本日の日誌

本日は夕方、けっこうな夕立があって。雷も近くに落ちたような音がしました。


で、午前中は石を捨てに行って、お手紙を出しに行って。ノルマはこなせませんでした。石の方は、だいたい毎週礫とかの小石だけで100kg程度出る気がするわけで。やっぱり多すぎる、と思うわけです。


で、要請の通り、世界史の本を買って。中古のお品を、送料込みで2000円くらいで買ったわけです。1969年初版で、25冊セットの立派なもので。量だけは大量にあったわけで-;。外箱は経年劣化で、ちょっとシミなんかもあるわけですが、中身はやたらと綺麗で、人が読んだ形跡がないわけで。半世紀前の新品だー、と思う。でも、段ボール1杯の本を買ったので、何を買ったのか父親が探りを入れてきて。きっと、「ものすごく高いお金をかけて本を買った」とかって思ってるのではないかと思う。中古だから、例によって送料の方が高かったりするわけですがー;。で、「何か一冊貸せ」と言われたので、「古代メソポタミアの神々」とか貸してみたわけです。一応お題は「神々」だけれども、古代メソポタミアの考古学的なこととか、そういう環境まで含めて、歴史的なことも書いてある本で。NHKの教養番組かなんかでやったものを纏めた本だと思うので、一般的な教養のある人であれば、読めない本ではないと思う。故三笠宮監修の本です。でもまあ、読まないかも。そもそも、メソポタミアがどこにあるのか知らないかも、と思うわけですがー;。


で、歴史関連の本が1冊、家に届いて。何故、世界を知るのに、歴史と神話の両方を知る必要があるのですかねえ? と思う。そうすると、7番目の兄さんに、「神話とか民話は精神的なもので、歴史とは物質的なものでしょ。」と言われる気がするわけで。歴史の方は、いつ誰が何を建造したとか、誰がどこを征服したとか、誰がどれだけの権力や富を持っていたのか、とか物質的なものである。でも、神話とか民話は、必ずしも現実の事実とは一致しなくて、人々の希望とか考え方とかの精神世界を反映している。精神と物質は表裏一体のもので、現実的にはどちらかといえば物質の方が重要、と言われる気がするわけで。だから、昔の人の信仰の世界は、「豊穣の祭祀」に関わるものがものすごく多いわけで、「食」という物質を恒常的に得ることを、人々がどれだけ渇望していたかが分かるでしょ、と言われる気がするわけで。だから、お寺とか神社とか神殿とか、神像とかそういうものは、人々の精神世界を「現実の物質」で現して、目に見える形にしようとしているもので、精神世界と物質世界を結ぶものとして重要、と言われる気がするわけで。要するに、各地の人々の精神世界と物質世界を勉強して、人々が何を望み、日々生きているのかを知りなさい、ってことですかねえ? と思う。で、今日はちょっと「魔女狩り」に関する本が入って。割と、「魔女狩り」の結果の魔女の火刑が、庶民にとって娯楽化していた、みたいなことが書いてあって。ちょっと書きすぎなんじゃないかなあ? と思う。


で、朝寝をしている時に夢を見て。なんだか、光一君が出てきて、思い切って手を組んで歩いたら、光一君がなんだか嬉しそうであった、と夢で。他に、巨大なビルみたいなものを建てていて、ビルから外へ橋を架ける工事をしていて。その橋が、まだ建設途中でしっかりしていないから、しっかりさせなきゃ、というような夢で。


夜もだいぶ涼しくなってきたので。夏も終わりなんだな、と思います。昼間は晴れれば暑いのですが。



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本日の日誌

本日は天気予報では午後雨とあったのですが、晴れていて。お外組はいつもの通り作業をして。だいたい、まだ外の土を中へ持ち込んでいて。


私の方もなんとかノルマはこなして。あとは、調停に付されるかもしれないので、調停のことをちょっと調べたり。調書の異議申し出の書式を調べたりして。写真の整理もしております。


あとは、KAT-TUNのDVDとか見て、ちょこちょことヒントを貰う。田口君にはいつも、申し訳ないと思う、というか頭を上げられない、と思うわけで。いつか、みんな幸せになれればいいなあ、と思う。


