天照大御神

提供: Bellis Wiki3
2026年1月1日 (木) 06:18時点におけるBellis (トーク | 投稿記録)による版 (→‎私的解説)
ナビゲーションに移動 検索に移動

天照大神(あまてらすおおみかみ、あまてらすおおかみ)または天照大御神(あまてらすおおみかみ)は、日本神話に主神として登場する神。女神と解釈され、高天原を統べる主宰神で、皇祖神とされる。『記紀』においては、太陽女神の性格と巫女の性格を併せ持つ存在として描かれている。神武天皇は来孫。

太陽神、農耕神機織神など多様な神格を持つ。天岩戸の神隠れで有名な神で、神社としては三重県伊勢市にある伊勢神宮内宮が特に有名[1]

私的解説

天照大御神の起源として、一番新しいものは西王母女媧などと考える。これは太陽女神がどうのということではなく、「皇祖神」としての天照大御神を形作るために、モデルとする「権威ある女神」が必要とされたからと考える。端的に述べて、皇祖神たる女神が、その辺の女神のように犬に追いかけられて転んで怪我をして芋になっていたりしたら天皇家の権威が丸つぶれだからである[私注 1]。そのため、この女神は「死なない権威ある女神」とされたので私の分類からいえばほぼ「養母としての女神」となる。岩戸に隠れる点など、部分的には燃やされた女神の要素も混じっている。

日本神話では天照大御神が「偉大な権威ある女神」とされている分、その母とされる伊邪那美命に「燃やされた女神」と「吊された女神」の要素が詰め込まれている。

古オーストロネシア語族起源

ここで述べる「古オーストロネシア語族」とは、紀元前5000年頃にオーストロネシア語族の先祖が、豚を連れて中国大陸から太平洋へと出奔したよりも前の「オーストロネシア語族」を指す。台湾や東南アジアに展開した後に、彼らは女神が芋に化生する神話を作り出し、それが日本列島にも里芋などの伝来と同時に到達したと思われるが、彼らが中国大陸を離れた後に作り出した神話と混同したくないのでこのように定義する。台湾の神話・伝承はこれに属し、良渚文化のごく初期のものと被る神話と考える。長江流域にあった稲作文化の古い神話が残されているはずである。

太陽が女神である点。女神が殺されて、穀物に変じる点はここに入ると考える。また日本の神話は阿蘇比咩命、阿蘇神のように同じ性質の神が男女で並立している礼が多い。日本神話では、特に記紀神話では一見して太陽神は天照大御神(と稚日女尊)のみのように見えるが、民間伝承レベルでは男女の太陽神がいてもおかしくなかったのではないか、と思う。そこから天照大御神の男神説や、「男装して戦う天照大御神」の神話が生まれた可能性があるように思う。太陽神・月神などが「鳥神」として表される点もここに入る。

ツングース系・遼河文明起源

中国東北部で栄えた遼河文明は、ツングース系をはじめ、周辺の諸民族に大きな影響を与えたと思うので、古代日本も例外ではないと考える。阿加流比売神の日光感性伝承が代表的なものといえる。また、遼河文明では女性形の太陽女神が存在しており、また男性形の太陽女神が並立していたかどうかは定かでないが存在していた。朝鮮の伝承に、太陽の兄が妹の月に太陽の地位を譲った、という話があるので、遼河文明の太陽女神と太陽神は並立していたかもしれないし、朝鮮の伝承のように「太陽と月」を示していて互いに入れ替わるものと考えられていたかもしれない、と思う。日本の「太陽女神」は直接は遼河文明から波及してもたらされたものと考える。

ただし、遼河文明は「父系文化のゆりかご」ともいえる良渚文化から、特に父兄文化思想の影響を受けているから、これらも間接的ではあるが長江文明由来といえる。遼河文明では、後の専制君主制に通じるような上下関係の明確な神々の序列が形成されているように思う。それに対して、遼河文明の特徴は、太陽女神と男性の太陽神が並立していたり、太陽女神が「太陽」の地位を失ったあとも「死後の再生の女神」等としての地位を得て尊重されていた、と感じる点である。最終的に父系に移行したとしても、人々は女神の地位を低下させず、高位のままでいられるように工夫を凝らしていた。それが西方に波及して、ギリシア、ローマ神話のように、社会的には父系で女性の地位が低く抑えられていても、神々の中には強力な力を持つ女神がいる、という神話を形成しているように感じる。この思想が中原の西王母形成にも影響を与えたと考える。

