢神宮の「月神」とは起源が同じ神だと知っていたのかもしれない。'''天から舞い降りてきて人々に幸せを持ってきてくれる'''、それが海部氏の「月神」だったのではないだろうか。
  
=== 『続日本紀』 ===
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また多度大社の一目連が仮にインドラだったとして、なぜ雷神ではなく風神的に現されるのかといえば、日本では雷神は「怨霊」であり「祟り神」であるという認識が強いので、悪いイメージを避けるために性質をやや変更させている可能性もあるように思う。また「多度」という名前からいえば、ティワズ(シヴァ)の可能性もある。シヴァの原型はルドラという天候神であると言われている。ティワズ(シヴァ)が神の名だった場合、元々のトーテムは豚神だったと考える。伊勢神宮の月神に合わせて、トーテムを白馬としたのではないだろうか。
日本書紀に続く六国史の第二にあたる続日本紀には、光仁天皇の時代に、暴風雨が吹き荒れたのでこれを卜したところ、伊勢の月読神が祟りしたという結果が出たので、毎年九月に荒祭(あらまつり)神にならって'''馬'''を奉るようになったとある<ref>『古代日本の月信仰と再生思想』276頁。</ref><ref group="私注">月読命が馬と関連すると考えられていたのではないだろうか。天候神としての性質もあるとみなされていたようである。</ref>。
 
  
==== 私的解説 ====
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== 女神像の変遷 ==
月読命が祟りを起こす「怨霊」的な神であったり、生贄として「'''馬'''」を求める神であったことが分かる。馬というのは中国神話では「馬頭娘」や「河馬」「龍」に関係するトーテムであって、[[伏羲]]を指すことが多いと考える。月読命が「[[伏羲型神]]」を生贄に求める神であるならば、[[伏羲]]を頂点とする父系的な神話と'''対立する'''神の名残である可能性があるように思う。
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=== それは「桂」で良いのだろうか ===
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[[河姆渡文化]]の「月神」は体内に植物の葉が描かれており、これは後の中国神話でいうところの「月の桂の木」の原型と考える。では、[[河姆渡文化]]でも「桂の木」と扱って良いのか、ということになる。
  
=== 『風土記』 ===
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=== 実はヒョウタン ===
==== 山城国風土記 ====
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台湾の伝承に、穀物の起源として以下のような話がある。
逸文だが「桂里」でも、「月読尊」が[[天照大御神|天照大神]]の勅を受けて、豊葦原の中つ国に下り、[[保食神]]のもとに至ったとき、湯津桂に寄って立ったという伝説があり、そこから「桂里」という地名が起こったと伝えている。月と'''桂'''を結びつける伝承はインドから古代中国を経て日本に伝えられたと考えられており<ref>村上健司編著, 村上健司, 日本妖怪大事典, 角川書店, Kwai books, 2005-07, page95, isbn:978-4-04-883926-6</ref>、万葉集にも月人と桂を結びつけた歌がある(「'''[[桂男]]'''」、「[[月読神社 (京都市)]]」参照のこと)。また、日本神話において桂と関わる神は複数おり、例えば古事記からは、天神から[[アメノワカヒコ|天若日子]]のもとに使わされた雉の[[鳴女]]や、兄の鉤をなくして海神の宮に至った[[山幸彦と海幸彦|山幸彦]]が挙げられる。
 
  
==== 出雲国風土記 ====
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<blockquote>昔、二人の兄弟がいて、豚と瓢を所有していた。兄弟が畑仕事をしている間に、父親が豚を殺して食べようとしたが、他人から「それは不吉なことだ。もし無理矢理屠殺するのならば、私がおまえを殺そう。」と脅されて豚を殺すのを止めた。父が瓢に歌うと、瓢から粟・稗などの種が出た。これを子供達に与えて畑に撒かせた。これが粟・稗・豚の起源である<ref>粟・稗の創造、ルカイ族、神々の物語、台湾原住民文学選5、神村徹編、草風館、2006年8月1日出版、p231</ref>。</blockquote>
: 千酌(ちくみ)の驛家(うまや)郡家(こおりのみやけ)の東北のかた一十七里一百八十歩なり。伊佐奈枳命(いざなきのみこと)の御子、「'''都久豆美命'''(つくつみのみこと)」、此處に坐す。然れば則ち、都久豆美と謂ふべきを、今の人猶千酌と號くるのみ。
 
  
ただし、都久豆美命は渡津の守護の月神で、古くから千酌を守る土着神だったが、朝廷の支配が強まったため土地の人々が伊佐奈枳の子としたのであり、月読命とは関係ないとする説がある<ref>武光誠, 出雲王国の正体 - 日本最古の神政国家, PHP研究所, 2013-04, isbn:978-4-569-81218-2, pages29,32 </ref>。
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これは形が崩れているけれども、月に対して穀物の豊穣を願った祭祀の起源譚と考える。豚は月神であり、'''瓢神'''は後の中国神話で述べるところの「桂の木」であろう。豚神と瓢神は夫婦神であり、二柱揃って「月神」なのだ。人々が神々に穀物の豊穣を願う際に、神に見立てた動物を殺すのではなく、歌や音曲で神々を慰撫すると、月神たちの子供ともいうべき作物の種を与えてもらえる、という思想のように思う。種だけでなく、穀物がうまく育つように良天候まで求めるようになれば、彼らは単なる「月」を神格化したものではなく、天候神としての性質も併せ持つようになったであろう。
  
=== 『万葉集』 ===
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中国神話で「ヒョウタン」といったら伏羲・女媧神話で子供達がその中に潜って大洪水を逃れた、というアイテムである。子供達がそこから出てくる様は、「母の胎内から子供が生まれ出る図」でもある。「ヒョウタンの女神」が「月に生えている桂の木」の原型だとしたら、彼女は「人類の母神」というだけでなく、穀類を生み出してくれる母神でもあるし、穀類の生育にまで関わる神でもあったと思われる。ヒョウタンとは「水をくむひしゃく」のことでもあり、これが「天水」をもたらしてくれる「ひしゃく」のことでもあれば、「北斗のひしゃく」の名の通り、彼女は月神としてだけでなく「北斗の女神」としての性質も持っていたと考えられる。そして、水神でもあるので、例えば火事などで「火の神」が暴走した時には、それを沈静化させる能力もあるとみなされたと考える。
万葉集の歌の中では、「ツキヨミ」或いは「ツキヨミオトコ(月読壮士)」という表現で現れてくる。これは単なる月の比喩(擬人化)としてのものと、神格としてのものと二種の性格が読みとれる。また「ヲチミヅ([[変若水]])」=ヲツ即ち'''若返りの水の管掌者'''として現れ、「月と不死」の信仰として沖縄における「スデミヅ」との類似性がネフスキーや折口信夫、石田英一郎によって指摘されている<ref group="私注">中国神話では「不老不死の薬」は[[西王母]]の持ち物である。[[嫦娥]]はこれを盗んで月に逃げ、月の女神になった、とされる。中国神話では、月の[[不老不死の薬]]は兎が'''桂の木の葉を杵でついて'''作る、とされており、「月の不死の桂の木」と月読命との関連性が示唆される。</ref>。
 
  
なお、万葉集の歌には月を擬人化した例として、他に「月人」や「ささらえ壮士」などの表現が見られる。
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こうして[[河姆渡文化]]の「'''豚と瓢'''」の一対の月神は単なる「月」にとどまらずその機能が拡張されていき、印欧語族を中心とした様々な多神教の父神・母神としての性質を獲得していったと思われる。穀物の豊穣をもたらしてくれる「'''[[豊受大神]]'''」とは、河姆渡文化における「'''月の瓢女神'''」であり、伏羲・女媧神話の「'''瓢女神'''」と根本的には「同じ女神」だったと考える。そして歌いかければ穀物を生み出してくれる「母神」なのだから、ハイヌウェレ型神話にみられる「'''バラバラにされて食物を生み出す母神'''」とは異なる性質の女神、と述べるしかない。ココヤシの女神ハイヌゥエレがバラバラにされるのは、呉剛が月で桂の木を際限なくバラバラにし続けている神話と関連すると思われ、呉剛神話の方が、妻をばらして穀物を得る記紀神話の須佐之男・[[月読命]]につながると考える。'''呉剛が妻を惨殺し続けるから人類は穀物を得ることができる'''、というおぞましい神話である。人々は呉剛が正しく機能するように、彼が満足する餌(生贄や人身御供)を捧げなければならないのだ。人身御供は呉剛の餌でもあり、彼を裏切った妻と間男の「代理人」でもあるのだろう。人々が呉剛と共に人身御供を供食し、呉剛に忠誠を示さねば、呉剛の怨霊は満足して鎮まってくれない、と考えられたと思われる。
  
=== 『その他の文献』 ===
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一方歌や音曲に特に独特の霊的作用があり、神々や異類に訴えかけたり、交流することができる、とする思想も広く広まっている。男女が歌を交わす歌垣の思想、インドのラーマ王子、民話ウサギ番の若者が笛の名手であったり、その音曲の才能で動物や神々に訴えかけることができるとされたギリシア神話のオルフェウスの思想などである。日本でも古来より「和歌」には特別な霊力があると考えられており、例えば目上の人とか普段本音で話をすることが軽々しくできない立場の人が相手であっても、自らの思いや考えを和歌に託して訴えかけることは許される、と考えられていた。
==== 皇太神宮儀式帳 ====
 
