「小泉小太郎伝説」の版間の差分

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== 私的解説・再現神話 ==
 
== 私的解説・再現神話 ==
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昔、八布施山の山頂に神社があり、そこへ毎晩のように通う一人の女性がいた。彼女がどこからやって来たのか分からず、不思議に思った村の老人が、こっそり彼女の衣服に糸を付けた針を刺しておいた。翌朝、村人が糸をたどって行き着いた先は、犀川の縁にある洞窟だった。中をのぞくと、赤子を産もうと苦しむ大蛇の姿があったが、男の子を産んだ大蛇は息も絶え絶えだった。
  
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「私は出産で力を使い果たし、このままでは生きていかれません。川の底の我が家で休まなければなりません。どうかこの子を預かって育ててください。」
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そう言うと、大蛇は老人に赤子と龍の赤い玉を預けて、犀川に入って行ってしまった。老人は赤ん坊に小太郎と名付け、妻と一緒に大切に育てた。身長は小さいものの、たくましい体に成長した小太郎だったが、食べては遊んでばかりで仕事をしたことがない。14、5歳になった頃、養母から仕事を手伝うよう促された小太郎は、小泉山へ薪を取りに出かけることにした。母親からもらった龍の玉を使うと仕事は簡単に済んだ。小太郎は萩の束を2つほど持ち帰った。これは山じゅうの萩を束ねたものだから、使うときは1本ずつ抜き取るようにして、決して結びを解いてはいけない、と小太郎は養母に伝えたが、たった1日でそのようなことができるはずがないと思った養母は結びを解いてしまった。すると、束がたちまち膨れあがり、養母はその下敷きになって動けなくなってしまった。
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「お母さん、僕の言うことを信用しないから、罰を受けたんですよ。次から気をつけてください。」
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小太郎はそう言いながら、萩をのけて養母を助け出した。小太郎のとってきた萩の薪はとても良く燃えて怖いくらいだった。
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薪取りで失敗したので、小太郎は今度は養父の畑仕事を手伝うことにした。石ころだらけの山坂を開墾する厳しい仕事だ。農地は少ないし、仕事は大変だし、小太郎は嫌気がさした。
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「こんなに山が険しくては田畑も少ししか作れない。せめて犀川の周囲がもっと平らだったら村のみんなも仕事が楽になるのになあ。」
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と小太郎は思った。そこで、小太郎はなんとかならないものかと、母親の大蛇に会いに行くことにした。実は母親の大蛇は犀川の女神の犀竜だったのだ。母親は尾入沢というところに住んでいて、近頃ではすっかり具合も良くなり、天気の良い日には陸に上がってきて、尾だけを水につけて日向ぼっこしながら昼寝をしている、と噂で聞いたのだ。だから、その地を「尾入沢」と言うのだ。小太郎が養父母にその話をすると、養父母は小太郎が険しい山道を越えていけるように馬を1頭貸してくれた。
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小太郎が会いに行くと犀竜はとても喜んでくれた。
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「少し体を休めようと思っていたら、子供がこんなに大きくなるほど時間が経っていたなんて気がつきませんでした。お前の用向きは私が何とかしてあげましょう。」
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と犀竜は言った。そして、犀竜は自身が諏訪湖の女神・八須良姫で、小太郎の父親は諏訪湖の神・八須良雄だと教えてくれた。八須良雄は白い龍だと言う。
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「私と夫は、役の行者という悪者と戦って、瀕死の重傷を負ったのです。この行者が神々の神域に入り込んで、修行する、と言っては荒らし回るので追い出そうとしました。でも、良く話してみたら少しは話が分かるところもあったので、神域を大きく荒らさないことを約束させて戦いをやめることにしたのです。傷ついたお父さんは、飯山の白龍湖で今も体を休めています。私は具合が良くなったから、川の流域を平地として、人が住める里にしましょう。」
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と犀竜は言った。小太郎は犀竜に乗って山清路の巨岩や久米路橋の岩山を突き破り、日本海へ至る川筋を作った。仕事が終わると、母の犀竜はまた水底の住処へと帰っていった。小太郎と人々は、久米路橋のほとりに、「小太郎神神社(彦神別神神社)」を作って母の八須良姫を祀った。白龍湖の近くにも「小太郎神神社(彦神別神神社)」を作って父の八須良雄を祀った、小太郎は箱清水という所に住んで、「小太郎神神社(彦神別神神社)」を作り、自分がそこの彦神別神という神様になった。彼らの神社は水内大社と呼ばれ、朝廷からも篤い尊敬を受けた。
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でも、役の行者とその仲間たちは、小太郎一家を恨んでいたので、こっそり八須良雄を「八面大王という盗賊だ。」とか、八須良姫を「鬼女紅葉だ。」と悪口を言って言いふらしたので、小太郎の両親は今ではそっちの名前の方が有名になってしまったのだった。
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=== 再現神話の解説 ===
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そもそも怠け者の小太郎が、開拓事業なんかするはずがない、ということで、「開拓」の話そのものが、子孫のお手盛り感が強い創作神話だと管理人は感じる。犀龍女神の開拓神話は、その子孫を名乗る皆様が、犀川流域の土地の利権を独占するために
