昨夜は特に夢も見ず。作業の方は、タール土を削って奥を掘っていたら、大小様々な石が詰め込まれている部分が出てきて、かなり大きめの石も掘り出すことになった。おかげで周囲の土がだいぶ崩れたので、明日はまたその片付けであって。
昨夜は「嵐にしやがれ」のスペシャルを見る。佳樹兄さんは、近々日本でもライブをやるし、アメリカでもライブをやる、ということで、ドラマーとしての復活に頑張っているらしくて。無理しすぎないでくれればいいなあ、と思うのです。
昨夜はCDTVの25周年スペシャルを見る。で、親が唐突に誰かが「ゲス不倫」の川谷と似ている、とかってしつこく言い出す。だって、その人敵でしょ? と思う。一言二言口に出してしまうとしても、いつまでもしつこく言い続けるようなことじゃない。だいたい、Kis-Myの兄さん達の名前だってろくに知らないし、どんな人なのかを一人一人素人もしてないのに、なんで似ても似つかないクズと似てる? ということばかり強調するのか? と正直思う。関心がないならないで、わざわざ言うべきでないことだけ言うなんて、どうかしているとしか思えない。でも、親から言うと、「思っていることを口にしただけなんだから、何が悪いのか分からない。」と言う。
それじゃ聞くけど、テレビの中でもそうだし、私たちの身の回りでもそうだけれども、「思っていることを口にしている人」なんてどこにいるの? ということがまず一つ目の問題である。誰もが「言わなければならないこと」を言って、「やらなきゃいけないこと」をやっているだけなのが「世の中」なのに。なんで、自分だけが思っていることをそのまま口にすればいい、と思えるのだろう? 自分が、そういうことをして許される、そこまで特別な人間だと思う根拠は何なのか、ということになる。
そして、二つ目の問題点は、自分がよく理解して、できるだけ知らなければならない味方のことでさえ、なんだかんだ言って「無関心」なのに、なんでゲス不倫にだけ、妙に関心を持つのか、ということです。親は、「あれだけテレビに出ていたのだし、インパクトがあって覚えてしまっている」というようなことを言う。しかも、あの能面のような顔をした敵意の強い「目」をした男が、何故か「良い男」に見えるらしい。昨日のことで、そういえば以前から親はあのゲスに妙に関心が高いので、「敵に余計な関心を持ちすぎないように」って何度か釘を刺したことがあるなあ、と思い出して。(しかも、相手が敵側にいること、とか騒ぎの原因になっているクズぶり等からいけば、もっと用心の目で見て当然の相手であるのに、妙に発言が好意的であるわけだし。)そもそもの問題は、味方に対してすら、無関心極まりない親が、ゲス君にだけ妙に「インパクト」を感じて、まさに「その点」に自分で「不自然さ」と「違和感」を感じないことであって。何故、自分がそんな関心を持つ必要のないクズに「インパクト」を感じるのか。誰に、そう感じさせられているのか、を自覚できるようになることが先だから、と言うしかない。敵の目に操られて思わされていること、感じさせられていることを、「思ったことをそのまま口にして何が悪い」と言うことそのものが間違っている。じゃあ、敵が「目の力」で「死ね、自殺しろ」って言ってきたら、「自殺したい」と思って自殺することは正しいことなの? ということになる。敵が「ゲス君に強い関心を持て」と言ったらその通りに関心を持って、すり込まれたことを、敵が「口に出せ」って言ってきたら「口にする」ことは正しいことなの? とそういうことだから。「思ったことをそのまま口にする」のが悪いのではない。そもそもそんな言い方が間違っているのであって、「敵に思わされていることを、敵が言えと言うままに口にする」ことが悪いのである。しかも、そうやって敵に関心を持てば持つほど、味方に対してろくなことを言ったりやったりしなくなることは、もう経験上分かっているのだし。味方に対して関心を持つ気がないのであれば、それはそれで構わないけれども、それなら尚のこと、敵に対して必要以上に余計な関心を持たないように自覚して努力しなければならない、とは以前から兄さん達に何度も注意をされていることであるのだし。