: 月讀命。御形ハ'''馬ニ乘ル男ノ形'''。紫ノ御衣ヲ着、金作ノ太刀ヲ佩キタマフ。
 
と記しており、記紀神話では性別に関する記述の一切無い月読命が、'''太刀を佩いた騎馬の男'''の姿とされている。
 
  
==== 花喜山城光寺縁起・慈住寺縁起 ====
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=== 馬の女神 ===
[[天照大御神|天照大神]]が八上行幸の際、行宮にふさわしい地を探したところ、一匹の白兎が現れた。白兎は[[天照大御神|天照大神]]の御装束を銜えて、霊石山頂付近の平地、現在の伊勢ヶ平まで案内し、そこで姿を消した。'''白兎は月読尊のご神体'''で、その後これを道祖白兎大明神と呼び、中山の尾続きの四ケ村の氏神として崇めたという<ref>月読命には兎のトーテムがあるようである。また、道祖神的な機能もあるようである。</ref>。
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西欧では「植物の母神」というものはあまり例がないように思う。ギリシア神話にアポローンに追いかけられて月桂樹と化してしまうダプネーの神話があるが、類似した名でも豊穣神として名高いのはデーメーテールの方である。デーメーテール女神のトーテムには「馬」があり、馬神としてはポセイドーンと対になる女神である。ただし、ポセイドーンから無理矢理関係を迫られた、と神話にあり、いわゆる「夫婦仲」は良くない。中国神話風に言えば、夫を気取る呉剛に暴力を振るわれ続ける「桂女神」の方がデーメーテールの原型と考える。しかし、ともかくデーメーテール女神の方は植物神ではなく、馬型あるいは人型として動き回る女神である。デーメーテールとポセイドーンの関係はローマ神話ではディアーヌとヒッポリュトスに移行すると思われる。デーメーテールもディアーヌも「女神の聖所とされる'''森'''の主人」とされる点は、彼女たちが植物神だった名残と考える。ヒッポリュトスは「殺されてしまう神」なので、呉剛ではなく、呉剛に殺されてしまう「間男」の側の神と考える。台湾の伝承でいう「'''豚を屠殺してはならない'''」とは、この「'''(殺された)月の父神を殺してはならない'''」という意味でもあるし、「'''彼(の代理人)を殺すことで豊穣を得られるという神話を許容してはならない'''」という意味でもあると考える。そして、これは広く「人身御供」の禁止にも通じる。ということは、呉剛的な「妻に暴力を振るう神」を採用しているギリシア神話や、代が変わるたびに先代のヒッポリュトスの生命を求めるネミの森の祭祀は「間違っている」と感じられるのだが、ともかく西欧では、古く[[河姆渡文化]]ではヒョウタンだった「月の母神」が、権威ある「太母」として馬型で現されることが多いように感じる。夫のトーテムがまず豚神から馬神に変更され、それが妻神にも作用して、彼女自身が馬神に変化し、自律した神として動き出すようになったのだ。
  
== ツクヨミの表記 ==
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そして、伊勢神宮の月神、多度大社の神のトーテムが「馬」とされた点は、西欧の神話の影響がもしかしたらあるかもしれないと考える。記紀神話を成立させる際には、各氏族は自らの家伝と家系図を朝廷に提出しなければならなかったし、「何が自分たちの正しい神話なのか」という点を、広く各国の神話を収集して研究したのではないか、と想像する。そこで、日本の伝承の中には、明らかにイラン系であったり、ケルト系であったり、ゲルマン系であったりする伝承が入り交じることになったのだろう。古代の海部氏は、自分たちの神はいわゆる「デーヴァ」であって、「T」音を多用する神の名を持っている人々は、どんなに遠く離れた場所に住まう人達であっても、遠い「同族」であると割と認識していて、各国の神話の収集を積極的に行っていた時期があるのではないか、と思う。そこで、西欧の「植物神でもあり馬神でもある月の女神」とは「自分たちの月の瓢女神」だと理解しており、共通性を持たせるために「月神」のトーテムを「馬」と定めたのではないか、と思う。ということで、[[豊受大神]]のことを「馬の女神」とは言わないけれども、夫の方を馬神とし、[[豊受大神]]が「殺されない女神」として、その性質を定める際にはディアーヌ、デーメーテール、そして「馬の母」として有名なエポナなどが大きく参考にされたのではないか、と考える。東アジアでは馬神は分かる人には龍神に簡単に変換可能な神だったので、問題ないと考えられたのだろう。
一般的にはツクヨミと言われるが、月読を祀る神社はツキヨミと表記している。
 
古事記では「月讀命」のみであるが、日本書紀・第五段の本文には、「月神【一書云、月弓尊、月夜見尊、月讀尊】」と複数の表記がなされている。万葉集では、月を指して「月讀壮士(ツキヨミオトコ)」、「月人壮士(ツキヒトオトコ)」「月夜見」などとも詠まれている。逸文ではあるが山城国風土記には「月讀尊」とある。
 
  
なお、「ツクヨミ」の上代特殊仮名遣を表記ごとにまとめると、以下のようになっている。
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== 消された系図 ==
; 『古事記』
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[[File:amabe.png|thumb|350px|再現した海部氏系図]]
* 月読 ヨ乙・ミ甲
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月夜見尊と豊受大神が海部氏の祖神であれば、系図はどのようになるのだろうか。右図のように再現し、記紀神話等と比較してみた。海部氏の祖神とされる天火明命は社会の父系化に合わせて男神化したもので、元は[[天道日女命]]から分かれたものと考える。母系社会的に見れば、'''[[天道日女命]]'''が祖神なのであって、彼女が「太陽女神」であり、その両親とされるのが月夜見尊と[[豊受大神]]だったのだと考える。[[天道日女命]]は開拓神でもあり「養母としての女神」である。一方の[[豊受大神]]は本質的には「燃やされた女神」で植物神なのだけれども、西方の太母女神たちに合わせて、不死化させたものと考える。だから、天火明命は太陽女神を男性化した男性の太陽神でも良いし、父神と性質をそろえて月神でも良いし、むしろどちらともとれるような神に整えられている感がする。
; 『日本書紀』
 
* 月読 ヨ乙・ミ甲 .月弓 ユ―・ミ甲 .月夜見 ヨ甲・ミ甲
 
; 『万葉集』
 
* 月読 ヨ乙・ミ甲 .月夜見 ヨ甲・ミ甲 .月余美 ヨ乙・ミ甲
 
以上のように、『記紀万葉』においてツクヨミの「ミ」はいずれも甲類で一致しているが、ヨの甲乙は両方にまたがり、「ユ」の例すらある。
 
  
ヨ、ユ音に着目して表記例をまとめると、
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一方、記紀神話では太陽女神の両親は[[伊邪那岐命]]・[[伊邪那美命]]である。[[伊邪那美命]]が[[豊受大神]]とほぼ同じ女神と考える。ただし、生まれたばかりの息子神を惨殺したり、妻を冥界に捨てて自分だけよみがえる[[伊邪那岐命]]は月夜見尊とは異なる神だし、月神ともされていない。[[伊邪那岐命]]は中国神話における「[[桂男|呉剛]]」に相当する神であって、中国では後に「[[黄帝]]」と呼ばれる神になるように思う。そして[[伊邪那岐命]]の息子神とされる[[須佐之男]]は、中国神話の[[少昊]]に相当する。中国神話における[[少昊]]は古代の帝王の一人とはされているけれども、父・[[黄帝]]の方が炎帝との戦い、[[蚩尤]]との戦いを勝ち抜いた強力な英雄とされているように思う。一方日本神話では、[[須佐之男]]は地上に追放されたとはいえ、現在でも八坂・津島を始めとして各地で祀られているし、父[[伊邪那岐命]]よりも強力な神とされているように思う。
* ヨ乙 月読、月余美 .ヨ甲 月夜見 .ユ  月弓
 
に分かれる。
 
  
== ツクヨミの名義 ==
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ともかく、単純に言うと「親神」として見たときに、海部氏の月の父親神は[[河姆渡文化]]に由来し、後の中国神話で「間男」とされてしまった「'''伯陵'''」なのであり、台湾の伝承で「人妻と関係した豚神」として殺されてしまった神なのである。彼の本来の祭祀は人身御供を禁止するものであった。一方、記紀神話の父親神・[[伊邪那岐命]]は暴力的で妻神に対して薄情なところがあり、こちらの原型は「間男と妻を惨殺した'''呉剛'''」と考えられる。賀茂氏系の神話と比較すると、[[伊邪那岐命]]と[[須佐之男]]の関係は、賀茂建角身命と別雷神に相当すると考える。賀茂氏の伝承では別雷神の父として他氏族の者と思われる「火雷神」が設定されているが、これが「'''伯陵'''」のことを指すのだろう。別雷神の母とされる玉依姫は別名を「葛媛」といったとも考えられ、太陽女神ではなく最初から月女神だったと考える。賀茂氏系の氏族と、海部氏ではいわゆる「祖母女神」はどちらも共通した同じ女神なのだけれども、台湾の伝承に「豚(呉剛)と犬(伯陵)の夫を持つ女神」があるように、子孫は互いに近縁であるにもかかわらず、どちらを父にする神話を持つかで非常に争いせめぎ合っていたのだ。それは「'''祭祀における人身御供を許容するか否か'''」において争うのと同じことになっていたから、単純に生物学的な父の争いにとどまらず、宗教的な思想と信念をかけた対立ともいえた。
ツクヨミの神名については、複数の由来説が成り立つ。
 
  
まず、最も有力な説として、「'''月を読む'''」ことから暦と結びつける由来説がある<ref name="八百万の神々" />。上代特殊仮名遣では、「暦や月齢を数える」ことを意味する「読み」の訓字例「余美・餘美」がいずれもヨ乙類・ミ甲類で「月読」と一致していることから、ツクヨミの原義は、日月を数える「読み」から来たものと考えられる。例えば暦=コヨミは、「日を読む」すなわち「日数み(カヨミ)」である<ref>『神道の本 - 八百万の神々がつどう秘教的祭祀の世界』53頁。</ref>のに対して、ツキヨミもまた月を読むことにつながる。
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そこで、記紀神話は対立する賀茂系氏族の神話と海部氏系氏族の神話の折衷をとり、太陽女神が広く信仰されていたことから、直接の皇祖神としては[[天照大御神]](太陽女神)を採用したけれども、その両親神については、賀茂系の神話を採用し[[桂男|呉剛]]的な神を「[[伊邪那岐命]]」として定めたものと考える。賀茂氏系は「母神」であり「月女神」であった「葛媛」を「玉依姫」と改め、「月の女神が直接の祖神である。」という神話を放棄したものと思われる。一方の海部氏も「月女神」であった豊受大神を豊穣神に改め、結果として「月の神」は「'''男性形の[[月読命]]とする'''」と纏めたのだと考える。[[天照大御神]]を「総母神」とする代わりに、どちらの側も「月女神」を放棄したのだろう。ただし、賀茂氏系の側で「月神」を呉剛的な神に寄せようと画策する動きがあったので、その点でまた対立が生じることを恐れて、記紀神話における「[[月読命]]」はうっすらと須佐之男的な神話があるだけの名のみの神に留められることになったのだろう。そして、記紀神話に定められた以外の「月神」は男神も女神もおおむね各氏族の系図から削除されてしまったと思われるが、伊勢においては正史として書かれた言葉ではなく、神社の配置と口伝に本来の海部氏の伝承を残したものと考える。だから、記紀神話の[[月読命]]は、似てはいるのだけれども、海部氏の'''月夜見尊'''とは異なる神なのである。
  
