天石門別神
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天石門別神(あまのいわとわけのかみ)は、日本神話に登場する神である。大伴連の祖神とされるが、阿波忌部・安房忌部の祖神にも同名の神が見られ、天石門別命は異なる二神を指す可能性がある。
概要[編集]
『古事記』の天孫降臨の段に登場する。邇邇芸命が天降る際、三種の神器に常世思金神・天手力男神・天石門別神を添えたと記され、同段で天石戸別神は又の名を櫛石窓神(くしいわまどのかみ)、豊石窓神(とよいわまどのかみ)といい、御門の神であると記されている。天孫降臨の段に登場する神の多くはその前の岩戸隠れの段にも登場しているが、この神は岩戸隠れの段には見えない。
天石門別神は古来より天皇の宮殿の四方の門に祀られていた神である。神祇官の西院では御門巫祭神として祀られて式内社とされていた。 天太玉神の子ともいう。
『古語拾遺』に豊磐間戸命、櫛磐間戸命の二神で神殿の御門を守ったとある[1]。『延喜式神名帳』に御門の巫(みかむのこ)が祀る神として豊磐窓神、櫛磐窓神が記されている。『四時祭式』に、5月、12月に行う4面の御門の祭とあり、豊磐間戸命、櫛磐間戸命の2神の祭のことである[2]。『祝詞式』に、その祭の祝詞があり、新年祭の祝詞にも、朝夕に御門を厳重に守る神として2神の名が記され、四面の門の各門に2神ずつ同じ神が配備とある[3]。
系譜[編集]
『古屋家家譜』によると、大伴氏の祖・高皇産霊尊の子である安牟須比命の3世孫に天石門別安国玉命(あめのいわとわけやすくにたま)がいるとされ、同系譜では、天石門別安国玉主命、大国栖玉命、大刀辛雄命(たちからお)の別名があるとされる。
祀る神社[編集]
- 大祭天石門彦神社(島根県浜田市):石見國那賀郡:式内社・大祭天石門彦神社。社伝では、阿波忌部氏の一族が当地に祀った神社とされる。一説に、浜田市の西にある大麻山神社と同時期に祀られたとある。祭神は天石門別命(手力男命)。配祀の建御名方命は、承和二年(835)十二月二十五日に信濃から勧請された神。社殿には、亀甲の中に五枚葉の立ち木の紋が付いていた。諏訪神の勧請により、諏訪的性格を帯びた神社となったようだ[4]。
- 櫛石窓神社(兵庫県丹波篠山市福井):『延喜式』神名帳では丹波国多紀郡に「櫛石窓神社二座 並名神大」と記載され、2座が名神大社に列している。大宮比売命が配祀される。中世には「大芋社」と見える。摂末社に火雷大明神がある[5]。
- 天石門別神社(茨木神社奥宮)(大阪府茨木市):天手力男神として祀る。社伝では、大同2年(807年)に坂上田村麻呂が荊切の里(地名「茨木」の由来で現在の宮元町付近という)を作った際、今は奥宮となっている天石門別神社が創建されたのに始まると伝えられる。当時は、現在の茨木市宮元町に鎮座していた。式内社である。楠木正成が茨木城を築くに当たって現在の位置へ遷座したとも、室町時代後期に移ったともいわれるが、現在地に移った際に天石門別大神を祀る本殿に素戔嗚尊と春日大神の二神を相殿として祀ると、他にも八幡大神を別の社を建立して祀っている[6]。境内内に「黒井の清水」がある[7]。
- 天岩戸神社(京都府福知山市大江町佛性寺字日浦ケ嶽):櫛岩窓戸命・豊岩窓戸命の名で祀られる。
- 天石立神社(奈良県奈良市):柳生町に地域を分けて交替で神主を勤める「まわり神主」のしきたりがあり、「神主」に当たった者は正月に神体岩の注連縄を張り替える事になっている[8]。
- 天石門別神社(岡山県美作市滝宮):主祭神は天手力男[9]。別名「滝宮神社」と呼ばれ、祈雨に顕著な霊験があるといわれている。境内の奥へ進むと、落差13mの「琴弾の滝」がある。美作三の宮と言われる[10]。吉備津彦尊が自ら祀ったと云われる。立地を考えると、滝神、水神を祀っていたものだと想像できる[11]。
社伝には、大吉備津彦命が中国地方を鎮圧する際に、天手力男神の助けによりその目的を果たしたので、大吉備津彦命が自ら祭主となって感謝と戦勝を祝い、天手力男神を鎮祀した。本殿背後の石塚はこの祭場の遺跡である。と書かれている。『作陽誌』には、この石積は、天石門別神がこの地に鎮座したときに、案内した猟師の塚又は貴人の墓と書かれている。薬師寺慎一:『祭祀から見た古代吉備』には、次のような宮司の話が記載されている。「曾祖父中川寛(明治38年没)が残した記録によれば、250年ほど前、平らな岩があり、人がそれに腰掛けて弁当を食べたところ、神罰があった。そこで、その岩の周りを石で囲んだのだそうです。これが今の石積みで、中にある平らな石がイワクラです。なお、御祭神の天手力男之命はこの岩に乗って飛んで来られたと伝えられています[12]。」 - 天石門別神社(岡山県和気郡和気町岩戸):主祭神は建御名方神[13]。天手力男神、菅原道真公、和気清麻呂公。由緒不詳[14]。社名より祭神は天手力男神(天石門別神)と考えられるが、神紋に梅鉢があり、菅公とも考えられる。元々この宮は天神山山嶺にあって、通称天津社と呼ばれていた。天文2年(1533年)、浦上宗景がこの地に築城する為、この山麓の地に移し天神様と称した。明治維新になって正式名称をアマノイワトワケ神社と改名した[15]。和気清麻呂の出身地であり、和気清麻呂を祀っていることは間違いないようである。
