地理  

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 本図は参謀本部の地図に依ったものであるが、測量当時と現在では川筋抔可なり移動して、実際は川の所が耕地であったり、田や畑が河原や流れになって居る所がある。現に茶臼山嶺抔が大部分崩れ落って、今少しで全然形が変って了ふかも知れぬと云ふ如な次第であるから況して今日から五百年以上も前の事である、大塔合戦のあった頃と何程の相違を来して居るか、或は想像以上のものがあるかも知れぬと云ふ事を予め胸に置て、参考として頂きたい。


参考  

 「大塔の古城」の場所については、現在の長野県長野市篠ノ井にある大当地区にあった館跡が定説とされていた。現在では大当地区の西方約2キロにある二ッ柳城(現在の二ッ柳神社)を「大塔の古城」に比定する説があり、更に西に400mほどの距離にある夏目城(現在の湯入神社)も近いことから両方との説もある。共に大当地区を見下ろす山際の傾斜地にあり、後の発掘調査により当時は廃城となっていた事が確認されている。(Wikipedia「大塔合戦」より)

 二ッ柳城、夏目城の鳥瞰図がこちらのサイトにあります。美しいです。ページの下の方です。


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Last-modified: 2020-03-26 (木) 23:38:44