「読む」は、『万葉集』にも「月日を読みて」「月読めば」など時間(日月)を数える意味で使われている例があり、また暦の歴史を見ると、月の満ち欠けや運行が暦の基準として用いられており、世界的に太陰暦が太陽暦に先行して発生した。「一月二月」という日の数え方にもその名残があるように、月と暦は非常に関係が深いつまり、ツクヨミは日月を数えることから、暦を司る神格であろうと解釈されている<ref name="八百万の神々" />。
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そして、結局「記紀神話」を纏めた目的とは、ということになる。古代において日本の各氏族は、それぞれ独自に太陽神と月神を祖神に持つ神話を持っており、それが海部氏系の神話と賀茂氏系の神話とに、大きく分けて2系統に分かれていたのだろう。彼らは互いに似通った神話も持っているのに、祭祀に対する考え方が全く異なるので、そこから来る争いを避けるために、各氏族の「太陽神」「月神」そして賀茂氏系の氏族の外せない祖神・須佐之男を一つにまとめ、「皇祖神」という扱いにして統一した神話を残すと共に、各氏族特有の太陽神、月神、須佐之男を別の名前、別の性質の神などに変更させて残すことだったのではないか、と考える。要は'''各氏族が独自に太陽神と月神を祖神として祀ることを禁止した'''のだ。そうしないと、海部氏系の神話と賀茂氏系の神話の対立からくる政情不安がいつでも引き起こされる可能性があったからだと考える。
  
その他にも、海神のワタツミ、山神のオオヤマツミと同じく、「ツクヨのミ」(「ツクヨ」が月で「ミ」は神霊の意)から「月の神」の意とする説がある<ref>『広辞苑』1779頁。</ref>。
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そして、伊勢神宮とは内宮に'''娘・天照大御神'''、外宮に'''母・豊受大神と父・月夜見尊'''を祀った、まさに「海部氏的」な世界観で神々が配置された記紀神話とは異なる神社といえると考える。海部氏は氏族の神話の消滅の危機に際して、伊勢に「神話の形」を残すことで対抗したのではないだろうか。だから、伊勢神宮の参道の石灯籠には海部氏の[[豊受大神]]の紋である「籠目紋」が刻まれているのだと考える。暗にそこに祀られているのは「海部氏の神」であると示唆しているのである。
  
このようにはっきりと甲乙の異なる「ヨ」や、発音の異なる「ユ」の表記が並行して用いられていること、そして『記紀万葉』のみならず『延喜式』などやや後世の文献でも数通りの呼称があり、表記がどれかに収束することなく、ヨの甲乙が異なる「月読」と「月夜見」表記が並行して用いられている。
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またこのようなことが可能となった背景には、記紀神話の編纂に関わった政府の中枢、すなわち天武天皇、持統天皇、高市皇子、藤原不比等といった人々が、伊勢神宮の体制を整える際に、海部氏に非公式に強力にてこ入れした、ということがあったのではないかと考える。[[天照大御神]]を皇祖神として採用した人々は、本音では海部氏の神話を残すべき、人身御供を求める神話は可能な限り抑制すべきと望んでいたのではないだろうか。
  
== 『万葉集』におけるツクヨミを詠んだ歌 ==
+
== 余談・籠神社と真名井神社 ==
* 巻四・六七〇 月讀の 光に来ませ 足疾(あしひき)の 山寸(やまき)隔(へ)なりて 遠からなくに
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=== 真名井神社 ===
* 巻四・六七一 月讀の光は清く 照らせれど 惑へるこころ 思ひあへなくに
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祭神である[[豊受大神]]が「留守中」の社であり、丹後の籠神社の奥の宮とされる。こちらの「籠目紋」がユダヤの「ダビデの星」に由来するのではないか、と一時期「日ユ同祖論」で話題になったことがあるように思う。この神社の別名に「天𠮷葛宮」とあり、「葛」とは古代の日本で「桂」のことを指すので「天の桂」とは完全に「月」のことといえる。また眞名井原縁起に「ここ眞名井原は、天上において、日の神天照大神と、月の神豊受大神が、密かに結ばれた契りを尊くもこの地上において化現された霊跡である。」とあるそうで、豊受大神は「月の女神」とされているので、「月の桂の木」が豊受大神のことでもあるとかなり分かりやすく明確にされているように思う。「密かに結ばれた契り」とは「母娘の契り」ということを指すのではないか、と思う。一応記紀神話との整合性を考えて、こちらの母子関係は「密かに隠している」ものと考える。
* 巻六・九八五 天に座す 月讀壮士 幣(まひ)はせむ 今夜の長さ 五百夜継ぎこそ
 
* 巻七・一〇七五 海原の 道遠みかも 月讀の 明(ひかり)少なき 夜は更けにつつ
 
* 巻七・一三七二 み空ゆく 月讀壮士 夕去らず 目には見れども 因るよしもなし
 
* 巻十三・三二四五 天橋も 長くもがも 高山も 高くもがも 月夜見の 持てる越水(をちみづ) い取り来て 公(きみ)に奉りて をち得てしかも
 
* 巻十五・三五九九 月余美の 光を清み 神嶋の 磯海の浦ゆ 船出すわれは
 
* 巻十五・三六二二 月余美の 光を清み 夕凪に 水手(かこ)の声呼び 浦海漕ぐかも
 
  
==ツクヨミを祭神とする神社==
+
=== 籠神社 ===
皇大神宮の別宮・月讀宮や<ref>http://www.isejingu.or.jp/about/naiku/tsukiyomi.html, 月読宮, 神宮司庁, 日本語, 2017年6月25日</ref>、豊受大神宮別宮・月夜見宮に祀られる<ref>http://www.isejingu.or.jp/about/geku/tsukiyomi.html, 月夜見宮, 神宮司庁, 日本語, 2017年6月25日</ref>。また、京都の[[月読神社 (京都市)|月読神社]]<ref group="注釈">松尾大社(京都府京都市西京区)摂社</ref>は壱岐市の月讀神社から勧請を受けたものである<ref>笠井倭人 「葛野坐月読神社」『式内社調査報告 第1巻』 式内社研究会編、皇學館大学出版部、1979年。</ref>。日本百名山や出羽三山で知られる月山(ガッサン,1984m,山形県)の名称は、山頂に鎮座する神社(月山神社,旧社格:官幣大社)の祭神である月読之命に因んだものとされる。
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籠神社の名前の由来は、祭神である彦火明命が竹で編んだ籠船に乗って、海神の宮に行ったという故事による、とのことだが、これは一種の浦島譚なので、海部氏の神話には、彦火明命、倭直、浦嶋子と3人の「浦島太郎」がいるように感じられる。でも、この海洋民族的な神話は、いわゆる「洪水神話」の変形であって、起源はミャオ族のバロンとダロンがカボチャの中に入って、洪水を逃れた、という話に由来するように思う。「竹」とは[[大渓文化]]で庶民階級を示すトーテムのように思うので、「竹籠」とは「桂の女神」である豊受大神の別の姿であり、「彦火明命(と妻である天道日女命)の母神」のトーテムでもあると考える。彼らは「洪水神話」の神々だから、そう語られていなくても[[兄妹始祖神話]]の神々といえるのだ。別にこんな差別的なトーテムを律儀に維持せずとも、西洋の同族が述べるように「[[天道日女命]]はカボチャの馬車に乗って幸せな結婚をした」という話を残せたら良かったのに、と思う。籠神社の由来譚は、シンデレラ(ダヌ女神が変化した名と考える)まで含めて広く類話が世界各地に見られる、といえる古い神話である。そして「籠目紋」とは母神である[[豊受大神]]そのものと考える。籠神社の「籠」とはシンデレラにおける「カボチャの馬車」と神話的意味が同じといえよう。
  
=== 月讀神社・鹿児島市 ===
+
=== カゴメカゴメ ===
鹿児島市桜島横山町にある神社。祭神は月読命(ツキヨミノミコト)、邇邇芸命(ニニギノミコト)、彦火火出見命(ヒコホホデミノミコト)、鵜草葺不合命(ウガヤフキアエズノミコト)、豊玉彦命(トヨタマヒコノミコト)、木花咲耶姫命(コノハナサクヤヒメノミコト) 。
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というのは籠神社では、「神社の歌」と考えられる向きがあるようである。古くは、元々この歌には鶴のみで亀は登場していなかったようである。「籠の中の鳥」とは「カゴメ」の呼び方にあるように女神であって、彦火明命ではなくて、妻神の[[天道日女命]](ダヌ女神)のことを指すと考える。彼女はいつ生まれることができるのだろうか。母なる豊受が「月の桂の木」であるならば、彼女は木を切り倒そうとする呉剛を手伝おうとするその子供達に見張られているのではないだろうか。その呉剛の子供達が「鶴」である。少なくとも西欧の「船乗りの柱」を見ると、そのように思える。だから、その鶴が滑って転んで隙ができた隙に、天道日女命は母の胎内を飛び出して逃げ出せば良いのではないだろうか。後ろから追ってくる「鶴」と「呉剛」、すなわち[[伏羲]]あるいは[[黄帝]]あるいは[[須佐之男]]にご用心を、という歌だと、私ならそう解釈する。
  
創建年代は不詳であるが、和銅年間とも伝えられる。安永八年九月岳上に三体の月が現れ、翌二十九日の夜明け頃から噴火がおこり、被害が甚大であったので、その後毎年日を決めて御祭神の嫌い事を住民が行わないように努め、神楽を奏して神慮を慰めていた、とのこと<ref>[https://www.kagojinjacho.or.jp/shrine-search/area-kagoshima/%E9%B9%BF%E5%85%90%E5%B3%B6%E5%B8%82/930/ 月讀神社]、鹿児島県神社庁(最終閲覧日:24-12-22)</ref>。
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ただ、籠神社には「いついつ出やる」とは「本当の事を言って良いのは何時になるだろう。」という意味だという解釈があられるのかな、と思う。だいたいそもそも、[[豊受大神]]はヒョウタンとかカボチャとか桂とか竹とか、植物で現される女神であって、その起源も[[大渓文化]]にさかのぼる、いわば「'''気合いの入った植物神'''」である。5000年以上も「植物神」としか扱われてこなかった母神が、いかに好意的な子孫である海部氏の中であっても、急に人間的に自立して、伊勢にて[[天照大御神]]にお仕えする女神へと変貌するのは、変化が急すぎるし、「'''ビフォーアフター'''」の姿に差がありすぎるので、絶対に外部の強力な神話の影響を受けて変貌したと考える。そしてそのネタ元は中国のメジャーな女神ではない、と考える。一番メジャーな女神[[西王母]]は、下位の仙女たちを厳しく監督する女神で、優しい母親ではなく、'''厳しい姑'''みたいな女神だからである。
  
