我が名はホークアイ:ヒエログリフ

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ホルス神

ここで、古代エジプトの神々の中でも、最古の部類に入るホルスの名について検討してみたいと考える。ホルスは古代エジプトにおける「天空と太陽の神」であり、その目は「天空と太陽の色」を示すラピスラズリで現され、魔除け(邪視除け)の護符としても用いられた。また、古代エジプトのラー神といった太陽神は「司法神」としての性質も有しており、ホルスも「裁判の神」としての性質を有していた。おそらく「正しい者を勝利に導く」という役割も持っていたことと思われる。また、太陽神が司法神としての性質をも併せ持つという傾向は、メソポタミアの太陽神と共通した性質である。
この神はイシスとオシリスという神の子とされることが多いが、兄弟とみなされることもあり、イシス・オシリス神と関連性の高い神といえる。また、多くの信仰を集めたため、時代や地域によって様々な名や性質が与えられた神でもあった。
ホルスのヒエログリフは以下の通りである。また、ホルス神から派生した名前もいくつか挙げてみることとする。

まず「ホルス」を現すヒエログリフであるが、隼頭の神であるため、隼のヒエログリフのみでこの神を示すことができる。太陽神であるため「太陽の口」を示す「口」のヒエログリフも頻繁に使われるようである。またホルスは古い時代には太陽の右目と月の左目を持つ男性と言われており、そのためかと思われるが「男性の頭部」を現すヒエログリフも使用されている。
「太陽の口」は太陽が昇る「地平線の口」をも示すため、地平線とそこから昇ってくる「頭部」というものが「太陽」であると考えられていたことが分かる。しかし、古い時代にはそれは「月」をも意味し、「太陽神」と「月神」が別々の存在ではなく、一体のものとして考えられていた文化があったであろうことが示唆されている。
また、ホルスの名に使われているヒエログリフには「糸」を示す「h」が使われており、この神の「永続性」を示すものといえる。ただ、糸を紡いで布を織るのは主に女性の役目と思われるため、やや女性的な要素を含んだ神ともいえるかもしれないと思う。
それ以外に、司法神であるため「秤」のヒエログリフのみでもこの神のことを示すことができるようである。

ホルアクティ(Harachte)について

「アクティ」とは「アケル」と同様「地平線」を意味する言葉である。ホルアクティとは「日の出の太陽」を意味し「ホルス」の一形態となる。古代エジプトでは「光の神」として信仰されていた。ホルアクティのヒエログリフは以下の通りである。
また「死と太陽の神」であるネトジャアクティという神がいるため、そのヒエログリフも併せて比較してみたい。

ホルアクティは太陽の最盛期である「日中」ではなく太陽の力がやや弱い「日の出」の時間を意味するからか「月」を示す「パン」のヒエログリフが付けられている。興味深いことであるが、ほぼ同じ意味、同じヒエログリフで構成されているにもかかわらず「鴾」を前面に出した「ネトジャアクティ」という神になると、同じ太陽神でも不吉さの意味が増し「死の神」としての性質が強くなるようである。「ネトジャアクティ」という言葉のうち「月」という意味の言葉で構成される「ネトジャ」という言葉は「パン」のヒエログリフ一文字が全て担っているように感じる。
「鴾」を意味するヒエログリフは本来「日の出」の太陽を意味する言葉であったが、「月」を意味する言葉と組み合わされて使用されているうちに「鴾」そのものが「月」とみなされるようになったのかもしれないと思う。すなわちそれが、ヘルモポリスにおける月神トートである。この神には「本来月神ではなかった」という伝承が残されており、本来は「日の出の太陽神」であったのであろう。そしてその呼び名は「ク」あるいは「アク」であったのだと推察される。
以下に「地平線の太陽(日の出)」を示すヒエログリフをまとめてみたが、このヒエログリフの中には月神であるコンス神や先にも述べたようにトート神に使われるものもあるため、本来「地平線の太陽(日の出)」を意味していた「ク(kあるいはch)」というという名で現される神は、主に「太陽」であり、それよりも弱い形で「月」も意味する神であったということが考えられる。これらの太陽はホルス神の左目と同様、一部に「月」を含む太陽神から出ている言葉と思われるのである。

