「月夜見尊(海部氏)」の版間の差分
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* 記紀神話の[[月読命]] | * 記紀神話の[[月読命]] | ||
* 賀茂系の神と思われる[[天月神命]] | * 賀茂系の神と思われる[[天月神命]] | ||
| − | * | + | * 丹後半島海部氏の伝承的人物「浦嶋子」の祖神とされる'''月讀命'''(宇良神社の表記による) |
| − | + | である。海部氏の月神は、[[豊受大神]]との関係が深く、豊受大神が伊勢の外宮に祀られた際にも、外宮の北側に別宮として月夜見宮がもうけられ、'''月夜見尊'''(つきよみのみこと)が祭神とされている。月夜見宮(つきよみのみや)と外宮を結ぶ「'''神路通り'''(かみじどおり)」の中央は、夜更けに月夜見尊が'''白馬'''に姿を変えて外宮へ通う神の道とされ、真ん中を歩くのは避けるのが習わしである。いかにも月夜見尊が[[豊受大神]]の夫のように受け取れるが、それを示す神話がない。本項ではこの謎めいた「海部氏の月夜見尊」について述べてみたい。 | |
| − | + | 厳密にいえば、浦嶋子は日下部首の先祖と言われている。しかし、伊勢神宮外宮における月夜見尊と[[豊受大神]]の関係からみて、彼らの関係は丹後半島に神々が座していたときから続いているものであり、宇良神社の月讀命と籠神社奥宮・真名井神社の[[豊受大神]]との間にも何らかの関係があったと考えるのは自然なのではないだろうか。 | |
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| − | + | == 一目連 == | |
| + | [[画像:Hangzhou.jpeg|thumb|300px|猪紋黒陶鉢<br />新石器時代(河姆渡文化)、1977年浙江省余姚河姆渡文化遺跡出、陶器、高さ11.7cm、口径21.7cm、底径17.5cm、浙江省博物館所蔵<ref>[http://abc0120.net/words/abc2007070901.html 猪紋黒陶鉢]、考古用語辞典、07-07-09</ref>]] | ||
| + | [[File:C-shaped_jade_dragon.jpeg|thumb|300px|図1、馬のたてがみを持つ玉竜。紅山文化の出土品。]] | ||
| + | === 犬神から豚神へ、更に馬神そして龍神へ === | ||
| + | 伊勢神宮と同じ三重県にある多度大社は、名前からして海部氏の神社であり、海部氏とは台湾原住民アミ族タバロン社と神話的に連続性のある氏族と考える。なぜならタバロン社には海の向こうにある女人島から魚に乗って生還したという'''チマチウチウ'''という青年の話があり、浦島太郎の物語と良く似ているからである。アミ族と海部氏(あまべ)の名前も似ているし、ヒッタイトにアルマという男性形の月神、古代エジプトにクヌムという男性形の月神がいるので、そもそも「アミ」とか「あま」という言葉は「男性形の月神」を指す言葉だったのではないか、と考える。アミ族の神々にはチマチウチウにあるように名前に「T」音がつく場合が多く、多度大社の名も例に漏れないように思う。 | ||
| − | + | そして、中国語で豚のことを上代語で「トン(およそ***dun**(*tən)に近い音)」と呼んでいたので、チマチマチウがそもそも「豚神」であり「月神」だった可能性があるように思う。またこの名の子音を辿ると海部氏の祖神「倭(やまと)直(倭宿祢命)」に類する名と考えるので、台湾のアミ族の伝承にまでさかのぼると、倭直と浦島太郎は同起源のものだったことが分かる。 | |
| − | + | [[河姆渡文化]]の猪紋黒陶鉢はこれは「'''月神'''」のことと考える。中国の「桂男」の伝承は、「呉剛伐桂」といって呉剛という男が妻と浮気した相手を殺して、その罰に月に追放され、月の桂の木を切り倒さなければならなくなった、とされる。これは元は、呉剛という男が妻と間男を殺して、罰として呉剛も殺されたので、殺された妻を桂の木、間男を月神とした、という話と考える。そもそも「二人の夫を持つ女神」の神話は母系社会にさかのぼるものと考えられるので、多夫多妻的な結婚生活が当たり前であって、男が自分以外の男と関係を持ったからといって、嫉妬心から妻と相手の男を殺してしまったら、'''そちらの方が許されざる事態'''である。 | |
| − | + | おそらく、呉剛が月の神とされた二人の後を追いかけて月に昇り、木と化した妻神に暴力を振るい続ける、という神話は中国社会で父系が確立する間に付加されたもので、最初から呉剛のエピソードはついておらず、少なくとも[[河姆渡文化]]では付加されていなかったと思われる。 | |
| − | + | [[河姆渡文化]]でこの豚型の月神がなんと呼ばれていたのかは定かではないように思うけれども、チマチウチウの名から見て「トン」と呼ばれていたかもしれないと思う。豚神だから、単に「豚」なのである。では、アミとかアマという言葉はどこから来ているのだろうか。それは犬(quǎn)から来ているように思う。台湾の伝承にラオン(おそらく犬の意)という人物が猪に変身して人妻と関係を持ち、その夫に殺されたという伝承がブヌン族にある。ブヌン族とは、彼らの先祖が中国大陸に居た時に、[[馬家浜文化]]を担っていた人々と考える。そのため、呉剛の原型である「'''間男を殺す男'''」は[[河姆渡文化]]の近隣の[[馬家浜文化]]では既に登場していると考えるが、[[河姆渡文化]]の方では異なる神話が語られていたと思われる。だいたい氏族の祖神として扱われるくらいの犬神なのだから「間男」なんてとんでもなく失礼な言い草であろう。 | |
| − | + | ともかく、アミ族の中では、彼らの先祖が中国大陸にいた時、[[河姆渡文化]]を形成していた時に、「月神」はすでに犬神から豚神に変更されていたと考える。台湾の伝承ではそこで止まってしまっているのだろう。ところで、台湾原住民の先祖が上海付近から海を越えて台湾に去った後、中国では遼河文明で「龍」という存在が誕生した。初期の竜神は「猪龍」といわれるくらい豚や猪に関連した顔をしていた。そして馬のたてがみを持っていたりしたから、「龍」というのは人工的に合成した「架空の動物神」で、主に豚神、馬神、蛇神を一つにまとめて「'''みな同じ機能を持つ神'''」としていたものと考える。 | |
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| − | + | 伊勢神宮の外宮の月神は「白馬」をトーテムに持つが、もちろん日本で神社等の制度が確立して定まってきたのは古墳時代以降と思われるので、世界全体から見れば比較的新しい信仰体系といえる。そして「龍神」というものが発生した以降の神なので、この'''「馬神」は「豚神」でも「龍神」でも「同じ意味を持つ」'''といえるように思う。 | |
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| − | + | 多度大社がある「多度山」は、古くから神が鎮まる地とされており、その神の使いである「白馬」が人々に願いを届け、幸せを運ぶという「白馬伝説」が伝えられている。こちらの「白馬」も伊勢神宮の「白馬神」と根本的には「同じもの」で、元は豚神でもあり、龍神であっても「同じ意味」を持つのではないだろうか。すなわち、多度大社で「一目連」と呼ばれ、'''片目が潰れてしまった龍神'''とされる神が「白馬神」でもあると考える。なぜ彼が「片目」なのかといえば、[[河姆渡文化]]の猪紋黒陶鉢の豚神が「片目」だから、と述べるしかない。豚神の体に描かれた「目」は月に生えているといわれる「桂の木」の目であって、豚神の「目」ではないのだろう。だから、「浮気をした」として殺された女神とその夫(間男)は、月で一体となって、彼らの「2つの目」のうち、一つは男神の目、一つは女神の目とされたのだと考える。 | |
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| − | + | ただし、一目連をそのまま「月神」として良いかというとそうではない。この神は「天候(風)を司る神」とされて風神あるいは天候神の性質が強いからである。 | |
| − | === | + | === 実は雷神 === |
| − | + | 一目連には「風神」としての性質が強いように思うけれども、伊勢には他に「伊勢津彦」という風神と思われる神の伝承があるので、一目連はむしろ本来の姿は「'''雷神'''」であって、その起源が「片目の月神」にあるので、片目なのだと考える。伊勢神宮の白馬が「月神」なら、多度大社の白馬は伊勢の月神から枝分かれした「雷神」ということである。アミ族タバロン社の伝承は、インド神話の神々とかなり近い相関があり、イラン・インド系の神話に「ヴァルナ対デーヴァ」の神話があるように台湾には「プユマ族対タバロン社」の戦いの神話がある。かつて「月神」が犬神であり月神であった時代に、そのまま月神として伝播したのがヒッタイトの月神アルマやエジプトの月神クヌムであると考える。ではインド神話ではどうなのかというと、アルマに相当する神は「'''インドラ'''」と考える。インドラは雷神としての性質が強い神である。またアルマ的な神の名は、ハヌマーン、ヘルメース、ヘミッツとなって各地に伝播し、神から人間の氏族・部族の族長まで多彩な姿で現されるようになったのではないだろうか。台湾の伝承ではプユマ族と戦った英雄の名としてテオイツとアラモルグッドという名が見える。またアタヤル族には「ブタ」という英雄の名が見えるので、彼らはそのままインド神話の「ティワズ(シヴァ)」「インドラ」「ヴァーユ」へと変化したと考える。テオイツやアラモルグッドは「空を飛ぶ英雄」とされており、その原型は「月神」でも良いし「風神」でもよいし「雷神」でも良いと考える。[[河姆渡文化]]の時代に月神そのものは「アルマ(犬)神」から「トン(豚)神」に変更されてしまったが、元の犬神は「人間の英雄」、「半神半人の英雄先祖」に姿を変えて生き残り、その性質がいくつかに分化して印欧語族の多彩な多神教の男神に変化していったと思われる。 | |