だから、古い長江文明では「太陽女神が行った」、とされることが、遼河文明では「太陽女神ではない高位の女神が行った」と変更される傾向が強かったのではないか。例えば、台湾の神話では、「太陽が直接赤い玉(卵)」を生む、という話があるが、これが遼河文明では「日光に感じた女神が赤い玉(卵)」を生む、というように太陽神を男性に変えた形に変更されている。ただし、太陽としての性質を失った女神も、母女神としての高い地位を保ってはいるのである。

神話の二重構造

朝鮮の伝承には、太陽と月が「兄妹」であるものと、「夫婦」であるものがある。前者は「兄妹が争って兄が妹を傷つけてしまう。妹は太陽になる。」というものである。後者は「細烏女(せおにょ)と延烏朗(よのおらん)」という「烏」の名を持つ夫婦がいて、彼らが倭(日本)に渡ってしまったら日月が消えた、という話である。後者では夫が太陽神、妻が月神とされる。古代の日本にも、このように女神が太陽神であるものと、男神が太陽神であるものの2系統の神話があったと考える。また、天照大御神は、荒魂となった場合には「向津」という言葉が名前に入る。「ツ」とは雷神を指す言葉と考えるので、荒魂の際には彼女は雷神としての性質も持つものと思われる。そうすると、雷神女神も天照大御神のように「格式の高い女神」と考えられたり、本来は雷神女神なのだけれども、一部に太陽女神の性質も持つ、という女神がいたかもしれないと考える。このように太陽女神と雷神女神を足したような「中庸的な女神」を母神として祖神に持つ人々もいたと考える。古代日本における「太陽神」というものをまとめれば

  • 太陽が女神であるもの(夫や兄弟に月神がいる場合がある)
  • 太陽が男神であるもの(妻や姉妹に月女神がいる場合がある)
    • 太陽は男神だが、妻や姉妹に雷神(兼太陽)女神がいるもの

の2種類(あるいは3種類)のパターンがあったと思われる。これらを太陽女神を中心として「国家の神話」として纏める際に

  • 太陽女神
  • 月神(太陽女神の兄弟)
  • 太陽男神(須佐之男、太陽女神の弟とする)

として、まず纏めたのではないだろうか。そして、最終的に須佐之男から太陽神としての性質を削除し、その代わりに「地上に降りて人々を保護する」といった「太陽神の機能」のみを残したのではないか、と考える。こうしていわゆる「三貴子」という「核」を作り上げた上で、各氏族の神話の神々を当てはめたり、三貴子だけでは足りない点に別の神々を足したりして作り上げたのが「記紀神話」なのではないだろうか。須佐之男は神話では「高天原」に反逆し、追放される悪神だが、地上から見れば、人々に穀物の種をもたらしてくれる原因となったり、悪い蛇神を退治したり、大国主命に代理権を与えて地上を間接的に治めた「地上の王」ともいえる神である。

朝鮮の伝承の延烏朗は「倭国の王となった」とされているが、これが須佐之男と「同じ神」だったとすると、彼らはいずれも「倭国」にやってきて、「王」となった存在と言える。須佐之男の妻神の一柱に神大市比売(カムオオイチヒメ)という女神がいるが、「イチ」の「チ」とは雷神を表す言葉だと考える。須佐之男の本来の神話は、「太陽は男神だが、妻や姉妹に雷神(兼太陽)女神がいるもの」だったと推察する。しかし「国家の神」となる際に「太陽神」の地位を天照御大神に譲り、太陽神の機能だけを残したものなのだろう。雷神を示す「ヅ」や「ツ」系の音を残す神々は、賀茂氏系の神に多いと感じる。賀茂系の雷神・阿鉏高日子根(アジスキタカヒコネ)などであり、賀茂系の女神にはこの言葉を名に持つ女神も多い。阿遅鉏高日子根は「大声で泣いた」という須佐之男と共通した伝承を持っており、本来は須佐之男と「同じ神」だったのだと考える。古代において有力氏族だった賀茂氏が