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「全部うちの先祖が開拓した」
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と言いたくて、お手盛りで作ったのが泉小太郎神話と考える。
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特に、泉小太郎については、元は「エンリルとニンリル」的な女神が夫の後を追って冥界に向かうタイプの[[メリュジーヌ]]譚で、ミャオ族の神話で言うところのチャンヤン神話と考える。そこに犬祖神話が微妙に組み合わされている。
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「'''竜女神は夫が死んだので、彼を生まれ変わらせるために殺されて冥界で子を産んだ。生まれた子供は山に捨てた。そして更に子供の養母(犀竜女神の別形態)は死んだ(あるいは息子に焼き殺された)。実の母親は子供に龍玉を与えるためにたまに黄泉の国から戻ってきた。'''」
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という話が元にあったと思われる。小泉小太郎についても同じ。子供が養父を焼き殺す、とすると朝鮮の伝承「[[肥長比売|龍女]]」に近い話になる。これがもっと民間伝承化したらいわゆる「子育て幽霊」になると思われる。母親は元は「飴を買いにくる」のではなく「'''捨てた子供に飴(玉)を渡しに来る'''」というのが本来の神話だ。これは疫神である子供を鎮める効果もあるし、龍玉の能力(財産や権力を)を子供に譲る、という意味でもあると考える。日本神話では、天照大御神が父親から首飾りを譲られる、という話がある。泉小太郎では、母親は玉を渡しに来るだけでなく、「'''犀川流域の開拓まで子供のために行う'''」という内容に中身が拡張されている。
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「'''生まれた子供を捨てる。'''」というモチーフは北東アジアの'''犬祖神話'''に多く見られ、燕や朝鮮などの王家の始祖神話にみられる。日本では賀茂系氏族の始祖神話に見られる。本来、犬神の元は犬をトーテムに持っている[[黄帝]]のこと、龍神といったら蛇をトーテムに持っている[[伏羲]]・[[女媧]]のこと、あるいは水神で龍でもある[[黄帝]]のこと、なのだけれども、北東アジアでは、[[女媧]]型の女神が、「犬神の妻」扱いされる神話が多いように思う。
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小泉小太郎を信用しなかった養母が薪で殺されてしまうのは、「焼き殺された」の暗喩と思われる。でも管理人は安易に殺す話は嫌いなので、「薪が良く燃える薪だった」という表現に改めた。これは小泉小太郎が元は火神の祝融でもあったことを示すためのものだ。「刺す住職」とはチャンヤン神話の蛾王のことで、小泉小太郎の父の白龍の別の姿かもしれない、ともいえる。殺された養母は犀竜の別の姿でもある。だから、管理人はその点をふまえて、養父母と犀竜・白龍は元は同じもの、という意味を込めて再現している。
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=== 泉小太郎が生まれた場所 ===
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泉小太郎が生まれた場所は筑摩郡中山の産ヶ坂、とされている。これは現在の松本市中山のこと。このあたりは、鉢伏山、高ボッチ山を挟んで山を越えると諏訪大社下社がある地域である。小太郎が母龍と再会したとされる尾入沢は中山から松本市を挟んで反対側の波田町に近い所にあるから、だいぶ産ヶ坂や諏訪大社からは離れている。尾入沢の付近には大宮熱田神社がある。犀川の主が住む場所としては、犀川の上流にある梓川沿いの尾入沢の方がふさわしいのだが、「諏訪の神」という点からいえば産ヶ坂(鉢伏山)の方が諏訪に近い。だけどこちらは犀川には遠い。いったい、どちらが犀竜の本当の住まいなのだろうか、ということになる。
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鉢伏山は「頂上が鉢を伏せたように平らになっている」という意味から鉢伏山という、とされているようだ。松本市側の麓、中山に近い所に牛伏寺という真言宗智山派金峯山という古刹がある。この寺は鉢伏山などの近辺の山々の山岳信仰に関わっており、お寺の紋は上社の諏訪梶と思われる。でも、なぜ上社の紋が寺紋なのかしっかりとは明らかにされていないように思える。鉢伏山から諏訪方面に流れる横河川という川があるが、この川がつくる扇状地の扇頂部には出早雄小萩神社がある。こちらは下社の諏訪梶が神紋で、諏訪神の子神である出早雄命(いづはやをのみこと)と小萩命(こはぎのみこと)が祀られている。鉢伏山の山頂には諏訪湖の方を向いていくつかの石祠があり、「鉢伏大権現」「鉢伏太神」「小萩」「日本第一軍神」などの文字が解読できるとのこと<ref>[http://tateshina-times.jp/?p=9439 鉢伏山(岡谷市)]、たてしなの時間(最終閲覧日:24-11-23)</ref>。鉢伏山の山頂には、現在は牛伏照寺の牛伏権現と称して蔵王権現を祀っていたとのことだが、かつては出早雄命(いづはやをのみこと)や小萩命(こはぎのみこと)が祀られていたのではないか、と管理人は考える。「鉢伏大権現」や「日本第一軍神」というのは、諏訪神か出早雄命のことではないだろうか。出早雄命の「いづ」とは「天津」が変形した言葉で、本来は「天津早雄命」というのではないか、と管理人は考える。「'''早'''」とは「'''伊農波夜'''」の言葉どおり、天甕津日女命の夫である出雲の犬神のことと考える。天甕津日女命を「厄払いの女神」とした場合、同じ性質を持つ男性の神で対になるのは'''大国主命'''なので、出雲の犬神「早」とは、出早雄命でもあり'''大国主命'''のことでもある、と管理人は考える。諏訪神を頂点とする諏訪信仰では大国主命も子神に編入されてしまうのだ。鉢伏山の山頂に、犬神・出早雄命が住んでいて、彼と諏訪湖の女神との子供が泉小太郎だから、小太郎は父の住む山の麓の中山で産まれたのではないだろうか、とまず管理人は考えた。犬神の子供だから、神話的なパターンにのっとって小太郎は産まれてすぐ捨てられてしまうのである。それは実は北東アジアでは'''「一国の王」の出生譚としても相応しい典型的な神話'''なのだ。