で、歴史関連の本が1冊、家に届いて。何故、世界を知るのに、歴史と神話の両方を知る必要があるのですかねえ? と思う。そうすると、7番目の兄さんに、「神話とか民話は精神的なもので、歴史とは物質的なものでしょ。」と言われる気がするわけで。歴史の方は、いつ誰が何を建造したとか、誰がどこを征服したとか、誰がどれだけの権力や富を持っていたのか、とか物質的なものである。でも、神話とか民話は、必ずしも現実の事実とは一致しなくて、人々の希望とか考え方とかの精神世界を反映している。精神と物質は表裏一体のもので、現実的にはどちらかといえば物質の方が重要、と言われる気がするわけで。だから、昔の人の信仰の世界は、「豊穣の祭祀」に関わるものがものすごく多いわけで、「食」という物質を恒常的に得ることを、人々がどれだけ渇望していたかが分かるでしょ、と言われる気がするわけで。だから、お寺とか神社とか神殿とか、神像とかそういうものは、人々の精神世界を「現実の物質」で現して、目に見える形にしようとしているもので、精神世界と物質世界を結ぶものとして重要、と言われる気がするわけで。要するに、各地の人々の精神世界と物質世界を勉強して、人々が何を望み、日々生きているのかを知りなさい、ってことですかねえ? と思う。で、今日はちょっと「魔女狩り」に関する本が入って。割と、「魔女狩り」の結果の魔女の火刑が、庶民にとって娯楽化していた、みたいなことが書いてあって。ちょっと書きすぎなんじゃないかなあ? と思う。


実のところ、ヨーロッパ以外のアフリカとかアジアでは、今も、というか今だから、というか「魔女狩り」というものは存在してる。だいたい、そういうところには、キリスト教の教会があって「魔女は死ななければならない」と当たり前のように言われてるんじゃないの? と思う。でも、その「魔女」の定義とは曖昧というか、荒唐無稽であったりする。で、その実行部隊は、というと、だいたいあんまりその土地の真面目じゃない人たち、というか、酒飲んでたりして、あんまりまともな思考がないように、悪が更に悪になるように操作されてたりする。一方で、宗教が、一方で薬物が、人々のまともな考え方を奪って、他人を虐殺したりするようなことを平気でやらせるようになってる。


で、特にスキタイについて資料を集めるように、と言われる気がするわけで。スキタイとは、紀元前900年くらいから、中央アジアで活躍していた遊牧民である。でも、彼らの遠い先祖は、もっと東アジアに住んでいて、「北狄」と呼ばれていた、と言われる気がするわけで。彼らの先祖の一部は、古代中国で、農耕民と合流して黄河文明を形成したと思う。でも、中央アジアに近い地域に住んでいた人たちは、次第に西方へ移動して、スキタイを形成し、印欧語族の先祖となっている。というよりも、印欧語族の先祖がそのまま時代が下って、スキタイを形成した、という方が正しいのかもしれないけれども。彼らは魂の不滅を信じてた。そして、たぶん人が死んだら天国に行くと思ってたと思う。そして、占い師が間違った占いをすると、特に火刑に処してた。古代の「占い」というのは、神の言葉を伝えるシャーマンに他ならないので、要するに、「偽りをのべるシャーマン」は火刑にされた、とみるべきであると思う。要するに「宗教に関することで、偽りや、人々を惑わすことを述べる者」は「火刑にすべし」という習慣を持ってた。そして、彼らは祭祀の時には、酒と阿片と大麻でラリってた。そういうもので、正気を失い、薬物による一時の快楽を「魂の不滅」と呼んで、死を恐れず、虐殺と略奪を、何の良心の咎めもなく行ってた。印欧語族は他に、寡婦を生きたまま焼く、という「寡婦殉死」とか、生け贄を火刑にする習慣があったので。「魔女狩り」における「火刑」とは、「宗教的不敬」と、「人身御供」「寡婦殉死」における「火刑」がないまぜになったもの。最初は、弱い立場の貧しい女性が、スケープゴート的に狙い撃ちにされたもの、と言われる気がするわけで。だいたい、そういう騒ぎには「酒」がつきものだし、キリスト教化された後は、教会が酒作りの専売特許を持ってたみたいなところもあって。酒が庶民階級にも広く浸透して、人々が精神的に荒廃しているところを、酒や金を餌にして煽れば、魔女狩りはたやすく可能になる、と言われる気がするわけで@@。


でも、その前に、誰がスキタイの人々に、阿片や大麻を持って、それと引き換えに「自分達のために、世界を略奪し、征服して来い」と言ったのかを知らねばならない、という気がするわけで。


だいたい、妙な「建築士」が、何故、自分の理論の「証拠」を出して来ないのか、ということになるわけです。それは、それに対して「きちんと反論されたら困るから」でしょ? と思う。でも、裁判には「最終弁論」というものがあるので、いくら邪魔しても、そこにはねじ込めますよ? と思う。というか、反論を兼ねた文章は、次回の次回に出します。というか、「証拠」を出さないことは、「それを工事期間中に告知したことはなかった」すなわち、告知義務違反である、って一言書いたらそれで済むんじゃん? と思う。まあまあ、「消費者の権利」がどこまで通じるのかやってみましょう、と思う。ともかく、そういうことで、蛙の王家は、私が「魔女狩り」の本を読んだりするのは腹が立って仕方がないらしい。というか、あんた達は、「一服盛って、まともなことを考えられないようにする」ということを、身内にもやるでしょうが。私は、「身内にはそういうことをするなんてよろしくない」なんて言う気はない。身内だろうが、他人だろうが、やっちゃならんことは「ならん」とそれだけのことだと思うわけです。世界史の本を買うと、そういうことが分かるようになるらしいです-;。



