「好美女」の版間の差分
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この船を山の峯に備え、船の中に抜提河の水を湛え、劫火(世の終末)の炎を此の水で消す、と姫は誓った。<br/>笹岡山にそこに住むうちに、母御前の住む日光山へ通う諏訪大明神と知り合い、姫は夫婦となった。諏訪大明神の正妻である諏訪の下宮の女神が、此れに腹を立てたので、諏訪大明神は上野国十四郡の内の、笹岡甘楽郡尾崎郷出山成に社を建て、好美女(姫)を住まわせた。供の美女の一人は、船を守るために笹岡山に留まり、荒船明神と成った。そして、好且、美好二人の末裔が大明神の神官として上野国一之宮を守っている。抜鉾明神の本地仏は弥勒菩薩で、後に世に出て人々を救ってくださるとされている。<br/><br/> | この船を山の峯に備え、船の中に抜提河の水を湛え、劫火(世の終末)の炎を此の水で消す、と姫は誓った。<br/>笹岡山にそこに住むうちに、母御前の住む日光山へ通う諏訪大明神と知り合い、姫は夫婦となった。諏訪大明神の正妻である諏訪の下宮の女神が、此れに腹を立てたので、諏訪大明神は上野国十四郡の内の、笹岡甘楽郡尾崎郷出山成に社を建て、好美女(姫)を住まわせた。供の美女の一人は、船を守るために笹岡山に留まり、荒船明神と成った。そして、好且、美好二人の末裔が大明神の神官として上野国一之宮を守っている。抜鉾明神の本地仏は弥勒菩薩で、後に世に出て人々を救ってくださるとされている。<br/><br/> | ||
なお上野國は、赤城大明神が一之宮だったが、赤城は二之宮と成り、他国の神である抜鉾大明神が一之宮と成った。これは、赤城大明神が絹の機織りをするうちに、生糸が足りなくなってしまい、 | なお上野國は、赤城大明神が一之宮だったが、赤城は二之宮と成り、他国の神である抜鉾大明神が一之宮と成った。これは、赤城大明神が絹の機織りをするうちに、生糸が足りなくなってしまい、 | ||
| − | 思い悩んで「狗留吠國の好美女は財(宝)の神なので、生糸をお持ちであろう」と「貸して頂けないか」と頼んだ。すると、好美女は快く承諾し、赤城大明神は、たいそう喜ばれて絹を織り終えることができた。「これ程に豊かな財(宝)の神を他の國に移らせてはならない」と、赤城大明神は一位の座を好美女に譲り、当國に末永く留まり頂くために、二位の座についた。好美女は鉾を引き抜いて、脇に挟み抜提河より此の國に飛んで来たので、抜鉾大明神と云い、今なお上野國一之宮として崇め奉られている。(巻第七 三十六 上野国一之宮事)<blockquote> | + | 思い悩んで「狗留吠國の好美女は財(宝)の神なので、生糸をお持ちであろう」と「貸して頂けないか」と頼んだ。すると、好美女は快く承諾し、赤城大明神は、たいそう喜ばれて絹を織り終えることができた。「これ程に豊かな財(宝)の神を他の國に移らせてはならない」と、赤城大明神は一位の座を好美女に譲り、当國に末永く留まり頂くために、二位の座についた。好美女は鉾を引き抜いて、脇に挟み抜提河より此の國に飛んで来たので、抜鉾大明神と云い、今なお上野國一之宮として崇め奉られている。(巻第七 三十六 上野国一之宮事)</blockquote> |
=== 私的解説 === | === 私的解説 === | ||
| + | 色々な要素が含まれているが、その一つに「泰山信仰」があるように思う。三人の女神が習合的である点。一之宮の地位を交換している点に、泰山玉女の神話との類似性がみられる。 | ||
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| + | '''倶那羅'''(くなら)太子と'''狗留吠'''(くるばい)王はほとんど「同じもの」であって、'''倶那羅'''(くなら)太子は中国プーラン族の神・[[グミヤー]]、'''狗留吠'''(くるばい)王は伊にトーテムの[[伏羲]]のことと考える。姫の父親が王に殺されてしまう点は、ギリシア神話の[[オーリーオーン]]がオイノピオーン王を殺そうとした点と類似するように思う。 | ||