で、しかも、「ニュースが見たい」とか、私だけが「好き勝手に(ニュースを?)見ていてわがままだ。」とか言い出すわけで。私だってニュースは月曜日の「ZERO」しか見てないんですけど? と思う。だいたい、ニュースなんて生放送だし、毎日同じキャスターが出るものだから、敵が出るものは特に敢えて見ないようにする必要があるわけで。親は「世の中」で何が起きているのか知りたい、と言う。兄さん達には、『「世の中」の「敵」の側は、親にゲス君のことに必要もない余計な関心を持たせるように動いている、ってそれこそニュースなんか見なくても分かってるでしょ?』と言われる-;。まあ、家の中のことが片付いて、兄さん達と無事に合流できれば、「ZERO」を見るために夜更かしする時間的余裕もできるだろうから、それを楽しみにしといてもらうしかないねえ、と言われる-;。だいたい、何かを得るために代償を支払わなければならないのが「世の中」なので、兄さん達と結縁するためには敵も見なければならない。ニュースを個人的に見たければ、自分自身の時間を代償に支払わなければならない。それが嫌だってわがままを言い続ければ、「自分の子供を犠牲に差し出せ」と要求されるし、ずっとそれを相手の要求どおりに続けてきたのだから、そろそろ懲りるべき、とそういうことらしくて。だいたい、ニュースを見て問題解決に何の役にたったのか? ニュースのおかげで、子供を守るために自分からどう動くべきか知って実行したり、子供を守る役に立つことを知ることができたりしたことなんかあったのか? ということで。今のところ、夕方のニュースの「every」も小山君が関わっているから見るべきではないものとしか言えないし。支払うべき代償を支払ってニュースを見るのか、それが嫌なら見ないでいるか、選ぶのは自分でしょ? と言うしかない。
そして、私だけが好き勝手にテレビを見ているなんて言われるのも心外の話であって。私は、見るべきもの、見て欲しいと言われたものしか見てないし。それも全部見きれないような余裕しかないわけだから。だいたい、敵しか出てこないようなニュースは、昔から見ていると気分が悪くなって見続けることができた試しがないし。自分では、そういうものは見たいとも思わない。だいたい、今のところ、ニュースは月曜日の「ZERO」しか見ない、ってそうなっているわけだから、ニュースに出そうな人で、我が家に結縁すべき人はそこに集中して出るって、相場は決まっている、とそれだけのことなわけですが。
で、昨日は訳あって、家の外にお風呂に入りに言ったわけで。久々であったので、ボディーソープを使ったのが良くなくて。家に帰ってきてから、なんだか自分でもどうでも良いと思うようなことが妙に心配になってたまらなくなってしまって。どうも普段使わない「呪いの物品」を使ったせいで、敵の「目の力」が通りやすくなっているなあ、という気がしていて。そういう不安は、とりあえず休んで払拭するしかない、と思って寝てしまったのですが。で、ともかくお風呂に行くと、全身がはっきりと映るような大きな鏡がある。それを見て「豊満なおっぱい」とかって言って、喜んでいる人もいる、ということでー;。
で、夜にはCDTVのスペシャルがあったので、見る。7番目の兄さんからは、ともかくまだまだ作業の最中なので、南側から掘り崩して、埋めながら北の方に戻るように、それが一番危険が少ないから、と言われる。この兄さんは相変わらず自分の気持ちとかは滅多に言わない人なので。今やらなければならないことで、大切なことを忘れないように、としか言わない。でも、割といろんな人から「生真面目も過ぎると奇人変人」と突っ込まれていた気がするわけでー;。
で、福山君が北海道のライブ会場からの中継で登場していたわけですが。まっ発に人がお風呂に入っていたの時の素っ裸の絵を露骨に送ってくるので、目が点になる。しかも、「絶対に自分の目で、妻の真っ裸の姿を見るんだ。」と言われる@@。でもって、白鳥の姿の絵も送ってくるわけですが、白鳥の股間に男の人にしかついていないモノが立ってる絵を送ってくるわけで、「げっ」となる。しかも、わざわざ「今ノーパンだし」とかって言ってくるし。言いたいことは分かるけど、露骨すぎて反応ができないでいると、富の王家のおっちゃんに「あんなんでも見捨てないでね。」って泣かれるし。「それってわざわざ生放送で結縁できる貴重な機会に言ってくること??」と思う、というか、「7番目の兄さんと言ってくることが全然違うやんーー」と思う。