  • 太陽は男神だが、妻や姉妹に雷神(兼太陽)女神がいる

という神話を持っていたために、太陽女神を中心とした神話を作る際に、その勢力を無視できず、阿遅鉏高日子根のまま取り込むのではなく、須佐之男と名前を変えて取り込んで作られたのが、記紀神話なのではないだろうか。阿遅鉏高日子根を「烏神」でもあったと仮定すれば、賀茂建角身命とも同じ神と言える。(系図の上では賀茂建角身命は阿遅鉏高日子根(別雷神)の祖父となっている。)賀茂建角身命は日本における延烏朗といえる。別の神話も加えて、

阿遅鉏高日子根(賀茂別雷大神)=賀茂建角身命(延烏朗)=須佐之男(牛頭天王)=都怒我阿羅斯等(天之日矛)=雷神あるいは(兼)太陽神

としてみると、彼らは阿遅鉏高日子根以外は、「新羅から来た神」「角のある神」「自身が雷神あるいは(兼)太陽神」「妻神も雷神あるいは(兼)太陽神」という点で性質がほぼ一致しているように思う。須佐之男は子孫が天皇家であることから、「地上における皇祖神」という意味も持つ神で、実際人間世界では高天原と異なって「反逆の悪神」とされる場合はほとんどない。その性質は、まさに「地上(倭国)の王」となった太陽神・延烏朗そのものなのではないだろうか。

よって、記紀神話の「三貴子」とは、「太陽(姉)と月(弟)」が近親である、という神話と、賀茂系の神話を組み合わせて、事実上、「天界の太陽女神、地上の太陽男神」が並立している神話を作り上げた結果だと考える。須佐之男を太陽女神の「弟」と位置づける際に、月神(弟)の性質も併せてしまったために、月神は名のみしか残らないこととなったと考える。遼河文明的な「太陽女神と太陽神」が並立するという神話概念を日本風に再編したものといえるのではないだろうか。

阿遅鉏高日子根は迦毛大御神とも呼ばれ、『『古事記』で初登場時から「大御神」と呼ばれているのは、天照大神と迦毛大御神のみ。』とのことである。京都の賀茂御祖神社(下鴨神社)と賀茂別雷神社(上賀茂神社)には平安時代から鎌倉時代にかけて斎院という、皇族の女性が奉仕する伊勢神宮の斎宮と似た制度があった。上賀茂神社の祭神が須佐之男の賀茂氏版だったとすれば、これを「須佐之男と同じ」とみて、皇祖神に許される「大御神」の名で呼ばれたり、子孫とされる斎院が奉仕しても反発は生じないことと思う。賀茂氏系の氏族は古族ではあるが、平安時代には必ずしも位が高い家ではなかった。さほど政治的に配慮が必要な家ではないにもかかわらず、彼らの神社に斎院が奉仕すると定められたのだから平安時代の貴族達の中にも、暗に「賀茂別雷大神とは須佐之男のこと」という意識は、表に出さないだけであったのかもしれないと考える。

その他太陽女神

日本神話で天照大御神の他に「太陽女神」と定義して良いと考える女神を挙げる。羿神話に複数の太陽が登場するように、天体としての太陽は一つしかないかもしれないが、太陽神は複数存在していても構わない、と考える。

  • 稚日女尊(わかひるめのみこと):下位の女神で縫織神。須佐之男が機屋に投げ込んだ馬の皮により死ぬ。名前から太陽女神と考える。

名称

『古事記』においては天照大御神(あまてらすおおみかみ)、『日本書紀』においては天照大神(あまてらすおおかみ、あまてらすおおみかみ)と表記される。別名、大日孁貴神(おおひるめのむちのかみ)[2]。神社によっては大日女尊(おおひるめのみこと)[3]大日孁(おおひるめ)[4]大日女(おおひめ)[5]とされている。

