日本神話における食物起源神話

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日本神話における食物起源神話(にほんしんわにおけるしょくもつきげんしんわ)では、日本神話における、食物の起源に関する神話について記述する[1]

日本神話における食物起源の記述には、東南アジアでよく見られるハイヌウェレ神話の特徴が見られる。即ち、排泄物から食物などを生み出す神を殺すことで食物の種が生まれたとするものである。

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ハイヌウェレ神話型[編集]

大気都比売神と須佐之男命[編集]

『古事記』においては、岩戸隠れの後に高天原を追放された速須佐之男命(素戔嗚尊)が、食物神である大気都比売神(おおげつひめ)に食物を求めた話として出てくる。

大気都比売神は、鼻や口、尻から様々な食材を取り出して調理して須佐之男命に差しあげた。しかし、その様子を覗き見た須佐之男命は食物を汚して差し出したと思って、大気都比売神を殺してしまった。

大気都比売神の屍体から様々な食物の種などが生まれた。頭に蚕、目に稲、耳に粟、鼻に小豆、陰部に麦、尻に大豆が生まれた。神産巣日神(神産巣日御祖命・かみむすび)はこれらを取って五穀の種とした。

保食神と月夜見尊[編集]

『日本書紀』においては、同様の説話が神産みの第十一の一書に月夜見尊(月読命・つくよみ)と保食神(うけもち)の話として出てくる。

天照大神はツクヨミに、葦原中国にいるウケモチという神を見てくるよう命じた。ツクヨミがウケモチの所へ行くと、ウケモチは、口から米飯、魚、毛皮の動物を出し、それらでツクヨミをもてなした。ツクヨミは汚らわしいと怒り、ウケモチを斬ってしまった。それを聞いたアマテラスは怒り、もうツクヨミとは会いたくないと言った。それで太陽と月は昼と夜とに別れて出るようになったのである。

アマテラスがウケモチの所に天熊人(あめのくまひと)を遣すと、ウケモチは死んでいた。保食神の亡骸の頭から牛馬、額から粟、眉から蚕、目から稗、腹から稲、陰部から麦・大豆・小豆が生まれた。アメノクマヒトがこれらを全て持ち帰ると、アマテラスは喜び、民が生きてゆくために必要な食物だとしてこれらを田畑の種とした。

稚産霊[編集]

また、日本書紀における神産みの第二の一書には、火の神軻遇突智(火之迦具土神・かぐつち)と、伊弉冉尊(伊邪那美命・いざなみ)が亡くなる直前に生んだ土の神・埴山媛(はにやまひめ)の間に生まれた稚産霊(和久産巣日神・わくむすひ)の頭の上に蚕と桑が生じ、臍(ほぞ)の中に五穀が生まれたという説話がある。ワクムスビが亡くなる(殺された)かどうかの記述はないが、ハイヌウェレ神話型に分類されるものである。

デーメーテール神話型(植物降臨型)[編集]

ハイヌウェレ型神話は元の記事に出典がありますが、日本神話における食物起源神話がデーメーテール神話型に分類できるとの主張に対する出典がいまのところないため、学説としてしっかりした出典が掲載されるまで隠しておきたいと思います。[3]

ニニギ[編集]

日本書紀における天孫降臨の第二の一書には、天照大神が、高天原にある稲穂を天忍穂耳命(あめのおしほみみ)に授け、オシホミミは天降る際に生まれた瓊々杵尊(邇邇芸命・ににぎ)にそれを授けて天に帰ったとの記述がある。

また、日向国風土記逸文には、天降ったニニギが天から持って来た籾を地上に撒き散らしたとある。

五十猛神[編集]

日本書紀におけるヤマタノオロチ退治の第四の一書では、高天原を追放された素戔嗚尊は新羅に降りたが、「ここにはいたくない」と言って出雲へ向かう。この時、スサノヲの子の五十猛神(いそたける)は高天原から持って来た木々の種を新羅には植えず大八洲国(日本)に撒いたので、大八洲国は青々とした地になったとしている。

縄文の神話[編集]

神話学者の吉田敦彦は、縄文時代中期の土偶の大半が地母神的な女性を表現しており、且つ破壊されている点に注目した[4]。これは「地母神が殺されてバラバラにされ、そこから人々の役に立つものが誕生した」という神話を、女神の表象である土偶を破壊して分割する行為によって儀礼的に再現した痕跡ではないか、と考えたのである[4]。この説によるとハイヌウェレ型神話は芋(あるいは五穀)栽培と共に既に縄文中期に日本列島で知られていた、という事になる[5]

備考[編集]

  • 佐原真は、考古学の観点・立場からは縄文中期の土偶破壊儀礼に当たる考古資料が弥生時代や古墳時代には確認されないことから、日本神話(高天原神話)が縄文時代までさかのぼるという考え方には不安が残るとし、神話の連続性(民俗伝承・文化を考古資料で裏付けようとする時間軸を無視した説)に関しては問題点を呈している(森先一貴 近江俊秀 『境界の日本史 地域性の違いはどう生まれたか』 朝日新聞出版 2019年 p.16)。


<管理人考> 縄文時代には里芋が東南アジアから日本列島に入ってきており、月を「芋の母」とする考えや、月と関連させて「芋名月」という民間祭祀を行う習慣があることからも、縄文時代にハイヌウェレ型神話が日本に到達していた、という吉田敦彦の説には管理人も賛成である。ただし

  • この芋に関する「月の女神」を直接記紀神話の「豊受大神」等の穀物神に結びつける神話的要素が乏しい。(例外として「月の輪田」はあるが。)
  • ハイヌウェレは不特定多数の人々に殺されるが、記紀神話の女神は特定の神に殺されており、殺した者が明確にされている。
  • ハイヌウェレは芋に化生したのみだが、記紀神話の女神は穀物、蚕、動物など、様々なものに化生している。

等の相違点があるため、おそらく弥生の稲作文化が入ってきた時に、稲作文化の人々が先住の芋女神のハイヌウェレ神話を改変して、上書きし、記紀神話に結実させたことも事実であるだろうと考える。純粋な縄文の芋女神の神話と、弥生以降の上書きされた部分を分離することが、縄文と弥生の文化を理解するために必要と考える。


縄文の「土偶破壊儀礼」は、要は死者の再生のために土偶の完全性を損ない身代わりとしたという思想であると思う。神になにがしかの「代わりになるもの」を捧げて、その見返りに再生を求めた、といえる。畝尾都多本神社には、神にを捧げて高市皇子の再生を祈った、という逸話があるので、土偶(要は芋)を捧げる代わりにを捧げる、というのは、立派な縄文中期の土偶破壊儀礼に当たる考古資料だと個人的には思う。

参照[編集]

  1. 出典の明記要 , 2021年10月22日
  2. 独自研究範囲、また、天から食物の種を携えた神が天降って来たとする記述も見られる。これはギリシャのデーメーテール神話に類似している。, 2021年10月
  3. この項は、このように記載されて、Wikipediaでは隠されています。敢えて「デーメーテール型」としなくても、植物(主に穀物)の種が何らかの形で天からもたらされた神話、というくくり方で良いのではないか、と管理人は思います。台湾の伝承にもハイヌウェレ型のものもあるけれども、鳥が種をもたらした、というものもあって、何か一つの話形に統一した起源説話がなければならない、ということはなく、複数の説話が混在していて良いものだと思います。(by 管理人、22-05-28)
  4. 4.0 4.1 『日本人の女神信仰』 吉田敦彦
  5. 吉田敦彦 『昔話の考古学 山姥と縄文の女神』 中央公論社