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第二次世界大戦以降は水銀系農薬による獲物の減少や繁殖力の低下(1960年代に変死例・繁殖の失敗が増加したこと、捕獲後に死亡した個体から大量の水銀が検出されたため)、近親交配により生息数が減少した<ref name="oosako" /><ref name="takeshita" /><ref name="naito_ikeda" /><ref name="ezaki_b" /><ref name="komiya_b" />。1953年に種として天然記念物、1956年に特別天然記念物に指定された<ref name="ezaki_b" /><ref name="komiya_b" />。
1961年5月25日頃の福井県小浜市羽賀で2羽が巣立ち<ref>{{Cite news|title=巣立った二羽のヒナ 小浜 天然記念物「コウノトリ」|date=, 1961-5-30|agency=, 読売新聞}}</ref><ref>{{Cite news|title=ヒナを巣立たせる 小浜湯ノ山の`コウノトリ夫婦、地元の人たちに見守られ|date=, 1961-5-30|agency=, 産経新聞}}</ref>、これが野生絶滅前最後の巣立ちとなった。{{要出典範囲|1962年に文化財保護法に基づき兵庫県と福井県が「特別天然記念物コウノトリ管理団体」の指定を受けた|date=2016年2月}}<sup>(''要出典範囲、1962年に文化財保護法に基づき兵庫県と福井県が「特別天然記念物コウノトリ管理団体」の指定を受けた、2016年2月'')</sup>。1964年5月には福井県小浜市栗田で2羽の雛が孵化したが、この雛は2羽とも5月17日に死亡が確認された<ref>{{Cite news|title=小浜のコウノトリ ひな二羽死ぬ 犯人はトンビ?|date=, 1964-5-18|agency=, 毎日新聞}}</ref><ref>{{Cite news|title=二羽とも死ぬ 小浜 コウノトリのヒナ|date=, 1964-5-18|publisher=, 福井新聞}}</ref><ref>{{Cite news|title=ヒナ二羽とも死ぬ コウノトリ 犯人はトンビか 小浜市|date=, 1964-5-18|agency=, 朝日新聞}}</ref><ref>{{Cite news|title=ヒナ二羽死ぬ 福井のコウノトリ|date=, 1964-5-18|agency=, 産経新聞}}</ref>。
[[1965年]]から野生個体の捕獲と、飼育下で繁殖させる試みが進められるようになった<ref name="ezaki_b" /><ref name="komiya_b" />。捕獲された個体は短期間で死亡する個体が多く、闘争による死亡やケージなどの問題、前述した大量の[[水銀]]が体内から検出されたことが影響していると考えられている<ref name="komiya_b" />。[[1971年]]に豊岡市で野生個体を捕獲したことで、日本産の個体群は野生絶滅した<ref name="ezaki_b" />(この個体は捕獲後1か月で死亡している)<ref name="komiya_b" />。1966年に初めて[[神戸市立王子動物園]]が、以後は1972年に[[多摩動物公園]]、1978年に[[大阪市天王寺動物園]]などで、中華人民共和国産の個体を導入して繁殖させる試みが進められた<ref name="komiya_b" />。
 
[[ファイル:Kounotori_06f4439.jpg|thumb|right|コウノトリの郷公園で人工繁殖され飼育されているコウノトリ達。<small>公開ケージには給餌目当てにアオサギ、[[ダイサギ]]、[[チュウサギ]]、そして放鳥・野生コウノトリ達が集まってくることがある。(2006年9月撮影)</small>]]
{{要出典範囲|国内の野生最後の生息地の一つである福井県[[武生市]]に1970年12月2日に飛来した雌の一羽(コウちゃん)は、嘴を損傷しており、満足に餌を採ることができない状態で衰弱が激しかった為に保護され、1971年2月28日に豊岡市のコウノトリ飼育場に移送された。「武生」と改名されたその一羽は2005年6月20日まで生き、34年という国内最長飼育記録を建てると共に、115個の卵を産んだが、成長したのは雌の「紫」一羽のみだった。|date=2017年12月}}

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