CDTVが終わった後、裏で「嵐にしやがれ」のスペシャルを放送していることを知っていたので、少しだけ見てみる。6番目の子には、「自分の胸に飛び込んでおいで」と言われたので、女心を口説く手腕では、6番目の子が一番普通だ、と思うわけで-;。それで、ときどき手錠とか縄を持ち出さなければ良い人なのに、と思う;。
で、朝になって事件が起きる。姉から、夜、私がうるさくて眠れなかった、と苦情を言われる。しかも、聞こえる音というのは、「物を落とすような音」と言われる。それで変だな、と思う。夜、部屋で、いろんな兄さん達の録画を見ていることは事実である。でも、テレビの音が聞こえるのであれば、「物を落とすような音」とは言われないはずである。他にはたいした音は立てていない。だいたい、古い家に住んでいる時だって、それこそ襖1枚で隔てている部屋の隣同士であっても、日々の生活音に苦情なんか出たことがないのに?? と思う。だから、どんな音が実際に「聞こえる」のか、親も巻き込んでいろいろと検証したわけで。結論からいえば、古い家にいたときから、ささいな物音に神経をとがらせすぎる傾向はあったと思う。でも、こちらに来てから、「歯が痛い」という(おそらく)「幻痛」が出てきてる。それで歯医者に通う、ということで問題が一段落したら、今度は音に対する苦情が出てるので、「幻聴」であって、心因性のストレスによる心身症による症状であるのではないか、と個人的にはそう思ったわけで。要するに、「テストの前に腹痛が起きる」といった類いの、「構ってちゃん」的な甘えも含まれる症状なのではないか、と個人的には感じたわけです。具合が悪い、となるとそのときだけは構ってもらえるから。直接的な原因は環境の変化によるストレスであろう、と感じるわけで。
でも、7番目の兄さんには、「統合失調症の症状を良く調べてみるように」と言われる。で、要するに「幻聴」であるとか、ささいな物音等の刺激に対しても過敏になって不眠を訴えることも、症状の一つである、と言われる。つまり、心身症と統合失調症の症状の間には連続性があって、「糖質」の症状が軽度であれば、区別はつきにくくなる。しかし、両方の間には、診断のための厳然とした線引きも存在する。心身症は定義的には、ストレスと起きている症状の間に明確な関連性がある、とされる。要するに、テストが嫌だから、おなかが痛くなるのである。しかし、統合失調症の方は、ストレスと起きている症状の関連性は明確にはされない。原因がはっきししなくても、発症する人は発症するし、いったん症状が進行し出すと、原因が取り除かれても、それとは関係なく症状は進みうる。しかし、いろんな人から、そろそろ自分の家系の抱える遺伝的な「糖質」を悟るように、と言われる。どういうこと? と思う。
そうすると、「糖質」の基本的な症状は、認知機能障害と思考過程の障害である、と言われる気がするわけで。「認知機能障害」とは、自分の周囲に起きていることを知的に認識する能力が低下することである。要するに、本を読んでも内容が理解できない、というような状態。物事に対する理解力、注意力、判断力が低下する状態、と言われる。だから、新しい環境にも慣れにくくなる。もう一つの「思考過程の障害」は、要するに人と普通に話ができない、相手の述べた事に対する適切な応答ができない、ということになる。また、その一方で、「思考」が亢進しすぎる、ということになる。要するに、仕事に集中しなければいけないのに、仕事とは関係のないとりとめのない思考が次々と浮かんできて、当人にも止めようがない。その結果、当人は精神的に非常に消耗してしまうし、それでもとりとめのないことを考え続けることが止められなくて、非常に苦痛を感じることになる。というか、こういうことが「正式」な「統合失調症」の定義とされるわけで。しかし、この定義そのものが、現代の精神医療の「最大の汚点」と言われるわけで。