| − | + | だから日本の海部氏の「月神」は伊勢神宮の「白馬」という姿で残ったものと、もっと性質が変化して天候神のような「一目連(白馬神)」に枝分かれしていったものとに分けられると考える。おそらく、当初多度大社を祀った人達は、一目連と伊勢神宮の「月神」とは起源が同じ神だと知っていたのかもしれない。'''天から舞い降りてきて人々に幸せを持ってきてくれる'''、それが海部氏の「月神」だったのではないだろうか。 | |
| − | + | また多度大社の一目連が仮にインドラだったとして、なぜ雷神ではなく風神的に現されるのかといえば、日本では雷神は「怨霊」であり「祟り神」であるという認識が強いので、悪いイメージを避けるために性質をやや変更させている可能性もあるように思う。また「多度」という名前からいえば、ティワズ(シヴァ)の可能性もある。シヴァの原型はルドラという天候神であると言われている。ティワズ(シヴァ)が神の名だった場合、元々のトーテムは豚神だったと考える。伊勢神宮の月神に合わせて、トーテムを白馬としたのではないだろうか。 | |
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| − | ==== | + | == 女神像の変遷 == |
| − | + | === それは「桂」で良いのだろうか === | |
| + | [[河姆渡文化]]の「月神」は体内に植物の葉が描かれており、これは後の中国神話でいうところの「月の桂の木」の原型と考える。では、[[河姆渡文化]]でも「桂の木」と扱って良いのか、ということになる。 | ||
| − | === | + | === 実はヒョウタン === |
| − | + | 台湾の伝承に、穀物の起源として以下のような話がある。 | |
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| − | + | <blockquote>昔、二人の兄弟がいて、豚と瓢を所有していた。兄弟が畑仕事をしている間に、父親が豚を殺して食べようとしたが、他人から「それは不吉なことだ。もし無理矢理屠殺するのならば、私がおまえを殺そう。」と脅されて豚を殺すのを止めた。父が瓢に歌うと、瓢から粟・稗などの種が出た。これを子供達に与えて畑に撒かせた。これが粟・稗・豚の起源である<ref>粟・稗の創造、ルカイ族、神々の物語、台湾原住民文学選5、神村徹編、草風館、2006年8月1日出版、p231</ref>。</blockquote> | |
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| − | + | これは形が崩れているけれども、月に対して穀物の豊穣を願った祭祀の起源譚と考える。豚は月神であり、'''瓢神'''は後の中国神話で述べるところの「桂の木」であろう。豚神と瓢神は夫婦神であり、二柱揃って「月神」なのだ。人々が神々に穀物の豊穣を願う際に、神に見立てた動物を殺すのではなく、歌や音曲で神々を慰撫すると、月神たちの子供ともいうべき作物の種を与えてもらえる、という思想のように思う。種だけでなく、穀物がうまく育つように良天候まで求めるようになれば、彼らは単なる「月」を神格化したものではなく、天候神としての性質も併せ持つようになったであろう。 | |
| − | + | 中国神話で「ヒョウタン」といったら伏羲・女媧神話で子供達がその中に潜って大洪水を逃れた、というアイテムである。子供達がそこから出てくる様は、「母の胎内から子供が生まれ出る図」でもある。「ヒョウタンの女神」が「月に生えている桂の木」の原型だとしたら、彼女は「人類の母神」というだけでなく、穀類を生み出してくれる母神でもあるし、穀類の生育にまで関わる神でもあったと思われる。ヒョウタンとは「水をくむひしゃく」のことでもあり、これが「天水」をもたらしてくれる「ひしゃく」のことでもあれば、「北斗のひしゃく」の名の通り、彼女は月神としてだけでなく「北斗の女神」としての性質も持っていたと考えられる。そして、水神でもあるので、例えば火事などで「火の神」が暴走した時には、それを沈静化させる能力もあるとみなされたと考える。 | |
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| − | + | こうして[[河姆渡文化]]の「'''豚と瓢'''」の一対の月神は単なる「月」にとどまらずその機能が拡張されていき、印欧語族を中心とした様々な多神教の父神・母神としての性質を獲得していったと思われる。穀物の豊穣をもたらしてくれる「'''[[豊受大神]]'''」とは、河姆渡文化における「'''月の瓢女神'''」であり、伏羲・女媧神話の「'''瓢女神'''」と根本的には「同じ女神」だったと考える。そして歌いかければ穀物を生み出してくれる「母神」なのだから、ハイヌウェレ型神話にみられる「'''バラバラにされて食物を生み出す母神'''」とは異なる性質の女神、と述べるしかない。ココヤシの女神ハイヌゥエレがバラバラにされるのは、呉剛が月で桂の木を際限なくバラバラにし続けている神話と関連すると思われ、呉剛神話の方が、妻をばらして穀物を得る記紀神話の須佐之男・[[月読命]]につながると考える。'''呉剛が妻を惨殺し続けるから人類は穀物を得ることができる'''、というおぞましい神話である。人々は呉剛が正しく機能するように、彼が満足する餌(生贄や人身御供)を捧げなければならないのだ。人身御供は呉剛の餌でもあり、彼を裏切った妻と間男の「代理人」でもあるのだろう。人々が呉剛と共に人身御供を供食し、呉剛に忠誠を示さねば、呉剛の怨霊は満足して鎮まってくれない、と考えられたと思われる。 | |
| − | + | 一方歌や音曲に特に独特の霊的作用があり、神々や異類に訴えかけたり、交流することができる、とする思想も広く広まっている。男女が歌を交わす歌垣の思想、インドのラーマ王子、民話ウサギ番の若者が笛の名手であったり、その音曲の才能で動物や神々に訴えかけることができるとされたギリシア神話のオルフェウスの思想などである。日本でも古来より「和歌」には特別な霊力があると考えられており、例えば目上の人とか普段本音で話をすることが軽々しくできない立場の人が相手であっても、自らの思いや考えを和歌に託して訴えかけることは許される、と考えられていた。 | |
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| − | === | + | === 馬の女神 === |
| − | + | 西欧では「植物の母神」というものはあまり例がないように思う。ギリシア神話にアポローンに追いかけられて月桂樹と化してしまうダプネーの神話があるが、類似した名でも豊穣神として名高いのはデーメーテールの方である。デーメーテール女神のトーテムには「馬」があり、馬神としてはポセイドーンと対になる女神である。ただし、ポセイドーンから無理矢理関係を迫られた、と神話にあり、いわゆる「夫婦仲」は良くない。中国神話風に言えば、夫を気取る呉剛に暴力を振るわれ続ける「桂女神」の方がデーメーテールの原型と考える。しかし、ともかくデーメーテール女神の方は植物神ではなく、馬型あるいは人型として動き回る女神である。デーメーテールとポセイドーンの関係はローマ神話ではディアーヌとヒッポリュトスに移行すると思われる。デーメーテールもディアーヌも「女神の聖所とされる'''森'''の主人」とされる点は、彼女たちが植物神だった名残と考える。ヒッポリュトスは「殺されてしまう神」なので、呉剛ではなく、呉剛に殺されてしまう「間男」の側の神と考える。台湾の伝承でいう「'''豚を屠殺してはならない'''」とは、この「'''(殺された)月の父神を殺してはならない'''」という意味でもあるし、「'''彼(の代理人)を殺すことで豊穣を得られるという神話を許容してはならない'''」という意味でもあると考える。そして、これは広く「人身御供」の禁止にも通じる。ということは、呉剛的な「妻に暴力を振るう神」を採用しているギリシア神話や、代が変わるたびに先代のヒッポリュトスの生命を求めるネミの森の祭祀は「間違っている」と感じられるのだが、ともかく西欧では、古く[[河姆渡文化]]ではヒョウタンだった「月の母神」が、権威ある「太母」として馬型で現されることが多いように感じる。夫のトーテムがまず豚神から馬神に変更され、それが妻神にも作用して、彼女自身が馬神に変化し、自律した神として動き出すようになったのだ。 | |