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長野市信州新町竹房地区に八布施山という山があり、武八布施神社という神社がある。このあたりは古代において布制氏あるいは布施氏という氏族が活動した地域で、犀川から千曲川の東側を、竹房地区あたりから少なくとも小布施の辺りまで活動していたとみえる。この地域には布施氏の名前に由来する神社や地名がいくつもある。(松本市中山も犀川の東側といえば東側だ。)竹房地区には他に武富佐神社という神社があり、ここでは祭神の一柱に「'''速瓢(はやち)神'''」という名が見える。「'''速'''」という名があるので、これも出雲由来の犬神、すなわち'''大国主命'''のことと考える。「'''速瓢(はやち)'''」というのは「'''疾風(はやて)'''」のことでもあるのではないだろうか。駒ヶ根の光善寺ではこの犬神のことを「'''はやて'''」と読んで「'''早太郎'''」としているし、静岡の見付天神では「'''しっぷう'''」と読んで「'''しっぺい太郎'''」としているように思う。布施氏の祖神は大彦命で、この神の名の「大」を「多」とすれば、布施氏は多氏の一派といえるし、出雲的に「意宇」と読めば出雲の氏族ともとれる。意宇郡には布自奈神社という神社があり、大国主命(大穴持)を祀る。松本市の鉢伏山も元は、布施氏に由来する'''八布施山'''と言ったのではないだろうか。そして'''信濃布施氏は、犬神である大国主命を奉祭する氏族'''だったのではないだろうか、と管理人は考える。だから、松本の中山(鉢伏山)が小太郎の出生の地、であることを引用して、「'''小太郎の出生地は犀川沿いにある長野市信州新町の八布施山'''」というように書き換えてみた。そうすれば、諏訪からは遠いけれども、犀竜と夫の犬神が存在する地として相応しいと考えたからだ。どのみち彼らが活躍する場所は、山清路や久米路峡であって諏訪からは遠い地なのだから。
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=== 白龍とは何者なのだろうか ===
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出雲の犬神の妻である天甕津日女命には、犬神でもある大国主命の他に、阿遅鉏高日子根という夫がいる。賀茂系氏族や、多氏の一派である信濃金刺氏の祖神としては大国主命よりは、阿遅鉏高日子根の方が「'''小太郎の父親'''」として相応しいのだが、小太郎の物語では、父親とされる白龍は大国主命とした方が良いのか、阿遅鉏高日子根した方が良いのか、まず迷う。ただ「'''白'''龍」と名前に白がつく点は、大国主命や、その長野県での分身ともいえる諏訪神を連想させる。賀茂系の神のイメージカラーは八咫烏に代表されるように「'''黒'''」なのだ。
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=== 尾入沢について ===
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そこで、小太郎の母が住んでいた、とされた尾入沢に注目してみた。尾入沢の近傍には大宮熱田神社がある。こちらは祭神の中に尾張氏の女神である宮簀媛(みやずひめ)を祀る。日本武尊の妻であり、「布をさらした女神」とされる。要は「布の穢れを払ってきれいにする女神」であって、'''厄払いの女神の一種'''である。この女神は熱田神宮から西では夫の形見といえる草薙剣を祀る女神とされているのだが、長野県では女神の取り扱いが異なるように感じる。駒ヶ根市の大御食神社では'''五郎姫'''として祀られていて、柳田国男の述べるところの「御霊」として祀られているのだ。御霊信仰とは非業の死を遂げた人物を祀ることで、そのパワーを分けてもらって利用しよう、という感じの信仰だ。宮簀媛の正式な伝承では、非業の死を遂げたことになっていないが、『倭建命は比売の月の障りをおして交わった』という逸話があるので、本来はそれに続いて、
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宮簀媛は経血とか、見られたくないものを日本武尊に見られてしまって、恥ずかしくて死んだ
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という話があったのかもしれない。そして媛の加護が亡くなったので、疫神と戦った日本武尊は負けて病気になってしまったのではないだろうか。でも、そうすると日本武尊の死後、宮簀媛が草薙剣を祀った、とすることができなくなるので、宮簀媛が亡くなるくだりは後に削除されてしまったのではないか、と思う。でも長野県の方では「'''死んでしまった女神'''」という概念が残ったものと思われる。
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愛知県一宮市に'''[[阿豆良神社]]'''という神社があり、[[天甕津日女命]]を祀る。[[天甕津日女命]]も'''厄払いの女神の一種'''である。この[[阿豆良神社|阿豆良]]という言葉からかなり多くの女神が派生しているのではないか、と管理人は考える。
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* [[伊豆能売]]のように「伊豆」に近い言葉がつく女神
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* 速佐須良比売神(はや'''さすら'''ひめのかみ):祓戸の女神
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* 宮簀媛(みやずひめ、「御'''やず'''ひめ」という意味か)
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* 八須良姫命('''やすら'''ひめのみこと)
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* 須勢理毘売('''すせり'''びめ)
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* 八坂刀売?
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などである。'''八須良姫命'''は長野市信州新町の彦神別神神社の境内内にある伊勢社に、天照大御神、伊豆玉姫命と共に祀られている。太陽女神信仰と関連する女神と考えられる。八坂刀売の名前には、単に[[阿豆良神社|阿豆良]]に関連するだけでなく、「坂」という言葉が「黄泉比良坂」に通じ、冥界神だったり、「酒解」という言葉に通じて酒作りの女神だったり、という意味も含まれると考えるが、それ以外の女神たちは、おおむね'''厄払いの女神の一種'''と考える。
  