認知機能に関しては、低下はもちろん問題である。周囲で起きていることを的確に認識できなければ、他人とのコミュニケーションもとれなくなる、ということになる。だけど、精神医療の問題としては、認知機能が低下することも問題だけれども、更進しすぎることも問題である。要するに、普通の人が認識しない生活音に対して過敏になりすぎても、日常生活には支障を来す。しかも、認知機能そのものに障害が生じると、「聞こえてもいない音」まで聞こえる、ということになる。しかも、「聞こえてもいない音」を思考の上で処理する場合、誰かが意図的に迷惑をかけるために音を立てている、という異常な思考に陥れば、それは即「被害妄想」ということになる。このようにして、統合失調症の症状は生じてくる。「思考の更進」については、支離滅裂な思考が連続し、それが言動として表に出てくることが問題視されるし、症状の重症度の程度の目安にもなる。要するに、診断する医師との受け答えがどの程度適切にできるのか、どこまで支離滅裂なのか、ということである。
しかし、人間の精神状態には「正常」と「異常」とされるものの間には連続性がある。例えば、仕事をしている場合に、支離滅裂な思考が次々と浮かんできて仕事が阻害される場合には、周囲に迷惑がかかるし、当事者も苦痛を感じる。しかし、仕事に関するアイデアが次々と浮かんできて、仕事の効率が上がり、自分も仕事が楽しい、と思うような場合には、それは常人とは異なる思考としか言いようがなくても、「病気」なのか「病気でない」のか、ということになる。「病気」の定義としては「他人に迷惑がかからなければ病気ではない」と言うかもしれない。しかし、定義に関わらず、「異常な思考が亢進している状態」である、ということに差異はそれほどない、と言わざるを得ない。音楽家を生業としている者が、曲を作ろうと思わなくても、次々とメロディがあふれ出してくる状態であるような際には、その状態を「統合失調症である」とは言わないかもしれないが、「常人とは違う」と誰もが思うかもしれない。中には、「天才となんとかは紙一重」と言う人もいるかもしれない。
ここに一つの(あるいは二つの、と言うべき)問題を抱えている家系がある。その家系の構成員は多くは2つのタイプに分かれる。一つは、症状に差があれ、統合失調症を発症するタイプである。もう一つは、「自分が周囲の人を支配するためにはどうしたら良いのか」という思考が異常に更進して止められない(し、かつ止める気もない)タイプである。誰でもそうだけれども、周囲の人間を思いのままに動かせることができるなら、その方が楽に生きられるから、敢えてそれを止めようと思う人間なんてそれほどもいるはずはない。しかも、「自分が周囲の人を支配するためにはどうしたら良いのか」という思考が止められないほど更進しているのだから、止めようとする気が起きるわけがない。その結果、「支配するための思考」だけが異常に亢進して、それ以外の点ではなりふり構わなくなる一群が生じる。すなわち、かつて「上のおばちゃん」と呼ばれた人物である。しかし、このような家系では誰もが頂点に立てるわけではないので、それ以外の人々は「負け組」になるしかない。そうなった人々の選択肢は二つしかない。一つは機会を待つタイプ。もう一つは、「支配する」という思考を放棄せざるを得なくなったことを悟った結果、他に何も考えることがなくなって、思考が分裂し、統合失調症を発症する群である。「機会を待つ」タイプの人は、機会があってもなくても、「待ち続けている」限り、統合失調症は発症しない。その代わり、何とか自分の優位を確立しようとして、妻の財布からお札を抜き取ったりするかもしれない。ここまで、書けばどこの誰のことを言っているのか、分かる人には分かると思う。そして、統合失調症を発症するタイプの人、「支配する」という思考を無理矢理放棄した結果、発狂するしかなかった人には、「もっちゃん」と呼ばれた人が該当する。結局、彼らの思考の間には一つの共通点がある。すなわち、「思考」そのものが常人以上に更進していて、異常なのである。「自分が周囲の人を支配するためにはどうしたら良いのか」ということそのものがどこまで異常と言えるのか、ということになるが、誰でも「周囲の人が思い通りに動いてくれたら良いなあ」ということくらいは思うのも常であるので、それをどこまで本気で思考するのか、という過程の方がむしろ異常である、としか言いようがないのである。だから、「自分が周囲の人を支配するためにはどうしたら良いのか」ということを思考せずにいられず、なりふりを構わない人も、広くは「統合失調症」の中に入れるしかないのである。その思考と、そこから生じてくる結果には、連続性も関連性もあるけれども、思考の過程は明らかに異常であるし、思考の過程が異常な人間の思考は、思考そのものに脈絡があるものとないものの間に、明らかな連続性と関連性が認められるからである。しかし、現在の診断基準では、思考の原因と結果に脈絡があるものは、統合失調症とは認められないところに問題がある。
