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1.台湾にも「射日神話」は存在する。多くは、「太陽の害があったので、二つに割ったところ、一つは月になり、もう一つは小さな現在の太陽になった」という粗筋である。羿神話と比較すると、太陽は10個もない。よって、「射落とした太陽が9つあった」という部分は、紀元前11世紀よりも後に、中国の神話に付け加えられたものといえる。また、射落とした太陽のうち、「1つが月になる」という部分は、羿神話では省かれている。その代わりに「月」になるのは羿の妻・嫦娥である。ということは、中国神話の古い姿は、「母系の太陽女神が射落とされて、二つに分かれ、少なくともそのうちの1つは月の女神になった」というものなのではないだろうか。嫦娥が地上に降り立った理由は「羿に射落とされたから」ではなかったか、と思う。残りの半分はどうなったのだろうか? 「もう一つの小さな太陽」も女神でよいのだろうか。もし仮にそうだったのだとしても、台湾の伝承からは、それは明らかではない。ということは、紀元前10世紀には「太陽は女神であった」という神話がかつて存在していたとしても、それは中国本土では消え失せてしまっていた、ということになるのではないだろうか。だから、台湾にはその伝承が伝播しなかったのである。ということで、余談ではあるが、羿が射止めたのは、女神のハートであったのか、それとも体だけであったのか。女心とは複雑なものとも言うもの、と個人的には思う。1.台湾にも「射日神話」は存在する。多くは、「太陽の害があったので、二つに割ったところ、一つは月になり、もう一つは小さな現在の太陽になった」という粗筋である。羿神話と比較すると、太陽は10個もない。よって、「射落とした太陽が9つあった」という部分は、紀元前11世紀よりも後に、中国の神話に付け加えられたものといえる。また、射落とした太陽のうち、「1つが月になる」という部分は、羿神話では省かれている。その代わりに「月」になるのは羿の妻・嫦娥である。ということは、中国神話の古い姿は、「母系の太陽女神が射落とされて、二つに分かれ、少なくともそのうちの1つは月の女神になった」というものなのではないだろうか。嫦娥が地上に降り立った理由は「羿に射落とされたから」ではなかったか、と思う。嫦娥が「不死の霊薬」の持ち主であった、ということは本来の持ち主は元の「大きな太陽」だったのではないか、とも思われる。残りの半分はどうなったのだろうか? 「もう一つの小さな太陽」も女神でよいのだろうか。もし仮にそうだったのだとしても、台湾の伝承からは、それは明らかではない。ということは、紀元前10世紀には「太陽は女神であった」という神話がかつて存在していたとしても、それは中国本土では消え失せてしまっていた、ということになるのではないだろうか。また、台湾の伝承では太陽が鳥である、とは言っていないので、これも紀元前10世紀以後に中国本土で変更された部分なのだと思う。だから、台湾にはこれら伝承が伝播しなかったのである。 日本の「竹取物語」と比較すれば、「かぐや姫は、大きな太陽女神であった時に、人々に害をなしたので、射られて地上に降りてきた。」ということになる。でも、日本のかぐや姫は男が嫌いであったようである。 ハイヌウェレは降り立った地上でも迫害される。しかし、地上での死(消失)と引き換えに、ムルア・サテネという強力な絶対的女神と一体化し、人々から不老不死を取り上げて復讐する。ハイヌウェレが「不死の霊薬」を人々に与えない、のではなくて、人々の「不老不死性」という運命そのものを取り上げたことが、ハイヌウェレ神話の独自性といえようか。死体の植物化生は、また別の物語である。そして、このようにして、物語は各地で変化していったと思われる。 ということで、余談ではあるが、羿が射止めたのは、女神のハートであったのか、それとも体だけであったのか。女心とは複雑なものとも言うもの、と個人的には思う。
=== 織女と怪物 ===