 
== 参考文献 ==
 
== 参考文献 ==

2024年11月24日 (日) 15:06時点における最新版

小泉小太郎(こいずみこたろう)は、長野県上田地域に伝わる民話。人間の父親と大蛇の母親との間に産まれた少年・小太郎にまつわる物語。同じく長野県安曇野地域には泉小太郎(いずみこたろう)という民話が伝わり、こちらは小太郎が自らの母親である竜と共に安曇野周辺を開拓する物語である。これらは内容こそ異なるものの関連が指摘されており、現代になってこれらを一つの物語に再編する試みがなされ、作家・松谷みよ子による創作『龍の子太郎』では物語の根幹を成す。

上田地域の小泉小太郎[編集]

小泉小太郎にまつわる民話の大要が1922年(大正11年)発行の『小県郡史 余篇』に収録されているので、以下に要約して紹介する[1]

西塩田村にある鉄城山の山頂に寺があり、そこへ毎晩のように通う一人の女性がいた。彼女がどこからやって来たのか分からず、不思議に思った寺の住職は、彼女の衣服に糸を付けた針を刺しておいた。翌朝、住職が糸をたどって行き着いた先は、川の上流にある鞍淵の洞窟であった。中をのぞくと、赤子を産もうと苦しむ大蛇の姿があった。住職は驚いて逃げ出し、出産を終えた大蛇も正体が知られたことを恥じて死んでしまう。
赤子は小泉村の老婆に拾われ、小太郎という名前で育てられた。身長は小さいものの、たくましい体に成長した小太郎であったが、食べては遊んでばかりで仕事をしたことがない。14、5歳になった頃、老婆から仕事を手伝うよう促された小太郎は、小泉山へ薪を取りに出かけることにした。
夕方、小太郎は萩の束を2つほど持ち帰った。これは山じゅうの萩を束ねたものだから、使うときは1本ずつ抜き取るようにして、決して結びを解いてはいけない、と小太郎は老婆に伝えたが、たった1日でそのようなことができるはずがないと思った老婆は結びを解いてしまう。すると、束がたちまち膨れあがり、家も老婆も押しつぶしてしまった

補足として以下に何点か記す。

  • 似たような伝承は日本の各地に見られ、それらの根幹は古事記にある三輪山伝説であると考えられている[1]
  • 『小県郡史 余篇』によると、寺があるとされる鉄城山は殿城山またはデッチョウ山とも呼ばれ、その支峰が独鈷山であると記されている[2]。のちに再編された作品の中では独鈷山という名前に置き換えられている[3]
  • [産川という川の名前は、大蛇が赤子を産んだという逸話に由来する[1]。また、産川の流域に散らばる[沸石は蛇骨石と呼ばれ、それらは死んだ大蛇の[遺骨であるという[1]
  • 小泉山は、その山じゅうの萩を小太郎が刈り尽くしたため、以来1本も萩が生えなくなったという[1]。とは言え、現代では萩の繁茂が見られるようである[1]
  • 小太郎とその子孫は当地に永住したが、彼らの横腹には蛇紋のような斑点があるという[1]
  • 松谷みよ子は塩田平を訪れた際に小泉小太郎の民話を耳にしている[4]。内容は『小県郡史 余篇』にあるものとほぼ同じものであるが、小太郎を出産後に死んだ大蛇の死因は鉄の毒によるものであったという[4]。松谷は小太郎に抱いた怠け者という印象から、物くさ太郎や三年寝太郎、厚狭の寝太郎といった物語を連想し、小太郎も将来大きな事をやってのけるのではないかと考えたが、当地の語り手からは松谷が期待する内容の逸話を得ることはできなかった[4]

安曇野地域の泉小太郎[編集]

長野県安曇野に伝わる民話に泉小太郎(いずみこたろう、日光泉小太郎、泉小次郎とも)がある。かつて安曇野を含む松本盆地は大きな湖で、泉小太郎が陸地に開拓したというものである[1]

信府統記』に泉小太郎に関する記述があるので、以下に要約して紹介する[5]

景行天皇12年まで、(安曇野の対岸にある)松本のあたりは山々から流れてくる水を湛える湖であった。その湖には犀竜が住んでおり、東の高梨の池に住む白竜王との間に一人の子供をもうけた。名前を日光泉小太郎という。しかし小太郎の母である犀竜は、自身の姿を恥じて湖の中に隠れてしまう。
筑摩郡中山の産ヶ坂で生まれ、放光寺で成人した小太郎は母の行方を捜し、尾入沢で再会を果たした。そこで犀竜は自身が建御名方神の化身であり、子孫の繁栄を願って顕現したことを明かす。そして、湖の水を流して平地とし、人が住める里にしようと告げた。小太郎は犀竜に乗って山清路の巨岩や久米路橋の岩山を突き破り、日本海へ至る川筋を作った。

大昔に山清路を人の手で開削して松本盆地を排水、開拓したとする『仁科濫觴記』の記述を根拠に、これを伝説の由来とする説がある[6]。「泉小太郎」の名も、その功労者である「白水光郎」(あまひかるこ)の名が書き誤られたもの(「白」・「水」の2文字を「泉」の1文字に、「光」の1文字を「小」・「太」の2文字にといった具合に)であるという[6]