| − | + | そして、伊勢神宮の月神、多度大社の神のトーテムが「馬」とされた点は、西欧の神話の影響がもしかしたらあるかもしれないと考える。記紀神話を成立させる際には、各氏族は自らの家伝と家系図を朝廷に提出しなければならなかったし、「何が自分たちの正しい神話なのか」という点を、広く各国の神話を収集して研究したのではないか、と想像する。そこで、日本の伝承の中には、明らかにイラン系であったり、ケルト系であったり、ゲルマン系であったりする伝承が入り交じることになったのだろう。古代の海部氏は、自分たちの神はいわゆる「デーヴァ」であって、「T」音を多用する神の名を持っている人々は、どんなに遠く離れた場所に住まう人達であっても、遠い「同族」であると割と認識していて、各国の神話の収集を積極的に行っていた時期があるのではないか、と思う。そこで、西欧の「植物神でもあり馬神でもある月の女神」とは「自分たちの月の瓢女神」だと理解しており、共通性を持たせるために「月神」のトーテムを「馬」と定めたのではないか、と思う。ということで、[[豊受大神]]のことを「馬の女神」とは言わないけれども、夫の方を馬神とし、[[豊受大神]]が「殺されない女神」として、その性質を定める際にはディアーヌ、デーメーテール、そして「馬の母」として有名なエポナなどが大きく参考にされたのではないか、と考える。東アジアでは馬神は分かる人には龍神に簡単に変換可能な神だったので、問題ないと考えられたのだろう。 | |
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| − | + | == 消された系図 == | |
| − | + | [[File:amabe.png|thumb|350px|再現した海部氏系図]] | |
| − | + | 月夜見尊と豊受大神が海部氏の祖神であれば、系図はどのようになるのだろうか。右図のように再現し、記紀神話等と比較してみた。海部氏の祖神とされる天火明命は社会の父系化に合わせて男神化したもので、元は[[天道日女命]]から分かれたものと考える。母系社会的に見れば、'''[[天道日女命]]'''が祖神なのであって、彼女が「太陽女神」であり、その両親とされるのが月夜見尊と[[豊受大神]]だったのだと考える。[[天道日女命]]は開拓神でもあり「養母としての女神」である。一方の[[豊受大神]]は本質的には「燃やされた女神」で植物神なのだけれども、西方の太母女神たちに合わせて、不死化させたものと考える。だから、天火明命は太陽女神を男性化した男性の太陽神でも良いし、父神と性質をそろえて月神でも良いし、むしろどちらともとれるような神に整えられている感がする。 | |
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| − | + | 一方、記紀神話では太陽女神の両親は[[伊邪那岐命]]・[[伊邪那美命]]である。[[伊邪那美命]]が[[豊受大神]]とほぼ同じ女神と考える。ただし、生まれたばかりの息子神を惨殺したり、妻を冥界に捨てて自分だけよみがえる[[伊邪那岐命]]は月夜見尊とは異なる神だし、月神ともされていない。[[伊邪那岐命]]は中国神話における「[[桂男|呉剛]]」に相当する神であって、中国では後に「[[黄帝]]」と呼ばれる神になるように思う。そして[[伊邪那岐命]]の息子神とされる[[須佐之男]]は、中国神話の[[少昊]]に相当する。中国神話における[[少昊]]は古代の帝王の一人とはされているけれども、父・[[黄帝]]の方が炎帝との戦い、[[蚩尤]]との戦いを勝ち抜いた強力な英雄とされているように思う。一方日本神話では、[[須佐之男]]は地上に追放されたとはいえ、現在でも八坂・津島を始めとして各地で祀られているし、父[[伊邪那岐命]]よりも強力な神とされているように思う。 | |
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| − | + | ともかく、単純に言うと「親神」として見たときに、海部氏の月の父親神は[[河姆渡文化]]に由来し、後の中国神話で「間男」とされてしまった「'''伯陵'''」なのであり、台湾の伝承で「人妻と関係した豚神」として殺されてしまった神なのである。彼の本来の祭祀は人身御供を禁止するものであった。一方、記紀神話の父親神・[[伊邪那岐命]]は暴力的で妻神に対して薄情なところがあり、こちらの原型は「間男と妻を惨殺した'''呉剛'''」と考えられる。賀茂氏系の神話と比較すると、[[伊邪那岐命]]と[[須佐之男]]の関係は、賀茂建角身命と別雷神に相当すると考える。賀茂氏の伝承では別雷神の父として他氏族の者と思われる「火雷神」が設定されているが、これが「'''伯陵'''」のことを指すのだろう。別雷神の母とされる玉依姫は別名を「葛媛」といったとも考えられ、太陽女神ではなく最初から月女神だったと考える。賀茂氏系の氏族と、海部氏ではいわゆる「祖母女神」はどちらも共通した同じ女神なのだけれども、台湾の伝承に「豚(呉剛)と犬(伯陵)の夫を持つ女神」があるように、子孫は互いに近縁であるにもかかわらず、どちらを父にする神話を持つかで非常に争いせめぎ合っていたのだ。それは「'''祭祀における人身御供を許容するか否か'''」において争うのと同じことになっていたから、単純に生物学的な父の争いにとどまらず、宗教的な思想と信念をかけた対立ともいえた。 | |
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| − | + | そこで、記紀神話は対立する賀茂系氏族の神話と海部氏系氏族の神話の折衷をとり、太陽女神が広く信仰されていたことから、直接の皇祖神としては[[天照大御神]](太陽女神)を採用したけれども、その両親神については、賀茂系の神話を採用し[[桂男|呉剛]]的な神を「[[伊邪那岐命]]」として定めたものと考える。賀茂氏系は「母神」であり「月女神」であった「葛媛」を「玉依姫」と改め、「月の女神が直接の祖神である。」という神話を放棄したものと思われる。一方の海部氏も「月女神」であった豊受大神を豊穣神に改め、結果として「月の神」は「'''男性形の[[月読命]]とする'''」と纏めたのだと考える。[[天照大御神]]を「総母神」とする代わりに、どちらの側も「月女神」を放棄したのだろう。ただし、賀茂氏系の側で「月神」を呉剛的な神に寄せようと画策する動きがあったので、その点でまた対立が生じることを恐れて、記紀神話における「[[月読命]]」はうっすらと須佐之男的な神話があるだけの名のみの神に留められることになったのだろう。そして、記紀神話に定められた以外の「月神」は男神も女神もおおむね各氏族の系図から削除されてしまったと思われるが、伊勢においては正史として書かれた言葉ではなく、神社の配置と口伝に本来の海部氏の伝承を残したものと考える。だから、記紀神話の[[月読命]]は、似てはいるのだけれども、海部氏の'''月夜見尊'''とは異なる神なのである。 | |
| − | + | そして、結局「記紀神話」を纏めた目的とは、ということになる。古代において日本の各氏族は、それぞれ独自に太陽神と月神を祖神に持つ神話を持っており、それが海部氏系の神話と賀茂氏系の神話とに、大きく分けて2系統に分かれていたのだろう。彼らは互いに似通った神話も持っているのに、祭祀に対する考え方が全く異なるので、そこから来る争いを避けるために、各氏族の「太陽神」「月神」そして賀茂氏系の氏族の外せない祖神・須佐之男を一つにまとめ、「皇祖神」という扱いにして統一した神話を残すと共に、各氏族特有の太陽神、月神、須佐之男を別の名前、別の性質の神などに変更させて残すことだったのではないか、と考える。要は'''各氏族が独自に太陽神と月神を祖神として祀ることを禁止した'''のだ。そうしないと、海部氏系の神話と賀茂氏系の神話の対立からくる政情不安がいつでも引き起こされる可能性があったからだと考える。 | |
| − | + | そして、伊勢神宮とは内宮に'''娘・天照大御神'''、外宮に'''母・豊受大神と父・月夜見尊'''を祀った、まさに「海部氏的」な世界観で神々が配置された記紀神話とは異なる神社といえると考える。海部氏は氏族の神話の消滅の危機に際して、伊勢に「神話の形」を残すことで対抗したのではないだろうか。だから、伊勢神宮の参道の石灯籠には海部氏の[[豊受大神]]の紋である「籠目紋」が刻まれているのだと考える。暗にそこに祀られているのは「海部氏の神」であると示唆しているのである。 | |
| − | + | またこのようなことが可能となった背景には、記紀神話の編纂に関わった政府の中枢、すなわち天武天皇、持統天皇、高市皇子、藤原不比等といった人々が、伊勢神宮の体制を整える際に、海部氏に非公式に強力にてこ入れした、ということがあったのではないかと考える。[[天照大御神]]を皇祖神として採用した人々は、本音では海部氏の神話を残すべき、人身御供を求める神話は可能な限り抑制すべきと望んでいたのではないだろうか。 | |
| − | == | + | == 余談・籠神社と真名井神社 == |
| − | + | === 真名井神社 === | |
| − | + | 祭神である[[豊受大神]]が「留守中」の社であり、丹後の籠神社の奥の宮とされる。こちらの「籠目紋」がユダヤの「ダビデの星」に由来するのではないか、と一時期「日ユ同祖論」で話題になったことがあるように思う。この神社の別名に「天𠮷葛宮」とあり、「葛」とは古代の日本で「桂」のことを指すので「天の桂」とは完全に「月」のことといえる。また眞名井原縁起に「ここ眞名井原は、天上において、日の神天照大神と、月の神豊受大神が、密かに結ばれた契りを尊くもこの地上において化現された霊跡である。」とあるそうで、豊受大神は「月の女神」とされているので、「月の桂の木」が豊受大神のことでもあるとかなり分かりやすく明確にされているように思う。「密かに結ばれた契り」とは「母娘の契り」ということを指すのではないか、と思う。一応記紀神話との整合性を考えて、こちらの母子関係は「密かに隠している」ものと考える。 | |
