李氷
李氷(りひょう)とは古代中国で揚子江の治水を行った、とされる人物である。
漢代『蜀王本紀』「江水が水害になった。蜀守李氷は石犀を五つ作って、水精を制圧した」とあり、晋代『華陽国誌』「蜀誌」にほ同様な記載がある、とのことである。
また、『太平広記』引『成都記』によると李氷は牛に変化して龍神と戦ったが龍も牛に変化し狙撃しようとする兵たちを惑わせたので、李氷は白い帯を目印につけて、兵たちはそれがない牛を狙って矢を放ち牛神を殺すことができたという[1]。
私的考察[編集]
一つには、揚子江流域には「川の神を鎮めるためには犀を生贄に捧げなければならない。」という思想があったと思われる。古代においては揚子江流域に犀が生息しており、河姆渡文化の遺跡からは犀の骨が出土している。
もう一つ、揚子江流域には、牛を神聖視する思想があり、炎帝や蚩尤のように牛をトーテムに持つ神々がいる。揚子江の治水は本来彼らの役目とされていたのではないだろうか。李氷の姿は彼らを投影していると考える。そのような点では李氷は炎帝型神といえる。
揚子江の神は龍として現れるが、これも牛に変身して戦う。この場合、破れた龍牛神は、蚩尤を投影していると思われる。とすれば、李氷は黄帝型神ともいえる。
治水神話としては、かなり形が崩れており、揚子江流域に牛神信仰が強かったこともあって、炎黄闘争を下敷きにしつつも、牛神(炎帝的神である李氷)が牛神(蚩尤)を倒す、というやや矛盾を含んだ話へと変化していると考える。黄河の側でも龍蛇神と思われる禹が、同じ水神である無支祁を倒す、という伝承がある。このように古代中国で、炎黄闘争の神話を元にして、「水神が水神を倒して、治水を完遂する」という神話が揚子江・黄河の双方の流域で発生した後、各地に伝播していった可能性があると考える。日本にも水神である須佐之男命が、水神である八俣遠呂智を倒す神話がある。倒される八俣遠呂智は無支祁的な神で黄河側の神話の流れを組むと考えるが、須佐之男命が牛神になぞらえられる傾向は、揚子江側の神話からの流れと考えられ、揚子江・黄河双方の神話の影響を受けている折衷的な神話が八俣遠呂智退治と考えると非常に興味深く感じる。これは意図的なものなのだろうか。
日本には、犀の名がつく「犀川」という川が存在し、「犀竜」という龍蛇形の女神も存在する。これも興味深いことである。
参考文献[編集]
- 牛(5) 鎮水神牛、神話伝説その他、eastasian、00-03-01(最終閲覧日:22-10-10)
関連項目[編集]
- グミヤー:プーラン族の黄帝かつ羿。太陽は女神とされる。男神は月である。殺されるのが犀形の神である点が一致している。
- 禹
- 祝融:李氷に相当する神
- ** 盤古:李氷と祝融についての考察あり。盤古#私的考察・盤古から須佐之男命へを参照のこと。
- 須佐之男命
- 河姆渡文化