民話ゆかりの地である松本市・安曇野市・大町市・長野市には、伝説にちなむ銅像や石像が建立されている。また、大町市の大町温泉郷には泉小太郎を扱う博物館「民話の里おおまち小太郎」がある。

小泉小太郎と泉小太郎との関連[編集]

小泉小太郎と泉小太郎との関連について、『小県郡史 余篇』には「内容は異なれど其名称相似たり」とあり[7]、民俗学者の柳田國男も自著『桃太郎の誕生』の中で「元は一つであつたらうことが注意せられる」と指摘している[8]。松谷みよ子は小泉小太郎の民話を聞いたのち、安曇野周辺を訪れて泉小太郎の民話を聞くと、「相違点はあるにせよ、これはおそらく一つの話に違いない」と考えた[9]

1957年(昭和32年)発行の『信濃の民話』(未來社『日本の民話』シリーズ)には、長野県の各地(南安曇郡・北安曇郡・東筑摩郡・小県郡)に伝わる小泉小太郎および泉小太郎の民話を一つの物語にまとめた「小泉小太郎」が収録されている[3]。前半部分は概ね先に示した小泉小太郎のあらすじに沿った内容であるが、小太郎の母は山の向こうの湖の中で生きており、後半で成長した小太郎が母をたずねて旅立ち、再会した二人が力を合わせて湖を切り開くという内容である[3]。同様の物語は1973年(昭和48年)発行の『民衆の英雄』(角川書店『日本の民話』シリーズ)にも「小泉小太郎と母竜」(瀬川拓男による再話)の題で収録されているが、本作では小太郎の父親が開拓者集団の長(おさ)という設定であり、松本盆地のみならず、同じく湖であった上田盆地についても、三頭山から虚空蔵山を結ぶ半過の崖を小太郎と母竜が突き崩し、排水したとするなど[10][11]、『小県郡史 余篇』や『信濃の民話』のものとは異なる点もある。この「小太郎と母龍」の物語はテレビアニメ『まんが日本昔ばなし』で放送され、同作のDVD第5巻に収録されている[12]。演出は樋口雅一、文芸は沖島勲、美術は小関俊一、作画は高橋信也が担当した[12]

『信濃の民話』の編集委員の一人であった松谷みよ子は、「水との闘いの民話」の多くが陰惨な内容であるなか、小泉小太郎を明るく雄大な物語として捉えた[13]。忘れられつつあった小泉小太郎を復活させ、秋田県の民話や自身の体験、また子供たちとの関わりなどをもとに、松谷が1959年(昭和34年)度に創作したのが『龍の子太郎』である[14][15]

私的解説・再現神話[編集]

昔、八布施山の山頂に神社があり、そこへ毎晩のように通う一人の女性がいた。彼女がどこからやって来たのか分からず、不思議に思った村の老人が、こっそり彼女の衣服に糸を付けた針を刺しておいた。翌朝、村人が糸をたどって行き着いた先は、犀川の縁にある洞窟だった。中をのぞくと、赤子を産もうと苦しむ大蛇の姿があったが、男の子を産んだ大蛇は息も絶え絶えだった。

「私は出産で力を使い果たし、このままでは生きていかれません。川の底の我が家で休まなければなりません。どうかこの子を預かって育ててください。」

そう言うと、大蛇は老人に赤子と龍の赤い玉を預けて、犀川に入って行ってしまった。老人は赤ん坊に小太郎と名付け、妻と一緒に大切に育てた。身長は小さいものの、たくましい体に成長した小太郎だったが、食べては遊んでばかりで仕事をしたことがない。14、5歳になった頃、養母から仕事を手伝うよう促された小太郎は、小泉山へ薪を取りに出かけることにした。母親からもらった龍の玉を使うと仕事は簡単に済んだ。小太郎は萩の束を2つほど持ち帰った。これは山じゅうの萩を束ねたものだから、使うときは1本ずつ抜き取るようにして、決して結びを解いてはいけない、と小太郎は養母に伝えたが、たった1日でそのようなことができるはずがないと思った養母は結びを解いてしまった。すると、束がたちまち膨れあがり、養母はその下敷きになって動けなくなってしまった。

「お母さん、僕の言うことを信用しないから、罰を受けたんですよ。次から気をつけてください。」

小太郎はそう言いながら、萩をのけて養母を助け出した。小太郎のとってきた萩の薪はとても良く燃えて怖いくらいだった。

薪取りで失敗したので、小太郎は今度は養父の畑仕事を手伝うことにした。石ころだらけの山坂を開墾する厳しい仕事だ。農地は少ないし、仕事は大変だし、小太郎は嫌気がさした。

「こんなに山が険しくては田畑も少ししか作れない。せめて犀川の周囲がもっと平らだったら村のみんなも仕事が楽になるのになあ。」

と小太郎は思った。そこで、小太郎はなんとかならないものかと、母親の大蛇に会いに行くことにした。実は母親の大蛇は犀川の女神の犀竜だったのだ。母親は尾入沢というところに住んでいて、近頃ではすっかり具合も良くなり、天気の良い日には陸に上がってきて、尾だけを水につけて日向ぼっこしながら昼寝をしている、と噂で聞いたのだ。だから、その地を「尾入沢」と言うのだ。小太郎が養父母にその話をすると、養父母は小太郎が険しい山道を越えていけるように馬を1頭貸してくれた。