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本日の日誌

本日は午前中晴れで、午後少し雨が降って。今日も穴埋めの土が足りなくて、外の土を持ち込んだので、石やゴミはあまり出ませんでした。


私の方は、引き続き資料の整理で。そして買い物もして。車での邪魔がけっこう多かった気がします。資料の整理も、最初コツがつかめなくて、やっとちょっと慣れた気がする。あとは、参考までに「建築訴訟」という本を読み始めました。



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本日の日誌

本日も晴れて。お外組はいつもの通り仕事をして。穴埋めの土が足りなくなってきて、外の土を持ち込んでいるので、石やゴミはあまり出ませんでした。


私の方は、ちょこちょこと資料の整理を始めて。ちょっと大変そうですが、うまくまとまればいいなあ、と思います。


で、今日はなんとなく嵐のDVDとかたくさん見る。養子の子達が4人に増えたので、6番目の子がはりきってる気がします。7番目の兄さんにも「微妙なしがらみがない子だと、ただただ「めでたい」って言えていいよね。」と言われる気がするわけで。富の王家のおっちゃんも「蛇の目の子が生まれた」といって喜んでるらしいです。私の養子って言ったら、富の王家の養子も同然なのに、今まで「蛇の目」の子がいなかったので、「自分の声が届きやすい子が生まれてうれしい」とおっちゃんは思ってるらしいです。



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本日の日誌

本日は晴れて。晴れると暑いけれども、お外組はしっかり仕事をして。3日分の石とかが溜まっていたので、けっこう纏めて写真を撮りました。どうも、今掘っているところは、軟岩というか、崩れやすい石がちょこちょこ目立ちます。


で、私の方は、書面はだいたい書き終わって。書証の資料もだいたい集めて整理し終わって。あとは残りを集めつつ、次に出す資料の整理整頓をしています。


で、今日は角川ソフィア文庫の「世界神話辞典 世界の神々の誕生」を読み終わって。各論ばっかりやってると、どうしても知識が偏るので、こういう網羅的なものを読むと新しい発見があります。世界の神話というのは、違っているように見えて、どこのものも、どこかに似たような話があるように思う。そういったものの繋がりも解き明かせたら楽しいだろうな、と思う。「太陽と月」に関して、今現在興味深く思うのは、「射日神話」で、二人の人が二つの太陽の内の一つを射殺すと、一つは死んで月になる、と共に人間も一人死んでしまう、という話。殺される方と殺す方が一塊となっていて、どうしてそうなるのか整合性もはっきりしないのですが、本来的にはこれを説明する神話があったはずと思う。それが何なのかを知りたいと思う。もう一つは、人間が火を手に入れるために「盗み」を働く、という話であって。火を盗むと人類には火が手に入るけれども、盗まれた相手は何故か死ぬし、死ぬ方は「神の死」として扱われるわけで。何故盗まれた方が死ぬのかははっきりしない。でも、射殺された太陽が月になるのだとすると、「火」を盗まれて失い、「月」になって死んでしまう太陽神、とイメージが重なると思うわけです。だから、射日神話と「火を神から盗む」話は、起源的にどこかで同じものになるはずだと思う。その元の話を知りたい、と思うわけです。ゲイは余計な太陽を射落として人々を救ったけれども、自らは罰を受けて不幸な一生を送った。プロメテウスは神々から火を盗んで、人類のためにはなったけれども、ご当人は罰を受けて悲惨な目にあった。なぜ、「太陽」を損なったものは、人々のためにそれを行ったのに、不幸にならねばならないのだろう、と思う。


あとは、auのCMが新展開を迎えて。鬼退治の旅に出た三太郎ですが、それはフェイクで、行き着いた先には桃太郎の桃ちゃんと、かぐや姫のかぐちゃんとの、サプライズ結婚式が準備されていた、という展開であって。鬼退治からなんで、急に結婚式? と思う。そうしたら、7番目の兄さんに「黙示録も戦いの後に、子羊の結婚式でしょ?」と言われる気がするわけで@@。やっぱり、「黙示録」になぞらえてやってるんだ? と思う。だいたい、桃太郎とかぐや姫が夫婦って、昔話ではそういう展開ではないわけで。CM独自の設定である。7番目の兄さんには、「宗教というのは理屈ではなくて、イメージでしょ。」と言われる気がするわけで。