『古事記』においては「天照大御神」という神名で統一されているのに対し、『日本書紀』においては複数の神名が記載されている。伊勢神宮においては、通常は天照大御神の他に天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)、あるいは皇大御神(すめおおみかみ)と言い、神職が神前にて名を唱えるときは天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)と言う[6]

なお、「大日孁貴神」の「ムチ」とは「貴い神」を表す尊称とされ、神名に「ムチ」が附く神は大日孁貴神のほかには大己貴命(オオナムチ、大国主)、道主貴(ミチヌシノムチ、宗像大神)など[7]わずかしか見られない[8]

系譜

  • 父 伊邪那岐命(伊邪那岐神、伊邪那岐命、伊弉諾尊)
  • 母 伊邪那美命(伊弉冉尊、伊弉弥尊)(日本書紀でのみ、古事記では誕生に関与していない)
  • 三貴子(伊邪那岐命自身が自らの生んだ諸神の中で最も貴いとした天照大御神を含む三姉弟の神)
    • 弟 月読命(月読命、月夜見尊)(記紀に性別についての記述がなく実際は性別不明)
    • 弟 須佐之男命(建速須佐之男命、須佐之男命、建素戔嗚尊速、素戔男尊、素戔嗚尊)
  • 夫 なし(ただし須佐之男命との誓約が両神の結婚を表しているという解釈もある[9]
  • 五男三女神(アマテラスとスサノオの誓約の際に生じた神:女神が須佐之男命の剣を天照大御神が口に含み先に生んだ子、男神が須佐之男命が天照大御神の玉を口に含み後に生んだ子)

神話での記述

日本書紀

『日本書紀』においては、

  • 第五段の本文では、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉冉尊(いざなみのみこと)が大八洲国と山川草木の神を産んだ後に、「天下の主者」(あまのしたのきみたるもの)として大日孁貴(おおひるめのむち)を産んだが、あまりに尊いので天上に送った。
  • 第五段の一書の1では、伊弉諾尊が、左手で白銅鏡(ますみのかがみ)を持ったときに大日孁貴が生まれた。
  • 第五段の一書の6では、『古事記』のように禊にて伊弉諾尊が左の眼を洗った時天照大神が生まれた。

古事記

『古事記』においては、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が伊邪那美命(いざなみのみこと)の居る黄泉の国から生還し、黄泉の穢れを洗い流した際、左目を洗ったときに化生したとしている。このとき右目から生まれた月読命(つくよみのみこと)、鼻から生まれた建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)と共に、三貴子(みはしらのうずのみこ)と呼ばれる。このとき伊邪那岐命は天照大御神に高天原(たかあまのはら)を治めるように指示した(「神産み」を参照)[私注 2]

海原を委任された須佐之男命は、伊邪那美命のいる根の国に行きたいと言って泣き続けたため伊邪那岐命によって追放された。須佐之男命は根の国へ行く前に姉の天照大御神に会おうと高天原に上ったが、天照大御神は弟が高天原を奪いに来たものと思い、武装して待ち受けた。

須佐之男命は身の潔白を証明するために誓約をし、天照大御神の物実から五柱の男神、須佐之男命の物実から三柱の女神が生まれ、須佐之男命は勝利を宣言する[注釈 1](「アマテラスとスサノオの誓約」を参照)。

このとき天照大御神の物実から生まれ、天照大御神の子とされたのは、以下の五柱の神である[10]

これで気を良くした須佐之男命は高天原で乱暴を働き、その結果天照大御神は天岩戸(あまのいわと)に隠れてしまった。世の中は闇になり、様々な禍が発生した。思金神(おもいかねのかみ)と天児屋命(あめのこやねのみこと)など八百万(やおよろず)の神々は天照大御神を岩戸から出す事に成功し、須佐之男命は高天原から追放された(「天岩戸」を参照)。