== 私的解説 ==
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だから、[[豊受大神]]と[[天照大御神]]の関係は「何時になるだろう。」とか言っていないで、素直に「'''ギリシア神話のデーメーテールとペルセポネ-'''」を参考にした、と。なぜなら他に似たような類例のメジャーな神話が見当たらないから。と、そうおっしゃられても良いのではないかと思う。デーメーテール女神の名を聞けば、彼女は広く「ダヌ女神」の一柱で、母なる[[豊受大神]]あるいは娘の[[天道日女命]]のどちらかだと分かったはず。そうして娘に尽くして支える母女神の姿は、文芸的には源氏物語の六条御息所などにも影響を与えたと考える。最初の夫とは死別し、後の恋人源氏との仲は必ずしも良好とはいえず、不遇のまま亡くなってしまった六条御息所のモデルは、「桂の木」の女神である[[豊受大神]]なのではないだろうか。
月の神は、単なる天体の神ではなく、暦や時間とも関連する。そのため[[年神]]とも関連するように思う。また桜島に関する月讀神社の例にあるように「'''火山の神'''」としての性質があるように思う。そこから発展して「火の神」「[[竈神]]」「火から作りだす器の神」とも関連があるように思う。おそらく古代の人は流星を「月の欠片が流れている」と感じていたし、それが隕石となって地上に到達したときにもたらされる衝撃と、火山活動を関連づけて考えていたのだろう。火山の神が穏やかで鎮まり、暦による季節の変化にも問題がなければ、農作物の収穫の安定が得られる。山から'''降りてきて'''、山に戻っていく「田の神」信仰にも月神の存在が感じられる。
 
  
月神とは、どこかから「降りてくる」もので、祭祀も含め正しく扱えば人間の役に立ってくれるが、正しく扱わなければ災厄を起こすものであり、かつ人身御供を求める神だったと思われる。中国の[[竈神]]は、年末に天に戻り、新年にまた戻ってくる。彼の機嫌をとらないと、災いを持ってくるようである。
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=== 源氏物語 ===
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源氏物語でもう一つ特徴的な母娘関係が目立つのは源氏の妻の一人である明石の上と娘の明石の中宮の物語である。身分の低い明石の上は、愛娘の将来が安定したものになることを願って、娘を手放し、源氏の正妻である紫の上の養女に差し出す。紫の上の生い立ちも複雑ではあるのだが、皇族の血を引き実父が兵部卿宮である紫の上は、葵の上亡き後は、源氏の妻たちの中で一番身分が高い女性だったのだ。大切に育てられた明石の姫君はやがて東宮妃として入内するのだが、実母の明石の上は女房(召使い)として娘に仕えることにし、その時点で初めて成長した娘と再会することができたのだ。そして再会してからもすぐに母娘の名乗りを上げることはできなかった。やがて明石の姫君は男子を産み、将来の国母としての地位を固めていき、明石の上は母と名乗ることができるようになって、その後も東宮妃の側近として宮中の人間関係を乗り切っていくことになるのだけれども、「身分の低い母親が、身分の高い娘を支える」という構図は六条御息所と秋好中宮の関係に似ているように思う。かつての東宮妃だった六条御息所は高位貴族の令嬢だけれども、娘の秋好中宮は皇族なので、身分的には臣下である母親よりも高い存在である。
  
また年末・正月行事として「[[除夜]][[除夕]])」という概念がある。中国では大晦日に「夕」という人身御供を求める化け物がでるので、これを除く習俗が必要とされる。「夕」とは「月の出の時間」のことも意味し、大晦日には疫神である月神の「夕」が地上に餌を求め降りてくる、という概念があったかもしれないと思う。降りてきたものは天に返さねばならない、ということで火を燃やしたり、大きな音を鳴らした、とのことで、日本ではこれが「除夜の鐘」となったと考える。韓国の正月行事には「タルチッテウギ」(「月の家を燃やす」)という、月の出に火を燃やす行事がある。これも元は[[除夕]]の行事であって、月神を天に戻すことに関する祭祀だったのではないだろうか。
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ということで、伊勢の斎宮として下向する秋好中宮に付き添って支える六条御息所を、[[天照大御神]](事実上の[[天道日女命]])に付き添って支える[[豊受大神]]になぞらえているのだとすれば、明石の上は、さしずめ、「母親であることを隠して娘に仕える[[豊受大神]]」ということなのだと思う。
  
=== 月読命と須佐之男命について ===
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もしかしたら、紫式部は物語のネタを得るために色々な文献を調べているうちに、「太陽女神」と思われる女性の伝承をいくつか見つけて、それらをまるで「太陽女神のカタログ」のようにして集めた物語を作ろうと思い立ち、そうして書き上げたのが「源氏物語」なのかもしれないと思う。だから、義理の息子と関係して子供をもうける「母子姦神話」の藤壺中宮、心優しい養母である紫の上、生涯を独身で過ごす朝顔の斎院、男と関係して急死し織物(砧)に関係する馬頭娘的な夕顔、朱雀帝・源氏の両方と堂々と関係を持って「二人の夫を持つ」'''朧月夜'''、若い男性を食い物にしてもてあそぶ源典侍、「太陽の三女神」を彷彿とさせる宇治の大君、中君、浮舟等々。様々なタイプの太陽女神が物語に登場する。
月読命と[[須佐之男命]]は「同じ神」と考える。そもそも日本の[[年神]]とは[[須佐之男命]]の別形態といえるのだが、暦に関する神でもあるとすれば、月読命の別形態ともいえる。また、月読命も[[須佐之男命]]も「妻殺し」の神で性質が一致している。
 
  
=== 月読命と天目一箇神について ===
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紫式部よりやや後の世代の女性で「更級日記」の作者である菅原孝標女は少女時代に「源氏物語」に夢中になり、それなりに教養のあった中流貴族の女性だったと思われるが、[[天照大御神]]については他人から「[[天照大御神]]にお祈りするといいですよ。」と勧められるまで、この女神のことを知らなかったという。紫式部の知識の豊富さと比べれば雲泥の感があるのは否めない。これはおそらく彼女たちの家庭環境にも関係があるのだと考える。菅原氏は[[野見宿禰]]の末裔と言われており、[[野見宿禰]]とは賀茂系氏族に関連の深い祖神の一人と考える。とすれば、菅原孝標女は賀茂系氏族の娘で、元々賀茂系氏族の女神ではない[[天照大御神]]のことを身近な人から聞く機会がほどんとなく、家庭内でこの女神のことを知る機会がなかったのだと推察する。
天目一箇神の別名を[[弥加宜神社|天御影大神]]という。産業に関する火の神ともいえ、月読命の別名と考える。
 
  
=== 月読命と月の女神について ===
+
一方、紫式部は自身が藤原氏であるし、夫も藤原氏だし、後援者であった藤原道長も藤原氏、と藤原氏に囲まれた環境で生きていた。藤原氏は、元々神祇を司っていた中臣氏なので、藤原氏の中に伝わる神々の口伝などに触れる機会が日常生活の中で多く、興味を持ちさえすれば比較的容易に資料を手に入れやすい立場にいたのであろう。というよりも、藤原道長は女性たちの娯楽的な「物語」そのものにはさほど興味がなかったかもしれないけれども、「太陽女神の伝承の集大成のような物語を作りたい」という紫式部の野心に、政治家として、藤原氏の長者としての立場から興味を持ち、後援を買って出てくれたのかもしれない、と思う。彼が協力してくれれば、紫式部は更に様々な資料を色々な家から収集できたはずである。
「火山の神」が「月神」を兼ねるのであれば、女神に関してもそのように述べることができるのではないか、と考える。鹿児島市の月讀神社には木花咲耶姫命(コノハナサクヤヒメノミコト)が祀られており、この女神は富士山の女神として有名である。そして富士山も火山である。これを「桜島の女神」として捉えた場合、[[神阿多都比売]]とした方が相応しいと考える。木花咲耶姫命、[[神阿多都比売]]は「月の女神」としての性質が強い女神かと考える。
 
  
籠神社では[[豊受大神]]が月の女神にもなる、としており、[[保食神]]が[[豊受大神]]と同一視されるのであれば、[[豊受大神]]と似た性質の女神達にも「月女神」としての要素が含まれると考える。月読命は[[保食神]]を殺すのだから、月の女神は、月の男神に倒される存在といえる。そして、火山の女神とした場合には、「疫神」としての性質もあるように思う。女神を「月の女神(火山の女神)」としてしまうと、時に彼女は倒されなければならない存在になってしまうし、夫の「月神」に倒される、ということになってしまうようである。
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このような観点から見てみると、源氏物語にはある特徴があるように思う。例えば、源氏の最初の正妻「葵の上」は源氏との夫婦仲も良くなく、六条御息所の生霊に取り憑かれて早世してしまう。平安時代の「'''葵'''」といえば「徳川」ではなくて当然「'''賀茂'''」の紋、である。賀茂の斎院は源氏の従姉妹で、身分的にも妻となるのに申し分ないのだが独身で終わってしまう。(斎院は源氏の近親なので、イメージとしては[[兄妹始祖神話]]なのかもしれないが。)そして'''末摘花'''である。
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末摘花は皇族の姫なのだが親が早世しており有力な後ろ盾がいない。悪い姫ではないのだが、現実を直視して対応していく生活力は乏しい。(それも育ちの良さ故なのかもしれないが。)そして、顔立ちが美しくなく、鼻が赤くて、「見られるのが恥ずかしい」女性である。実兄と二人で対面しても話をするでもなく二人とも黙ったままである、という「取り替え子」的な性質も持つ。そして防寒用に'''狸'''の毛皮の上着を着ている。狸というのはイヌ科の動物なので、この描写は「'''松尾'''大社」の「尾」のように「犬の尾をつけた女神」のことと思われ、賀茂系氏族の女神である。よく見てみると、賀茂系氏族の女神たちにだけ、やたらと描写と設定が冷たい、と感じるのは私だけではないと思う。どうして賀茂氏系の神だけが冷遇されるのかといえば、末摘花が「取り替え子」で「祟り神(死霊が変化したもの)」であって、その怒りを静めるため、として人身御供を要求されたり、仏教であれば高額のお布施を要求されたり、という神と化していたので、嫌われていたからではないだろうか。末摘花とは松尾大社の女神そのもの、その兄は別雷神のことと考える。
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おそらく藤原氏の先祖である不比等は、各氏族の伝承を集め、「国家全体の太陽女神」を定める際に、系図を変えてしまったり、記紀神話に盛り込めなかったエピソードがたくさんあったため、いつか記紀神話の内容を修正して、もっと元の太陽女神の系図に近い内容に戻したり、ボツになったエピソードも纏めて形にして表したい、と考えていたのではないだろうか。彼の悲願は息子たちの四兄弟が相次いで早世したため子供の代で果たせなかったが、式家百川から婿であった山部親王(桓武天皇)を経由して、桓武天皇の側近だった北家内麻呂へと受け継がれ、平安時代を通して北家全体の悲願であり続け、道長の時代になって初めて「源氏物語」という形に表すことができるようになったものかもしれないと考える。桓武天皇の時代に『古事記』が「隠された」あるいは『日本書紀』の陰に隠れて「読まれなくなった」、という説があるが、これは桓武天皇も古事記の内容に修正の余地があると考えていたからなのではないだろうか。空海や最澄といった能力のある若者たちを積極的に遣唐使として大陸に送り込んだのも、引き続き「太陽女神」に関する神話・伝承を彼らに収集させる、という目的が暗に含まれていたのかもしれないと想像する。
  