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| − | == | + | === 籠神社 === |
| − | + | 籠神社の名前の由来は、祭神である彦火明命が竹で編んだ籠船に乗って、海神の宮に行ったという故事による、とのことだが、これは一種の浦島譚なので、海部氏の神話には、彦火明命、倭直、浦嶋子と3人の「浦島太郎」がいるように感じられる。でも、この海洋民族的な神話は、いわゆる「洪水神話」の変形であって、起源はミャオ族のバロンとダロンがカボチャの中に入って、洪水を逃れた、という話に由来するように思う。「竹」とは[[大渓文化]]で庶民階級を示すトーテムのように思うので、「竹籠」とは「桂の女神」である豊受大神の別の姿であり、「彦火明命(と妻である天道日女命)の母神」のトーテムでもあると考える。彼らは「洪水神話」の神々だから、そう語られていなくても[[兄妹始祖神話]]の神々といえるのだ。別にこんな差別的なトーテムを律儀に維持せずとも、西洋の同族が述べるように「[[天道日女命]]はカボチャの馬車に乗って幸せな結婚をした」という話を残せたら良かったのに、と思う。籠神社の由来譚は、シンデレラ(ダヌ女神が変化した名と考える)まで含めて広く類話が世界各地に見られる、といえる古い神話である。そして「籠目紋」とは母神である[[豊受大神]]そのものと考える。籠神社の「籠」とはシンデレラにおける「カボチャの馬車」と神話的意味が同じといえよう。 | |
| − | === | + | === カゴメカゴメ === |
| − | + | というのは籠神社では、「神社の歌」と考えられる向きがあるようである。古くは、元々この歌には鶴のみで亀は登場していなかったようである。「籠の中の鳥」とは「カゴメ」の呼び方にあるように女神であって、彦火明命ではなくて、妻神の[[天道日女命]](ダヌ女神)のことを指すと考える。彼女はいつ生まれることができるのだろうか。母なる豊受が「月の桂の木」であるならば、彼女は木を切り倒そうとする呉剛を手伝おうとするその子供達に見張られているのではないだろうか。その呉剛の子供達が「鶴」である。少なくとも西欧の「船乗りの柱」を見ると、そのように思える。だから、その鶴が滑って転んで隙ができた隙に、天道日女命は母の胎内を飛び出して逃げ出せば良いのではないだろうか。後ろから追ってくる「鶴」と「呉剛」、すなわち[[伏羲]]あるいは[[黄帝]]あるいは[[須佐之男]]にご用心を、という歌だと、私ならそう解釈する。 | |
| − | + | ただ、籠神社には「いついつ出やる」とは「本当の事を言って良いのは何時になるだろう。」という意味だという解釈があられるのかな、と思う。だいたいそもそも、[[豊受大神]]はヒョウタンとかカボチャとか桂とか竹とか、植物で現される女神であって、その起源も[[大渓文化]]にさかのぼる、いわば「'''気合いの入った植物神'''」である。5000年以上も「植物神」としか扱われてこなかった母神が、いかに好意的な子孫である海部氏の中であっても、急に人間的に自立して、伊勢にて[[天照大御神]]にお仕えする女神へと変貌するのは、変化が急すぎるし、「'''ビフォーアフター'''」の姿に差がありすぎるので、絶対に外部の強力な神話の影響を受けて変貌したと考える。そしてそのネタ元は中国のメジャーな女神ではない、と考える。一番メジャーな女神[[西王母]]は、下位の仙女たちを厳しく監督する女神で、優しい母親ではなく、'''厳しい姑'''みたいな女神だからである。 | |
| − | + | だから、[[豊受大神]]と[[天照大御神]]の関係は「何時になるだろう。」とか言っていないで、素直に「'''ギリシア神話のデーメーテールとペルセポネ-'''」を参考にした、と。なぜなら他に似たような類例のメジャーな神話が見当たらないから。と、そうおっしゃられても良いのではないかと思う。デーメーテール女神の名を聞けば、彼女は広く「ダヌ女神」の一柱で、母なる[[豊受大神]]あるいは娘の[[天道日女命]]のどちらかだと分かったはず。そうして娘に尽くして支える母女神の姿は、文芸的には源氏物語の六条御息所などにも影響を与えたと考える。最初の夫とは死別し、後の恋人源氏との仲は必ずしも良好とはいえず、不遇のまま亡くなってしまった六条御息所のモデルは、「桂の木」の女神である[[豊受大神]]なのではないだろうか。 | |
| − | |||
| − | + | === 源氏物語 === | |
| + | 源氏物語でもう一つ特徴的な母娘関係が目立つのは源氏の妻の一人である明石の上と娘の明石の中宮の物語である。身分の低い明石の上は、愛娘の将来が安定したものになることを願って、娘を手放し、源氏の正妻である紫の上の養女に差し出す。紫の上の生い立ちも複雑ではあるのだが、皇族の血を引き実父が兵部卿宮である紫の上は、葵の上亡き後は、源氏の妻たちの中で一番身分が高い女性だったのだ。大切に育てられた明石の姫君はやがて東宮妃として入内するのだが、実母の明石の上は女房(召使い)として娘に仕えることにし、その時点で初めて成長した娘と再会することができたのだ。そして再会してからもすぐに母娘の名乗りを上げることはできなかった。やがて明石の姫君は男子を産み、将来の国母としての地位を固めていき、明石の上は母と名乗ることができるようになって、その後も東宮妃の側近として宮中の人間関係を乗り切っていくことになるのだけれども、「身分の低い母親が、身分の高い娘を支える」という構図は六条御息所と秋好中宮の関係に似ているように思う。かつての東宮妃だった六条御息所は高位貴族の令嬢だけれども、娘の秋好中宮は皇族なので、身分的には臣下である母親よりも高い存在である。 | ||
| − | + | ということで、伊勢の斎宮として下向する秋好中宮に付き添って支える六条御息所を、[[天照大御神]](事実上の[[天道日女命]])に付き添って支える[[豊受大神]]になぞらえているのだとすれば、明石の上は、さしずめ、「母親であることを隠して娘に仕える[[豊受大神]]」ということなのだと思う。 | |
| − | + | もしかしたら、紫式部は物語のネタを得るために色々な文献を調べているうちに、「太陽女神」と思われる女性の伝承をいくつか見つけて、それらをまるで「太陽女神のカタログ」のようにして集めた物語を作ろうと思い立ち、そうして書き上げたのが「源氏物語」なのかもしれないと思う。だから、義理の息子と関係して子供をもうける「母子姦神話」の藤壺中宮、心優しい養母である紫の上、生涯を独身で過ごす朝顔の斎院、男と関係して急死し織物(砧)に関係する馬頭娘的な夕顔、朱雀帝・源氏の両方と堂々と関係を持って「二人の夫を持つ」'''朧月夜'''、若い男性を食い物にしてもてあそぶ源典侍、「太陽の三女神」を彷彿とさせる宇治の大君、中君、浮舟等々。様々なタイプの太陽女神が物語に登場する。 | |
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| − | + | 紫式部よりやや後の世代の女性で「更級日記」の作者である菅原孝標女は少女時代に「源氏物語」に夢中になり、それなりに教養のあった中流貴族の女性だったと思われるが、[[天照大御神]]については他人から「[[天照大御神]]にお祈りするといいですよ。」と勧められるまで、この女神のことを知らなかったという。紫式部の知識の豊富さと比べれば雲泥の感があるのは否めない。これはおそらく彼女たちの家庭環境にも関係があるのだと考える。菅原氏は[[野見宿禰]]の末裔と言われており、[[野見宿禰]]とは賀茂系氏族に関連の深い祖神の一人と考える。とすれば、菅原孝標女は賀茂系氏族の娘で、元々賀茂系氏族の女神ではない[[天照大御神]]のことを身近な人から聞く機会がほどんとなく、家庭内でこの女神のことを知る機会がなかったのだと推察する。 | |
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| − | + | 一方、紫式部は自身が藤原氏であるし、夫も藤原氏だし、後援者であった藤原道長も藤原氏、と藤原氏に囲まれた環境で生きていた。藤原氏は、元々神祇を司っていた中臣氏なので、藤原氏の中に伝わる神々の口伝などに触れる機会が日常生活の中で多く、興味を持ちさえすれば比較的容易に資料を手に入れやすい立場にいたのであろう。というよりも、藤原道長は女性たちの娯楽的な「物語」そのものにはさほど興味がなかったかもしれないけれども、「太陽女神の伝承の集大成のような物語を作りたい」という紫式部の野心に、政治家として、藤原氏の長者としての立場から興味を持ち、後援を買って出てくれたのかもしれない、と思う。彼が協力してくれれば、紫式部は更に様々な資料を色々な家から収集できたはずである。 | |
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| − | + | このような観点から見てみると、源氏物語にはある特徴があるように思う。例えば、源氏の最初の正妻「葵の上」は源氏との夫婦仲も良くなく、六条御息所の生霊に取り憑かれて早世してしまう。平安時代の「'''葵'''」といえば「徳川」ではなくて当然「'''賀茂'''」の紋、である。賀茂の斎院は源氏の従姉妹で、身分的にも妻となるのに申し分ないのだが独身で終わってしまう。(斎院は源氏の近親なので、イメージとしては[[兄妹始祖神話]]なのかもしれないが。)そして'''末摘花'''である。 | |
