本日の日誌

昨夜は特に夢も見ず。現場の方は、奥の方を掘っていたら、木の枝が出てきたので、まずはそれに沿って掘っていたのですが、なんだか途中でちまちまと掘っているのが嫌になって、一度に全部掘り出したくなって、がーっと掘ってしまって。そうしたら、だが途中で切れていたりして、終着点には、また新しい枝が入っていて。


親の方は、土を壁に貼り付けていたら、天井が軽く崩落して、しかもその中に細かい木ぎれの馴れの果てと、シロアリの小コロニーがあって。20匹くらいのアリがいたのですが、久しぶりに奴らを見たーー、と思って。ちゃんと土の中に道を作って、移動して歩いているわけです。餌を全部掘り出してしまえば、彼らも増えにくいとは思うのですが、でも、崩落しなかったらアリがいるまま埋め戻してしまったと思うので、しまいには上の方でも、シロアリ駆除用の餌を敷いたり、ある程度対策が必要だなあ、と改めて思った。


で、作業をしていたら隣の人が、荷物を運ぶときに車を停めている場所について、苦情を言ってきて。そこは、以前「車が通れないから」という理由で、わざわざこちらが気を遣って停めていた場所なのに、更に遠くに「移動しろ」と言われるのです。しかも、移動先は道路側から見たら、曲がって入るすぐのところであって、よく注意しなかったら追突しそうな場所であって。しかも、その言い方が「お母さんに話がある。」という感じで言ってきて、私が「何のご用でしょうか?」と尋ねたら、用件を言おうとしなくて。いったんは承知したわけですが、でも危ない場所ですし、荷物を運ぶのに大変な場所になりますし、だいたい荷物を運ぶ間、10分くらいの間停めるだけなのに、そういうときにわざとらしく通ろうとして嫌がらせを繰り返してきたのは、隣家の方なので、お断りしに行ったわけです。そうしたら、「30分も停めているだろう。」とか、「宅配便の車が来たらどけ。」と言われて。自分たちは、交通妨害になるところに何の断りもなく平然と車を停めたりしているくせに、今度は嘘をついてまで言いがかりをつけてきている、と感じたので、「車をどこに停めるかは自分で判断します。」と行ってお帰り頂いて。「そこがダメならここで。」とか、ものすごくしつこく図々しく言ってきて、「やって貰うと助かります。」と言うわけで。あんたたちにいやがらせされている私たちのことは誰が助けてくれるんです? と思う。しかも、宅配便は大きなトラックで運んで来たりするときには、誰も車を停めていなくても、奥まった私道まで入ってこないで荷物を運び込み事もままあるわけで、車が奥まで入ってくる必要もないし、荷物を運べればいいだけのものなのに、どんだけ図々しいのだろうか、と思う。隣家には「いつもそちらだけ文句を言ってきますよね?」と、当たり前のように口に出てしまったのですが、その通りだと思う。親からは「自分では事故のことに気がつかなかったけれど、誰かがお前に教えてくれるんだろう。」と言われたけれども、そういうことに親が気がついてくれるようになったのも良いことだと思う。兄さん達には、「やっと少し口がきけるようになってきた。」と言われるわけで、これもゴミ掘りの成果だと思う。お昼ご飯を食べながら、本日発売の週刊誌をパラパラと眺めていて、「隣家はいったいどれだけ図々しいんだろう?」と考えていたら、丁度Sexy Zoneの記事のページが開かれていて、そこの兄さん達に「どんだけー」と言われて。本当にその通りだと思う。


昨夜は涼ちゃんがゲストの「夜会」を見て、音楽家の兄さんがゲストの「しゃべくり007」を少し見て、しまいに「ZERO」を見て寝て。で、今日昼寝をしている時に夢を見て。音楽家の兄さん達とあちこち動き回っていて、一緒に歌を歌ったりしていて。歌の歌い方を音楽家の兄さんに教えて貰ったりする夢で。目が覚めたら、X Japanの「Forever Love」がかかっていて。そういうことが現実にあったら、蛇の目の兄さん達がいやがるだろうな、と思う。でも、いろいろとアドバイスして助けてくれたのは、音楽家の兄さんだと思うのです。兄さんの声はやっぱり届きやすいのです。(でも、ちまちまと穴を掘ったりするのは、本当はお好きでない気性な気がするのですが。)

 

 

