:その昔、中房山という所に魏石鬼という名の鬼賊が居た。八面大王を称し、神社仏閣を破壊し民家を焼き人々を悩ましていた。延暦24年(805年)、討伐を命ぜられた田村将軍は安曇郡矢原庄に下り、泉小太郎ゆかりの川合に軍勢を揃え、翌大同元年(806年)に賊をうち破った。
:穂高神社の縁起では、光仁天皇のころ義死鬼という東夷が暴威を振るい、のち桓武天皇の命により田村利仁{{Refnest|<ref group="注|">藤原利仁と同化した、中世以降における坂上田村麻呂(田村将軍)の伝説上の名前の一つ。}}</ref>がこれを討ったという。
また、八面大王に関連した地名や遺跡に関する以下のような記述もある。