== ハイヌウェレ神話型 ==
=== 大気都比売神と須佐之男命 ===
『古事記』においては、岩戸隠れの後に高天原を追放された速須佐之男命(素戔嗚尊)が、食物神である[[大宜都比売|大気都比売神]](おおげつひめ-)に食物を求めた話として出てくる。(おおげつひめ)に食物を求めた話として出てくる。
[[大宜都比売|大気都比売神]]は、鼻や口、尻から様々な食材を取り出して調理して須佐之男命に差しあげた。しかし、その様子を覗き見た須佐之男命は食物を汚して差し出したと思って、[[大宜都比売|大気都比売神]]を殺してしまった。
=== 保食神と月夜見尊 ===
『[[日本書紀]]』においては、同様の説話が[[神産み]]の第十一の一書に[[ツクヨミ|月夜見尊]](月読命・つくよみ)と『日本書紀』においては、同様の説話が神産みの第十一の一書に月夜見尊(月読命・つくよみ)と[[保食神]](うけもち)の話として出てくる。
天照大神はツクヨミに、葦原中国にいる[[天照大神保食神|ウケモチ]]はツクヨミに、という神を見てくるよう命じた。ツクヨミが[[葦原中国保食神|ウケモチ]]にいるウケモチという神を見てくるよう命じた。ツクヨミがウケモチの所へ行くと、ウケモチは、口から米飯、魚、毛皮の動物を出し、それらでツクヨミをもてなした。ツクヨミは汚らわしいと怒り、ウケモチを斬ってしまった。それを聞いたアマテラスは怒り、もうツクヨミとは会いたくないと言った。それで太陽と月は昼と夜とに別れて出るようになったのである。の所へ行くと、[[保食神|ウケモチ]]は、口から米飯、魚、毛皮の動物を出し、それらでツクヨミをもてなした。ツクヨミは汚らわしいと怒り、[[保食神|ウケモチ]]を斬ってしまった。それを聞いたアマテラスは怒り、もうツクヨミとは会いたくないと言った。それで太陽と月は昼と夜とに別れて出るようになったのである。
アマテラスがウケモチの所に天熊人(あめのくまひと)を遣すと、ウケモチは死んでいた。保食神の亡骸の頭からアマテラスが[[牛]][[馬]]、額から[[粟]]、眉から[[蚕]]、目から[[稗]]、腹から[[イネ|稲]]、陰部から[[ムギ保食神|麦]]・[[大豆]]・[[小豆ウケモチ]]が生まれた。アメノクマヒトがこれらを全て持ち帰ると、アマテラスは喜び、民が生きてゆくために必要な食物だとしてこれらを田畑の種とした。の所に天熊人(あめのくまひと)を遣すと、ウケモチは死んでいた。保食神の亡骸の頭から牛馬、額から粟、眉から蚕、目から稗、腹から稲、陰部から麦・大豆・小豆が生まれた。アメノクマヒトがこれらを全て持ち帰ると、アマテラスは喜び、民が生きてゆくために必要な食物だとしてこれらを田畑の種とした。
=== 稚産霊 ===
また、日本書紀における神産みの第二の一書には、火の神[[カグツチ|軻遇突智]](火之迦具土神・かぐつち)と、[[伊弉冉尊]](伊邪那美命・いざなみ)が亡くなる直前に生んだ土の神・埴山媛(はにやまひめ)の間に生まれた[[ワクムスビ|稚産霊]](和久産巣日神・わくむすひ)の頭の上に蚕と桑が生じ、臍(ほぞ)の中に五穀が生まれたという説話がある。ワクムスビが亡くなる(殺された)かどうかの記述はないが、ハイヌウェレ神話型に分類されるものである。また、日本書紀における神産みの第二の一書には、火の神軻遇突智(火之迦具土神・かぐつち)と、伊弉冉尊(伊邪那美命・いざなみ)が亡くなる直前に生んだ土の神・埴山媛(はにやまひめ)の間に生まれた稚産霊(和久産巣日神・わくむすひ)の頭の上に蚕と桑が生じ、臍(ほぞ)の中に五穀が生まれたという説話がある。ワクムスビが亡くなる(殺された)かどうかの記述はないが、ハイヌウェレ神話型に分類されるものである。<!---[[ハイヌウェレ型神話]]は元の記事に出典がありますが、日本神話における食物起源神話がデーメーテール神話型に分類できるとの主張に対する出典がいまのところないため、学説としてしっかりした出典が掲載されるまで隠しておきたいと思いますハイヌウェレ型神話は元の記事に出典がありますが、日本神話における食物起源神話がデーメーテール神話型に分類できるとの主張に対する出典がいまのところないため、学説としてしっかりした出典が掲載されるまで隠しておきたいと思います。
== デーメーテール神話型 ==
=== ニニギ ===
日本書紀における[[天孫降臨]]の第二の一書には、天照大神が、高天原にある稲穂を[[アメノオシホミミ|天忍穂耳命]](あめのおしほみみ)に授け、オシホミミは天降る際に生まれた[[ニニギ|瓊々杵尊]](邇邇芸命・ににぎ)にそれを授けて天に帰ったとの記述がある。日本書紀における天孫降臨の第二の一書には、天照大神が、高天原にある稲穂を天忍穂耳命(あめのおしほみみ)に授け、オシホミミは天降る際に生まれた瓊々杵尊(邇邇芸命・ににぎ)にそれを授けて天に帰ったとの記述がある。
また、日向国風土記逸文には、天降ったニニギが天から持って来た籾を地上に撒き散らしたとある。