差分

ナビゲーションに移動 検索に移動
1,817 バイト追加 、 2022年2月27日 (日) 08:12
2.太陽が低いため、子供は太陽に照らされて可哀いそうだ。彼の母は太陽を突き刺した。太陽は死に、夜と昼が交代するようになった。巨人が天を押し上げたから天は高くなった。(タオ族イモルトゥ社、『原語』pp.776-777)<ref>神々の物語 台湾原住民文学選5 神話・伝説・昔話集、紙村徹編・解説他、草風館、170-171p</ref>
</blockquote>
 
1.台湾にも「射日神話」は存在する。多くは、「太陽の害があったので、二つに割ったところ、一つは月になり、もう一つは小さな現在の太陽になった」という粗筋である。羿神話と比較すると、太陽は10個もない。よって、「射落とした太陽が9つあった」という部分は、紀元前11世紀よりも後に、中国の神話に付け加えられたものといえる。また、射落とした太陽のうち、「1つが月になる」という部分は、羿神話では省かれている。その代わりに「月」になるのは羿の妻・嫦娥である。ということは、中国神話の古い姿は、「母系の太陽女神が射落とされて、二つに分かれ、少なくともそのうちの1つは月の女神になった」というものなのではないだろうか。嫦娥が地上に降り立った理由は「羿に射落とされたから」ではなかったか、と思う。残りの半分はどうなったのだろうか? 「もう一つの小さな太陽」も女神でよいのだろうか。もし仮にそうだったのだとしても、台湾の伝承からは、それは明らかではない。ということは、紀元前10世紀には「太陽は女神であった」という神話がかつて存在していたとしても、それは中国本土では消え失せてしまっていた、ということになるのではないだろうか。だから、台湾にはその伝承が伝播しなかったのである。ということで、余談ではあるが、羿が射止めたのは、女神のハートであったのか、それとも体だけであったのか。女心とは複雑なものとも言うもの、と個人的には思う。
=== 織女と怪物 ===

案内メニュー