サトイモは成長した茎の下部が親イモとなり、その周りを囲むように子イモが生じ、さらに子イモには孫イモがついて増えていくユニークな育ち方をする<ref>猪股慶子監修 成美堂出版編集部編, 2012, p108</ref><ref>丸山亮平編, 2017, p105</ref><ref>藤田智監修 NHK出版編, 2019, p113</ref>。主に子イモを食べるもの、親イモを食べるもの、親イモと子イモの両方を食べる品種がある<ref>藤田智監修 NHK出版編, 2019, p112</ref>。
サトイモの栽培[[品種]]は[[倍数性#倍数体|2倍体]] サトイモの栽培品種2倍体 (2n=28) および、[[倍数性#倍数体|3倍体]] および、3倍体 (2n=42) である<ref>山口裕文、島本義也編著『栽培植物の自然史 : 野生植物と人類の共進化』([[北海道大学]]図書刊行会、2001年)p野生植物と人類の共進化』(北海道大学図書刊行会、2001年)p.153 ISBN 9784832999312</ref><ref>「[https://ci.nii.ac.jp/naid/110001807912/ 2倍体サトイモ(CoIocasia esculenta (L.) Schott)における4酵素のアイソザイムの遺伝分析]」日本育種学会『Breeding science』48(3), pp.273-280, 1998年9月1日</ref><ref>坂本寧男「[https://doi.org/10.3759/tropics.3.19 イモと雑穀-作物と環境]」『Tropics』1994年 3巻 1号 pp.19-32, {{doi|10.3759/tropics.3.19}}</ref>。着果はほとんど見られないが、[[2倍体]]品種ではよく着果する。[[種子]]は[[ウラシマソウ]。着果はほとんど見られないが、2倍体]などと比較してかなり小さい。種ではよく着果する。種子はウラシマソウなどと比較してかなり小さい。
== 歴史 ==
原産地は[[インド]]や[[中国]]原産地はインドや中国{{sfn|丸山亮平編|2017|p=104}}、または[[マレー半島]]{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=108}}などの熱帯アジアと言われているが{{sfn|藤田智監修 NHK出版編|2019|p=112}}、インド東部から[[インドシナ半島]]にかけてとの説が有力視されている{{sfn|講談社編|2013|p=189}}。少なくとも、紀元前3000年ごろにはインドで栽培されていたとみられている{{sfn|講談社編|2013|p=189}}。
日本への伝播ははっきりしていないが、[[イネ]]の渡来よりも早い[[縄文時代]]後期と考えられている{{sfn|講談社編|2013|p=189}}<ref>小西達夫:[http://www.yasaitobunka.or.jp/kenkyuu_kouenkai/20111212_satoimo_report01.html 世界のタロイモ -種の多様性と利用について-] 有名野菜品種特性研究会 「有名野菜品種特性研究会(サトイモ)」報告</ref>。なお、鳥栖自生芋([[佐賀県]][[鳥栖市]])のほかに、藪芋、ドンガラ、弘法芋([[長野県]][[青木村]])と呼ばれる野生化したサトイモが、[[本州]]各地にあることが報告されている<ref>「[http://portal.dl.saga-u.ac.jp/handle/123456789/13543 佐賀県鳥栖市に自生しているサトイモについて]」『佐賀大学農学部彙報』[[佐賀大学]]農学部 Vol.71 pp.113 -122</ref>。このうち、青木村の弘法芋群生地は県指定[[天然記念物]]となっている<ref>[[平安時代]]初期の[[仏教]][[僧侶]]・[[空海]](弘法大師)にちなむ伝説から、弘法芋と呼ばれる。別名「石芋」。[http://www.vill.aoki.nagano.jp/assoc/see/ishiimo/ishiimo.html 県指定天然記念物 沓掛の野生里芋] 青木村ホームページ(2018年12月7日閲覧)</ref>。伝播経路は不明であるが、[[黒潮]]の流れに沿って北上したと考える研究者がいる<ref>橋本征治「[https://hdl.handle.net/10112/3088 台湾蘭嶼におけるタロイモ栽培]」『[[関西大学]]東西学術研究所紀要』第40輯, 2007年4月1日, pp.55-77</ref>。