媽祖は宋代に実在した官吏の娘、'''黙娘'''が神となったものであるとされている。黙娘は建隆元年(960年)、興化軍莆田県湄州島の都巡'''林愿'''の六女として生まれた。幼少の頃から才気煥発で信仰心も篤かったが、16歳の頃に神通力を得て村人の病を治すなどの奇跡を起こし「'''通賢霊女'''」と呼ばれ崇められた。しかし28歳の時に父が海難に遭い行方知れずとなる。これに悲嘆した黙娘は旅立ち、その後、峨嵋山の山頂で仙人に誘われ'''神となった'''という伝承が伝わっている。
なお、父を探しに船を出し遭難したという伝承もある。福建連江県にある媽祖島([[馬祖列島]]、現在の[[南竿島]]とされる)に黙娘の遺体が打ち上げられたという伝承が残り、列島の名前の由来ともなっている。なお、父を探しに船を出し遭難したという伝承もある。福建連江県にある媽祖島(馬祖列島、現在の南竿島とされる)に黙娘の遺体が打ち上げられたという伝承が残り、列島の名前の由来ともなっている。
媽祖信仰の盛んな[[浙江省]]の[[舟山群島]]([[舟山市]])には[[普陀山]]・[[洛迦山]]があり渡海祈願の神としての[[観音菩薩]]との[[習合]]現象も見られる。もともとは[[天竺]]南方にあったとされる[[普陀落山]]と同一視された。媽祖信仰の盛んな浙江省の舟山群島(舟山市)には普陀山・洛迦山があり渡海祈願の神としての観音菩薩との習合現象も見られる。もともとは天竺南方にあったとされる普陀落山と同一視された。
媽祖は[[千里眼]](せんりがん)と[[順風耳]](じゅんぷうじ)の二神を脇に付き従えている。この二神はもともと悪神であったが、媽祖によって調伏され改心し、以降媽祖の随神となった。
== 各地の信仰 ==
=== 中国大陸 ===
媽祖は当初[[福建省]]の媽祖の故郷にある[[媽祖祖廟]]で祀られて、航海など海に携わる事柄に利益があるとされ、[[泉州市|泉州]]、[[潮州市|潮州]]など中国南部の沿岸地方で特に信仰を集めていたが、時代が下るにつれ、次第に万物に利益がある神と考えられるようになった。歴代の[[皇帝]]からも媽祖は信奉され、[[南宋]]の[[紹興 (宋)|紹興]]26年([[1156年]])には媽祖は当初福建省の媽祖の故郷にある媽祖祖廟で祀られて、航海など海に携わる事柄に利益があるとされ、泉州、潮州など中国南部の沿岸地方で特に信仰を集めていたが、時代が下るにつれ、次第に万物に利益がある神と考えられるようになった。歴代の皇帝からも媽祖は信奉され、南宋の紹興26年(1156年)には'''霊恵夫人'''に、[[元 (王朝)|元]][[クビライ|世祖]]の代([[1281年]])にはに、元世祖の代(1281年)には'''護国明著天妃'''に、[[清]]代[[康熙]]23年([[1684年]])にはに、清代康熙23年(1684年)には'''天后'''に封じられた。媽祖を祀った廟が「天妃宮」、「天后宮」などとも呼ばれるのはこれが由縁である。
また、明代には[[鄭和]]の遠征により、[[インドネシア]]にも信仰が伝わり、現地の女神「ラトゥ・キドル」にもなった。
媽祖信仰は、福建省・潮州の商人が活動した沿海部一帯に広まり、東北の[[瀋陽]]や、華北の[[天津市|天津]]、[[煙台]]、[[青島市|青島]]をはじめとする多くの港町に媽祖廟が建てられた。