小太郎が会いに行くと犀竜はとても喜んでくれた。

「少し体を休めようと思っていたら、子供がこんなに大きくなるほど時間が経っていたなんて気がつきませんでした。お前の用向きは私が何とかしてあげましょう。」

と犀竜は言った。そして、犀竜は自身が諏訪湖の女神・八須良姫で、小太郎の父親は諏訪湖の神・八須良雄だと教えてくれた。八須良雄は白い龍だと言う。

「私と夫は、役の行者という悪者と戦って、瀕死の重傷を負ったのです。この行者が神々の神域に入り込んで、修行する、と言っては荒らし回るので追い出そうとしました。でも、良く話してみたら少しは話が分かるところもあったので、神域を大きく荒らさないことを約束させて戦いをやめることにしたのです。傷ついたお父さんは、飯山の白龍湖で今も体を休めています。私は具合が良くなったから、川の流域を平地として、人が住める里にしましょう。」

と犀竜は言った。小太郎は犀竜に乗って山清路の巨岩や久米路橋の岩山を突き破り、日本海へ至る川筋を作った。仕事が終わると、母の犀竜はまた水底の住処へと帰っていった。小太郎と人々は、久米路橋のほとりに、「小太郎神神社(彦神別神神社)」を作って母の八須良姫を祀った。白龍湖の近くにも「小太郎神神社(彦神別神神社)」を作って父の八須良雄を祀った、小太郎は箱清水という所に住んで、「小太郎神神社(彦神別神神社)」を作り、自分がそこの彦神別神という神様になった。彼らの神社は水内大社と呼ばれ、朝廷からも篤い尊敬を受けた。

でも、役の行者とその仲間たちは、小太郎一家を恨んでいたので、こっそり八須良雄を「八面大王という盗賊だ。」とか、八須良姫を「鬼女紅葉だ。」と悪口を言って言いふらしたので、小太郎の両親は今ではそっちの名前の方が有名になってしまったのだった。

再現神話の解説[編集]

そもそも怠け者の小太郎が、開拓事業なんかするはずがない、ということで、「開拓」の話そのものが、子孫のお手盛り感が強い創作神話だと管理人は感じる。犀龍女神の開拓神話は、その子孫を名乗る皆様が、犀川流域の土地の利権を独占するために

「全部うちの先祖が開拓した」

と言いたくて、お手盛りで作ったのが泉小太郎神話と考える。

特に、泉小太郎については、元は「エンリルとニンリル」的な女神が夫の後を追って冥界に向かうタイプのメリュジーヌ譚で、ミャオ族の神話で言うところのチャンヤン神話と考える。そこに犬祖神話が微妙に組み合わされている。

竜女神は夫が死んだので、彼を生まれ変わらせるために殺されて冥界で子を産んだ。生まれた子供は山に捨てた。そして更に子供の養母(犀竜女神の別形態)は死んだ(あるいは息子に焼き殺された)。実の母親は子供に龍玉を与えるためにたまに黄泉の国から戻ってきた。

という話が元にあったと思われる。小泉小太郎についても同じ。子供が養父を焼き殺す、とすると朝鮮の伝承「龍女」に近い話になる。これがもっと民間伝承化したらいわゆる「子育て幽霊」になると思われる。母親は元は「飴を買いにくる」のではなく「捨てた子供に飴(玉)を渡しに来る」というのが本来の神話だ。これは疫神である子供を鎮める効果もあるし、龍玉の能力(財産や権力を)を子供に譲る、という意味でもあると考える。日本神話では、天照大御神が父親から首飾りを譲られる、という話がある。泉小太郎では、母親は玉を渡しに来るだけでなく、「犀川流域の開拓まで子供のために行う」という内容に中身が拡張されている。

生まれた子供を捨てる。」というモチーフは北東アジアの犬祖神話に多く見られ、燕や朝鮮などの王家の始祖神話にみられる。日本では賀茂系氏族の始祖神話に見られる。本来、犬神の元は犬をトーテムに持っている黄帝のこと、龍神といったら蛇をトーテムに持っている伏羲女媧のこと、あるいは水神で龍でもある黄帝のこと、なのだけれども、北東アジアでは、女媧型の女神が、「犬神の妻」扱いされる神話が多いように思う。


小泉小太郎を信用しなかった養母が薪で殺されてしまうのは、「焼き殺された」の暗喩と思われる。でも管理人は安易に殺す話は嫌いなので、「薪が良く燃える薪だった」という表現に改めた。これは小泉小太郎が元は火神の祝融でもあったことを示すためのものだ。「刺す住職」とはチャンヤン神話の蛾王のことで、小泉小太郎の父の白龍の別の姿かもしれない、ともいえる。殺された養母は犀竜の別の姿でもある。だから、管理人はその点をふまえて、養父母と犀竜・白龍は元は同じもの、という意味を込めて再現している。

泉小太郎が生まれた場所[編集]

泉小太郎が生まれた場所は筑摩郡中山の産ヶ坂、とされている。これは現在の松本市中山のこと。このあたりは、鉢伏山、高ボッチ山を挟んで山を越えると諏訪大社下社がある地域である。小太郎が母龍と再会したとされる尾入沢は中山から松本市を挟んで反対側の波田町に近い所にあるから、だいぶ産ヶ坂や諏訪大社からは離れている。尾入沢の付近には大宮熱田神社がある。犀川の主が住む場所としては、犀川の上流にある梓川沿いの尾入沢の方がふさわしいのだが、「諏訪の神」という点からいえば産ヶ坂(鉢伏山)の方が諏訪に近い。だけどこちらは犀川には遠い。いったい、どちらが犀竜の本当の住まいなのだろうか、ということになる。