大国主神(おおくにぬしかみ)の治めていた葦原中国(あしはらのなかつくに)を生んだのは親である岐美二神(伊邪那美命伊邪那岐命)と考え、葦原中国の領有権を子の天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)に渡して降臨させることにし、天津神(あまつかみ)の使者達を大国主神の元へ次々と派遣した。最終的に武力によって葦原中国が平定され、いよいよ天忍穂耳命が降臨することになったが、その間に邇邇芸命(ににぎのみこと)が生まれたので、孫に当たるニニギを降臨させた(「葦原中国平定」「天孫降臨」を参照)。その時八尺鏡自身の代わりとして祀らせるため、降臨する神々に携えさせた[私注 3]

信仰

古代

古代において天照大神は、『古語拾遺』に「天照大神、惟祖惟宗、尊無二、自余諸神、乃子、乃臣」とあり、『日本紀私記』に「今天照大神者、諸神之最貴也」とあるように、諸氏の氏神に超越する最高神として朝廷社会の中で信仰されていたことがわかる[11]。一方で、天照大神を祀る伊勢神宮は「私幣禁断」とされ、天皇の祖神や国家全体の鎮守神として、天皇の勅使以外の一般人が個人的に参拝することは固く禁じられており[12]、伊勢神宮を勧請して天照大神を自宅などで祀る行為も厳しく罰せられていた[13]ため、古代においては天照大神が国民各戸の信仰対象になることはなく、平安時代の『更級日記』にも、著者の菅原孝標女が、同僚から天照大神について話された際、それがどこに祀られる神で、どういう神なのかを正確に認識していなかったという記述があり、貴族女性という知識階級であっても、天照大神の存在は浸透していなかった[14]

中世

しかし、中世に入ると律令制度の弛緩に伴い、神郡など古代において伊勢神宮を支えた国家的経済基盤が動揺しはじめたことから、伊勢神宮の御師による布教活動が行われ、天照大御神の存在が広い階層の人々に知られるようになった[15]。その結果、中世期の起請文には「日本国主天照大神」という表現が多く見られるようになる[15]。記紀神話における天照大神はあくまで高天原の主神であり、「日本」という国土を具体的に知行する神ではなかったが、中世における信仰では、国土の最高神として具体的に日本を知行し、人々の願いを聞き入れたり、人々に賞罰を下す存在として信仰され、国民各層に開かれた信仰対象となった[15]。中世期には伊勢神宮に寄進され神領地となった場所に天照大御神を祀る神明神社が成立したり、中世後期には伊勢の神霊が各地に飛来するという「飛神明」という考えが広がり、各地に天照大神を祀る神社が成立した[16]

ただし、「日本国主」である天照大神であっても、それは六道など仏教的宇宙観の一角としての下界である「日本」という領域に限定される最高神であって、仏教的宇宙観全体の支配者である梵天などの仏よりは下位として見なされる場合があり、起請文にも仏の名前を上段に列記し、下段に天照大御神をはじめとする神々の名が列記される例が見られる[15]

また、中世期には天照大神は大日如来の垂迹として信仰され、仏教信仰と結びつけられた。さらに、各神社が自社の祭神を天照大神に結びつけることも見られるようになり、大神神社では祭神が天照大神と同体とされ[17]、春日大社では第四殿に祀られる「比売神」が天照大神のこととされ[18]、熊野権現では熊野社の祭神が伊勢の天照大神と同体であると主張され[19](『長寛勘文』)、日吉大社で展開した山王神道でも日吉大社と天照大神が結びつけられる[20]など、中世の混乱期にあって、各神社の信仰を天照大神への信仰に帰一することを求める思潮が形成された[21]

