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『太平記』の記述として、(元寇の際)伊勢神宮の風宮に'''青い鬼神'''が現れ、土嚢(※風袋のこと)から大風を起こしたとあり、少なくとも室町時代には風神のビジュアル(風袋を持った青鬼)が確立していたことがわかる(※風袋に関して、大陸渡来であることは別項「風神雷神図」に詳しい)。このような鬼神型の風神は、青鬼の姿で表現される一方で、遠くヘレニズム文化から伝播したと見られる風袋(※これをふいごのようにして風を起こす)を背負った様式で描かれる。俵屋宗達の風神雷神図屏風はその代表的なものである。また、このような風神は雨の神と密接に関係しており、雨を呼ぶ稲妻を司る[[雷神]]は、風神と対をなす存在となっている。
[[平安時代]]の歌学書『[[袋草子]]』、[[鎌倉時代]]の説話集『[[十訓抄]]』には、災害や病気をもたらす悪神としての風神を鎮めるための[[祭事]]があったことが述べられている{{sfnp|平安時代の歌学書『袋草子』、鎌倉時代の説話集『十訓抄』には、'''災害や病気をもたらす悪神としての風神を鎮めるため'''の祭事があったことが述べられている<ref>竹原・多田|, 1997|pp=166, pp166-167}}。[[奈良県]]の</ref>。奈良県の[[龍田大社]]では[[7月4日]]に風神祭りが行われている。では7月4日に風神祭りが行われている。
'''風の又三郎'''(かぜのまたさぶろう)は、[[東北地方]]各地で信仰されてきた半ば[[妖怪]]ともいえる風の神であり、古来[[神社]]で祀られてきた。[[新潟県]]などで信仰されてきた(かぜのまたさぶろう)は、東北地方各地で信仰されてきた半ば妖怪ともいえる風の神であり、古来神社で祀られてきた。新潟県などで信仰されてきた'''風三郎'''/'''風の三郎'''(かぜのさぶろう)も同根である。このような形の風神は、日本各地に似たようなものが見られる。[[宮沢賢治]]の[[短編小説]]『[[風の又三郎]]』とその先駆作『風野又三郎』はこの風神に材を採った作品である。また、日本の[[楽曲]]『[[北風小僧の寒太郎]]』にも少なくとも発想の上で影響が見られる。(かぜのさぶろう)も同根である。このような形の風神は、日本各地に似たようなものが見られる。宮沢賢治の短編小説『風の又三郎』とその先駆作『風野又三郎』はこの風神に材を採った作品である。また、日本の楽曲『北風小僧の寒太郎』にも少なくとも発想の上で影響が見られる。
[[疫病神]]としての風の神は、空気の流動が農作物や漁業への害をもたらし、人の体内に入ったときは病気を引き起こすという、中世の信仰から生まれたものである。「かぜをひく」の「かぜ」を「風邪」と書くのはこのことに由来すると考えられており、[[江戸時代]]には風邪の流行時に風の神を象った[[藁人形]]を「送れ送れ」と囃しながら町送りにし、野外に捨てたり川へ流したりしたという{{sfnp|竹原・多田|1997|pp=166-167}}。江戸時代の奇談集『[[絵本百物語]]』では、風の神は邪気のことであり、風に乗ってあちこちをさまよい、物の隙間、暖かさと寒さの隙間を狙って入り込み、人を見れば口から黄色い息を吹きかけ、その息を浴びたものは病気になってしまうとされる{{sfnp|竹原・多田|1997|p=107}}。また「黄なる気をふくは黄は土にして湿気なり」と述べられており、これは[[中国]]黄土地帯から飛来する[[黄砂]]のことで、雨天の前兆、風による疫病発生を暗示しているものといわれる{{sfnp|竹原・多田|1997|pp=166-167}}。[[西日本]]各地では、屋外で急な病気や発熱に遭うことを「風にあう」といい、風を自然現象ではなく霊的なものとする民間信仰がみられる{{sfnp|村上|2000|pp=105-106}}。

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