鉢伏山は「頂上が鉢を伏せたように平らになっている」という意味から鉢伏山という、とされているようだ。松本市側の麓、中山に近い所に牛伏寺という真言宗智山派金峯山という古刹がある。この寺は鉢伏山などの近辺の山々の山岳信仰に関わっており、お寺の紋は上社の諏訪梶と思われる。でも、なぜ上社の紋が寺紋なのかしっかりとは明らかにされていないように思える。鉢伏山から諏訪方面に流れる横河川という川があるが、この川がつくる扇状地の扇頂部には出早雄小萩神社がある。こちらは下社の諏訪梶が神紋で、諏訪神の子神である出早雄命(いづはやをのみこと)と小萩命(こはぎのみこと)が祀られている。鉢伏山の山頂には諏訪湖の方を向いていくつかの石祠があり、「鉢伏大権現」「鉢伏太神」「小萩」「日本第一軍神」などの文字が解読できるとのこと[16]。鉢伏山の山頂には、現在は牛伏照寺の牛伏権現と称して蔵王権現を祀っていたとのことだが、かつては出早雄命(いづはやをのみこと)や小萩命(こはぎのみこと)が祀られていたのではないか、と管理人は考える。「鉢伏大権現」や「日本第一軍神」というのは、諏訪神か出早雄命のことではないだろうか。出早雄命の「いづ」とは「天津」が変形した言葉で、本来は「天津早雄命」というのではないか、と管理人は考える。「」とは「伊農波夜」の言葉どおり、天甕津日女命の夫である出雲の犬神のことと考える。天甕津日女命を「厄払いの女神」とした場合、同じ性質を持つ男性の神で対になるのは大国主命なので、出雲の犬神「早」とは、出早雄命でもあり大国主命のことでもある、と管理人は考える。諏訪神を頂点とする諏訪信仰では大国主命も子神に編入されてしまうのだ。鉢伏山の山頂に、犬神・出早雄命が住んでいて、彼と諏訪湖の女神との子供が泉小太郎だから、小太郎は父の住む山の麓の中山で産まれたのではないだろうか、とまず管理人は考えた。犬神の子供だから、神話的なパターンにのっとって小太郎は産まれてすぐ捨てられてしまうのである。それは実は北東アジアでは「一国の王」の出生譚としても相応しい典型的な神話なのだ。

長野市信州新町竹房地区に八布施山という山があり、武八布施神社という神社がある。このあたりは古代において布制氏あるいは布施氏という氏族が活動した地域で、犀川から千曲川の東側を、竹房地区あたりから少なくとも小布施の辺りまで活動していたとみえる。この地域には布施氏の名前に由来する神社や地名がいくつもある。(松本市中山も犀川の東側といえば東側だ。)竹房地区には他に武富佐神社という神社があり、ここでは祭神の一柱に「速瓢(はやち)神」という名が見える。「」という名があるので、これも出雲由来の犬神、すなわち大国主命のことと考える。「速瓢(はやち)」というのは「疾風(はやて)」のことでもあるのではないだろうか。駒ヶ根の光善寺ではこの犬神のことを「はやて」と読んで「早太郎」としているし、静岡の見付天神では「しっぷう」と読んで「しっぺい太郎」としているように思う。布施氏の祖神は大彦命で、この神の名の「大」を「多」とすれば、布施氏は多氏の一派といえるし、出雲的に「意宇」と読めば出雲の氏族ともとれる。意宇郡には布自奈神社という神社があり、大国主命(大穴持)を祀る。松本市の鉢伏山も元は、布施氏に由来する八布施山と言ったのではないだろうか。そして信濃布施氏は、犬神である大国主命を奉祭する氏族だったのではないだろうか、と管理人は考える。だから、松本の中山(鉢伏山)が小太郎の出生の地、であることを引用して、「小太郎の出生地は犀川沿いにある長野市信州新町の八布施山」というように書き換えてみた。そうすれば、諏訪からは遠いけれども、犀竜と夫の犬神が存在する地として相応しいと考えたからだ。どのみち彼らが活躍する場所は、山清路や久米路峡であって諏訪からは遠い地なのだから。

白龍とは何者なのだろうか[編集]

出雲の犬神の妻である天甕津日女命には、犬神でもある大国主命の他に、阿遅鉏高日子根という夫がいる。賀茂系氏族や、多氏の一派である信濃金刺氏の祖神としては大国主命よりは、阿遅鉏高日子根の方が「小太郎の父親」として相応しいのだが、小太郎の物語では、父親とされる白龍は大国主命とした方が良いのか、阿遅鉏高日子根した方が良いのか、まず迷う。ただ「龍」と名前に白がつく点は、大国主命や、その長野県での分身ともいえる諏訪神を連想させる。賀茂系の神のイメージカラーは八咫烏に代表されるように「」なのだ。

尾入沢について[編集]