ハロエリス(Haroeris)について

ハロエリスは中王国時代より存在するホルス神の一形態で「ホルアクティ」が「日の出の太陽」を示すのと対照的に「成年のホルス」とされた神であった。ハロエリスとはギリシア名であって、古代エジプトではホル・ウルと呼ばれたようである。第18王朝(紀元前1570年頃 - 紀元前1293年頃)では「神々の父」として崇められ、その性質は「光の神」として太陽神と月神の両方を内包したものであった。

ハロエリスを構成するヒエログリフを見ると、ハヤブサのヒエログリフに「偉大な」という意味のヒエログリフが付加されており「偉大なるホルス神」という意味になる。また「口」というヒエログリフは「h」あるいは「k」という子音にも読みうるため、その場合は「hrwh」あるいは「hrwk」と読みうる。後者の場合は英語の「hawk(鷹)」という単語と交通性のある言葉と成り得よう。

ヤハウェについて

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Stone carved Faravahar in Persepolis.

おおよそ紀元前1300年前後に、古代エジプトを出てカナンの地に移り住んだ人々が存在する。現代の言葉では彼らの神を「ヤハウェ」と呼ぶため、改めてこの神について考察を試みたい。この神の名はフェニキア語で右のように表記し、そのまま英語のアルファベットに直すと「HWHY」となる。地中海東岸地域では「神」を意味する言葉を単語の最後に持ってくることもあるため、最後の「Y」は「神」を意味する言葉だと思われる。残る「HWH」は、ハロエリス神のヒエログリフ「HWH」と一致する。彼らが出てきた先の古代エジプト第18王朝において、ハロエリス神が「神々の父」として、信仰と尊敬を集めていたことを考えればこれは全く不思議のないことと思われる。

エジプトを出た後、カナンの地にイスラエル王国を成立させた古代ユダヤ人であったが、紀元前1021年に王国は北イスラエル王国と南のユダ王国に分裂する。その後紀元前721年に北イスラエル王国はアッシリア(新アッシリア帝国:紀元前934~609年)に滅ぼされ、イスラエル人はペルシャ地方に強制移住させられることとなった。その行方が文書に残されていないため彼らは「失われた10支族」と呼ばれることとなったのである。

その後、紀元前586年に南のユダ王国は新バビロニア(紀元前625~539年)に滅ぼされ、人々はバビロニアへ強制連行されることとなった。しかし、紀元前550年にペルシャ地方からアケメネス朝ペルシャが興り、アッシリア、次いで新バビロニアを滅ぼすとユダ王国の人々は寛容な宗教政策を執るアケメネス朝の元で故地に戻ることを許された。
多民族国家であったアケメネス朝は宗教政策に寛容であったが、上層部はゾロアスター教を信仰していた。ゾロアスターなる人物が興したとされるこの宗教の起源は確とはしていないようであるが、少なくともアケメネス朝の時代にはゾロアスター教のシンボルとして、ファラヴァファー(Faravahar)と呼ばれ、鷲の翼を持つ太陽円盤の内部に男性の像があるものが使われていた。この像はアッシリア時代のアッシュール神の像と酷似しているため、図像的な起源はそこにあるものと思われる。しかしその名前の方はアッシュール神とは似ていない。また古代のイランはインドと共通の神々を複数持つが、インドにおける主な神とも共通した名ではないと思われるのである。
古代エジプトにおいて「ホルス(Horus)」を現すヒエログリフの最初の「H」は「F」という文字で現されることもあった。すなわちファラヴァファー(Faravahar)を子音で分解すれば「Fara-va-har」となり、それを縮めれば「fvh」となることになる。「w」の子音と「v」の子音には交通性があることを考えれば、これは「HWHY」という言葉から派生した鷲の羽根を持つ太陽神、すなわち古代エジプトの「ハロエリス神」を起源に持つと考えられるのである。おそらく、宗教的なのかあるいは政治的なのかははっきりとはしないが、北イスラエル王国の人々はアケメネス朝において重要な地位にいた人々であったであろうと推察せざるをえない。