 
== 参考文献 ==
 
== 参考文献 ==
* Wikipedia:[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%84%E3%82%AF%E3%83%A8%E3%83%9F ツクヨミ](最終閲覧日:22-10-10)
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* Wikipedia:[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9A%E5%BA%A6%E5%A4%A7%E7%A4%BE 多度大社](最終閲覧日:26-02-09)
<!--この節には、記事本文の編集時に実際に参考にした書籍等のみを記載して下さい。書籍の宣伝目的の掲載はおやめ下さい。-->
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* [https://ise-machi.co.jp/2022/03/03/kamijidori/ 神の通うみち「神路通 (かみじどおり)」を歩いてみる]、伊勢町づくり株式会社(最終閲覧日:26-02-09)
** 大林太良、吉田敦彦監修, 青木周平ほか, 日本神話事典, 大和書房, 1997-06, isbn:978-4-479-84043-5
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* [https://www.kankomie.or.jp/topic/1101 【桑名市多度】「午年」の2026年は「多度大社」へ!白馬伝説が伝わる多度大社の「馬」を徹底紹介!]、観光三重(最終閲覧日:26-02-09)
** 大林太良, 日本神話の起源
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* [https://note.com/kaigenmade/n/n0368a69d9955 眞名井神社(籠神社奥宮)]、開眼への日々(最終閲覧日:26-02-09)
*** 角川書店〈角川新書 151〉、1965年7月。全国書誌番号:61010386、NCID:BN03329074。
 
** 学研編集部, 神道の本 - 八百万の神々がつどう秘教的祭祀の世界, NEW SIGHT MOOK ブックス・エソテリカ2, 学研マーケティング, 1992-02, isbn:978-4-05-106024-4
 
** 桂令夫ほか, 山北篤監修, 東洋神名事典, 新紀元社, Truth In Fantasy事典シリーズ 7, 2002-12, isbn:978-4-7753-0123-4
 
** 河合隼雄, 中空構造日本の深層, 中央公論社
 
*** 中央公論社〈中公叢書〉、1982年1月。ISBN 978-4-12-001090-3。
 
** 戸部民夫, 八百万の神々 - 日本の神霊たちのプロフィール, 新紀元社, Truth In Fantasy 31, 1997-12, isbn:978-4-88317-299-3
 
** 戸部民夫, 日本神話 - 神々の壮麗なるドラマ, 新紀元社, Truth In Fantasy 63, 2003-10, isbn:978-4-7753-0203-3
 
** 新村出, 広辞苑 第五版, 岩波書店, 1998-11, isbn:4-00-080111-2
 
** 三浦茂久, 古代日本の月信仰と再生思想, 作品社, 2008-10, isbn:978-4-86182-205-6
 
  
 
== 関連項目 ==
 
== 関連項目 ==
* [[天月神命]]:賀茂氏系の月の男神と考える。
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* [[桂男]]
* [[細烏女]]:本来は賀茂系葛城氏の女神葛姫を「月神」として祀っていたのではないだろうか。その起源がこの女神と考える。
 
* [[祝融型神]]
 
* [[桂男]]:月にある桂の木を切り続ける男のこと
 
 
 
== 起源 ==
 
* [[嫦娥]];不老不死の薬を持って逃げた月の女神である。
 
 
 
== 注釈 ==
 
<references group="注釈"/>
 
 
 
== 私的注釈 ==
 
<references group="私注"/>
 
  
 
== 参照 ==
 
== 参照 ==
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[[Category:日本神話]]
 
[[Category:日本神話]]
 
[[Category:月神]]
 
[[Category:月神]]
[[Category:祝融型神]]
 
[[Category:医薬神]]
 
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[[Category:桂]]
 
 
[[Category:豚]]
 
[[Category:豚]]
[[Category:瓢箪]]
 
 
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[[Category:海部氏]]
 
[[Category:海部氏]]

2026年2月12日 (木) 08:48時点における最新版

日本神話には3柱の「月夜見尊」という男性形の月神がいるように思う。

  • 記紀神話の月読命
  • 賀茂系の神と思われる天月神命
  • 丹後半島海部氏の伝承的人物「浦嶋子」の祖神とされる月讀命(宇良神社の表記による)

である。海部氏の月神は、豊受大神との関係が深く、豊受大神が伊勢の外宮に祀られた際にも、外宮の北側に別宮として月夜見宮がもうけられ、月夜見尊(つきよみのみこと)が祭神とされている。月夜見宮(つきよみのみや)と外宮を結ぶ「神路通り(かみじどおり)」の中央は、夜更けに月夜見尊が白馬に姿を変えて外宮へ通う神の道とされ、真ん中を歩くのは避けるのが習わしである。いかにも月夜見尊が豊受大神の夫のように受け取れるが、それを示す神話がない。本項ではこの謎めいた「海部氏の月夜見尊」について述べてみたい。

厳密にいえば、浦嶋子は日下部首の先祖と言われている。しかし、伊勢神宮外宮における月夜見尊と豊受大神の関係からみて、彼らの関係は丹後半島に神々が座していたときから続いているものであり、宇良神社の月讀命と籠神社奥宮・真名井神社の豊受大神との間にも何らかの関係があったと考えるのは自然なのではないだろうか。

一目連[編集]

 
猪紋黒陶鉢
新石器時代(河姆渡文化)、1977年浙江省余姚河姆渡文化遺跡出、陶器、高さ11.7cm、口径21.7cm、底径17.5cm、浙江省博物館所蔵[1]
 
図1、馬のたてがみを持つ玉竜。紅山文化の出土品。

犬神から豚神へ、更に馬神そして龍神へ[編集]

伊勢神宮と同じ三重県にある多度大社は、名前からして海部氏の神社であり、海部氏とは台湾原住民アミ族タバロン社と神話的に連続性のある氏族と考える。なぜならタバロン社には海の向こうにある女人島から魚に乗って生還したというチマチウチウという青年の話があり、浦島太郎の物語と良く似ているからである。アミ族と海部氏(あまべ)の名前も似ているし、ヒッタイトにアルマという男性形の月神、古代エジプトにクヌムという男性形の月神がいるので、そもそも「アミ」とか「あま」という言葉は「男性形の月神」を指す言葉だったのではないか、と考える。アミ族の神々にはチマチウチウにあるように名前に「T」音がつく場合が多く、多度大社の名も例に漏れないように思う。

そして、中国語で豚のことを上代語で「トン(およそ***dun**(*tən)に近い音)」と呼んでいたので、チマチマチウがそもそも「豚神」であり「月神」だった可能性があるように思う。またこの名の子音を辿ると海部氏の祖神「倭(やまと)直(倭宿祢命)」に類する名と考えるので、台湾のアミ族の伝承にまでさかのぼると、倭直と浦島太郎は同起源のものだったことが分かる。

河姆渡文化の猪紋黒陶鉢はこれは「月神」のことと考える。中国の「桂男」の伝承は、「呉剛伐桂」といって呉剛という男が妻と浮気した相手を殺して、その罰に月に追放され、月の桂の木を切り倒さなければならなくなった、とされる。これは元は、呉剛という男が妻と間男を殺して、罰として呉剛も殺されたので、殺された妻を桂の木、間男を月神とした、という話と考える。そもそも「二人の夫を持つ女神」の神話は母系社会にさかのぼるものと考えられるので、多夫多妻的な結婚生活が当たり前であって、男が自分以外の男と関係を持ったからといって、嫉妬心から妻と相手の男を殺してしまったら、そちらの方が許されざる事態である。

おそらく、呉剛が月の神とされた二人の後を追いかけて月に昇り、木と化した妻神に暴力を振るい続ける、という神話は中国社会で父系が確立する間に付加されたもので、最初から呉剛のエピソードはついておらず、少なくとも河姆渡文化では付加されていなかったと思われる。

河姆渡文化でこの豚型の月神がなんと呼ばれていたのかは定かではないように思うけれども、チマチウチウの名から見て「トン」と呼ばれていたかもしれないと思う。豚神だから、単に「豚」なのである。では、アミとかアマという言葉はどこから来ているのだろうか。それは犬(quǎn)から来ているように思う。台湾の伝承にラオン(おそらく犬の意)という人物が猪に変身して人妻と関係を持ち、その夫に殺されたという伝承がブヌン族にある。ブヌン族とは、彼らの先祖が中国大陸に居た時に、馬家浜文化を担っていた人々と考える。そのため、呉剛の原型である「間男を殺す男」は河姆渡文化の近隣の馬家浜文化では既に登場していると考えるが、河姆渡文化の方では異なる神話が語られていたと思われる。だいたい氏族の祖神として扱われるくらいの犬神なのだから「間男」なんてとんでもなく失礼な言い草であろう。

