それはともかく、「ハイヌウェレ」とは「殺された女神」である、とのイェンゼンの説なのであるが、ハイヌウェレ神話の前半は、非常に「竹取物語」や「竹取説話」に類似していて、元は「女神が親切にしてくれる人に豊穣をもたらす物語」であったことが分かる。だから私はイェンゼンに対して、声を大にして言いたい。「それはともかく、「ハイヌウェレ」とは「殺された女神」である、とのイェンゼンの説なのであるが、ハイヌウェレ神話の前半は、非常に「竹取物語」や「竹取説話」に類似していて、元は「女神が親切にしてくれる人に豊穣をもたらす物語」であったことが分かる。だから私はイェンゼンに対して、声を大にして言いたい。「'''かぐや姫は殺されないからハイヌウェレではないのかよ!'''」と。どう見ても、かぐや姫とハイヌウェレは、元は「同じ女神」なのに、である。
だから、誰がこまどりを殺したのかはさておき、「殺される女神」の物語と、「農作物をもたらした女神」の物語は、本来別々のものであったものが、一つに纏められたものなのだと思う。だから、狭姫やギリシアのデーメーテール女神のように、「農耕の女神」であっても、殺されない女神はいくらでもいるのである。だから、誰がこまどりを殺したのかはさておき、「殺される女神」の物語と、「農作物をもたらした女神」の物語は、本来別々のものであったものが、一つに纏められたものなのだと思う。だから、狭姫やギリシアのデーメーテール女神のように、「農耕の女神」であっても、殺されない女神はいくらでもいるのである。 そして、「女神が殺されるパターン」では、かぐや姫のように例外もあるが、「瓜子姫」のように、'''女神が植物の化身としての性質が強い場合'''に、死に至ることが多いのだと感じる。
== 扶桑と養蚕 ==