=== 岩戸神話と檀君 ===
檀君神話では熊女は自ら洞穴に籠もって人間になるための修行をする。それが成功したから彼女は人間になれる。日本神話では天照大神が岩戸に閉じこもり、結果的には部下の神々に救出される。これらは一方では、熊のような冬眠をする動物の冬ごもりから着想を得たものであると思うし、熊がトーテムであることとも関連すると思う。そして、この考えの発展系と言えるかもしれないが、日本や朝鮮には「[[棄老]]」という概念があったように思う。これは年を取った老人を山に捨てたり、穴に埋めたりするもので、日本では[[うばすてやま|姥捨]]、朝鮮では[[高麗葬]]という。日本では山に老人を捨てた、という風習は存在したか否かはっきりしないが、平安時代の貴族階級には仏教などとの影響と相まって、病人が出ると亡くなる前に墓所地に捨ててくる、という風習があり、「人が亡くなる前に看病をせずに遺棄してしまう」ということに抵抗のない文化・風習があったことが窺える。「洞窟に籠もる」ということは「[[棄老]]」を暗示しており、「'''殺されること'''」を意味すると思う。ただし、この「'''女性が洞窟的な場所に籠もる'''」という伝承群は、「'''そこからの救出'''」を伴っていることが多いように感じる。この点での類話としては西欧の民話である「ラプンツェル」や「赤ずきん」を想定している。ラプンツェルは捕らわれていた塔から救出される。赤ずきんは「狼の腹の中」から救出される。これらと比較すると、天照大神は閉じこもっていた岩戸から部下達に救出される点が共通している。檀君神話の熊女は'''修行のため'''に自ら洞窟に籠もり、満願があけると自ら出てくるので、その点が仏教の影響であると思う。本来は誰かに救出される話だったのではないだろうか。とすると、興味深い点が更にある。日本神話では天照大神は弟の須佐之男の狼藉で岩戸に籠もる。須佐之男は天照大神の弟ではあるが天照大神との間に子供を成しており、天照大神の夫である、ともいえる。に自ら洞窟に籠もり、満願があけると自ら出てくるので、その点が仏教の影響であると思う。本来は誰かに救出される話だったのではないだろうか。とすると、興味深い点が更にある。日本神話では天照大神は弟の須佐之男の狼藉で岩戸に籠もる。須佐之男は天照大神の弟ではあるが天照大神との間に子供を成しており、天照大神の夫である、ともいえる。朝鮮の本来の仏教の影響を受ける前の檀君神話では、熊女は夫の桓雄の狼藉を受けて洞窟に籠もったのだろうか、それとも、夫の桓雄に救出されて桓雄の妻となったのであろうか。個人的には、管理人は須佐之男と同じパターンではなかったかと思うのだが、興味深いことである<ref group="私注">管理人がこう考える理由は、桓雄も須佐之男と同様「天から降りてきた神」でからで、降りてきたことについてはやはり何らかの理由が本来の神話では存在したのではないだろうか。</ref>。 === その他 ===散逸した文献には、'''桓雄の孫娘が薬を飲んで人間になって、檀樹神と婚姻して檀君が生まれた'''とあったとされる。このように 父親(祖父)-娘(と婿)-孫 という形式の神話は、賀茂氏の祖神神話と共通している。それは 賀茂建角身命(八咫烏)-玉依姫(と婿の火雷神)-賀茂別雷命 である。
== 参考文献 ==