'''風の又三郎'''(かぜのまたさぶろう)は、東北地方各地で信仰されてきた半ば妖怪ともいえる風の神であり、古来神社で祀られてきた。新潟県などで信仰されてきた'''風三郎'''/'''風の三郎'''(かぜのさぶろう)も同根である。このような形の風神は、日本各地に似たようなものが見られる。宮沢賢治の短編小説『風の又三郎』とその先駆作『風野又三郎』はこの風神に材を採った作品である。また、日本の楽曲『北風小僧の寒太郎』にも少なくとも発想の上で影響が見られる。
[[疫病神]]としての風の神は、空気の流動が農作物や漁業への害をもたらし、人の体内に入ったときは病気を引き起こすという、中世の信仰から生まれたものである。「かぜをひく」の「かぜ」を「風邪」と書くのはこのことに由来すると考えられており、[[江戸時代]]には風邪の流行時に風の神を象った[[藁人形]]を「送れ送れ」と囃しながら町送りにし、野外に捨てたり川へ流したりしたという{{sfnp|疫病神としての風の神は、空気の流動が農作物や漁業への害をもたらし、人の体内に入ったときは病気を引き起こすという、中世の信仰から生まれたものである。「かぜをひく」の「かぜ」を「風邪」と書くのはこのことに由来すると考えられており、江戸時代には風邪の流行時に風の神を象った藁人形を「送れ送れ」と囃しながら町送りにし、野外に捨てたり川へ流したりしたという<ref>竹原・多田|, 1997|pp=166, pp166-167}}。江戸時代の奇談集『[[絵本百物語]]』では、風の神は邪気のことであり、風に乗ってあちこちをさまよい、物の隙間、暖かさと寒さの隙間を狙って入り込み、人を見れば口から黄色い息を吹きかけ、その息を浴びたものは病気になってしまうとされる</ref>。江戸時代の奇談集『絵本百物語』では、風の神は邪気のことであり、風に乗ってあちこちをさまよい、物の隙間、暖かさと寒さの隙間を狙って入り込み、人を見れば口から黄色い息を吹きかけ、その息を浴びたものは病気になってしまうとされる{{sfnp|竹原・多田|1997|p=107}}。また「黄なる気をふくは黄は土にして湿気なり」と述べられており、これは[[中国]]黄土地帯から飛来する[[黄砂]]のことで、雨天の前兆、風による疫病発生を暗示しているものといわれる{{sfnp|。また「黄なる気をふくは黄は土にして湿気なり」と述べられており、これは中国黄土地帯から飛来する黄砂のことで、雨天の前兆、風による疫病発生を暗示しているものといわれる<ref>竹原・多田|, 1997|pp=166, pp166-167}}。[[西日本]]各地では、屋外で急な病気や発熱に遭うことを「風にあう」といい、風を自然現象ではなく霊的なものとする民間信仰がみられる{{sfnp|</ref>。西日本各地では、屋外で急な病気や発熱に遭うことを「風にあう」といい、風を自然現象ではなく霊的なものとする民間信仰がみられる<ref>村上|, 2000|pp=105, pp105-106}}。 ==== 日本の風神の関連作品 ====* [[京極夏彦]] 小説「風の神」 - 『[[後巷説百物語]]』に収録。 === 中国の風神 ==={{節スタブ}}<!-- ※定義でも触れた「飛廉(いて座)」と「箕伯」について。ほか。--/ref>。
=== 仏教の風神 ===
{{Main|風天}}
[[ファイル:Futen.jpg|thumb|130px|{{center|風天}}]]
'''風天'''(ふうてん)は、[[仏教]]における[[天部]]の一尊で、[[十二天]]の一。[[インド神話]]の風神である[[#ヴァーユとヴァータ|ヴァーユとヴァータ]]を起源とし、[[バラモン教]]を通じて仏教に取り込まれた風の神である。{{-}}
=== インドの風神 ===
{{Anchors|ヴァーユ|ヴァータ}}
==== ヴァーユとヴァータ ====
{{Main|ヴァーユ}}