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| + | 末摘花は皇族の姫なのだが親が早世しており有力な後ろ盾がいない。悪い姫ではないのだが、現実を直視して対応していく生活力は乏しい。(それも育ちの良さ故なのかもしれないが。)そして、顔立ちが美しくなく、鼻が赤くて、「見られるのが恥ずかしい」女性である。実兄と二人で対面しても話をするでもなく二人とも黙ったままである、という「取り替え子」的な性質も持つ。そして防寒用に'''狸'''の毛皮の上着を着ている。狸というのはイヌ科の動物なので、この描写は「'''松尾'''大社」の「尾」のように「犬の尾をつけた女神」のことと思われ、賀茂系氏族の女神である。よく見てみると、賀茂系氏族の女神たちにだけ、やたらと描写と設定が冷たい、と感じるのは私だけではないと思う。どうして賀茂氏系の神だけが冷遇されるのかといえば、末摘花が「取り替え子」で「祟り神(死霊が変化したもの)」であって、その怒りを静めるため、として人身御供を要求されたり、仏教であれば高額のお布施を要求されたり、という神と化していたので、嫌われていたからではないだろうか。末摘花とは松尾大社の女神そのもの、その兄は別雷神のことと考える。 | ||
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| + | おそらく藤原氏の先祖である不比等は、各氏族の伝承を集め、「国家全体の太陽女神」を定める際に、系図を変えてしまったり、記紀神話に盛り込めなかったエピソードがたくさんあったため、いつか記紀神話の内容を修正して、もっと元の太陽女神の系図に近い内容に戻したり、ボツになったエピソードも纏めて形にして表したい、と考えていたのではないだろうか。彼の悲願は息子たちの四兄弟が相次いで早世したため子供の代で果たせなかったが、式家百川から婿であった山部親王(桓武天皇)を経由して、桓武天皇の側近だった北家内麻呂へと受け継がれ、平安時代を通して北家全体の悲願であり続け、道長の時代になって初めて「源氏物語」という形に表すことができるようになったものかもしれないと考える。桓武天皇の時代に『古事記』が「隠された」あるいは『日本書紀』の陰に隠れて「読まれなくなった」、という説があるが、これは桓武天皇も古事記の内容に修正の余地があると考えていたからなのではないだろうか。空海や最澄といった能力のある若者たちを積極的に遣唐使として大陸に送り込んだのも、引き続き「太陽女神」に関する神話・伝承を彼らに収集させる、という目的が暗に含まれていたのかもしれないと想像する。 | ||
== 参考文献 == | == 参考文献 == | ||
| − | * Wikipedia:[https://ja.wikipedia.org/wiki/% | + | * Wikipedia:[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9A%E5%BA%A6%E5%A4%A7%E7%A4%BE 多度大社](最終閲覧日:26-02-09) |
| − | + | * [https://ise-machi.co.jp/2022/03/03/kamijidori/ 神の通うみち「神路通 (かみじどおり)」を歩いてみる]、伊勢町づくり株式会社(最終閲覧日:26-02-09) | |
| − | * | + | * [https://www.kankomie.or.jp/topic/1101 【桑名市多度】「午年」の2026年は「多度大社」へ!白馬伝説が伝わる多度大社の「馬」を徹底紹介!]、観光三重(最終閲覧日:26-02-09) |
| − | + | * [https://note.com/kaigenmade/n/n0368a69d9955 眞名井神社(籠神社奥宮)]、開眼への日々(最終閲覧日:26-02-09) | |
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2026年2月12日 (木) 08:48時点における最新版
日本神話には3柱の「月夜見尊」という男性形の月神がいるように思う。
である。海部氏の月神は、豊受大神との関係が深く、豊受大神が伊勢の外宮に祀られた際にも、外宮の北側に別宮として月夜見宮がもうけられ、月夜見尊(つきよみのみこと)が祭神とされている。月夜見宮(つきよみのみや)と外宮を結ぶ「神路通り(かみじどおり)」の中央は、夜更けに月夜見尊が白馬に姿を変えて外宮へ通う神の道とされ、真ん中を歩くのは避けるのが習わしである。いかにも月夜見尊が豊受大神の夫のように受け取れるが、それを示す神話がない。本項ではこの謎めいた「海部氏の月夜見尊」について述べてみたい。
厳密にいえば、浦嶋子は日下部首の先祖と言われている。しかし、伊勢神宮外宮における月夜見尊と豊受大神の関係からみて、彼らの関係は丹後半島に神々が座していたときから続いているものであり、宇良神社の月讀命と籠神社奥宮・真名井神社の豊受大神との間にも何らかの関係があったと考えるのは自然なのではないだろうか。
目次
一目連[編集]
犬神から豚神へ、更に馬神そして龍神へ[編集]
伊勢神宮と同じ三重県にある多度大社は、名前からして海部氏の神社であり、海部氏とは台湾原住民アミ族タバロン社と神話的に連続性のある氏族と考える。なぜならタバロン社には海の向こうにある女人島から魚に乗って生還したというチマチウチウという青年の話があり、浦島太郎の物語と良く似ているからである。アミ族と海部氏(あまべ)の名前も似ているし、ヒッタイトにアルマという男性形の月神、古代エジプトにクヌムという男性形の月神がいるので、そもそも「アミ」とか「あま」という言葉は「男性形の月神」を指す言葉だったのではないか、と考える。アミ族の神々にはチマチウチウにあるように名前に「T」音がつく場合が多く、多度大社の名も例に漏れないように思う。
そして、中国語で豚のことを上代語で「トン(およそ***dun**(*tən)に近い音)」と呼んでいたので、チマチマチウがそもそも「豚神」であり「月神」だった可能性があるように思う。またこの名の子音を辿ると海部氏の祖神「倭(やまと)直(倭宿祢命)」に類する名と考えるので、台湾のアミ族の伝承にまでさかのぼると、倭直と浦島太郎は同起源のものだったことが分かる。
河姆渡文化の猪紋黒陶鉢はこれは「月神」のことと考える。中国の「桂男」の伝承は、「呉剛伐桂」といって呉剛という男が妻と浮気した相手を殺して、その罰に月に追放され、月の桂の木を切り倒さなければならなくなった、とされる。これは元は、呉剛という男が妻と間男を殺して、罰として呉剛も殺されたので、殺された妻を桂の木、間男を月神とした、という話と考える。そもそも「二人の夫を持つ女神」の神話は母系社会にさかのぼるものと考えられるので、多夫多妻的な結婚生活が当たり前であって、男が自分以外の男と関係を持ったからといって、嫉妬心から妻と相手の男を殺してしまったら、そちらの方が許されざる事態である。
おそらく、呉剛が月の神とされた二人の後を追いかけて月に昇り、木と化した妻神に暴力を振るい続ける、という神話は中国社会で父系が確立する間に付加されたもので、最初から呉剛のエピソードはついておらず、少なくとも河姆渡文化では付加されていなかったと思われる。
河姆渡文化でこの豚型の月神がなんと呼ばれていたのかは定かではないように思うけれども、チマチウチウの名から見て「トン」と呼ばれていたかもしれないと思う。豚神だから、単に「豚」なのである。では、アミとかアマという言葉はどこから来ているのだろうか。それは犬(quǎn)から来ているように思う。台湾の伝承にラオン(おそらく犬の意)という人物が猪に変身して人妻と関係を持ち、その夫に殺されたという伝承がブヌン族にある。ブヌン族とは、彼らの先祖が中国大陸に居た時に、馬家浜文化を担っていた人々と考える。そのため、呉剛の原型である「間男を殺す男」は河姆渡文化の近隣の馬家浜文化では既に登場していると考えるが、河姆渡文化の方では異なる神話が語られていたと思われる。だいたい氏族の祖神として扱われるくらいの犬神なのだから「間男」なんてとんでもなく失礼な言い草であろう。
ともかく、アミ族の中では、彼らの先祖が中国大陸にいた時、河姆渡文化を形成していた時に、「月神」はすでに犬神から豚神に変更されていたと考える。台湾の伝承ではそこで止まってしまっているのだろう。ところで、台湾原住民の先祖が上海付近から海を越えて台湾に去った後、中国では遼河文明で「龍」という存在が誕生した。初期の竜神は「猪龍」といわれるくらい豚や猪に関連した顔をしていた。そして馬のたてがみを持っていたりしたから、「龍」というのは人工的に合成した「架空の動物神」で、主に豚神、馬神、蛇神を一つにまとめて「みな同じ機能を持つ神」としていたものと考える。
伊勢神宮の外宮の月神は「白馬」をトーテムに持つが、もちろん日本で神社等の制度が確立して定まってきたのは古墳時代以降と思われるので、世界全体から見れば比較的新しい信仰体系といえる。そして「龍神」というものが発生した以降の神なので、この「馬神」は「豚神」でも「龍神」でも「同じ意味を持つ」といえるように思う。
多度大社がある「多度山」は、古くから神が鎮まる地とされており、その神の使いである「白馬」が人々に願いを届け、幸せを運ぶという「白馬伝説」が伝えられている。こちらの「白馬」も伊勢神宮の「白馬神」と根本的には「同じもの」で、元は豚神でもあり、龍神であっても「同じ意味」を持つのではないだろうか。すなわち、多度大社で「一目連」と呼ばれ、片目が潰れてしまった龍神とされる神が「白馬神」でもあると考える。なぜ彼が「片目」なのかといえば、河姆渡文化の猪紋黒陶鉢の豚神が「片目」だから、と述べるしかない。豚神の体に描かれた「目」は月に生えているといわれる「桂の木」の目であって、豚神の「目」ではないのだろう。だから、「浮気をした」として殺された女神とその夫(間男)は、月で一体となって、彼らの「2つの目」のうち、一つは男神の目、一つは女神の目とされたのだと考える。