でもって、いろいろな話をしていたら、音楽家の兄さんから「あなた自身も、雑魚相手といえど攻撃するような言霊の使い方にまだ慣れていない。失敗してもいいから、練習だと思って、いろいろ工夫して頑張りましょう。」と言われるわけで。言葉をもっとちゃんと使えるようにしないといけないな、と思うのです。



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本日の日誌

今日の帰り際に、午前中騒ぎを起こした隣人が、今度は性懲りも無く実力行使を仕掛けてきて、車の出入りを邪魔しようとしてきたわけです。しかも、こちらが車を入れようとしているのを見計らって、わざと出て来たとしか思えない。で、親は助けてくれないし、親は「譲るべき」とか言うわけです。なんで、自分の子供に不利になることを言うのかも分からない。「自分が不利」になることじゃないよ? 「自分の子供が不利」になることだよ? と思うわけですが、毎度のこと、「自分が不利」になることならいくらでも文句をいうくせに、「自分の子供が不利」になることは知らんぷり、と私の目にはそう写るわけですー;。


「こういう邪魔なことはやめて下さい。」という主旨のことを言ったら、「バックしてどけ」と言うわけで、こちらの都合を無視してどかそうとするわけです。で、結局騙してどかされてしまったわけですが、一度そんな嘘をつくような真似をした相手には一切譲る必要性はない、それが世の中の原則でしょ? と言われる。そもそも、隣近所の付き合いというのは互いの信義則に基づくものであって、どんなささいなことでも「お互いに信頼できる」という原則に基づいているものだから、それを相手が破った時点で、こちらにも守る義務はない、とそう言われるわけで。親がそもそも「車の出し入れに限って」と言うこと自体がおかしい、それは裁判所で裁判長が「病院でのいやがらせは不問にして、懲戒解雇の件だけ扱う」と述べたことと同じで、他のいやがらせの数々を不問にして、その件だけを扱うというのはおかしな話です。隣近所のつきあいがまともにできない相手だから、相手にしたくないことはしない、で充分。こちらが帰る時間はほぼ把握できる状態にあるのだし、車を普段どこに止めているのかも知っているのだから、こちらが帰り支度をしているかいないか、その場で見て判断できないはずはないし、いろんな予定をその時間だけ避ける気遣いはむこうもできるはずだけど、敢えて相手はその努力をしていないので。こちらもそういう努力をしないようにしなければ、「対等な近所付き合い」はできないでしょ、と言われる。そして「まだ攻めるための言霊が足りない。」と言われる。


で、親には「どうせこのままじゃ済まないんだから、譲ってやれば楽なのに。」と言うようなことを言われるわけです。でも、兄さん達には「譲ったって済まないでしょ。場所を移動しても、普通車が2台すれ違うには厳しい私道だから、どこに停めても通りづらさに違いは無い。どちらにしても、今度は車を出し入れする度にいやがらせされる。そうして、『ここに車を停めることそのものが迷惑だ』という方向に持って行くのが向こうの目的だから。『車を停めることそのものが迷惑』→『工事をさっさと終わらせろ』→『穴をゴミだらけにして埋めろ』としたいだけなので。直接『工事を終わらせろ』と言うと『工務店に言ってくれ』と返されるから車のことで文句をいっているだけです。だから、車についてのいやがらせは、相手に言うことに従っても、従わなくても続けられる。それなら、こちらはこちらで言いたいことだけ言って、後は言葉でも態度でも無視しているのが一番の策であって、どちらにしても『車を停めるのは邪魔だ』といういやがらせは停まらないし、それに対する対応策を怠れば、今度は別のことでもいやがらせを始めて、二重三重にいやがらせに悩まされなければならなくなる。この件で、『車はこちらの判断で停めるべきところに停めるし、そちらも譲れるところは譲れ。』と述べて、後は『もう言ったことだから。』と言って済ませておけば、車のいやがらせの対応だけで済む。」と言われる。そして「だいたい、近所付き合いで大事なのは、ゴミ出し当番くらいなものだから、それさえ避けられれば、嫌な連中を相手にしなくても良いでしょ。」と言われる。


