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4,135 バイト追加 、 2022年2月26日 (土) 19:07
この形の神話は、東南アジア、オセアニア、南北アメリカ大陸に広く分布し、それらはみな、芋類を栽培して主食としていた民族である。イェンゼンは、このような民族は原始的な作物栽培文化を持つ「古栽培民」と分類した。彼らの儀礼には、生贄の人間や家畜など動物を屠った後で肉の一部を皆で食べ、残りを畑に撒く習慣があり、これは神話と儀礼とを密接に結びつける例とされた<ref>『世界神話事典』「ハイヌウェレ」の項(吉田、pp. 154–155)</ref>。
 
=== 個人的な解説 ===
物語は四部構成である。
 
1.導入部。木の化身の乙女が宝を出し、養父を豊かにする。「竹取説話」と同じ物語である。
 
2.主部。かぐや姫は宝を配らなかったから殺されなかったけれども、ハイヌウェレは宝を配ったから殺されたのか、という感じの展開である。「竹取物語」と比較すれば、かぐや姫は「罰を受けて地上に追放される(仙女としては死である)けれども、ハイヌウェレは他人の嫉妬心から「罰を受ける」。かぐや姫とは「罰を受ける」場面が異なるけれども、「罰を受ける女神」である点が共通している。
 
3.展開部。「竹取物語」では、かぐや姫が「不死の霊薬」の持ち主であることが明らかとなるが、ハイヌウェレは「芋の化身」であったことが明らかとなる。芋がハイヌウェレの「持ち物」ではなくて、ハイヌウェレ自身とされている点は、「瓜子姫」のような設定であり、瓜子姫達がしばしば、受難にあったり、殺されたりするように、ハイヌウェレも殺される。
 
4.結部。ムルア・サテネ登場。人類を支配しているこの女神は、それまでは人々に「生」のみを与える存在だったのに、下位の女神のハイヌウェレの死をきっかけに人々に「死」を与える存在にもなる。サテネ自身も人の世を去る、と宣言する。日本の天照大神は、部下の織女の死をきっかけに岩戸に籠もる。これらは、すなわち、古代中国で、「下位の女神の死」とみなされる事件があり、それをきっかけにして、太陽女神であった西王母の性質が人々の間から消えてしまったことを指すのではないか、と思わずにいられない。すなわち、それは「'''太陽女神信仰の禁教と弾圧'''」である。それが紀元前10世紀よりも以前に起こったので、その歴史の記録がインドネシアと日本に伝播したのではないか、と思われる。
 
中国本土の「太陽女神」は「西王母」へと作り替えられ、「不死の霊薬」の持ち主も太陽女神から西王母へと変更された。嫦娥のように末端の「太陽女神」は月の女神に変更された。そして、「太陽女神信仰の弾圧の責任者」は太陽を射落とした羿にあるとされた。残されたただ一つの「太陽」は、男性とされ、黄帝と習合して、やがて中国全土に「皇帝の父」として君臨することになる。日本の神話は、天皇家の先祖を「黄帝」になぞらえようとしながら、皇祖神を天照大神(太陽女神)にしようとして、すなわち、太陽女神信仰を復活させようとして、あちこちに矛盾を作り出してしまっているように思えるのである。
 
 
 それはともかく、「ハイヌウェレ」とは「殺された女神」である、とのイェンゼンの説なのであるが、ハイヌウェレ神話の前半は、非常に「竹取物語」や「竹取説話」に類似していて、元は「女神が親切にしてくれる人に豊穣をもたらす物語」であったことが分かる。だから私はイェンゼンに対して、声を大にして言いたい。「'''かぐや姫は殺されないからハイヌウェレではないのかよ!'''」と。どう見ても、かぐや姫とハイヌウェレは、元は「同じ女神」なのに、である。
 
 だから、誰がこまどりを殺したのかはさておき、「殺される女神」の物語と、「農作物をもたらした女神」の物語は、本来別々のものであったものが、一つに纏められたものなのだと思う。だから、狭姫やギリシアのデーメーテール女神のように、「農耕の女神」であっても、殺されない女神はいくらでもいるのである。
== 扶桑と養蚕 ==

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