天照大神を祀る神社

  • 天照大神を祀る神社を神明神社といい全国各地にあるが、その総本社は神宮(伊勢神宮)の内宮(皇大神宮)である[1][6]。皇大神宮は三種の神器のうちの一つ八咫鏡(ヤタノカガミ)を御神体として安置する神社である。
  • 宮崎県高千穂町岩戸には岩戸隠れ神話の中で天照大神が隠れこもったとされる天岩戸と天照大神を祀る天岩戸神社がある。東本宮は天照皇大神(あまてらすすめおおみかみ)を祀り、西本宮は大日孁尊(おおひるめのみこと)を祀る。
  • 日前神宮・國懸神宮 - 日前神宮の祭神である日前大神は天照大神の別名でもあり、朝廷は神階を贈らない別格の社として尊崇した。神体の鏡はいずれも伊勢神宮内宮の神宝である八咫鏡と同等のものとされる。
  • 伊雑宮(三重県志摩市磯部町) - 皇大神宮(伊勢神宮内宮)の別宮の一社。度会郡大紀町の瀧原宮とともに「天照大御神の遙宮(とおのみや)」と呼ばれる。
  • 瀧原宮・瀧原竝宮(三重県度会郡大紀町) - ともに天照大御神御魂(あまてらすおおみかみのみたま)を祀る別宮。瀧原宮はその和御魂(にぎみたま)、瀧原竝宮は荒御魂(あらみたま)が祀られるとされる。
  • 日向大神宮(京都市山科区日ノ岡)
  • 古賀神社(福岡県古賀市)
  • 天照皇大神宮(福岡県糟屋郡久山町)
  • 廣田神社(兵庫県西宮市) - 天照大神の荒御魂を祀る。旧官幣大社で日本書紀にも記される。
  • 皇大神社 (福知山市)(京都府福知山市大江町)
  • 山口大神宮(山口県山口市)
  • 大日霊貴神社(秋田県鹿角市八幡平)
  • 八倉比売神社(徳島県徳島市国府町矢野) - 社伝に御祭神・大日孁尊(天照大神)の葬儀の様子が記されている。
  • 籠神社[22] - 天照大神と孫神・彦火明命(饒速日命・ニギハヤヒ)を祀る。元伊勢の一社で「元伊勢籠神社」とも称される。
  • 愛媛県西条市にある伊曽乃神社は、天照大神荒御魂]]と武国凝別命を祀っている。西条祭りでは伊勢音頭が歌われ、伊勢神宮の式年遷宮では西条のだんじりが奉納されている。
  • 石川県金沢市にある尾崎神社は、 天照大神、東照大権現、加賀藩三代藩主前田利常を祀る。
  • 宗忠神社 (京都府京都市)・神道山 (岡山県岡山市) - 黒住教の霊地。
  • 大洲七椙神社 - 誉田別命、建御名方命、天照皇大神。長野県下伊那郡]松川町大字元大島

全国の天照大神伝承

天照大神の伝承は各地に存在する。

全国の天照大神伝承

  • 木曽山脈の恵那山には天照大神誕生の際に、胞衣(えな)が埋設されたという伝承が残る[23]
  • 長野県戸隠山の戸隠神社には天岩戸の伝承が残る[24]
  • 三重県のめずらし峠は、天照大神と天児屋根命が出会ったという伝承が残っている[25]
  • 奈良県の與喜(よき)山には天照大神が降臨した伝承が伝わっている[26]。また、長谷寺の本尊十一面観世音菩薩立像の左脇侍雨宝童子立像は、天照大神として信仰されており、頭髪を美豆良に結って冠飾を付け、裳を着し袍衣を纏った姿をしている[27]
  • 島根県隠岐は天照大神が行幸の際、そこに生育していた大木を「おおき」と感動して呼んだことが隠岐の名の起源であるという伝承が残る[28]
  • 鳥取県因幡の八上郡には、天照大神がこの地にしばらくの間行宮する際、白兎が現れて天照大神の裾を銜(くわ)えて、行宮にふさわしい地として、現在も八頭町と鳥取市河原町の境にある伊勢ヶ平(いせがなる)にまで案内し、そこで姿を消したとされる[29]。八頭町の青龍寺の城光寺縁起と土師百井(はじももい)の慈住寺記録には、天照大神が国見の際、伊勢ヶ平付近にある御冠石(みこいわ)に冠を置いたという伝承が残っている[29]。この伝承と関連して八頭町に3つの白兎神社が存在し、八頭町米岡にある神社は元は伊勢ヶ平にあった社を遷座したものと伝えられるが、具体的な伝承に基づく全国的に見ても極めて珍しい神社である[30]
  • 同じく鳥取県八上の氷ノ山(ひょうのせん)の麓、若桜町舂米(つくよね)には天照大神が大群を従えての行幸伝承とともに、天照大神が作ったとされる和歌が伝わっている[31]。2007年(平成19年)、若桜町舂米地区内で天照大神が腰掛けをしたさざれ石が発見された[32]
  • 氷ノ山の名は、天照大神が樹氷の美しさに感動して日枝(ひえ)の山と呼んだことが起源とされ、氷ノ越えの峠(ここにもかつて白兎を祀る因幡堂があった)を通って因幡をあとにしたとされる[33]
  • 現在は存在しないが、熊本県の八代市には上古に天照大神の山陵が在ったと伝えられる[34]
  • 宮崎県高千穂町岩戸にあり天照大神を祭神とする天岩戸神社の周辺には、岩戸隠れ神話の中で天照大神が隠れこもったとされる天岩戸をはじめ、複数の神話史跡や関連の地名が残る。