「家の車を家の敷地内に停めるのがなぜ悪い」とは、私は言いたくないわけです。工事なんかの際には、お互いに融通を利かせているのが通常だし、現状、領地争いを始めたら、相手は全く通れなくなるし、こちらも不便だと思うから、そこまではしたくない、というのがこちらの「温情的気分」であるので。でも、こういう隣家の「温情」を相手が無視して出てくるのであれば、それすらもしなくても良いのかも、というのは、最後の手段として思う。「車の位置のことだけで考える」なんていうことそのものが、敵の味方をする発言だし、そうやって家のため、家族の今後のために全体を考えて私が行動しているときに、家族が「後ろから撃つ」ようなことを言ったりしたりするのもあんまりだと思う。親は私が、いろいろと注意すると、すぐに「そんなことを言うんだったら、お前の言うことは聞かない。なんでも、自分でやれ。」とかって平気で当たり前のように言って、いつも私がびっくりさせられるわけです。でも、そういうことは平気で言える人なのだと思う。だから、その言葉をそのまんま敵に言ってくれれば、それで良い、と思うわけです。こちらが、敵が通れるように道路を共用させてあげているのに、更にその上に「どけどけ」って言うなんて、そもそも誰の敷地だと思っているのか、ってそういうことだよねえ? バックすれば済む、って道を使わせて上げているのは、こちらじゃないんですかね? って、それが世間の常識だと思うのです。車の出し入れのことだけ論じても仕方がない。それは、原則として「誰の土地なのか」という問題なのです。でも、そこまで言ったら悪い、と思うから、私は敢えて言っていないわけで、それが「隣人に対する配慮」でないなら、親はいったい何を「配慮」と言ったり思ったりするのか? と7番目の兄さんには言われるわけで。「通してあげてるだけで有り難いと思え」とまで言わなくても、態度でそういう態度をとれば充分でしょ? と言われる気がするわけです。まあ、でも、相手が平然と「嘘をつく」ということが判明したわけですから、今後はこちらも遠慮なんかする必要はない、原則的な「信義則」をわざわざ反故にしたのは向こうなので。今後は、相手方の誰が何を言ってきても、「言うべき事は大家さんに言ってあります。」の一言で済むし、済ませなければならない、とそういうことなのだと思うのです。


要するに、親の言うことは両極端なんだなあ、と思う。譲るとなれば、誰の土地でも構わないからこちらが譲る、でなければ「こちらの土地のことなんだから余計なこと言うな」みたいなことを言って、全面通行止めにしろ、みたいなことを言う。こちらは、あくまでも「我が家が出入りする時ぐらい邪魔をしないで配慮してください。」とだけ言うか、お母さんが得意なように、「そんなことを言うんだったら、お前の言うことは聞かない。なんでも、自分でやれ。」って言い放って済ませたいだけなのに、と思う。なんで、思い切り卑屈になるのか、思い切り高飛車になるのかしなければいけないのか、と思うわけです。世間的にはその方が「通らない」ことだと思うのです。



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本日の日誌

今日の帰り際に、午前中騒ぎを起こした隣人が、今度は性懲りも無く実力行使を仕掛けてきて、車の出入りを邪魔しようとしてきたわけです。しかも、こちらが車を入れようとしているのを見計らって、わざと出て来たとしか思えない。で、親は助けてくれないし、親は「譲るべき」とか言うわけです。なんで、自分の子供に不利になることを言うのかも分からない。「自分が不利」になることじゃないよ? 「自分の子供が不利」になることだよ? と思うわけですが、毎度のこと、「自分が不利」になることならいくらでも文句をいうくせに、「自分の子供が不利」になることは知らんぷり、と私の目にはそう写るわけですー;。


「こういう邪魔なことはやめて下さい。」という主旨のことを言ったら、「バックしてどけ」と言うわけで、こちらの都合を無視してどかそうとするわけです。で、結局騙してどかされてしまったわけですが、一度そんな嘘をつくような真似をした相手には一切譲る必要性はない、それが世の中の原則でしょ? と言われる。そもそも、隣近所の付き合いというのは互いの信義則に基づくものであって、どんなささいなことでも「お互いに信頼できる」という原則に基づいているものだから、それを相手が破った時点で、こちらにも守る義務はない、とそう言われるわけで。親がそもそも「車の出し入れに限って」と言うこと自体がおかしい、それは裁判所で裁判長が「病院でのいやがらせは不問にして、懲戒解雇の件だけ扱う」と述べたことと同じで、他のいやがらせの数々を不問にして、その件だけを扱うというのはおかしな話です。隣近所のつきあいがまともにできない相手だから、相手にしたくないことはしない、で充分。こちらが帰る時間はほぼ把握できる状態にあるのだし、車を普段どこに止めているのかも知っているのだから、こちらが帰り支度をしているかいないか、その場で見て判断できないはずはないし、いろんな予定をその時間だけ避ける気遣いはむこうもできるはずだけど、敢えて相手はその努力をしていないので。こちらもそういう努力をしないようにしなければ、「対等な近所付き合い」はできないでしょ、と言われる。そして「まだ攻めるための言霊が足りない。」と言われる。