ただし、一目連をそのまま「月神」として良いかというとそうではない。この神は「天候(風)を司る神」とされて風神あるいは天候神の性質が強いからである。
実は雷神[編集]
一目連には「風神」としての性質が強いように思うけれども、伊勢には他に「伊勢津彦」という風神と思われる神の伝承があるので、一目連はむしろ本来の姿は「雷神」であって、その起源が「片目の月神」にあるので、片目なのだと考える。伊勢神宮の白馬が「月神」なら、多度大社の白馬は伊勢の月神から枝分かれした「雷神」ということである。アミ族タバロン社の伝承は、インド神話の神々とかなり近い相関があり、イラン・インド系の神話に「ヴァルナ対デーヴァ」の神話があるように台湾には「プユマ族対タバロン社」の戦いの神話がある。かつて「月神」が犬神であり月神であった時代に、そのまま月神として伝播したのがヒッタイトの月神アルマやエジプトの月神クヌムであると考える。ではインド神話ではどうなのかというと、アルマに相当する神は「インドラ」と考える。インドラは雷神としての性質が強い神である。またアルマ的な神の名は、ハヌマーン、ヘルメース、ヘミッツとなって各地に伝播し、神から人間の氏族・部族の族長まで多彩な姿で現されるようになったのではないだろうか。台湾の伝承ではプユマ族と戦った英雄の名としてテオイツとアラモルグッドという名が見える。またアタヤル族には「ブタ」という英雄の名が見えるので、彼らはそのままインド神話の「ティワズ(シヴァ)」「インドラ」「ヴァーユ」へと変化したと考える。テオイツやアラモルグッドは「空を飛ぶ英雄」とされており、その原型は「月神」でも良いし「風神」でもよいし「雷神」でも良いと考える。河姆渡文化の時代に月神そのものは「アルマ(犬)神」から「トン(豚)神」に変更されてしまったが、元の犬神は「人間の英雄」、「半神半人の英雄先祖」に姿を変えて生き残り、その性質がいくつかに分化して印欧語族の多彩な多神教の男神に変化していったと思われる。
だから日本の海部氏の「月神」は伊勢神宮の「白馬」という姿で残ったものと、もっと性質が変化して天候神のような「一目連(白馬神)」に枝分かれしていったものとに分けられると考える。おそらく、当初多度大社を祀った人達は、一目連と伊勢神宮の「月神」とは起源が同じ神だと知っていたのかもしれない。天から舞い降りてきて人々に幸せを持ってきてくれる、それが海部氏の「月神」だったのではないだろうか。
また多度大社の一目連が仮にインドラだったとして、なぜ雷神ではなく風神的に現されるのかといえば、日本では雷神は「怨霊」であり「祟り神」であるという認識が強いので、悪いイメージを避けるために性質をやや変更させている可能性もあるように思う。また「多度」という名前からいえば、ティワズ(シヴァ)の可能性もある。シヴァの原型はルドラという天候神であると言われている。ティワズ(シヴァ)が神の名だった場合、元々のトーテムは豚神だったと考える。伊勢神宮の月神に合わせて、トーテムを白馬としたのではないだろうか。
女神像の変遷[編集]
それは「桂」で良いのだろうか[編集]
河姆渡文化の「月神」は体内に植物の葉が描かれており、これは後の中国神話でいうところの「月の桂の木」の原型と考える。では、河姆渡文化でも「桂の木」と扱って良いのか、ということになる。
実はヒョウタン[編集]
台湾の伝承に、穀物の起源として以下のような話がある。
昔、二人の兄弟がいて、豚と瓢を所有していた。兄弟が畑仕事をしている間に、父親が豚を殺して食べようとしたが、他人から「それは不吉なことだ。もし無理矢理屠殺するのならば、私がおまえを殺そう。」と脅されて豚を殺すのを止めた。父が瓢に歌うと、瓢から粟・稗などの種が出た。これを子供達に与えて畑に撒かせた。これが粟・稗・豚の起源である[2]。
これは形が崩れているけれども、月に対して穀物の豊穣を願った祭祀の起源譚と考える。豚は月神であり、瓢神は後の中国神話で述べるところの「桂の木」であろう。豚神と瓢神は夫婦神であり、二柱揃って「月神」なのだ。人々が神々に穀物の豊穣を願う際に、神に見立てた動物を殺すのではなく、歌や音曲で神々を慰撫すると、月神たちの子供ともいうべき作物の種を与えてもらえる、という思想のように思う。種だけでなく、穀物がうまく育つように良天候まで求めるようになれば、彼らは単なる「月」を神格化したものではなく、天候神としての性質も併せ持つようになったであろう。
中国神話で「ヒョウタン」といったら伏羲・女媧神話で子供達がその中に潜って大洪水を逃れた、というアイテムである。子供達がそこから出てくる様は、「母の胎内から子供が生まれ出る図」でもある。「ヒョウタンの女神」が「月に生えている桂の木」の原型だとしたら、彼女は「人類の母神」というだけでなく、穀類を生み出してくれる母神でもあるし、穀類の生育にまで関わる神でもあったと思われる。ヒョウタンとは「水をくむひしゃく」のことでもあり、これが「天水」をもたらしてくれる「ひしゃく」のことでもあれば、「北斗のひしゃく」の名の通り、彼女は月神としてだけでなく「北斗の女神」としての性質も持っていたと考えられる。そして、水神でもあるので、例えば火事などで「火の神」が暴走した時には、それを沈静化させる能力もあるとみなされたと考える。
こうして河姆渡文化の「豚と瓢」の一対の月神は単なる「月」にとどまらずその機能が拡張されていき、印欧語族を中心とした様々な多神教の父神・母神としての性質を獲得していったと思われる。穀物の豊穣をもたらしてくれる「豊受大神」とは、河姆渡文化における「月の瓢女神」であり、伏羲・女媧神話の「瓢女神」と根本的には「同じ女神」だったと考える。そして歌いかければ穀物を生み出してくれる「母神」なのだから、ハイヌウェレ型神話にみられる「バラバラにされて食物を生み出す母神」とは異なる性質の女神、と述べるしかない。ココヤシの女神ハイヌゥエレがバラバラにされるのは、呉剛が月で桂の木を際限なくバラバラにし続けている神話と関連すると思われ、呉剛神話の方が、妻をばらして穀物を得る記紀神話の須佐之男・月読命につながると考える。呉剛が妻を惨殺し続けるから人類は穀物を得ることができる、というおぞましい神話である。人々は呉剛が正しく機能するように、彼が満足する餌(生贄や人身御供)を捧げなければならないのだ。人身御供は呉剛の餌でもあり、彼を裏切った妻と間男の「代理人」でもあるのだろう。人々が呉剛と共に人身御供を供食し、呉剛に忠誠を示さねば、呉剛の怨霊は満足して鎮まってくれない、と考えられたと思われる。
一方歌や音曲に特に独特の霊的作用があり、神々や異類に訴えかけたり、交流することができる、とする思想も広く広まっている。男女が歌を交わす歌垣の思想、インドのラーマ王子、民話ウサギ番の若者が笛の名手であったり、その音曲の才能で動物や神々に訴えかけることができるとされたギリシア神話のオルフェウスの思想などである。日本でも古来より「和歌」には特別な霊力があると考えられており、例えば目上の人とか普段本音で話をすることが軽々しくできない立場の人が相手であっても、自らの思いや考えを和歌に託して訴えかけることは許される、と考えられていた。
馬の女神[編集]
西欧では「植物の母神」というものはあまり例がないように思う。ギリシア神話にアポローンに追いかけられて月桂樹と化してしまうダプネーの神話があるが、類似した名でも豊穣神として名高いのはデーメーテールの方である。デーメーテール女神のトーテムには「馬」があり、馬神としてはポセイドーンと対になる女神である。ただし、ポセイドーンから無理矢理関係を迫られた、と神話にあり、いわゆる「夫婦仲」は良くない。中国神話風に言えば、夫を気取る呉剛に暴力を振るわれ続ける「桂女神」の方がデーメーテールの原型と考える。しかし、ともかくデーメーテール女神の方は植物神ではなく、馬型あるいは人型として動き回る女神である。デーメーテールとポセイドーンの関係はローマ神話ではディアーヌとヒッポリュトスに移行すると思われる。デーメーテールもディアーヌも「女神の聖所とされる森の主人」とされる点は、彼女たちが植物神だった名残と考える。ヒッポリュトスは「殺されてしまう神」なので、呉剛ではなく、呉剛に殺されてしまう「間男」の側の神と考える。台湾の伝承でいう「豚を屠殺してはならない」とは、この「(殺された)月の父神を殺してはならない」という意味でもあるし、「彼(の代理人)を殺すことで豊穣を得られるという神話を許容してはならない」という意味でもあると考える。そして、これは広く「人身御供」の禁止にも通じる。ということは、呉剛的な「妻に暴力を振るう神」を採用しているギリシア神話や、代が変わるたびに先代のヒッポリュトスの生命を求めるネミの森の祭祀は「間違っている」と感じられるのだが、ともかく西欧では、古く河姆渡文化ではヒョウタンだった「月の母神」が、権威ある「太母」として馬型で現されることが多いように感じる。夫のトーテムがまず豚神から馬神に変更され、それが妻神にも作用して、彼女自身が馬神に変化し、自律した神として動き出すようになったのだ。