参考文献

  • Wikipedia:天照大神(最終閲覧日:22-10-09)
    • 薗田稔、茂木栄『日本の神々の事典 神道祭祀と八百万の神々』 学研、 1997年
    • 後藤然、渡辺裕之、羽上田昌彦ほか『神道の本 八百万の神々がつどう秘教的祭祀の世界』学研「ブックス・エソテリカ」、 1992年
    • 佐藤 弘夫, アマテラスの変貌 - 中世神仏交渉史の視座, 2000-8, 法蔵館, 227, isbn:9784831871299
    • 伊藤 聡, 天照大神=大日如来習合説をめぐって(上), https://hdl.handle.net/10109/168%7Cdate=2003-3, 茨城大学人文学部, 茨城大学人文学部紀要. 人文学科論集, volume39, pages74-58

関連項目

  • 西王母
  • 雷母
  • 熊女:朝鮮神話で洞窟に籠もって再生する女神である。岩戸神話と共通するモチーフである。
  • 瀬織津姫(撞賢木厳之御魂天疎向津媛命) - 廣田神社などを筆頭に、天照大神の荒魂として各地の神社に祀られていることがある。
  • 稚日女尊
  • 鳴女:天照大御神のトーテムとも言うべき雉女神。
  • 下光比売命:天照大御神と同一の女神。
  • 太一 - 至高神の意で天照大神と習合したとされる[35]

注釈

  1. 「我が心清く明し。故れ、我が生める子は、手弱女を得つ。」(『古事記』)

私的注釈

  1. しかし、根本的な神話はこのような話が原型と考える。
  2. 「右目から月が生まれ、左目から太陽が生まれた」とは盤古神話と一致する。
  3. 「鏡」は日本の神社ではご神体として祀られることが多いが、中国神話では雷母の持ち物とされ、雷女神の象徴であり、雷光を発生させる道具であると考える。雷女神は、中国・日本の神話の中では、どちらかといえば下位の女神といえるが、太陽女神から別れて地位が低下した女神と思われ、元々は太陽女神が天候神としての性質も備えていて、雷鏡を所有していたと思われる。天照大御神が天候神であり、雷を発生させる能力がある、と考えられていたことが分かる。

