日本の記紀神話は、天照大神が下した穀物を、国つ神である大国主命が少名毘古那神の助けを借りて、国中に伝え、開拓した、とすれば、物語としては整合性がとれる。しかし、そうすると、大国主命が開拓した国を、なんで大国主命の子孫ではない天皇家が治めるのか、という点に疑問と矛盾が生じるので、一旦国を開拓のために大国主命に預けて、その後天皇家の先祖が譲り受ける、という筋書きにしようとして、'''し損ねた'''のではないか、と思う。
ちなみに中国では、「神農が開拓した国を黄帝が攻め取る」という展開になる。本当は日本の神話もそれに'''倣って'''、「大国主命が開拓した国を天孫が攻め取る」としたかったのかもしれないが、そうすればそうしたで、「じゃあ、朝廷に仕えている出雲系の氏族(大国主命の子孫)の立場はどうなるのか。」という政治的問題に発展する。中国の故事に倣って、日本の開拓神話を作ろうとして、グダグダな展開になったのでは、と個人的には思う。
ハイヌウェレ神話との物語の骨格の類似点から、狭姫の伝承の方が、古くから存在するものだと考える。