紀元前330年に、マケドニアのアレクサンダー大王に攻撃されたアケメネス朝ペルシャは滅亡した。それからおおよそ100年後の紀元前221年に、古代中国に最初の統一王朝である秦が誕生する。秦は始皇帝の死後瓦解して紀元前206年には滅亡するが、始皇帝の墓である兵馬俑からはペルシャ系の男性と思われる人物の骨が発見されており、秦にアケメネス朝から亡命したペルシャ人が仕えていたことが示唆される。

秦の滅亡後、臣民の一部は政治的空白地帯である中国東北部へ逃げ込んだのではないかと思われる。そこには先住民である濊貊族がいたが、他にも秦に滅ぼされた燕の臣民や、更には斉の末裔である姜氏等が居住したと思われる。おそらく彼らは連合して国家の形成を目指したのではないかと思われる。秦滅亡の直後から中国東北部には「鹿」を意味すると思われる「扶余族」が興り、彼らは扶余、高句麗、百済と朝鮮半島を南下しながら次々と国家を形成していったのである。

忌部氏について

古代の日本には出雲系の王朝が存在し、その王家は「富氏」という人々が受け継いでいたという伝承がある。その真偽のほどはともかくとして、弥生時代に大規模な水稲耕作が開始された時期に大和盆地にいた有力な氏族について考察を試みたい。
忌部氏(いんべし)とは、「ケガレを忌む」という意味から来た名字を有する氏族で、古代朝廷の祭祀を始めとして祭具作製・宮殿造営を担った氏族であるとされている。「死」を「穢れ」とみなして忌み嫌う風習は出雲富氏と共通しており、ゾロアスター教的な習慣といえる。
現在の奈良県橿原市に本拠地を持つ忌部氏の祖神は天太玉命(あめのふとだまのみこと)といった。鹿の骨を用いて行う占いを「太占(ふとまに)」というため「太」とは「鹿」のことであると分かる。古代の東アジアは太陽信仰が強く、かつ氏族のトーテムとして動物神を持つことが多かったため「天太玉命」とは「鹿の太陽神」であると思われる。扶余系の氏族からなる高句麗の建国神話には「金蛙王(きんあおう)」という太陽神と思われる王が登場するため、忌部氏も同じく「太陽信仰」を持った氏族で、鹿をトーテムに持つことから扶余系の氏族であることが推察される。
忌部氏の一派は紡績業を受け持ち、各地に広がって糸の元となる穀(カジノキ:楮の一種)を植える等の仕事も行っていた。阿波に移住した阿波忌部氏は天太玉命の孫神とされている天富命に率いられていたと言われており、この天からも出雲富氏との関連が覗われる。この他に阿波忌部氏は天日鷲神(あめのひわしのかみ)という祖神を有している。これは「鷲の太陽神」を指し、「鷲の太陽神」を祖神とみなす点でゾロアスター教と一致する思想である。この神は天太玉命に率いられて穀を植えた神と言われており、阿波(現在の徳島県徳島市二軒屋町)にある忌部神社の神紋はその故事から「梶の葉」紋とされている。この紋は、穀を植えた天日鷲神を象徴しているため、いわば「太陽神」の象徴といえる。すなわち、忌部氏は扶余系氏族と、ゾロアスター教を擁するペルシャ系氏族の混血氏族といえる。
一方、吉野川市にある忌部神社には、伊勢神宮に荒妙を奉納する伊勢麻続氏の祖神長白羽神も天太玉命の同族として祀られている。要するに阿波忌部氏とその末裔は出雲系、天孫系を問わず祭祀等に使用する「荒妙」、すなわち穀を原材料として織られる布を司る氏族であったといえる。
阿波にある忌部神社と同様に「梶の葉」紋を持つ神社に諏訪大社がある。諏訪大社の主祭神である建御名方神(たけみなかたのかみ)は建御名方富神とも書き、出雲富氏との関連が示唆される。一方の出雲富氏の側にも「信濃は出雲の分国」という伝承があり、忌部氏や諏訪氏が出雲富氏から分かれた氏族であることが覗える。長野県には建御名方神が外部から侵入してきた神であるという伝承があり、古事記においてもこの神が出雲から諏訪に逃げ込んだ神であるとの記載があるため、建御名方神はおそらく出雲富氏から出て、阿波忌部氏と繋がりをもちながら信濃国に移住した人々の神であるといえよう。
阿波の忌部神社と比較した場合、諏訪大社の「梶の葉」は3つある。また、諏訪神は時代が下ると軍神として崇められるようになり「紡績としての神」としての性質は皆無といえる。出雲富氏がいわゆる「出雲の王家」であったとすると「富」の名を持つ建御名方富神は「王家の神」あるいは「軍神」としての性質が強く、ゾロアスター時代のファラヴァファーの性格を強く残した神だと感じる。しかし、諏訪氏に近い氏族は紡績業に関わる忌部氏であり、その太陽神の紋を神紋として採用しているのであろう。梶の葉が3つある理由は、本来扶余系とゾロアスター系とで系統が異なる祖神「天太玉命」「天日鷲命」と氏族が奉祭していた「天照大神」という3系統の出自の異なる「太陽神」を習合させて祀っているという意味があるからではないかと思われる。
富氏、忌部氏、諏訪氏に共通するゾロアスター的ペルシャ系氏族の出自であるが、海部氏が侵入する以前の丹後半島に祀られていた豊受大神は神紋の一つに「六芒星」があることで有名である。この「六芒星」は西洋世界では「ダビデの星」ともいわれ、ユダヤ民族の象徴とされる紋章である。すなわち、アケメネス朝の東にあった地域からアレクサンダー大王の東征によって東アジアに追われてきた人々、アッシリア時代にそこに移住させられてきた人々、移住させられる前に北イスラエルで「HWHY」という文字で現される猛禽類の太陽神ホルスを信仰し、アケメネス朝時代に「HWHY」から派生したファラヴァファーを祖神とし、日本にやってきてから「天日鷲命」を祖神とするようになった人々、すなわち「アブラハムの神を信仰していた北イスラエル王国の人々」、それが少なくとも男性形の太陽神を有する彼らの先祖の半分である、といえるということになると思うのである。
要するに男性形の建御名方神の半身は「HWHY」という言葉で表される神、ということになるであろう。