参照

  1. 1.0 1.1 『八百万の神々』
  2. 『日本書紀上』p.86、日本古典文学大系、岩波書店
  3. http://www5c.biglobe.ne.jp/~akimitsu/sub4.htm, 神戸市東灘区 西岡本からのお知らせ, 2013-06-16, Akimitsu|date=2013, 神戸市東灘区西岡本
  4. http://www.ishikawa-jinjacho.or.jp/search/detail.php?e7a59ee7a4be4944=1854, 神社を探す ― 大日孁神社/おおひるめじんじゃ, 2013-06-16, 石川県神社庁, 2008, 石川県神社庁, 2018年5月
  5. http://www.gifu-jinjacho.jp/syosai.php?shrno=519&shrname=%E2%98%85%E5%A4%A7%E6%97%A5%E5%A5%B3%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E2%98%85, 大日女神社 (おおひめじんじゃ), 2013-06-16, 岐阜県神社庁, 2011, 岐阜県神社庁
  6. 6.0 6.1 『日本の神々の事典』(full, 2018-05)
  7. 布波能母遅久奴須奴神、八島牟遅能神などにも見られる。
  8. 次田潤『新版祝詞新講』p.506、戎光祥出版、2008年。
  9. 『古事記の本』学研、2006年、81頁。
  10. 日本書紀には6柱とする説もある
  11. 宮地直一「大神宮信仰の通俗化」『伊勢信仰Ⅰ』雄山閣(1979)5頁
  12. 宮地直一「大神宮信仰の通俗化」『伊勢信仰Ⅰ』雄山閣(1979)4頁
  13. 神社本庁監修『神社のいろは用語集 祭祀編』扶桑社(2015)141頁
  14. 宮地直一「大神宮信仰の通俗化」『伊勢信仰Ⅰ』雄山閣(1979)16-17頁
  15. 15.0 15.1 15.2 15.3 佐藤弘夫「日本国主天照大御神観の形成」『鎌倉仏教の様相』吉川弘文館(1999)115-146頁
  16. 西垣晴次『お伊勢まいり』岩波新書(1983)127-129頁
  17. https://kotobank.jp/word/三輪神道-139990, 三輪神道とは - コトバンク, コトバンク, 小笠原春夫, 2022-08-10
  18. https://kotobank.jp/word/春日信仰-229876, 春日信仰とは - コトバンク, コトバンク, 落合偉洲, 2022-08-10
  19. https://kotobank.jp/word/長寛勘文-97704, 長寛勘文とは - コトバンク, コトバンク, 瀧浪貞子, 2022-08-10
  20. 末木文美士『中世の神と仏』山川出版社(2003)45頁
  21. http://hjueda.on.coocan.jp/koten/ktshk/sotsuron2.htm, 近世初期における神宮復興の運動, 上田勝彦, 2022-08-10
  22. http://www.motoise.jp/about/, 籠宮大社, 2016-04-09, 京都府宮津市, 2016
  23. 日本の山1000, 山溪カラー名鑑, 1992, 08, 山と溪谷社, isbn:4635090256, page.355
  24. 『神道の本』(full, 2018-05)
  25. http://www.kankomie.or.jp/spot/detail_1819.html, めずらし峠の観光施設・周辺情報‐観光三重, 2011年12月24日, 三重県観光連盟, 日本語
  26. http://yokiten.com/history.html, 與喜天満神社公式サイト ご由緒, 2011年12月24日, 與喜天満神社, 日本語
  27. http://hasedera.or.jp/history/statue.html, 寺宝(像), 2017年3月3日, 奈良大和路の花の御寺 総本山 長谷寺, 日本語
  28. http://nkk-oki.com/page212.html, 成り立ち, 2011年12月24日, 西ノ島町観光協会, 日本語
  29. 29.0 29.1 http://www.tottori-inaba.jp/new-tokusyu/kinanse-campaign/en-bus-tour/, うさぎが導く縁結びバスツアー 因幡の旅特集ページ 鳥取いなば観光ネット 鳥取県東部の観光ポータルサイト, 2011年12月25日, 鳥取・因幡観光ネットワーク協議会, 日本語
  30. この白兎は月読命の化身と考えられている。
  31. 大江幸久『もう一つの因幡の白兎神話 天照大神行幸と御製和歌の伝わる八上神秘の白兎と天照大神伝承』(要ページ番号、2017-12)
  32. 日本海新聞平成21年6月10日
  33. http://www.town.wakasa.tottori.jp/dd.aspx?menuid=2798, 若桜町の位置/若桜町, 2011年12月25日, 若桜町, 日本語, https://web.archive.org/web/20130501133342/http://www.town.wakasa.tottori.jp/dd.aspx?menuid=2798%7Carchivedate=2013年5月1日%7Cdeadlinkdate=2017年9月
  34. 森本一瑞『肥後国誌』(要ページ番号、2017-12)
  35. 吉野裕子「伊勢神宮考」(『民俗学研究』第39巻3号、1974年)p.209-232