例言  

一、本書は文化十四年、中村元恒の蕗原拾葉に集録した大塔記と、嘉永四年成澤寛経が上梓した大塔物語を底本とし、之を上下二欄に分載して対照に便した。
一、大塔物語は続群書類従、史籍集覧、信濃史料叢書等に採録されて居るが、何れも成澤本に拠って居る。大塔記は、史籍集覧が物語本の傍に異同を傍記しただけで、未だ刊行されて居ない。
一、原本は両書とも総て終りまで段落なしに書き続けてあるが、対照上便宜の為め、文章に拘らず随所で句切って置いた。尚其文章も大部分同一であるから訓点は物語の方だけに止めた。
一、何つ頃又何人の手に成ったものか、両書とも仮名文字が伝はって居る。殊に物語本の方は『小笠原長秀信州善光寺参詣之事、並に一揆蜂起之事』等の四つの目録さえ附けてある。
一、従って大塔記、大塔軍記、大塔合戦記、大塔物語、信州川中島布施之郷合戦記等々の名称は付けてあるが内容は皆二書の外に出ない。若し違ふとすれば節略したものに過ぎない。要するに異本と云ふべき程のものでない。
一、豪族の氏名や地名等についての考証は素より必要事であるが、夫れは纏まった上、後日発表して大方の叱正を乞ふ考である。
一、底本並に其撮影及び附録の小伝等については、伊那高等女学校の高津教諭、北村書記、上田の花岡百樹三君を煩はし、又栗岩醉古君には強いて一篇の執筆を請ふた。並に厚く謝意を表す。


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Last-modified: 2020-03-11 (水) 17:14:57