で、親には「どうせこのままじゃ済まないんだから、譲ってやれば楽なのに。」と言うようなことを言われるわけです。でも、兄さん達には「譲ったって済まないでしょ。場所を移動しても、普通車が2台すれ違うには厳しい私道だから、どこに停めても通りづらさに違いは無い。どちらにしても、今度は車を出し入れする度にいやがらせされる。そうして、『ここに車を停めることそのものが迷惑だ』という方向に持って行くのが向こうの目的だから。『車を停めることそのものが迷惑』→『工事をさっさと終わらせろ』→『穴をゴミだらけにして埋めろ』としたいだけなので。直接『工事を終わらせろ』と言うと『工務店に言ってくれ』と返されるから車のことで文句をいっているだけです。だから、車についてのいやがらせは、相手に言うことに従っても、従わなくても続けられる。それなら、こちらはこちらで言いたいことだけ言って、後は言葉でも態度でも無視しているのが一番の策であって、どちらにしても『車を停めるのは邪魔だ』といういやがらせは停まらないし、それに対する対応策を怠れば、今度は別のことでもいやがらせを始めて、二重三重にいやがらせに悩まされなければならなくなる。この件で、『車はこちらの判断で停めるべきところに停めるし、そちらも譲れるところは譲れ。』と述べて、後は『もう言ったことだから。』と言って済ませておけば、車のいやがらせの対応だけで済む。」と言われる。そして「だいたい、近所付き合いで大事なのは、ゴミ出し当番くらいなものだから、それさえ避けられれば、嫌な連中を相手にしなくても良いでしょ。」と言われる。


「家の車を家の敷地内に停めるのがなぜ悪い」とは、私は言いたくないわけです。工事なんかの際には、お互いに融通を利かせているのが通常だし、現状、領地争いを始めたら、相手は全く通れなくなるし、こちらも不便だと思うから、そこまではしたくない、というのがこちらの「温情的気分」であるので。でも、こういう隣家の「温情」を相手が無視して出てくるのであれば、それすらもしなくても良いのかも、というのは、最後の手段として思う。「車の位置のことだけで考える」なんていうことそのものが、敵の味方をする発言だし、そうやって家のため、家族の今後のために全体を考えて私が行動しているときに、家族が「後ろから撃つ」ようなことを言ったりしたりするのもあんまりだと思う。親は私が、いろいろと注意すると、すぐに「そんなことを言うんだったら、お前の言うことは聞かない。なんでも、自分でやれ。」とかって平気で当たり前のように言って、いつも私がびっくりさせられるわけです。でも、そういうことは平気で言える人なのだと思う。だから、その言葉をそのまんま敵に言ってくれれば、それで良い、と思うわけです。こちらが、敵が通れるように道路を共用させてあげているのに、更にその上に「どけどけ」って言うなんて、そもそも誰の敷地だと思っているのか、ってそういうことだよねえ? バックすれば済む、って道を使わせて上げているのは、こちらじゃないんですかね? って、それが世間の常識だと思うのです。車の出し入れのことだけ論じても仕方がない。それは、原則として「誰の土地なのか」という問題なのです。でも、そこまで言ったら悪い、と思うから、私は敢えて言っていないわけで、それが「隣人に対する配慮」でないなら、親はいったい何を「配慮」と言ったり思ったりするのか? と7番目の兄さんには言われるわけで。「通してあげてるだけで有り難いと思え」とまで言わなくても、態度でそういう態度をとれば充分でしょ? と言われる気がするわけです。まあ、でも、相手が平然と「嘘をつく」ということが判明したわけですから、今後はこちらも遠慮なんかする必要はない、原則的な「信義則」をわざわざ反故にしたのは向こうなので。今後は、相手方の誰が何を言ってきても、「言うべき事は大家さんに言ってあります。」の一言で済むし、済ませなければならない、とそういうことなのだと思うのです。



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