== 私的考察 ==
この神は、伝承が作られた時代によって、性質がやや異なっているように思う。「'''天兵討伐'''」は古い時代の話と見えて、布洛陀神自身が、直接天の兵と戦う。その様子も「砂や石を投げ飛ばす」といったもので、風の神、嵐の神、火山の神といった「自然現象の神」が暴れているような印象を受ける。それこそ、[[ミャオ族]]の[[アペ・コペン]]が戦ったり、日本の[[ダイダラボッチ]]が暴れているのと共通した性質である。ただし、チワン族の伝承では、開拓神は[[姆六甲]]女神が担っているので、布洛陀に開拓神の性質は乏しいようである。布洛陀の本来の性質は[[ミャオ族]]の[[アペ・コペン]]に近いものだったと考える。ただ、山の尾根から「砂や石を投げ飛ばす」姿は「火山の神」というのが、一番相応しいのではないだろうか。そして、「火山の神」であるのなら、「火の神」である[[祝融]]の原型の一つとも考えられるのではないだろうか。その一方、樹木との関連が強い姿は[[建木]]に関連の深い[[黄帝]]の姿が重なる。[[黄帝]]を植物の生育と関連とした水神とし、[[祝融]]を火山活動と関連する「火の神」とすれば、布洛陀は[[黄帝型神]]と[[祝融型神]]を習合させた折衷的な神といえるのではないだろうか。
時代が下るにつれて、布洛陀は[[伏羲]]に近いような「文化英雄」的な性質が強くなっていくように思う。「雷神とカエル」と「太陽を撃つ(射太阳)」では、布洛陀は自ら戦ったり、行動することがなくなり、彼自身が木であるかのように動かなくなっている、と感じる。まるで日本神話のかかしの久延毘古のようだと考える。久延毘古は蛙神の多邇具久(たにぐく)と関連が深いが、布洛陀も蛙神と関連が深いようである。この2つの伝承で、布洛陀はアドバイザーに徹しているが、「布洛陀と蛙神」「布洛陀と郎正」は、元は同じものが2つに分かれたものだと考える。布洛陀が樹木神のように扱われる傾向が強くなるにつれ、実際に動き回る行動役が必要とされるようになったので、下位の神、あるいは神々よりも下位の英雄として布洛陀から分離してしまったのだろう。
== 参考文献 ==