ハイヌウェレ神話との物語の骨格の類似点から、狭姫の伝承の方が、古くから存在するものだと考える。
== ハイヌウェレ ==
参考までにハイヌウェレの神話を挙げる。個人的には、インドネシアの伝承であるので、やはり中国南部の古い神話の影響を受けた物語だと思う
'''ハイヌウェレ型神話'''(ハイヌウェレがたしんわ、'''ハイヌヴェレ'''とも<ref>『世界神話事典』「ハイヌウェレ」の項(吉田、p. 153)</ref>)とは、世界各地に見られる食物起源神話の型式の一つで、殺された神の死体から作物が生まれたとするものである。
その名前は、ドイツの民俗学者であるアードルフ・イェンゼン(Adolf Ellegard Jensen)が、その典型例としたインドネシア・セラム島のウェマーレ族(Wemale people)の神話に登場する女神の名前から命名したものである<ref>『世界神話事典』「イェンゼン」の項(大林、p. 33); harvnb, 大林, 19791, p=141</ref>。
ウェマーレ族のハイヌウェレの神話は次のようなものである。ココヤシの花から生まれたハイヌウェレ(「ココヤシの枝」の意)という少女は、様々な宝物を大便として排出することができた。あるとき、踊りを舞いながらその宝物を村人に配ったところ、村人たちは気味悪がって彼女を生き埋めにして殺してしまった。ハイヌウェレの父親は、掘り出した死体を切り刻んであちこちに埋めた。すると、彼女の死体からは様々な種類の芋が発生し、人々の主食となった。
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アメタ(「黒、夜」等の意)という独身の男がいた。狩猟でイノシシ(野生豚)をしとめると、牙からココヤシの実が見つかった(そのとき世界にはまだココヤシの木は存在しなかった)。アメタはサロン・パトラ(蛇模様の布)(Sarong patola.)で覆って実を持ち帰ったが、夢に謎の男が現れ、その実を植えよとのお告げにしたがうと、3日で木に成長し、さらに3日後に開花した。アメタはヤシ酒を作ろうと木登りしたが、花を切ろうとして指を傷つけてしまい、血が花にほとばしった。すると花と血が人間のかたちとなり、9日後には少女に育っていた。その彼女をハイヌウェレ(ハイヌヴェレ、「ココヤシの枝」の意)と名づけ、蛇柄のサロン布に包んで持ち帰った。彼女には、いろいろな高価な品物を大便として排泄するという、不思議な能力が備わっていたので、アメタは富豪となった<ref>harvnb, 吉田, 1986, pp=37–39; harvnb, 吉田, 1992, pp=141–143; 大林, 1979, pp=133–135</ref>。
神聖な広場で、9夜連続のマロ踊り(Maro.)が開催された。踊り手はマロ踊り(螺旋)をえがきながら踊り、中央には女性たちが控えていて、清涼剤であるビンロウ(檳榔子)キンマ(蒟醤)の葉を配って渡す。ところがハイヌウェレは第二夜にビンロウジのかわりにサンゴを渡し、第三夜に中国製磁器、第四夜により豪華な磁器、第五夜に大きな山刀(イェンゼンのドイツ語原文では単に"große Buschmesser"だが(harvnb, Jensen, 1978, p=455)、目次を見れば他所でparangという刀が出ており、Buschmesserである。)、第六夜に銅製のシリー入れ、第六夜に銅鑼、とだんだんを高価な品を配った。人々はこれを気味悪がり、嫉妬心もあって、第九夜の踊りの最中に彼女を生き埋めにし、踊りながら穴を踏み鳴らし、悲鳴があがるのを歌声でかき消し、殺した<ref>harvnb, 吉田, 1986, pp=39–40; 吉田, 1992, pp=143–144; sfn, 大林, 1979, pp=135–137</ref>。
アメタは占いで、娘が殺されたと知った。ココ椰子の葉肋を持って砂に突きさし、彼女が埋められた場所を突き止めた。そして彼女の両腕をのこし、それ以外の部分を細切れに刻んで広場のまわりの土地に埋めたところ、そこから世界に存在していなかったイモ類(ヤム芋やタロイモ)が生じ、その後の人類の主食となった<ref>sfn, 大林, 1979, p=137; 吉田, 1992, p=146。 肺腑からアインテ・ラトゥ・パイテ(紫色ヤム芋); 乳房:アインテ・ババウ; 両目:アインテ・マ(生りはじめの形が目に似る); 恥部:"明るい紫色でとてもよい匂いがして美味しい、アインテ・モニという種類"; 尻:アインテ・カ・オク("外皮がかさかさ"); 両耳:アインテ・レイリエラ; 両足:アインテ・ヤサネ; 太股:アインテ・ワブブア(大型種); 頭:ウク・ヨイヨネ(タロ芋の一種)。</ref>
アメタは娘の両腕を抱えて、人類を支配していたムルア・サテネ(mulua Satene、未熟バナナより発生したといわれる。)という女性を訪れ、訴えた。彼女は憤慨して人間界にいることをやめると宣言し、踊りのように九重の螺旋からなる門を築きあげて、すべての人間にそこを通るように命じて選別を始めた。命に従わないものは人間以外の者にされると忠告され、動物や精霊になってしまった。門をくぐる者たちも、大木に座るサテネの脇を抜けようとするが、すれ違いざまにハイヌウェレの片腕で殴られた。大木の左側に抜けようとしたものは五本の木の幹(あるいは竹)を飛び越さなくてはならず「パタリマ」(五つの人たち)(Patalima .)となり、右側に抜けようとしたものは九本を飛び越して「パタシワ」(九つの人たち)(Patasiwa .)となった。セラム島のウェマーレ族やアルーネ族(Alune people9は、「九つの人たち」に数えられる<ref>sfn, 大林, 1979, pp=138–140; 吉田, 1992, pp=160–161。</ref>
それまで世界は人間にとって死の無い楽園だったのに、ハイヌウェレ殺害後は、人類は定まった寿命を授かり、死後に門を通り、死の女神サテネに謁見しなくてはならなくなった。
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この形の神話は、東南アジア、オセアニア、南北アメリカ大陸に広く分布し、それらはみな、芋類を栽培して主食としていた民族である。イェンゼンは、このような民族は原始的な作物栽培文化を持つ「古栽培民」と分類した。彼らの儀礼には、生贄の人間や家畜など動物を屠った後で肉の一部を皆で食べ、残りを畑に撒く習慣があり、これは神話と儀礼とを密接に結びつける例とされた<ref>『世界神話事典』「ハイヌウェレ」の項(吉田、pp. 154–155)</ref>。
== 扶桑と養蚕 ==