そして、伊勢神宮の月神、多度大社の神のトーテムが「馬」とされた点は、西欧の神話の影響がもしかしたらあるかもしれないと考える。記紀神話を成立させる際には、各氏族は自らの家伝と家系図を朝廷に提出しなければならなかったし、「何が自分たちの正しい神話なのか」という点を、広く各国の神話を収集して研究したのではないか、と想像する。そこで、日本の伝承の中には、明らかにイラン系であったり、ケルト系であったり、ゲルマン系であったりする伝承が入り交じることになったのだろう。古代の海部氏は、自分たちの神はいわゆる「デーヴァ」であって、「T」音を多用する神の名を持っている人々は、どんなに遠く離れた場所に住まう人達であっても、遠い「同族」であると割と認識していて、各国の神話の収集を積極的に行っていた時期があるのではないか、と思う。そこで、西欧の「植物神でもあり馬神でもある月の女神」とは「自分たちの月の瓢女神」だと理解しており、共通性を持たせるために「月神」のトーテムを「馬」と定めたのではないか、と思う。ということで、豊受大神のことを「馬の女神」とは言わないけれども、夫の方を馬神とし、豊受大神が「殺されない女神」として、その性質を定める際にはディアーヌ、デーメーテール、そして「馬の母」として有名なエポナなどが大きく参考にされたのではないか、と考える。東アジアでは馬神は分かる人には龍神に簡単に変換可能な神だったので、問題ないと考えられたのだろう。
消された系図[編集]
月夜見尊と豊受大神が海部氏の祖神であれば、系図はどのようになるのだろうか。右図のように再現し、記紀神話等と比較してみた。海部氏の祖神とされる天火明命は社会の父系化に合わせて男神化したもので、元は天道日女命から分かれたものと考える。母系社会的に見れば、天道日女命が祖神なのであって、彼女が「太陽女神」であり、その両親とされるのが月夜見尊と豊受大神だったのだと考える。天道日女命は開拓神でもあり「養母としての女神」である。一方の豊受大神は本質的には「燃やされた女神」で植物神なのだけれども、西方の太母女神たちに合わせて、不死化させたものと考える。だから、天火明命は太陽女神を男性化した男性の太陽神でも良いし、父神と性質をそろえて月神でも良いし、むしろどちらともとれるような神に整えられている感がする。
一方、記紀神話では太陽女神の両親は伊邪那岐命・伊邪那美命である。伊邪那美命が豊受大神とほぼ同じ女神と考える。ただし、生まれたばかりの息子神を惨殺したり、妻を冥界に捨てて自分だけよみがえる伊邪那岐命は月夜見尊とは異なる神だし、月神ともされていない。伊邪那岐命は中国神話における「呉剛」に相当する神であって、中国では後に「黄帝」と呼ばれる神になるように思う。そして伊邪那岐命の息子神とされる須佐之男は、中国神話の少昊に相当する。中国神話における少昊は古代の帝王の一人とはされているけれども、父・黄帝の方が炎帝との戦い、蚩尤との戦いを勝ち抜いた強力な英雄とされているように思う。一方日本神話では、須佐之男は地上に追放されたとはいえ、現在でも八坂・津島を始めとして各地で祀られているし、父伊邪那岐命よりも強力な神とされているように思う。
ともかく、単純に言うと「親神」として見たときに、海部氏の月の父親神は河姆渡文化に由来し、後の中国神話で「間男」とされてしまった「伯陵」なのであり、台湾の伝承で「人妻と関係した豚神」として殺されてしまった神なのである。彼の本来の祭祀は人身御供を禁止するものであった。一方、記紀神話の父親神・伊邪那岐命は暴力的で妻神に対して薄情なところがあり、こちらの原型は「間男と妻を惨殺した呉剛」と考えられる。賀茂氏系の神話と比較すると、伊邪那岐命と須佐之男の関係は、賀茂建角身命と別雷神に相当すると考える。賀茂氏の伝承では別雷神の父として他氏族の者と思われる「火雷神」が設定されているが、これが「伯陵」のことを指すのだろう。別雷神の母とされる玉依姫は別名を「葛媛」といったとも考えられ、太陽女神ではなく最初から月女神だったと考える。賀茂氏系の氏族と、海部氏ではいわゆる「祖母女神」はどちらも共通した同じ女神なのだけれども、台湾の伝承に「豚(呉剛)と犬(伯陵)の夫を持つ女神」があるように、子孫は互いに近縁であるにもかかわらず、どちらを父にする神話を持つかで非常に争いせめぎ合っていたのだ。それは「祭祀における人身御供を許容するか否か」において争うのと同じことになっていたから、単純に生物学的な父の争いにとどまらず、宗教的な思想と信念をかけた対立ともいえた。
そこで、記紀神話は対立する賀茂系氏族の神話と海部氏系氏族の神話の折衷をとり、太陽女神が広く信仰されていたことから、直接の皇祖神としては天照大御神(太陽女神)を採用したけれども、その両親神については、賀茂系の神話を採用し呉剛的な神を「伊邪那岐命」として定めたものと考える。賀茂氏系は「母神」であり「月女神」であった「葛媛」を「玉依姫」と改め、「月の女神が直接の祖神である。」という神話を放棄したものと思われる。一方の海部氏も「月女神」であった豊受大神を豊穣神に改め、結果として「月の神」は「男性形の月読命とする」と纏めたのだと考える。天照大御神を「総母神」とする代わりに、どちらの側も「月女神」を放棄したのだろう。ただし、賀茂氏系の側で「月神」を呉剛的な神に寄せようと画策する動きがあったので、その点でまた対立が生じることを恐れて、記紀神話における「月読命」はうっすらと須佐之男的な神話があるだけの名のみの神に留められることになったのだろう。そして、記紀神話に定められた以外の「月神」は男神も女神もおおむね各氏族の系図から削除されてしまったと思われるが、伊勢においては正史として書かれた言葉ではなく、神社の配置と口伝に本来の海部氏の伝承を残したものと考える。だから、記紀神話の月読命は、似てはいるのだけれども、海部氏の月夜見尊とは異なる神なのである。
そして、結局「記紀神話」を纏めた目的とは、ということになる。古代において日本の各氏族は、それぞれ独自に太陽神と月神を祖神に持つ神話を持っており、それが海部氏系の神話と賀茂氏系の神話とに、大きく分けて2系統に分かれていたのだろう。彼らは互いに似通った神話も持っているのに、祭祀に対する考え方が全く異なるので、そこから来る争いを避けるために、各氏族の「太陽神」「月神」そして賀茂氏系の氏族の外せない祖神・須佐之男を一つにまとめ、「皇祖神」という扱いにして統一した神話を残すと共に、各氏族特有の太陽神、月神、須佐之男を別の名前、別の性質の神などに変更させて残すことだったのではないか、と考える。要は各氏族が独自に太陽神と月神を祖神として祀ることを禁止したのだ。そうしないと、海部氏系の神話と賀茂氏系の神話の対立からくる政情不安がいつでも引き起こされる可能性があったからだと考える。
そして、伊勢神宮とは内宮に娘・天照大御神、外宮に母・豊受大神と父・月夜見尊を祀った、まさに「海部氏的」な世界観で神々が配置された記紀神話とは異なる神社といえると考える。海部氏は氏族の神話の消滅の危機に際して、伊勢に「神話の形」を残すことで対抗したのではないだろうか。だから、伊勢神宮の参道の石灯籠には海部氏の豊受大神の紋である「籠目紋」が刻まれているのだと考える。暗にそこに祀られているのは「海部氏の神」であると示唆しているのである。
またこのようなことが可能となった背景には、記紀神話の編纂に関わった政府の中枢、すなわち天武天皇、持統天皇、高市皇子、藤原不比等といった人々が、伊勢神宮の体制を整える際に、海部氏に非公式に強力にてこ入れした、ということがあったのではないかと考える。天照大御神を皇祖神として採用した人々は、本音では海部氏の神話を残すべき、人身御供を求める神話は可能な限り抑制すべきと望んでいたのではないだろうか。
余談・籠神社と真名井神社[編集]
真名井神社[編集]
祭神である豊受大神が「留守中」の社であり、丹後の籠神社の奥の宮とされる。こちらの「籠目紋」がユダヤの「ダビデの星」に由来するのではないか、と一時期「日ユ同祖論」で話題になったことがあるように思う。この神社の別名に「天𠮷葛宮」とあり、「葛」とは古代の日本で「桂」のことを指すので「天の桂」とは完全に「月」のことといえる。また眞名井原縁起に「ここ眞名井原は、天上において、日の神天照大神と、月の神豊受大神が、密かに結ばれた契りを尊くもこの地上において化現された霊跡である。」とあるそうで、豊受大神は「月の女神」とされているので、「月の桂の木」が豊受大神のことでもあるとかなり分かりやすく明確にされているように思う。「密かに結ばれた契り」とは「母娘の契り」ということを指すのではないか、と思う。一応記紀神話との整合性を考えて、こちらの母子関係は「密かに隠している」ものと考える。
籠神社[編集]
籠神社の名前の由来は、祭神である彦火明命が竹で編んだ籠船に乗って、海神の宮に行ったという故事による、とのことだが、これは一種の浦島譚なので、海部氏の神話には、彦火明命、倭直、浦嶋子と3人の「浦島太郎」がいるように感じられる。でも、この海洋民族的な神話は、いわゆる「洪水神話」の変形であって、起源はミャオ族のバロンとダロンがカボチャの中に入って、洪水を逃れた、という話に由来するように思う。「竹」とは大渓文化で庶民階級を示すトーテムのように思うので、「竹籠」とは「桂の女神」である豊受大神の別の姿であり、「彦火明命(と妻である天道日女命)の母神」のトーテムでもあると考える。彼らは「洪水神話」の神々だから、そう語られていなくても兄妹始祖神話の神々といえるのだ。別にこんな差別的なトーテムを律儀に維持せずとも、西洋の同族が述べるように「天道日女命はカボチャの馬車に乗って幸せな結婚をした」という話を残せたら良かったのに、と思う。籠神社の由来譚は、シンデレラ(ダヌ女神が変化した名と考える)まで含めて広く類話が世界各地に見られる、といえる古い神話である。そして「籠目紋」とは母神である豊受大神そのものと考える。籠神社の「籠」とはシンデレラにおける「カボチャの馬車」と神話的意味が同じといえよう。
カゴメカゴメ[編集]
