狭姫と神農の姿には、開拓神である、という以外、あまり類似点がないため、その点からも狭姫と神農との物語の間には直接の関連はないのではないか、と考える。神農は殺されるわけではないのだが、人々のために薬を試して死ぬ。一種の「自己犠牲」の神である。天鳥船神は、直接ではないが、ホノニニギの命の降臨を補佐する。少名毘古那神の常世行きは「死」を暗示はさせるが、明確に「死んだ」とはされていないので、ここでは「死」の範囲には含めない。
日本の記紀神話は、天照大神が下した穀物を、国つ神である大国主命が少名毘古那神の助けを借りて、国中に伝え、開拓した、とすれば、物語としては整合性がとれる。しかし、そうすると、大国主命が開拓した国を、なんで大国主命の子孫ではない天皇家が治めるのか、という点に疑問と矛盾が生じるので、一旦国を開拓のために大国主命に預けて、その後天皇家の先祖が譲り受ける、という筋書きにしようとして、'''し損ねた'''のではないか、と思う。
ハイヌウェレ神話との物語の骨格の類似点から、狭姫の伝承の方が、古くから存在するものだと考える。
== 扶桑と養蚕 ==