まとめ

以上のように考えていくと、アケメネス朝の寛容な宗教政策からは、支配者層の宗教であるゾロアスター教が他宗教に対して「排他的」ではなかったことが覗える。また、日本の国においても柔軟に他氏族との神と習合して共存を図ろうとしていた姿勢が分かる。要するに少なくとも紀元前1300年前後に古代エジプトを出てきたモーセの目指した本来の「アブラハムの宗教」とは

他民族や他氏族の宗教に寛容で、排他的ではない宗教

であったのである。むしろ彼らが嫌ったのは、子供を生贄に捧げたり、自らの神の名を楯にとって他民族を攻撃することを正当化するような人々の宗教であったのではないだろうか。すなわち、神の名を楯にとって

「キリスト教徒以外は人間ではないから殺しても良い」

とか

「ユダヤ教徒でないパレスチナ人は圧迫しても良い」

と述べる者がいれば、そのような行いこそが「HWHY」の神に相応しからぬ行為であり、それが分かっているからこそ、すなわち「HWHY」が示す神が本来寛容で寛大で神であると分かっているからこそ、そのことを知られぬように「4文字の名の正しい発音(読み)は消失した」などという者がいるのではないかと疑ってしまうほどである。
そして更に、この神が寛容な神であったことを「なかったこと」にしてしまうために、それを知る者を全て皆殺しにしようなどと考えるものがもしいるのであれば、それこそ常に

「人類は虐殺の危機にさらされている」

ということになるのではないだろうか。

関連項目

外部リンク

Wikipedia

古代エジプト メソポタミア・地中海東岸地域他 ペルシャ・中国・朝鮮 日本
ホルス
Horus
Harachte
Haroeris
Netjer-achti








ヤハウェ
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