そして、統合失調症の特徴には、「知能程度の高い人ほど症状が軽くなる傾向がある」ということがある。知能程度の高い人は、知能が高い、という点で、理論的に物事を組み立てることが得意であるので、自分の中に存在する「支離滅裂な思考」を「支離滅裂である」と認識する能力にも長けているし、認識できるのであれば、外に向かってその状態を隠蔽することができる。要するに、支離滅裂な思考しか持っていない「狂人」であっても、それを突出した知性の力で完全に隠蔽し尽くすことができれば、誰もその人のことを「統合失調症である」とは診断できない。医師の診断の根拠はあくまでも、問診の内容に依存するからである。
要するに、「自分が周囲の人を支配するためにはどうしたら良いのか」という飽くなき思考に取り付かれている家系がある。病的なのは、思考の内容ではなくて、あくまでも「過程」である。彼らの中で勝ち残る人は、当然非常に知性に優れた人であるので、自分自身の「統合失調症」的思考過程は表向きは完璧に隠蔽している。というよりも、隠蔽できなければ病院送りになるしかないし、実のところ一族の中に病院送りになっている人間も何人も存在しているわけで。そして、知性が高く、行動力も伴っている人間が、目的をもって飽くなき思考を繰り返せば、目的は達せられるしかない。すなわち、その人は「王」に、なるべくしてなるしかないのである。その最初の人物の一人を「羌子牙」という。そして、もう一方の一人を「ダビデ」と呼ぶ。ダビデは王になるために、先王の一族郎党を、一人を除いて皆殺しにした。羌子牙は勝つために、殷の王家を滅ぼした。その二つの家系が東の果てで混血した結果、非常に知能の高い、「思考過程の異常な」家系を生み出してる。彼らは、「自分が周囲の人を支配するためにはどうしたら良いのか」という思考に取り付かれているし、その思考を放棄すると、後には本物の「統合失調症」の患者しか残らなくなるほど病んでいる。その家系の本態は、自らの正体を全て隠蔽して、一介の只人のようにして暮らしている。でも、支配することしか考えられない、その異常な思考過程で世界の半分を支配して、動かしている。彼らの支配の方法は、男が女を支配して、女を利用し尽くして支配する、ということである。女は色事にたけていれば、色仕掛けで標的を思いのままに動かすことができる。そうでないものは、標的とされる家に何らかの形で送り込んで、家の内部の情報を得させたり、家の内部をかき回させたりする。未亡人とか、離婚した女性をどうやって利用してきたのかは、自らも良く知っているはず、と言われる。だから、彼らは男性が女性を暴力で支配することを肯定している。
しかし、世の中にはストーカー殺人とか、家庭内でのDVと、それが昂じての家庭内での殺人、という問題もある。「男性が女性を支配するべき」という思想には社会的素因もあるのだけれども、個人としてそういう思想を持っている男性は、えてして「自分が好きになった女性は、自分と同じ事を考えて当然」と勝手に思い込んでいる。自分がデートしたいと思ったら、相手もそう思って当たり前、となる。しかし、女性の側には個人的な都合だってあるし、何をしたいのか、という彼女なりの考えもあって当然である。男性の側に、そういう認識がないと、相手が自分の思い通りに動かなかっただけで、「言うことをきくべき相手が、言うことをきかなかった」という点に激しい怒りと理不尽さを男性の方が感じることになる。その結果、浮気をしているのだろう、とか、そういう被害妄想が生じる。しかし、そもそも、自分のパートナーは自分とは異なる思考を持ちうる一個の人格である、と「認知する機能が低下して異常になっている」から、それが思考過程の異常さと相まって、被害妄想、嫉妬妄想の原因になっている。すなわち、認知機能障害と思考過程の障害の結果、家庭内暴力が起きたり、ストーカー騒ぎが起きているにもかかわらず、「原因と結果の間に脈絡がある」という理由で、これもまた統合失調症の診断基準に内包できない、という状態が続いている。