また、共工が作り出され、善神から悪神へと変化する移行期には共工が「善神」と考えられた時期もあったと推察される。三苗に関連して、三苗の子孫である羌族は苗姓であるとされている。一部では共工は中原の黄河文明と対立した羌族の神ではないか、とする説があるようである。この説を取れば、共工と戦った祝融は黄河文明の神のように思えるが、これは祝融を「南方の神」とすることと矛盾するように思う。共工が長江流域の神であり、羌族・苗族の神だったと仮定すれば、これは'''長江流域の神々の中での「火の氏族」と「水の氏族」との争いだった'''、ともいえるのではないだろうか。そして「火の氏族」が勝ちたいがために「'''善神であった黄帝を共工に変換して共工を悪神とした'''」のではないだろうか。黄帝も古くから長江流域で信仰されていた水神の一種だったと考える。このように考えれば、逆に「'''共工を悪神とした理由は、それを信奉していた羌族を悪者にしたいため'''」であったとも言えなくはないだろうか? 人は神をただ敬い信じるものではなく、神を政治的な目的の道具としても利用してきた歴史があるように思うからである。
現在の羌族は天神(太陽神)信仰が強い多神教で、神々を白石で表すとのことだ。「白い太陽神」が黄帝のことを指すのであれば、羌族の先祖の敵であった者たちは、これを「共工」と名をつけ、悪しき水神を拝む輩である、として羌族を攻撃したかもしれないと思う。
ミャオ族は楓を神格化しており、これはまさに蚩尤の象徴だ、といえる。彼らの先祖が炎帝信仰だったとすれば、その先祖と争った雷神とは、まさに「水神である黄帝」といえる。黄帝雷神は大洪水を起こす神でもある。洪水の「洪」の字は、この共工の名前から取られたとも言われている。共工は大洪水を起こす黄帝雷神だったのではないだろうか。彼が天で暴れないときには、穏やかに輝く「白い太陽神」ともなり得ただろう。
== 参考文献 ==