というのは籠神社では、「神社の歌」と考えられる向きがあるようである。古くは、元々この歌には鶴のみで亀は登場していなかったようである。「籠の中の鳥」とは「カゴメ」の呼び方にあるように女神であって、彦火明命ではなくて、妻神の天道日女命(ダヌ女神)のことを指すと考える。彼女はいつ生まれることができるのだろうか。母なる豊受が「月の桂の木」であるならば、彼女は木を切り倒そうとする呉剛を手伝おうとするその子供達に見張られているのではないだろうか。その呉剛の子供達が「鶴」である。少なくとも西欧の「船乗りの柱」を見ると、そのように思える。だから、その鶴が滑って転んで隙ができた隙に、天道日女命は母の胎内を飛び出して逃げ出せば良いのではないだろうか。後ろから追ってくる「鶴」と「呉剛」、すなわち伏羲あるいは黄帝あるいは須佐之男にご用心を、という歌だと、私ならそう解釈する。
ただ、籠神社には「いついつ出やる」とは「本当の事を言って良いのは何時になるだろう。」という意味だという解釈があられるのかな、と思う。だいたいそもそも、豊受大神はヒョウタンとかカボチャとか桂とか竹とか、植物で現される女神であって、その起源も大渓文化にさかのぼる、いわば「気合いの入った植物神」である。5000年以上も「植物神」としか扱われてこなかった母神が、いかに好意的な子孫である海部氏の中であっても、急に人間的に自立して、伊勢にて天照大御神にお仕えする女神へと変貌するのは、変化が急すぎるし、「ビフォーアフター」の姿に差がありすぎるので、絶対に外部の強力な神話の影響を受けて変貌したと考える。そしてそのネタ元は中国のメジャーな女神ではない、と考える。一番メジャーな女神西王母は、下位の仙女たちを厳しく監督する女神で、優しい母親ではなく、厳しい姑みたいな女神だからである。
だから、豊受大神と天照大御神の関係は「何時になるだろう。」とか言っていないで、素直に「ギリシア神話のデーメーテールとペルセポネ-」を参考にした、と。なぜなら他に似たような類例のメジャーな神話が見当たらないから。と、そうおっしゃられても良いのではないかと思う。デーメーテール女神の名を聞けば、彼女は広く「ダヌ女神」の一柱で、母なる豊受大神あるいは娘の天道日女命のどちらかだと分かったはず。そうして娘に尽くして支える母女神の姿は、文芸的には源氏物語の六条御息所などにも影響を与えたと考える。最初の夫とは死別し、後の恋人源氏との仲は必ずしも良好とはいえず、不遇のまま亡くなってしまった六条御息所のモデルは、「桂の木」の女神である豊受大神なのではないだろうか。
源氏物語[編集]
源氏物語でもう一つ特徴的な母娘関係が目立つのは源氏の妻の一人である明石の上と娘の明石の中宮の物語である。身分の低い明石の上は、愛娘の将来が安定したものになることを願って、娘を手放し、源氏の正妻である紫の上の養女に差し出す。紫の上の生い立ちも複雑ではあるのだが、皇族の血を引き実父が兵部卿宮である紫の上は、葵の上亡き後は、源氏の妻たちの中で一番身分が高い女性だったのだ。大切に育てられた明石の姫君はやがて東宮妃として入内するのだが、実母の明石の上は女房(召使い)として娘に仕えることにし、その時点で初めて成長した娘と再会することができたのだ。そして再会してからもすぐに母娘の名乗りを上げることはできなかった。やがて明石の姫君は男子を産み、将来の国母としての地位を固めていき、明石の上は母と名乗ることができるようになって、その後も東宮妃の側近として宮中の人間関係を乗り切っていくことになるのだけれども、「身分の低い母親が、身分の高い娘を支える」という構図は六条御息所と秋好中宮の関係に似ているように思う。かつての東宮妃だった六条御息所は高位貴族の令嬢だけれども、娘の秋好中宮は皇族なので、身分的には臣下である母親よりも高い存在である。
ということで、伊勢の斎宮として下向する秋好中宮に付き添って支える六条御息所を、天照大御神(事実上の天道日女命)に付き添って支える豊受大神になぞらえているのだとすれば、明石の上は、さしずめ、「母親であることを隠して娘に仕える豊受大神」ということなのだと思う。
もしかしたら、紫式部は物語のネタを得るために色々な文献を調べているうちに、「太陽女神」と思われる女性の伝承をいくつか見つけて、それらをまるで「太陽女神のカタログ」のようにして集めた物語を作ろうと思い立ち、そうして書き上げたのが「源氏物語」なのかもしれないと思う。だから、義理の息子と関係して子供をもうける「母子姦神話」の藤壺中宮、心優しい養母である紫の上、生涯を独身で過ごす朝顔の斎院、男と関係して急死し織物(砧)に関係する馬頭娘的な夕顔、朱雀帝・源氏の両方と堂々と関係を持って「二人の夫を持つ」朧月夜、若い男性を食い物にしてもてあそぶ源典侍、「太陽の三女神」を彷彿とさせる宇治の大君、中君、浮舟等々。様々なタイプの太陽女神が物語に登場する。
紫式部よりやや後の世代の女性で「更級日記」の作者である菅原孝標女は少女時代に「源氏物語」に夢中になり、それなりに教養のあった中流貴族の女性だったと思われるが、天照大御神については他人から「天照大御神にお祈りするといいですよ。」と勧められるまで、この女神のことを知らなかったという。紫式部の知識の豊富さと比べれば雲泥の感があるのは否めない。これはおそらく彼女たちの家庭環境にも関係があるのだと考える。菅原氏は野見宿禰の末裔と言われており、野見宿禰とは賀茂系氏族に関連の深い祖神の一人と考える。とすれば、菅原孝標女は賀茂系氏族の娘で、元々賀茂系氏族の女神ではない天照大御神のことを身近な人から聞く機会がほどんとなく、家庭内でこの女神のことを知る機会がなかったのだと推察する。
一方、紫式部は自身が藤原氏であるし、夫も藤原氏だし、後援者であった藤原道長も藤原氏、と藤原氏に囲まれた環境で生きていた。藤原氏は、元々神祇を司っていた中臣氏なので、藤原氏の中に伝わる神々の口伝などに触れる機会が日常生活の中で多く、興味を持ちさえすれば比較的容易に資料を手に入れやすい立場にいたのであろう。というよりも、藤原道長は女性たちの娯楽的な「物語」そのものにはさほど興味がなかったかもしれないけれども、「太陽女神の伝承の集大成のような物語を作りたい」という紫式部の野心に、政治家として、藤原氏の長者としての立場から興味を持ち、後援を買って出てくれたのかもしれない、と思う。彼が協力してくれれば、紫式部は更に様々な資料を色々な家から収集できたはずである。
このような観点から見てみると、源氏物語にはある特徴があるように思う。例えば、源氏の最初の正妻「葵の上」は源氏との夫婦仲も良くなく、六条御息所の生霊に取り憑かれて早世してしまう。平安時代の「葵」といえば「徳川」ではなくて当然「賀茂」の紋、である。賀茂の斎院は源氏の従姉妹で、身分的にも妻となるのに申し分ないのだが独身で終わってしまう。(斎院は源氏の近親なので、イメージとしては兄妹始祖神話なのかもしれないが。)そして末摘花である。
末摘花は皇族の姫なのだが親が早世しており有力な後ろ盾がいない。悪い姫ではないのだが、現実を直視して対応していく生活力は乏しい。(それも育ちの良さ故なのかもしれないが。)そして、顔立ちが美しくなく、鼻が赤くて、「見られるのが恥ずかしい」女性である。実兄と二人で対面しても話をするでもなく二人とも黙ったままである、という「取り替え子」的な性質も持つ。そして防寒用に狸の毛皮の上着を着ている。狸というのはイヌ科の動物なので、この描写は「松尾大社」の「尾」のように「犬の尾をつけた女神」のことと思われ、賀茂系氏族の女神である。よく見てみると、賀茂系氏族の女神たちにだけ、やたらと描写と設定が冷たい、と感じるのは私だけではないと思う。どうして賀茂氏系の神だけが冷遇されるのかといえば、末摘花が「取り替え子」で「祟り神(死霊が変化したもの)」であって、その怒りを静めるため、として人身御供を要求されたり、仏教であれば高額のお布施を要求されたり、という神と化していたので、嫌われていたからではないだろうか。末摘花とは松尾大社の女神そのもの、その兄は別雷神のことと考える。
おそらく藤原氏の先祖である不比等は、各氏族の伝承を集め、「国家全体の太陽女神」を定める際に、系図を変えてしまったり、記紀神話に盛り込めなかったエピソードがたくさんあったため、いつか記紀神話の内容を修正して、もっと元の太陽女神の系図に近い内容に戻したり、ボツになったエピソードも纏めて形にして表したい、と考えていたのではないだろうか。彼の悲願は息子たちの四兄弟が相次いで早世したため子供の代で果たせなかったが、式家百川から婿であった山部親王(桓武天皇)を経由して、桓武天皇の側近だった北家内麻呂へと受け継がれ、平安時代を通して北家全体の悲願であり続け、道長の時代になって初めて「源氏物語」という形に表すことができるようになったものかもしれないと考える。桓武天皇の時代に『古事記』が「隠された」あるいは『日本書紀』の陰に隠れて「読まれなくなった」、という説があるが、これは桓武天皇も古事記の内容に修正の余地があると考えていたからなのではないだろうか。空海や最澄といった能力のある若者たちを積極的に遣唐使として大陸に送り込んだのも、引き続き「太陽女神」に関する神話・伝承を彼らに収集させる、という目的が暗に含まれていたのかもしれないと想像する。
参考文献[編集]
- Wikipedia:多度大社(最終閲覧日:26-02-09)
- 神の通うみち「神路通 (かみじどおり)」を歩いてみる、伊勢町づくり株式会社(最終閲覧日:26-02-09)
- 【桑名市多度】「午年」の2026年は「多度大社」へ!白馬伝説が伝わる多度大社の「馬」を徹底紹介!、観光三重(最終閲覧日:26-02-09)
- 眞名井神社(籠神社奥宮)、開眼への日々(最終閲覧日:26-02-09)