でも、特に男性が女性や社会的弱者である子供に対してふるう暴力や性暴力は、「統合失調症」として治療すべき問題なのです。凶暴性が増す場合は、強制的に入院させて、治療すべきなのです。なぜなら、彼らの思考過程と認識能力の低下は、統合失調症の患者の思考過程と連続性があるからです。でも、そういう傾向のある男性を、女性を支配するために公然と利用している人たちがいるので、彼らが「統合失調症」の診断基準をゆがめて、あるべき姿に変えさせない。なぜなら、そうしてしまったら、彼らが世界の半分を支配している「方法」が失われてしまうからです、と言われる。しかも、家庭内暴力や身近な人のストーカー問題は、「民事には警察は介入しない」という理由で問題の解決が遅れることも多い。警察が介入できなくても、最大の被害者である家族が、彼らを強制的に病院に収容できれば、最悪の事態を避ける機会は増えるし、適切な治療を試みる機会も増える、にも関わらずです。
ただ、狂気の家系の中に、少なくとも、当代において、注目を浴びている二人の人物がいる。一人は、大名家の当主であり、もう一人は太陽女神そのもの、ということらしくて。二人とも、いったん戦闘態勢に入れば、「自分がどうやって勝ち残るのか」という思考に集中するし、その点に対して余念がない。でも、なんとしても「自分が周囲の人を支配するためにはどうしたら良いのか」というほどの思考には取り付かれていないし、溺れてもいない。どんなに自分のことに集中していても、大地震が起きれば、何の見返りも求めずに、困っている人のために奔走できる「思考」を持ってる。すなわち、それだけ「思考の過程」に余裕があって、病的な状態ではない、ということなので。だから、人々は彼らに期待する。何を期待するのかといえば、家系が持っている狂気で、世界の半分が支配されているのだから、世界の半分を覆っている狂気の恐怖から、人々を救って欲しい、と期待される。族長として、一族があるべき立場へ、一族を戻して欲しい、と。
そして、ここに一群の人々がいる。女性に対する暴力、というよりも更に弱者である子供達に対して、次の世代を担ってもらうために、どうやって彼らが健全に育つ環境を整えるのかということに心血を注いできた人々である。子供達もまた、身近にいる人々からの性的なものを含めた暴力の危険にさらされうる。彼らの怒りは、「統合失調症」の診断基準に意図的な不備があるため、病院に収容すべき人々が収容も必要な治療もされず、子供達が暴力の危険にさらされる可能性が高まることに向けられている。すなわち、ジブリとトリイ・ヘイデンの願いは、「統合失調症」の診断基準をあるべき姿に変えて欲しい、そのための努力をして欲しい、というものである。そうして、世界を、そこを支配している狂気から救って欲しい、高畑氏からあなたに対して「遺言」と言えるものがあれば、それはこういうことです、と言われる気がするわけで。世界がどんな狂気に支配されていても、人は生きている限り、生き続けていかなきゃならないんだあ、と思う。
というわけで、親が常々口に出すことですが、初期の天皇家が何故、兄弟同士で殺し合ったりしているのか、ということになる。ごく身近なことを言えば、姉は妹を50年近く殺したい、と思い続けてきたけれども、その望みが潰えた瞬間に糖質的傾向が増している。すなわち、妹を殺すか、自分が発狂するか、その2つしか彼女は選べない。その上を言うなら、本家と総本家は隣同士にもかかわらず、親戚付き合いもしないほど嫌い合っている。で、水面下で「自分が相手を支配するためにはどうしたら良いのか」ということしか、お互いに考えないので、負けた方が次々と死んだり、病院送りになってる。その上を行くと、上社と下社は千年以上も同様の状況で、富の王家が直接口を出すのも恐れるほど対立しあってる。要するに、相手を殺すか、自分が発狂するかしか、生き方を選べないような家系に連なって生まれてるから、「そうするしかない」ってそれだけのことであって。母親の兄弟姉妹だって、同類項の集団でしょ、同じ家系に連なる王族の一人であることに違いないんだから、とか、そんなことしか言われない。母親自身がそれを認識できないのは、周囲を認知する能力がどうしても欠けやすいからである。