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| + | '''鉾'''を持つ女神はサソリトーテムの女神で、'''鉾'''は「サソリの毒針」が変化したものと考える。好美女の場合は、「[[吊された女神]]」としての要素はほぼなく、「[[養母としての女神]]」である。やや欠落的だが、おそらくこの神話での狗留吠王・倶那羅太子には荒ぶる「火の神」としての性質があり、好美女とその船にはそれを鎮める力がある、と述べたいのであろう。彼女が日本に来る際に乗ってきた船は、伏羲・女媧神話の「[[ヒョウタン]]」に類するもので、暗に好美女の「母女神」を示していると考える。 | ||
== 参考文献 == | == 参考文献 == | ||
2026年2月26日 (木) 14:39時点における版
好美女(こうびじょ)とは、神道集における上野国一之宮の抜鉾大明神のことである。
概要
上野国一之宮の抜鉾大明神は、ある伝えによれば、阿育大王の姫君で倶那羅(くなら)太子の妹君にあたる御方と云う。姫は南天竺狗留吠(くるばい)国に生まれた。そこに玉芳大臣という一人の長者がいた。長者には5人の娘がいて、4人はそれぞれ国王の御后になり、末娘の好美女だけが嫁がずにいた。好美女は国内に並ぶもののない美女で、隣国の国王の后に決まっていたが、この話を聞いた狗留吠國の国王が「美しき姫を他国へ出しては成らぬ。」と、姫を后にしようとした。姫の父が王の申し出を断わると、狗留吠王は怒り、長者を殺してしまった。後、再び姫を后に迎えようとしたが「親の仇を夫にすることは出来ぬ。」と姫は断った。
姫は、此の国にいると嫌な思いをすると、抜提河という河に鉾を立て、その上に敷物を敷いて住んだ。大王が「その河も王の領地である。」と云うと、姫は、鉾を引き抜き、この二人の美女を供として、天の早船に乗り信濃の國と上野の國の堺にある笹岡山に辿り着いた。
この船を山の峯に備え、船の中に抜提河の水を湛え、劫火(世の終末)の炎を此の水で消す、と姫は誓った。
笹岡山にそこに住むうちに、母御前の住む日光山へ通う諏訪大明神と知り合い、姫は夫婦となった。諏訪大明神の正妻である諏訪の下宮の女神が、此れに腹を立てたので、諏訪大明神は上野国十四郡の内の、笹岡甘楽郡尾崎郷出山成に社を建て、好美女(姫)を住まわせた。供の美女の一人は、船を守るために笹岡山に留まり、荒船明神と成った。そして、好且、美好二人の末裔が大明神の神官として上野国一之宮を守っている。抜鉾明神の本地仏は弥勒菩薩で、後に世に出て人々を救ってくださるとされている。
なお上野國は、赤城大明神が一之宮だったが、赤城は二之宮と成り、他国の神である抜鉾大明神が一之宮と成った。これは、赤城大明神が絹の機織りをするうちに、生糸が足りなくなってしまい、思い悩んで「狗留吠國の好美女は財(宝)の神なので、生糸をお持ちであろう」と「貸して頂けないか」と頼んだ。すると、好美女は快く承諾し、赤城大明神は、たいそう喜ばれて絹を織り終えることができた。「これ程に豊かな財(宝)の神を他の國に移らせてはならない」と、赤城大明神は一位の座を好美女に譲り、当國に末永く留まり頂くために、二位の座についた。好美女は鉾を引き抜いて、脇に挟み抜提河より此の國に飛んで来たので、抜鉾大明神と云い、今なお上野國一之宮として崇め奉られている。(巻第七 三十六 上野国一之宮事)
私的解説
色々な要素が含まれているが、その一つに「泰山信仰」があるように思う。三人の女神が習合的である点。一之宮の地位を交換している点に、泰山玉女の神話との類似性がみられる。
倶那羅(くなら)太子と狗留吠(くるばい)王はほとんど「同じもの」であって、倶那羅(くなら)太子は中国プーラン族の神・グミヤー、狗留吠(くるばい)王は伊にトーテムの伏羲のことと考える。姫の父親が王に殺されてしまう点は、ギリシア神話のオーリーオーンがオイノピオーン王を殺そうとした点と類似するように思う。
鉾を持つ女神はサソリトーテムの女神で、鉾は「サソリの毒針」が変化したものと考える。好美女の場合は、「吊された女神」としての要素はほぼなく、「養母としての女神」である。やや欠落的だが、おそらくこの神話での狗留吠王・倶那羅太子には荒ぶる「火の神」としての性質があり、好美女とその船にはそれを鎮める力がある、と述べたいのであろう。彼女が日本に来る際に乗ってきた船は、伏羲・女媧神話の「ヒョウタン」に類するもので、暗に好美女の「母女神」を示していると考える。
参考文献
- 赤城神社 伝説、赤城大明神と上野国の神々「神道集」(最終閲覧日26-02-26)