ともかく、アミ族の中では、彼らの先祖が中国大陸にいた時、河姆渡文化を形成していた時に、「月神」はすでに犬神から豚神に変更されていたと考える。台湾の伝承ではそこで止まってしまっているのだろう。ところで、台湾原住民の先祖が上海付近から海を越えて台湾に去った後、中国では遼河文明で「龍」という存在が誕生した。初期の竜神は「猪龍」といわれるくらい豚や猪に関連した顔をしていた。そして馬のたてがみを持っていたりしたから、「龍」というのは人工的に合成した「架空の動物神」で、主に豚神、馬神、蛇神を一つにまとめて「みな同じ機能を持つ神」としていたものと考える。

伊勢神宮の外宮の月神は「白馬」をトーテムに持つが、もちろん日本で神社等の制度が確立して定まってきたのは古墳時代以降と思われるので、世界全体から見れば比較的新しい信仰体系といえる。そして「龍神」というものが発生した以降の神なので、この「馬神」は「豚神」でも「龍神」でも「同じ意味を持つ」といえるように思う。

多度大社がある「多度山」は、古くから神が鎮まる地とされており、その神の使いである「白馬」が人々に願いを届け、幸せを運ぶという「白馬伝説」が伝えられている。こちらの「白馬」も伊勢神宮の「白馬神」と根本的には「同じもの」で、元は豚神でもあり、龍神であっても「同じ意味」を持つのではないだろうか。すなわち、多度大社で「一目連」と呼ばれ、片目が潰れてしまった龍神とされる神が「白馬神」でもあると考える。なぜ彼が「片目」なのかといえば、河姆渡文化の猪紋黒陶鉢の豚神が「片目」だから、と述べるしかない。豚神の体に描かれた「目」は月に生えているといわれる「桂の木」の目であって、豚神の「目」ではないのだろう。だから、「浮気をした」として殺された女神とその夫(間男)は、月で一体となって、彼らの「2つの目」のうち、一つは男神の目、一つは女神の目とされたのだと考える。

ただし、一目連をそのまま「月神」として良いかというとそうではない。この神は「天候(風)を司る神」とされて風神あるいは天候神の性質が強いからである。

実は雷神[編集]

一目連には「風神」としての性質が強いように思うけれども、伊勢には他に「伊勢津彦」という風神と思われる神の伝承があるので、一目連はむしろ本来の姿は「雷神」であって、その起源が「片目の月神」にあるので、片目なのだと考える。伊勢神宮の白馬が「月神」なら、多度大社の白馬は伊勢の月神から枝分かれした「雷神」ということである。アミ族タバロン社の伝承は、インド神話の神々とかなり近い相関があり、イラン・インド系の神話に「ヴァルナ対デーヴァ」の神話があるように台湾には「プユマ族対タバロン社」の戦いの神話がある。かつて「月神」が犬神であり月神であった時代に、そのまま月神として伝播したのがヒッタイトの月神アルマやエジプトの月神クヌムであると考える。ではインド神話ではどうなのかというと、アルマに相当する神は「インドラ」と考える。インドラは雷神としての性質が強い神である。またアルマ的な神の名は、ハヌマーン、ヘルメース、ヘミッツとなって各地に伝播し、神から人間の氏族・部族の族長まで多彩な姿で現されるようになったのではないだろうか。台湾の伝承ではプユマ族と戦った英雄の名としてテオイツとアラモルグッドという名が見える。またアタヤル族には「ブタ」という英雄の名が見えるので、彼らはそのままインド神話の「ティワズ(シヴァ)」「インドラ」「ヴァーユ」へと変化したと考える。テオイツやアラモルグッドは「空を飛ぶ英雄」とされており、その原型は「月神」でも良いし「風神」でもよいし「雷神」でも良いと考える。河姆渡文化の時代に月神そのものは「アルマ(犬)神」から「トン(豚)神」に変更されてしまったが、元の犬神は「人間の英雄」、「半神半人の英雄先祖」に姿を変えて生き残り、その性質がいくつかに分化して印欧語族の多彩な多神教の男神に変化していったと思われる。

だから日本の海部氏の「月神」は伊勢神宮の「白馬」という姿で残ったものと、もっと性質が変化して天候神のような「一目連(白馬神)」に枝分かれしていったものとに分けられると考える。おそらく、当初多度大社を祀った人達は、一目連と伊勢神宮の「月神」とは起源が同じ神だと知っていたのかもしれない。天から舞い降りてきて人々に幸せを持ってきてくれる、それが海部氏の「月神」だったのではないだろうか。

また多度大社の一目連が仮にインドラだったとして、なぜ雷神ではなく風神的に現されるのかといえば、日本では雷神は「怨霊」であり「祟り神」であるという認識が強いので、悪いイメージを避けるために性質をやや変更させている可能性もあるように思う。また「多度」という名前からいえば、ティワズ(シヴァ)の可能性もある。シヴァの原型はルドラという天候神であると言われている。ティワズ(シヴァ)が神の名だった場合、元々のトーテムは豚神だったと考える。伊勢神宮の月神に合わせて、トーテムを白馬としたのではないだろうか。

女神像の変遷[編集]

それは「桂」で良いのだろうか[編集]

河姆渡文化の「月神」は体内に植物の葉が描かれており、これは後の中国神話でいうところの「月の桂の木」の原型と考える。では、河姆渡文化でも「桂の木」と扱って良いのか、ということになる。

実はヒョウタン[編集]

台湾の伝承に、穀物の起源として以下のような話がある。

昔、二人の兄弟がいて、豚と瓢を所有していた。兄弟が畑仕事をしている間に、父親が豚を殺して食べようとしたが、他人から「それは不吉なことだ。もし無理矢理屠殺するのならば、私がおまえを殺そう。」と脅されて豚を殺すのを止めた。父が瓢に歌うと、瓢から粟・稗などの種が出た。これを子供達に与えて畑に撒かせた。これが粟・稗・豚の起源である[2]

これは形が崩れているけれども、月に対して穀物の豊穣を願った祭祀の起源譚と考える。豚は月神であり、瓢神は後の中国神話で述べるところの「桂の木」であろう。豚神と瓢神は夫婦神であり、二柱揃って「月神」なのだ。人々が神々に穀物の豊穣を願う際に、神に見立てた動物を殺すのではなく、歌や音曲で神々を慰撫すると、月神たちの子供ともいうべき作物の種を与えてもらえる、という思想のように思う。種だけでなく、穀物がうまく育つように良天候まで求めるようになれば、彼らは単なる「月」を神格化したものではなく、天候神としての性質も併せ持つようになったであろう。

中国神話で「ヒョウタン」といったら伏羲・女媧神話で子供達がその中に潜って大洪水を逃れた、というアイテムである。子供達がそこから出てくる様は、「母の胎内から子供が生まれ出る図」でもある。「ヒョウタンの女神」が「月に生えている桂の木」の原型だとしたら、彼女は「人類の母神」というだけでなく、穀類を生み出してくれる母神でもあるし、穀類の生育にまで関わる神でもあったと思われる。ヒョウタンとは「水をくむひしゃく」のことでもあり、これが「天水」をもたらしてくれる「ひしゃく」のことでもあれば、「北斗のひしゃく」の名の通り、彼女は月神としてだけでなく「北斗の女神」としての性質も持っていたと考えられる。そして、水神でもあるので、例えば火事などで「火の神」が暴走した時には、それを沈静化させる能力もあるとみなされたと考える。

こうして河姆渡文化の「豚と瓢」の一対の月神は単なる「月」にとどまらずその機能が拡張されていき、印欧語族を中心とした様々な多神教の父神・母神としての性質を獲得していったと思われる。穀物の豊穣をもたらしてくれる「豊受大神」とは、河姆渡文化における「月の瓢女神」であり、伏羲・女媧神話の「瓢女神」と根本的には「同じ女神」だったと考える。そして歌いかければ穀物を生み出してくれる「母神」なのだから、ハイヌウェレ型神話にみられる「バラバラにされて食物を生み出す母神」とは異なる性質の女神、と述べるしかない。ココヤシの女神ハイヌゥエレがバラバラにされるのは、呉剛が月で桂の木を際限なくバラバラにし続けている神話と関連すると思われ、呉剛神話の方が、妻をばらして穀物を得る記紀神話の須佐之男・月読命につながると考える。呉剛が妻を惨殺し続けるから人類は穀物を得ることができる、というおぞましい神話である。人々は呉剛が正しく機能するように、彼が満足する餌(生贄や人身御供)を捧げなければならないのだ。人身御供は呉剛の餌でもあり、彼を裏切った妻と間男の「代理人」でもあるのだろう。人々が呉剛と共に人身御供を供食し、呉剛に忠誠を示さねば、呉剛の怨霊は満足して鎮まってくれない、と考えられたと思われる。

一方歌や音曲に特に独特の霊的作用があり、神々や異類に訴えかけたり、交流することができる、とする思想も広く広まっている。男女が歌を交わす歌垣の思想、インドのラーマ王子、民話ウサギ番の若者が笛の名手であったり、その音曲の才能で動物や神々に訴えかけることができるとされたギリシア神話のオルフェウスの思想などである。日本でも古来より「和歌」には特別な霊力があると考えられており、例えば目上の人とか普段本音で話をすることが軽々しくできない立場の人が相手であっても、自らの思いや考えを和歌に託して訴えかけることは許される、と考えられていた。

馬の女神[編集]

西欧では「植物の母神」というものはあまり例がないように思う。ギリシア神話にアポローンに追いかけられて月桂樹と化してしまうダプネーの神話があるが、類似した名でも豊穣神として名高いのはデーメーテールの方である。デーメーテール女神のトーテムには「馬」があり、馬神としてはポセイドーンと対になる女神である。ただし、ポセイドーンから無理矢理関係を迫られた、と神話にあり、いわゆる「夫婦仲」は良くない。中国神話風に言えば、夫を気取る呉剛に暴力を振るわれ続ける「桂女神」の方がデーメーテールの原型と考える。しかし、ともかくデーメーテール女神の方は植物神ではなく、馬型あるいは人型として動き回る女神である。デーメーテールとポセイドーンの関係はローマ神話ではディアーヌとヒッポリュトスに移行すると思われる。デーメーテールもディアーヌも「女神の聖所とされるの主人」とされる点は、彼女たちが植物神だった名残と考える。ヒッポリュトスは「殺されてしまう神」なので、呉剛ではなく、呉剛に殺されてしまう「間男」の側の神と考える。台湾の伝承でいう「豚を屠殺してはならない」とは、この「(殺された)月の父神を殺してはならない」という意味でもあるし、「彼(の代理人)を殺すことで豊穣を得られるという神話を許容してはならない」という意味でもあると考える。そして、これは広く「人身御供」の禁止にも通じる。ということは、呉剛的な「妻に暴力を振るう神」を採用しているギリシア神話や、代が変わるたびに先代のヒッポリュトスの生命を求めるネミの森の祭祀は「間違っている」と感じられるのだが、ともかく西欧では、古く河姆渡文化ではヒョウタンだった「月の母神」が、権威ある「太母」として馬型で現されることが多いように感じる。夫のトーテムがまず豚神から馬神に変更され、それが妻神にも作用して、彼女自身が馬神に変化し、自律した神として動き出すようになったのだ。