だから、ニュースの件に関しては理解して欲しい。太陽女神は、思考の過程が、集中しすぎる傾向があるので、あちこちで気晴らし、というかガス抜きの場を設けないと、思考がオーバーヒートする可能性がある。オーバーヒートしすぎて、自分でコントロールできなくなれば、「糖質」を発症する。お母さんの方は、思考の過程が散漫になる傾向がある。そういう人は、ある程度集中できる環境を整えないと、「糖質」を発症する可能性がある。だから、どちら一族が抱えている業病を発症しないために、「見ても良いニュース」は深夜帯にしか設定されていない。そうすれば、お母さんの方は、「やりたいことをやるためには代償が必要である」ということを、身をもってニュースを見るために、知るし実感するしかなくなる。と言われる。まあ、できるようになれば何時まででも起きていて、「ZERO」を見れば? としか今は言えない。状況が変われば、別の道も生まれてくるかもしれないけれども、それは私にもなんともいえない。だけど、最近のニュースで見るべきものなんかあったっけ? 訳の分からない総理夫人のことで、ぐだぐだしてるのに、野党もなんだかんだでゴタゴタしているのに、これまた不思議なことに、何事もないかのように法案だけがスムーズに通る馬鹿っぽい国会のこととか、伊調選手のパワハラ問題のこととか、鹿児島で起きている変な身内殺人事件とか意外に見るべきものなんかあるの? と思うわけで。(正ちゃんのことはニュースと言うよりは「結縁しなければならない事項」に入るわけですし。)
伊調選手と栄監督のパワハラの問題は、わざわざコメントを求められたので、コメントしたわけですが。だいたい栄監督とさおりんは、「目の力」的には、総本家の側の人々でしょ? ということになる。強権的、父親的監督と、それに従順に従ってメダルを取ったさおりんとの関係は、総本家にとっては彼らの思想をこれみよがしに見せつけるプロパガンダの格好の材料なので。その点からいえば、私が彼らに加担する義理はない。それに、実際にメダルを取るのは選手なんだから、選手を育てるための監督であって、選手を潰すための監督じゃないでしょ。気に入った人は育てるけど、気に入らない人は潰す、というのは監督たる立場の人がやることではない、とそれは本心からそう思うから、そう述べるのが2つめの理由であって。おかげで伊調選手には感謝してもらえたと思う。でも、個人的には、スポーツ全般に興味関心を持てる立場じゃないので、それ異常に関わる気もないわけで。でも、そのおかげかどうかは知らないけれども、栄監督は強化本部長を首になりましたとさ、ということで。特に異議なんかあるはずもないわけですが。
で、鹿児島ではとある一家の祖母と次男が行方不明になる、という事件があったらしくて。家の様子を心配した長男が、自分が仕事の都合で行けないので、妻に実家の様子を見に言ってくれ、と頼んで、妻は一人で行くのが嫌なので、お姉さんと出かけたら、長男はその二人とも連絡が取れなくなったので、心配して実家の近所に住んでいるはずの友人に、様子を見に言ってくれと頼んだら、友人とも連絡が取れなくなってしまった。それで、警察に通報したら、家の中で様子を見に言った3人が殺されているのを発見した。犯人は、次男の息子であろう、と見当をつけて、逮捕し、祖母と父親がどうなったのかを追求したら、容疑者の供述したところから、その二人の死体も出てきましたとさ、ということで、いっきに5人もの人間の死体が出てくることになったわけで。こういう場合、犯人が「糖質」であるか否か、ということは問題視されるよねえ? と思う。しかも、どこかで父親が息子を監禁したとか、その病気に関するネタが最近多いので、そこに注意を払うように、という警告が何か来ているなー、ということはなんとなく思っていたわけですが。でも、それが自分とどこまで関係あるのか、とかは良く分かっていなかったわけで。だいたい、一族の中に起きていることに関しては、ストレスに対する心身症程度のことだと思ってきたわけで。今朝、自分でその症状の一端を「目の当たり」にするまでは、ということで。多少の注意はすべきだと思う。原因となっているストレスの軽減にもできる範囲で務めるべきであると思うけれども、それ以上のことはできないし、となるわけで。まあ、そんなところなわけです。