城頭山遺跡

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城頭山遺跡(じょうとうざんいせき)は、中国の新石器時代の大渓文化から石家河文化にかけての城跡。湖南省常徳市澧県城頭山鎮に位置する。遺跡の年代は6500年あまり前で、中国最古の城跡とされる。保存状態の良好な水田跡や最古の祭壇跡が発見されている。長江文明の形成や稲作農業の発展を解明する上で学術的価値は高い。1996年、遺跡は中国国務院により全国重点文物保護単位に指定された。


祭壇から出土した稲籾は、翌年の稲籾を収穫し分配する儀礼の可能性が高い。ウシの下顎骨が人骨と同時に埋葬されていること、サイの骨には焼けたあとがあること、日本列島の弥生時代において聖獣とされたシカの仲間が人骨の上から発見されたことから、これらの動物は農耕儀礼に捧げられた生贄であったろう。人骨も副葬品がまったくなく、膝を曲げた屈葬であることから、供犠された生贄であった可能性が高い[1]

私的解説

農耕に関する祭祀に生贄を捧げる意味とはなんなのだろか。

現代のミャオ族では、ノン・ニュウという大規模な祖先を祀る祭祀を行う習慣があり、水牛の生贄が捧げられる。城頭山遺跡の祭祀における生贄の意味には、農耕に関するものの他、「祖先を祀る」という意味もあり、祖先に食料(肉)を捧げる、という面もあったのではないだろうか。すると、大渓文化で「祖先信仰」も開始されていた可能性がある、といえる。鼎はまだ登場していないようである。ミャオ族の祭祀も鼎は使用されていない。

人の生贄も共に捧げているのは、動物と同一視した人間を食料のために捧げているのか、后稷のように死体から穀物の発生を願うものであるのか、興味深いことである。

参考文献

  • Wikipedia:城頭山遺跡(最終閲覧日:22-08-21)
  • 長江文明の探求、梅原猛、安田喜憲共著、新思索社、2004

関連項目

参照

  1. 長江文明の探求、梅原猛、安田喜憲共著、新思索社、2004、p88