- 天石門別八倉比売神社摂社箭執神社(徳島県徳島市国府町西矢野):「天石門別八倉比賣大神御本記」より。天照大御神は最初に高天原で戦に備えた後、天石門別(あまのいわとわけ)の神に勅命を発して「今後、汝らは吾(われ)に代わって戦に備えよ。そして、汝らはこの『羽々矢(はばや)』と『御弓』を葦原中國(あしはらのなかつくに)に持って降り、良い場所に奉蔵せよ」と申された。また、吾(八倉乃日靈大神)も天降り、「『天羽々矢(あめのはばや)』と『天麻迦胡弓(あめのまかこゆみ)』を納めるのに相応しい場所である」と申された。
よって、二柱の神が高天原より弓矢を持って降りた。その時、二柱の神は天の中ほどに立ち「この矢の止まった所に奉蔵しよう」と言って矢を放った。その矢が落ちた場所を「矢達の丘」という(今は「矢陀羅尾」という)。
そして二柱の神は、この地に矢が落ちた事を覚えておくために「矢乃野(やのの)」と名付けて、その矢を奉蔵した倉を「矢乃御倉(やのみくら)」と呼んだ。また、その弓を奉蔵した地を「弓乃御倉(ゆみのみくら)」という。
そして、二柱の神(松熊二神※)はその後も此処に留り、御矢倉を御弓を守り続けた。 - 大谷神社(高知県香南市野市町大谷):旧暦6月14日~15日夏大祭に行われる「古式祭」は、パンツ一丁5人の裸男が甑(こしき)で蒸した飯にみそ田楽を添えた五膳を深夜本殿に供える古くからの祭りである[16]。近くに深淵之水夜礼花神を祀る深淵神社があり、対になる神社ではないかと管理人は推察する。どちらも物部氏に関連する神社で、深淵之水夜礼花神は阿波忌部氏の八倉比売に相当する神社ではないだろうか。
- 八剱神社(岐阜県羽島市桑原町八神):主祭神は櫛石窓命。美濃国中島郡(現・羽島市南部)の氏神とされる。尾張国中島郡の式内社の石刀神社の論社の一社である[17]。石刀神社の論社の一つである石刀神社(一宮市浅井町)では祭神が八倉比売神とされており、阿波忌部氏との関連があるように感じる。
- 手力雄神社(岐阜県大垣市):岐阜県大垣市禾森町にある神社。長保3年(1001年)に安八郡難儀森村字栗木場(現・大垣市大井町)に創建。当初は本社に白髭大明神、左脇宮に若宮八幡、右脇宮に天手力雄命を祀っていた[18][19]。火事で焼失し、再建時に白髭大明神は池田郡川上村(現・揖斐郡揖斐川町坂内川上)に遷宮。天手力雄命を本社として手力雄神社に改称し、若宮八幡宮を末社とした。明治になり、祭神の確認が行われ、明治12年(1879年)祭神が天石門別神あると岐阜県に届けた。これにより祭神が天石門別神となった[20]。
参考文献[編集]
- Wikipedia:天石門別神(最終閲覧日:25-02-08)
- 宝賀寿男『古代氏族系譜集成』古代氏族研究会、1986年
- 神道大辞典(縮刷版), 臨川書店, 1969, 宮地直一、佐伯有義 監修, 神道大辞典, 1969, isbn:4-653-013470, 初版平凡社、昭和14年
関連項目[編集]
- 天石門別八倉比売神社
- 大伴氏
- 石押分之子:類似する神ではないのだろうか。
脚注[編集]
- ↑ 神道大辞典, 1969, p457
- ↑ 神道大辞典, 1969, p457
- ↑ 神道大辞典, 1969, p457
- ↑ 大祭天石門彦神社、玄松子(最終閲覧日:25-02-08)
- ↑ Wikipedia:櫛石窓神社(最終閲覧日:25-02-08)
- ↑ Wikipedia:茨木神社(最終閲覧日:25-02-17)
- ↑ 茨木神社(天石門別神社)、かむながらの道、~天地悠久~(最終閲覧日:25-02-17)
- ↑ Wikipedia:天石立神社(最終閲覧日:25-02-08)
- ↑ Wikipedia:天石門別神社(最終閲覧日:25-02-17)
- ↑ 天石門別神社、美作市HP(最終閲覧日:25-02-17)
- ↑ 天石門別神社、玄松子(最終閲覧日:25-02-17)
- ↑ 神社と歴史の広場、平津豊(最終閲覧日:25-02-17)
- ↑ 天石門別神社、依代之譜(最終閲覧日:25-02-17)
- ↑ 主祭神に諸説あるようである。「天石門別神社」と名付けられた理由も定かではないと感じる(管理人)。和気氏は垂仁天皇の皇子・鐸石別命(ぬてしわけのみこと)を祖とすると伝えられる。
- ↑ 天石門別神社、神社人(最終閲覧日:25-02-17)
- ↑ 大谷神社、香南市観光協会(最終閲覧日:25-02-17)
- ↑ Wikipedia:八剱神社 (羽島市桑原町八神)(最終閲覧日:25-02-18)
- ↑ 手力雄神社(岐阜県神社庁)
- ↑ 禾森町 2001, p. 19.
- ↑ Wikipedia:手力雄神社 (大垣市)(最終閲覧日:25-02-18)