そこで、小太郎の母が住んでいた、とされた尾入沢に注目してみた。尾入沢の近傍には大宮熱田神社がある。こちらは祭神の中に尾張氏の女神である宮簀媛(みやずひめ)を祀る。日本武尊の妻であり、「布をさらした女神」とされる。要は「布の穢れを払ってきれいにする女神」であって、厄払いの女神の一種である。この女神は熱田神宮から西では夫の形見といえる草薙剣を祀る女神とされているのだが、長野県では女神の取り扱いが異なるように感じる。駒ヶ根市の大御食神社では五郎姫として祀られていて、柳田国男の述べるところの「御霊」として祀られているのだ。御霊信仰とは非業の死を遂げた人物を祀ることで、そのパワーを分けてもらって利用しよう、という感じの信仰だ。宮簀媛の正式な伝承では、非業の死を遂げたことになっていないが、『倭建命は比売の月の障りをおして交わった』という逸話があるので、本来はそれに続いて、

宮簀媛は経血とか、見られたくないものを日本武尊に見られてしまって、恥ずかしくて死んだ

という話があったのかもしれない。そして媛の加護が亡くなったので、疫神と戦った日本武尊は負けて病気になってしまったのではないだろうか。でも、そうすると日本武尊の死後、宮簀媛が草薙剣を祀った、とすることができなくなるので、宮簀媛が亡くなるくだりは後に削除されてしまったのではないか、と思う。でも長野県の方では「死んでしまった女神」という概念が残ったものと思われる。

愛知県一宮市に阿豆良神社という神社があり、天甕津日女命を祀る。天甕津日女命厄払いの女神の一種である。この阿豆良という言葉からかなり多くの女神が派生しているのではないか、と管理人は考える。

  • 伊豆能売のように「伊豆」に近い言葉がつく女神
  • 速佐須良比売神(はやさすらひめのかみ):祓戸の女神
  • 宮簀媛(みやずひめ、「御やずひめ」という意味か)
  • 八須良姫命(やすらひめのみこと)
  • 須勢理毘売(すせりびめ)
  • 八坂刀売?

などである。八須良姫命は長野市信州新町の彦神別神神社の境内内にある伊勢社に、天照大御神、伊豆玉姫命と共に祀られている。太陽女神信仰と関連する女神と考えられる。八坂刀売の名前には、単に阿豆良に関連するだけでなく、「坂」という言葉が「黄泉比良坂」に通じ、冥界神だったり、「酒解」という言葉に通じて酒作りの女神だったり、という意味も含まれると考えるが、それ以外の女神たちは、おおむね厄払いの女神の一種と考える。

参考文献[編集]

  • Wikipedia:小泉小太郎伝説(最終閲覧日:24-11-22)
    • 「信濃の民話」編集委員会編『日本の民話 1 信濃の民話』未來社、1957年6月30日。
    • 松谷みよ子著、坪田譲治〔等〕編『松谷みよ子全集 9 龍の子太郎』講談社、1971年[10月8日。
    • 瀬川拓男・松谷みよ子編『日本の民話 4 民衆の英雄』角川書店、1973年5月30日。
    • 松谷みよ子著『講談社現代新書 370 民話の世界』講談社、1974年10月28日。
    • 鈴木重武、三井弘篤編『NDLDC:765132 信府統記 巻五』吟天社、1884年
    • 降幡雎著『[NDLDC:765126 新撰仁科記』伊藤書店、1904年3月5日。
    • 藤沢衛彦編著『NDLDC:953569 日本伝説叢書 信濃の巻』日本伝説叢書刊行会、1917年7月31日。
    • 小県郡役所編纂『NDLDC:965787 小県郡史 余篇』小県時報局、1923年3月25日。
    • 柳田國男著『NDLDC:1062590 桃太郎の誕』三省堂、1942年7月20日。
    • 佐久教育会編『佐久口碑伝説集 北佐久編』佐久教育会、1978年。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

脚注[編集]

  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 1.5 1.6 1.7 『小県郡史 余篇』NDLDC:965787/36 46 - 47ページ。
  2. 『小県郡史 余篇』NDLDC:965787/25 24 - 25ページ。
  3. 3.0 3.1 3.2 『日本の民話 1 信濃の民話』175 - 183ページ。
  4. 4.0 4.1 4.2 『講談社現代新書 370 民話の世界』37 - 38ページ。
  5. 『信府統記 巻五』[NDLDC:765132/26 23 - 24ページ]。
  6. 6.0 6.1 『新撰仁科記』9 - 10ページ。
  7. 『小県郡史 余篇』NDLDC:965787/36 47ページ(かっこ内は引用)。
  8. 『桃太郎の誕生』NDLDC:1062590/125 228ページ(かっこ内は引用)。
  9. 『講談社現代新書 370 民話の世界』39ページ(かっこ内は引用)。
  10. 『日本の民話 4 民衆の英雄』6 - 15ページ。
  11. かつて湖だった上田盆地を排水したという内容の民話は、ほかにも大ネズミが食い破ったという話(『日本伝説叢書 信濃の巻』[NDLDC:953569/106 157- [NDLDC:953569/107 159ページ)や、ダイダラボッチが突き崩したという話(『佐久口碑伝説集 北佐久編』105ページ)が伝えられている。
  12. 12.0 12.1 「小太郎と母龍」『まんが日本昔ばなし DVD第5巻』 (EAN:4988104066459) より。
  13. 『講談社現代新書 370 民話の世界』36 - 39ページ。
  14. 『松谷みよ子全集 9 龍の子太郎』170 - 171ページ。
  15. 『講談社現代新書 370 民話の世界』39 - 40、57 - 65ページ。
  16. 鉢伏山(岡谷市)、たてしなの時間(最終閲覧日:24-11-23)