そして、伊勢神宮の月神、多度大社の神のトーテムが「馬」とされた点は、西欧の神話の影響がもしかしたらあるかもしれないと考える。記紀神話を成立させる際には、各氏族は自らの家伝と家系図を朝廷に提出しなければならなかったし、「何が自分たちの正しい神話なのか」という点を、広く各国の神話を収集して研究したのではないか、と想像する。そこで、日本の伝承の中には、明らかにイラン系であったり、ケルト系であったり、ゲルマン系であったりする伝承が入り交じることになったのだろう。古代の海部氏は、自分たちの神はいわゆる「デーヴァ」であって、「T」音を多用する神の名を持っている人々は、どんなに遠く離れた場所に住まう人達であっても、遠い「同族」であると割と認識していて、各国の神話の収集を積極的に行っていた時期があるのではないか、と思う。そこで、西欧の「植物神でもあり馬神でもある月の女神」とは「自分たちの月の瓢女神」だと理解しており、共通性を持たせるために「月神」のトーテムを「馬」と定めたのではないか、と思う。ということで、豊受大神のことを「馬の女神」とは言わないけれども、夫の方を馬神とし、豊受大神が「殺されない女神」として、その性質を定める際にはディアーヌ、デーメーテール、そして「馬の母」として有名なエポナなどが大きく参考にされたのではないか、と考える。東アジアでは馬神は分かる人には龍神に簡単に変換可能な神だったので、問題ないと考えられたのだろう。

消された系図[編集]

 
再現した海部氏系図

月夜見尊と豊受大神が海部氏の祖神であれば、系図はどのようになるのだろうか。右図のように再現し、記紀神話等と比較してみた。海部氏の祖神とされる天火明命は社会の父系化に合わせて男神化したもので、元は天道日女命から分かれたものと考える。母系社会的に見れば、天道日女命が祖神なのであって、彼女が「太陽女神」であり、その両親とされるのが月夜見尊と豊受大神だったのだと考える。天道日女命は開拓神でもあり「養母としての女神」である。一方の豊受大神は本質的には「燃やされた女神」で植物神なのだけれども、西方の太母女神たちに合わせて、不死化させたものと考える。だから、天火明命は太陽女神を男性化した男性の太陽神でも良いし、父神と性質をそろえて月神でも良いし、むしろどちらともとれるような神に整えられている感がする。

一方、記紀神話では太陽女神の両親は伊邪那岐命伊邪那美命である。伊邪那美命豊受大神とほぼ同じ女神と考える。ただし、生まれたばかりの息子神を惨殺したり、妻を冥界に捨てて自分だけよみがえる伊邪那岐命は月夜見尊とは異なる神だし、月神ともされていない。伊邪那岐命は中国神話における「呉剛」に相当する神であって、中国では後に「黄帝」と呼ばれる神になるように思う。そして伊邪那岐命の息子神とされる須佐之男は、中国神話の少昊に相当する。中国神話における少昊は古代の帝王の一人とはされているけれども、父・黄帝の方が炎帝との戦い、蚩尤との戦いを勝ち抜いた強力な英雄とされているように思う。一方日本神話では、須佐之男は地上に追放されたとはいえ、現在でも八坂・津島を始めとして各地で祀られているし、父伊邪那岐命よりも強力な神とされているように思う。

ともかく、単純に言うと「親神」として見たときに、海部氏の月の父親神は河姆渡文化に由来し、後の中国神話で「間男」とされてしまった「伯陵」なのであり、台湾の伝承で「人妻と関係した豚神」として殺されてしまった神なのである。彼の本来の祭祀は人身御供を禁止するものであった。一方、記紀神話の父親神・伊邪那岐命は暴力的で妻神に対して薄情なところがあり、こちらの原型は「間男と妻を惨殺した呉剛」と考えられる。賀茂氏系の神話と比較すると、伊邪那岐命須佐之男の関係は、賀茂建角身命と別雷神に相当すると考える。賀茂氏の伝承では別雷神の父として他氏族の者と思われる「火雷神」が設定されているが、これが「伯陵」のことを指すのだろう。別雷神の母とされる玉依姫は別名を「葛媛」といったとも考えられ、太陽女神ではなく最初から月女神だったと考える。賀茂氏系の氏族と、海部氏ではいわゆる「祖母女神」はどちらも共通した同じ女神なのだけれども、台湾の伝承に「豚(呉剛)と犬(伯陵)の夫を持つ女神」があるように、子孫は互いに近縁であるにもかかわらず、どちらを父にする神話を持つかで非常に争いせめぎ合っていたのだ。それは「祭祀における人身御供を許容するか否か」において争うのと同じことになっていたから、単純に生物学的な父の争いにとどまらず、宗教的な思想と信念をかけた対立ともいえた。

そこで、記紀神話は対立する賀茂系氏族の神話と海部氏系氏族の神話の折衷をとり、太陽女神が広く信仰されていたことから、直接の皇祖神としては天照大御神(太陽女神)を採用したけれども、その両親神については、賀茂系の神話を採用し呉剛的な神を「伊邪那岐命」として定めたものと考える。賀茂氏系は「母神」であり「月女神」であった「葛媛」を「玉依姫」と改め、「月の女神が直接の祖神である。」という神話を放棄したものと思われる。一方の海部氏も「月女神」であった豊受大神を豊穣神に改め、結果として「月の神」は「男性形の月読命とする」と纏めたのだと考える。天照大御神を「総母神」とする代わりに、どちらの側も「月女神」を放棄したのだろう。ただし、賀茂氏系の側で「月神」を呉剛的な神に寄せようと画策する動きがあったので、その点でまた対立が生じることを恐れて、記紀神話における「月読命」はうっすらと須佐之男的な神話があるだけの名のみの神に留められることになったのだろう。そして、記紀神話に定められた以外の「月神」は男神も女神もおおむね各氏族の系図から削除されてしまったと思われるが、伊勢においては正史として書かれた言葉ではなく、神社の配置と口伝に本来の海部氏の伝承を残したものと考える。だから、記紀神話の月読命は、似てはいるのだけれども、海部氏の月夜見尊とは異なる神なのである。

そして、結局「記紀神話」を纏めた目的とは、ということになる。古代において日本の各氏族は、それぞれ独自に太陽神と月神を祖神に持つ神話を持っており、それが海部氏系の神話と賀茂氏系の神話とに、大きく分けて2系統に分かれていたのだろう。彼らは互いに似通った神話も持っているのに、祭祀に対する考え方が全く異なるので、そこから来る争いを避けるために、各氏族の「太陽神」「月神」そして賀茂氏系の氏族の外せない祖神・須佐之男を一つにまとめ、「皇祖神」という扱いにして統一した神話を残すと共に、各氏族特有の太陽神、月神、須佐之男を別の名前、別の性質の神などに変更させて残すことだったのではないか、と考える。要は各氏族が独自に太陽神と月神を祖神として祀ることを禁止したのだ。そうしないと、海部氏系の神話と賀茂氏系の神話の対立からくる政情不安がいつでも引き起こされる可能性があったからだと考える。

そして、伊勢神宮とは内宮に娘・天照大御神、外宮に母・豊受大神と父・月夜見尊を祀った、まさに「海部氏的」な世界観で神々が配置された記紀神話とは異なる神社といえると考える。海部氏は氏族の神話の消滅の危機に際して、伊勢に「神話の形」を残すことで対抗したのではないだろうか。だから、伊勢神宮の参道の石灯籠には海部氏の豊受大神の紋である「籠目紋」が刻まれているのだと考える。暗にそこに祀られているのは「海部氏の神」であると示唆しているのである。

またこのようなことが可能となった背景には、記紀神話の編纂に関わった政府の中枢、すなわち天武天皇、持統天皇、高市皇子、藤原不比等といった人々が、伊勢神宮の体制を整える際に、海部氏に非公式に強力にてこ入れした、ということがあったのではないかと考える。天照大御神を皇祖神として採用した人々は、本音では海部氏の神話を残すべき、人身御供を求める神話は可能な限り抑制すべきと望んでいたのではないだろうか。

余談・籠神社と真名井神社[編集]

真名井神社[編集]

祭神である豊受大神が「留守中」の社であり、丹後の籠神社の奥の宮とされる。こちらの「籠目紋」がユダヤの「ダビデの星」に由来するのではないか、と一時期「日ユ同祖論」で話題になったことがあるように思う。この神社の別名に「天𠮷葛宮」とあり、「葛」とは古代の日本で「桂」のことを指すので「天の桂」とは完全に「月」のことといえる。また眞名井原縁起に「ここ眞名井原は、天上において、日の神天照大神と、月の神豊受大神が、密かに結ばれた契りを尊くもこの地上において化現された霊跡である。」とあるそうで、豊受大神は「月の女神」とされているので、「月の桂の木」が豊受大神のことでもあるとかなり分かりやすく明確にされているように思う。「密かに結ばれた契り」とは「母娘の契り」ということを指すのではないか、と思う。一応記紀神話との整合性を考えて、こちらの母子関係は「密かに隠している」ものと考える。

籠神社[編集]

籠神社の名前の由来は、祭神である彦火明命が竹で編んだ籠船に乗って、海神の宮に行ったという故事による、とのことだが、これは一種の浦島譚なので、海部氏の神話には、彦火明命、倭直、浦嶋子と3人の「浦島太郎」がいるように感じられる。でも、この海洋民族的な神話は、いわゆる「洪水神話」の変形であって、起源はミャオ族のバロンとダロンがカボチャの中に入って、洪水を逃れた、という話に由来するように思う。「竹」とは大渓文化で庶民階級を示すトーテムのように思うので、「竹籠」とは「桂の女神」である豊受大神の別の姿であり、「彦火明命(と妻である天道日女命)の母神」のトーテムでもあると考える。彼らは「洪水神話」の神々だから、そう語られていなくても兄妹始祖神話の神々といえるのだ。別にこんな差別的なトーテムを律儀に維持せずとも、西洋の同族が述べるように「天道日女命はカボチャの馬車に乗って幸せな結婚をした」という話を残せたら良かったのに、と思う。籠神社の由来譚は、シンデレラ(ダヌ女神が変化した名と考える)まで含めて広く類話が世界各地に見られる、といえる古い神話である。そして「籠目紋」とは母神である豊受大神そのものと考える。籠神社の「籠」とはシンデレラにおける「カボチャの馬車」と神話的意味が同じといえよう。