だいたい「最後の審判」っていっても、それがいつ来るのか、どんな風に来るのか、本当に来るのか、ということは誰も理論的に証明できないわけで。イメージとして、そういう「壊滅的で悲惨な状態が来る」ということがあるわけです。で、それを生き返ったイエス・キリストが戦いの末に収拾し、死者を蘇らせて新しい世界を作り、結婚する、というのもイメージといえる。CMでは、桃太郎とイエス・キリストが重ねられているし、かぐや姫が花嫁と重ねられている。しかも、かぐや姫というのは「月」のイメージであるので、戦士の桃太郎とかぐや姫の組み合わせは、分かる人には「ゲイとその妻の嫦娥」も重ね合わせられることになる。自分だけが不老不死で、月の世界に行ってしまう嫦娥とかぐや姫とはそもそも起源として同じものです。そうすると、桃太郎はゲイと同じ、というイメージになる。ゲイは太陽を射殺した太陽神の化身であるので、桃太郎も太陽神ということになる。それが黙示録と重ね合わせられているから、桃太郎が、ゲイであり、イエス・キリストであり、男性形の太陽神ということになる。ローマ教会が、各地の伝承や民俗を深く研究する意味はここにある。だいたい、どこの民族にも、桃太郎的な英雄の伝承がある。キリスト教のことを何も知らない人達のところに行って、いきなり「最後の審判」とかって言っても相手にされないことはわかりきっているので。そうではなくて、「イエス・キリストというのは、あんたんとこの桃太郎みたいなもの」だと言う。そうして、元からあった伝承を、いかにもキリスト教的に作り替えてしまう。そうすると、「黙示録と最後の審判」とは、太陽神である桃太郎が悪者を退治して、最後は太陽と月が婚姻してめでたしめでたしになる、という話である、という「イメージ」ができあがる。イエス・キリストのことは知らない人達でも、自分達の民族の英雄のことは誰でも知っているから、それとイエス・キリストを一体化させて話を作り布教する。桃太郎を知っている人達なら、「イエス・キリスト」というものは「桃太郎」と同じようなものだ、と思って納得してしまう。「キリスト」と言われても何もイメージできなくても、「桃太郎」ならイメージできる。でも、「桃太郎」をイメージできる人々であっても、「桃太郎」というのが、具体的にどこの誰で、どんな人だったのか、いつの時代の人物だったのか、と問われれば何も知らなくて、あくまでも知っているのは「イメージ」だけ、ということになる。でも、キリストには親しみはなくても、桃太郎には親しみがある。だから、「同じ」と言われれば、キリストにも親しみを持つようになる。そうやって、親近感を持ってくれた人達を「仲間」だと言って丸め込んで取り込んでしまう、ということで。そのために、民俗学とか研究するんだー、と思う。彼らにとっては、キリストとは、人類のためになるようなことをして、神の怒りに触れ、殺された英雄、ということで纏め得る。なぜなら、ゲイの神話、火を盗む神話のように、同じ話、似たような話は、世界中のどこにでもあるから、ということになる。イエス・キリストというのは、現実的にはその行動がローマ人に警戒、敵視されて殺されてしまったように思うのだけれども、「神の怒りに触れて殺された人」ということにして、伝統的な「悲劇の英雄」になぞらえることで、神格化されているのだと思う。イエス・キリストはアスクレピオースのように、死すべき人を生き返らせたことで神の怒りに触れた、とそういうことになっている。少なくとも、福音書はこの思想に沿って書かれている、と言われる気がするわけで@@。


でも、こういう初期の「教父達」のキリストの神格化の目的は、かなり早い段階で崩れることになる。ローマへ布教したペトロが、ユダヤ人社会の中で優位に立ちたくて、保守的な人々を「イエス殺害の犯人」みたいに言って攻撃したからです。保守的な人々が、堕落していて、イエスがそれを救おうとしていたのに、拒否したあげくに、イエスを殺害した、と言ったのかもしれない。これが後の時代まで、キリスト教がユダヤ教を弾圧する口実とされることになりました。「ユダヤ教徒はイエスの救済を拒否し、それのみでなく、イエスの殺害にまで加担した堕落した人々であって、救いがたい罪深き人々である。」ということになります。福音書の中にも、こういう思想の萌芽はあちこちにみられますが、でも、福音書が作られた時代は、まだこの思想はそれほどメインの思想ではなかったのです。でも、イエスも某エホバアもそうだけど、布教をお断りしたからって、「救済を拒否する、救いがたい犯罪者」だなんて、誰も言われる筋合いはないことなんじゃん? と思う-;。でも、こういう押しつけがましくて図々しいところは、ローマ教会が大いに利用して、活用したところなんじゃないかと思う。


でも、新興宗教といえども、「神格化」とは、伝承に則って行われるんだなー、と思う。だからこそ、うかつに取り込まれないように注意しなければいけないんだなー、と思うわけです。



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