カゴメカゴメ[編集]

というのは籠神社では、「神社の歌」と考えられる向きがあるようである。古くは、元々この歌には鶴のみで亀は登場していなかったようである。「籠の中の鳥」とは「カゴメ」の呼び方にあるように女神であって、彦火明命ではなくて、妻神の天道日女命(ダヌ女神)のことを指すと考える。彼女はいつ生まれることができるのだろうか。母なる豊受が「月の桂の木」であるならば、彼女は木を切り倒そうとする呉剛を手伝おうとするその子供達に見張られているのではないだろうか。その呉剛の子供達が「鶴」である。少なくとも西欧の「船乗りの柱」を見ると、そのように思える。だから、その鶴が滑って転んで隙ができた隙に、天道日女命は母の胎内を飛び出して逃げ出せば良いのではないだろうか。後ろから追ってくる「鶴」と「呉剛」、すなわち伏羲あるいは黄帝あるいは須佐之男にご用心を、という歌だと、私ならそう解釈する。

ただ、籠神社には「いついつ出やる」とは「本当の事を言って良いのは何時になるだろう。」という意味だという解釈があられるのかな、と思う。だいたいそもそも、豊受大神はヒョウタンとかカボチャとか桂とか竹とか、植物で現される女神であって、その起源も大渓文化にさかのぼる、いわば「気合いの入った植物神」である。5000年以上も「植物神」としか扱われてこなかった母神が、いかに好意的な子孫である海部氏の中であっても、急に人間的に自立して、伊勢にて天照大御神にお仕えする女神へと変貌するのは、変化が急すぎるし、「ビフォーアフター」の姿に差がありすぎるので、絶対に外部の強力な神話の影響を受けて変貌したと考える。そしてそのネタ元は中国のメジャーな女神ではない、と考える。一番メジャーな女神西王母は、下位の仙女たちを厳しく監督する女神で、優しい母親ではなく、厳しい姑みたいな女神だからである。

だから、豊受大神天照大御神の関係は「何時になるだろう。」とか言っていないで、素直に「ギリシア神話のデーメーテールとペルセポネ-」を参考にした、と。なぜなら他に似たような類例のメジャーな神話が見当たらないから。と、そうおっしゃられても良いのではないかと思う。デーメーテール女神の名を聞けば、彼女は広く「ダヌ女神」の一柱で、母なる豊受大神あるいは娘の天道日女命のどちらかだと分かったはず。そうして娘に尽くして支える母女神の姿は、文芸的には源氏物語の六条御息所などにも影響を与えたと考える。最初の夫とは死別し、後の恋人源氏との仲は必ずしも良好とはいえず、不遇のまま亡くなってしまった六条御息所のモデルは、「桂の木」の女神である豊受大神なのではないだろうか。

源氏物語[編集]

源氏物語でもう一つ特徴的な母娘関係が目立つのは源氏の妻の一人である明石の上と娘の明石の中宮の物語である。身分の低い明石の上は、愛娘の将来が安定したものになることを願って、娘を手放し、源氏の正妻である紫の上の養女に差し出す。紫の上の生い立ちも複雑ではあるのだが、皇族の血を引き実父が兵部卿宮である紫の上は、葵の上亡き後は、源氏の妻たちの中で一番身分が高い女性だったのだ。大切に育てられた明石の姫君はやがて東宮妃として入内するのだが、実母の明石の上は女房(召使い)として娘に仕えることにし、その時点で初めて成長した娘と再会することができたのだ。そして再会してからもすぐに母娘の名乗りを上げることはできなかった。やがて明石の姫君は男子を産み、将来の国母としての地位を固めていき、明石の上は母と名乗ることができるようになって、その後も東宮妃の側近として宮中の人間関係を乗り切っていくことになるのだけれども、「身分の低い母親が、身分の高い娘を支える」という構図は六条御息所と秋好中宮の関係に似ているように思う。かつての東宮妃だった六条御息所は高位貴族の令嬢だけれども、娘の秋好中宮は皇族なので、身分的には臣下である母親よりも高い存在である。

ということで、伊勢の斎宮として下向する秋好中宮に付き添って支える六条御息所を、天照大御神(事実上の天道日女命)に付き添って支える豊受大神になぞらえているのだとすれば、明石の上は、さしずめ、「母親であることを隠して娘に仕える豊受大神」ということなのだと思う。

もしかしたら、紫式部は物語のネタを得るために色々な文献を調べているうちに、「太陽女神」と思われる女性の伝承をいくつか見つけて、それらをまるで「太陽女神のカタログ」のようにして集めた物語を作ろうと思い立ち、そうして書き上げたのが「源氏物語」なのかもしれないと思う。だから、義理の息子と関係して子供をもうける「母子姦神話」の藤壺中宮、心優しい養母である紫の上、生涯を独身で過ごす朝顔の斎院、男と関係して急死し織物(砧)に関係する馬頭娘的な夕顔、朱雀帝・源氏の両方と堂々と関係を持って「二人の夫を持つ」朧月夜、若い男性を食い物にしてもてあそぶ源典侍、「太陽の三女神」を彷彿とさせる宇治の大君、中君、浮舟等々。様々なタイプの太陽女神が物語に登場する。

紫式部よりやや後の世代の女性で「更級日記」の作者である菅原孝標女は少女時代に「源氏物語」に夢中になり、それなりに教養のあった中流貴族の女性だったと思われるが、天照大御神については他人から「天照大御神にお祈りするといいですよ。」と勧められるまで、この女神のことを知らなかったという。紫式部の知識の豊富さと比べれば雲泥の感があるのは否めない。これはおそらく彼女たちの家庭環境にも関係があるのだと考える。菅原氏は野見宿禰の末裔と言われており、野見宿禰とは賀茂系氏族に関連の深い祖神の一人と考える。とすれば、菅原孝標女は賀茂系氏族の娘で、元々賀茂系氏族の女神ではない天照大御神のことを身近な人から聞く機会がほどんとなく、家庭内でこの女神のことを知る機会がなかったのだと推察する。

一方、紫式部は自身が藤原氏であるし、夫も藤原氏だし、後援者であった藤原道長も藤原氏、と藤原氏に囲まれた環境で生きていた。藤原氏は、元々神祇を司っていた中臣氏なので、藤原氏の中に伝わる神々の口伝などに触れる機会が日常生活の中で多く、興味を持ちさえすれば比較的容易に資料を手に入れやすい立場にいたのであろう。というよりも、藤原道長は女性たちの娯楽的な「物語」そのものにはさほど興味がなかったかもしれないけれども、「太陽女神の伝承の集大成のような物語を作りたい」という紫式部の野心に、政治家として、藤原氏の長者としての立場から興味を持ち、後援を買って出てくれたのかもしれない、と思う。彼が協力してくれれば、紫式部は更に様々な資料を色々な家から収集できたはずである。

このような観点から見てみると、源氏物語にはある特徴があるように思う。例えば、源氏の最初の正妻「葵の上」は源氏との夫婦仲も良くなく、六条御息所の生霊に取り憑かれて早世してしまう。平安時代の「」といえば「徳川」ではなくて当然「賀茂」の紋、である。賀茂の斎院は源氏の従姉妹で、身分的にも妻となるのに申し分ないのだが独身で終わってしまう。(斎院は源氏の近親なので、イメージとしては兄妹始祖神話なのかもしれないが。)そして末摘花である。

末摘花は皇族の姫なのだが親が早世しており有力な後ろ盾がいない。悪い姫ではないのだが、現実を直視して対応していく生活力は乏しい。(それも育ちの良さ故なのかもしれないが。)そして、顔立ちが美しくなく、鼻が赤くて、「見られるのが恥ずかしい」女性である。実兄と二人で対面しても話をするでもなく二人とも黙ったままである、という「取り替え子」的な性質も持つ。そして防寒用にの毛皮の上着を着ている。狸というのはイヌ科の動物なので、この描写は「松尾大社」の「尾」のように「犬の尾をつけた女神」のことと思われ、賀茂系氏族の女神である。よく見てみると、賀茂系氏族の女神たちにだけ、やたらと描写と設定が冷たい、と感じるのは私だけではないと思う。どうして賀茂氏系の神だけが冷遇されるのかといえば、末摘花が「取り替え子」で「祟り神(死霊が変化したもの)」であって、その怒りを静めるため、として人身御供を要求されたり、仏教であれば高額のお布施を要求されたり、という神と化していたので、嫌われていたからではないだろうか。末摘花とは松尾大社の女神そのもの、その兄は別雷神のことと考える。

おそらく藤原氏の先祖である不比等は、各氏族の伝承を集め、「国家全体の太陽女神」を定める際に、系図を変えてしまったり、記紀神話に盛り込めなかったエピソードがたくさんあったため、いつか記紀神話の内容を修正して、もっと元の太陽女神の系図に近い内容に戻したり、ボツになったエピソードも纏めて形にして表したい、と考えていたのではないだろうか。彼の悲願は息子たちの四兄弟が相次いで早世したため子供の代で果たせなかったが、式家百川から婿であった山部親王(桓武天皇)を経由して、桓武天皇の側近だった北家内麻呂へと受け継がれ、平安時代を通して北家全体の悲願であり続け、道長の時代になって初めて「源氏物語」という形に表すことができるようになったものかもしれないと考える。桓武天皇の時代に『古事記』が「隠された」あるいは『日本書紀』の陰に隠れて「読まれなくなった」、という説があるが、これは桓武天皇も古事記の内容に修正の余地があると考えていたからなのではないだろうか。空海や最澄といった能力のある若者たちを積極的に遣唐使として大陸に送り込んだのも、引き続き「太陽女神」に関する神話・伝承を彼らに収集させる、という目的が暗に含まれていたのかもしれないと想像する。

参考文献[編集]

関連項目[編集]

参照[編集]

  1. 猪紋黒陶鉢、考古用語辞典、07-07-09
  2. 粟・稗の創造、ルカイ族、神々の物語、台湾原住民文学選5、神村徹編、草風館、2006年8月1日出版、p231