「獅子頭女神について:ヒエログリフ」の版間の差分

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獅子頭女神の分布図

古代エジプトには複数の「獅子頭」の女神が存在するため、それらの女神の関連性について考察を行いたい。古代エジプトの獅子頭の女神は総じて

  • 軍神
  • 疫神
  • 母神

といった性質を持っていたように思われる。敵を攻撃する際は恐ろしい女神となるが、守護者となる場合は慈愛深き母神となるのである。そして、攻撃的な性質の延長であろうが、疫神としての性質も有している。また、特にセクメト女神は頭に太陽円盤を抱き「太陽神」としての性質が強いと思われる。彼らに対する信仰は上下エジプトの双方で認められ、これらの女神は互いに同一視されることがあった。彼らの「名前」という点から、その同一性を探ってみたいと思うものである。

獅子頭女神の源像

ナカダIII期(紀元前3200-3000年)の「狩人のパレット」より
初期王朝時代(紀元前3100頃-2686年頃)のメヒト女神

古代エジプトの王朝誕生前の文化に、上エジプトのナカダを中心にして興ったナカダ文化がある。ナカダIII期(紀元前3200-3000年)より出土した「狩人のパレット」には、弓矢を持った人々が狩りをする姿が描かれているが、そこには双頭の牛や、獅子といった「神話的動物」の姿も共に描かれている。そこに描かれた獅子の図を見ると、通常の姿ではなくて、獅子の体から数本の「腕」が伸びている。古代エジプトには「神」を示すトーテムとして大きく「蛇」と「蛙」に分ける習慣があり、「蛇」に腕は存在しないことから、これは「蛙の手」であろうと推察される。要するに、このパレットに描かれている「獅子」は蛙との合成獣の姿で描かれている。しかし、狩りの場面に描かれているのであるから、狩りをするような「攻撃的な神」として描かれていることも確実であると思われる。
ナカダIII期に登場したこの合成獅子神の姿を受け継いだのが、初期王朝時代のメヒト女神の図像であるといえる。メヒトは背中から突出している3本の曲がった棒を持つ獅子されるが、それはおそらく「蛙の手」が変化したものであろう。メヒト女神が主に信仰されたのは上エジプトのティニスやヒエラコンポリスであり、ナカダとは距離的にも近い。おそらく、メヒト女神は図像的にも性質的にもナカダIII期の獅子神の性質を受け付いた神であろうと想像される。またメヒト女神が「女神」であることから「狩人のパレット」に描かれた合成獅子神も「女神」であったであろうと推察される。

メヒト、メンヒト、ネイト等

まず、メヒト(図1)とハトメヒト(図3)のヒエログリフを見てみることとする。すると、双方のヒエログリフの差は「ハト(Hat)」を意味するライオンのヒエログリフがあるか否かの違いしかないことが分かる。ハトメヒトは下エジプトで信仰された魚の女神とされているが、ヒエログリフからはライオンもこの女神のトーテムの一つであったことが覗える。一方ハト(Hat)という言葉を子音で分解すると「(K)H-t」となり、ヘケト(Heqet)から最初のHeが省略された形であることが分かる。ハトメヒトとはおそらく「蛙のメヒト」という意味であって、ナカダIII期(紀元前3200-3000年)のパレットに描かれた「蛙の手を持つ獅子女神」という意味なのであろう。メヒト女神は「ハト(Hat)」という言葉が省略されているが、初期王朝時代の図像には「蛙の手」の名残が残されていることから、本来ハトメヒトとメヒトは同じ女神であったと考えられる。
次にメヒト(図1)とメンヒト(図4)のヒエログリフを見てみると、最初に来る文字が「メ(Me)」であるか「メン(Men)」であるかの違いしかないことが分かる。これらは全て、蛇神であり、かつ「運命を定める神」を意味するヒエログリフであるため、メンヒトとはメヒトと同じあるいは、最初の「MあるいはN」という子音を2重にして、その意味を強調しただけの神といえる。メヒトもメンヒトも上エジプトで信仰されている女神であるし、おそらくその起源は同じ神なのであろう。また、メヒト(図2)やメンヒト(図5)のヒエログリフを見ると、メヒト(Mehit)等の言葉のうち、真ん中にある「ヒ(hi)」を示すヒエログリフが省略されて、その名が短縮される傾向にあることに気が付く。
ネイト(Neith)のヒエログリフを見ると、表意文字で現される場合には「水神であるネイト」の象徴である「楕円に4本のひげのようなものがついた形」と、機織りの女神であることを象徴する「糸巻き」の文字で構成されていることが分かる。そこに子音を構成するヒエログリフがつく場合には「N-T」という単純な文字が付加される。ネイトを構成する子音はメヒトと似通っており、この2柱の獅子頭女神が「同じ神」であることが分かる。
以上より、上エジプトのメヒト、メンヒト、下エジプトのハトメヒト、ネイトは、本来「同じ女神」であり、トーテムが

  • ライオンあるいは魚、蛇、牝牛など

で現される女神であることが分かる。これらの女神は非常に古い時代から古代エジプトで信仰されており、各地でそれぞれの名前に分かれていったのであろう。
同じく獅子頭で現されるセクメトの名は「Sekh-met」と前半部分の「セク(Sekh)」と後半の「メト(met)」に分けられるように思われる。前半は「(K)Se-kh」と考えれば「フフ(Huh)」や「クク(Kuk)」と同系統の「蛙神」を示す名となる。後半の「メト(met)」はヒエログリフにおいては非常に単純化されていて、「t」の音を示すヒエログリフのみで「メト(met)」と読んでいるようである。これは「メヒト(Mehit)」の「hi」の音が省略された形で、本来は「メヒト(Mehit)」であったのではないかと思う。何故そこに「セク(Sekh)」という言葉が付くのかといえば、本来は「狩人のパレット」にあったように、「蛙の手」を持つ蛙と獅子の合成獣神であったからではないかと思われる。要するに「セク(Sekh)」という言葉が「蛙」を示すものであるとすると、「メト(met)」や「メヒト(Mehit)」は「ライオン」を示す言葉であったのではないだろうか。
セクメトのヒエログリフの通称版(図11)では、エジプトハゲワシのヒエログリフが使われており、セクメトがエジプトハゲワシもトーテムに持っていたことが分かる。また、女神の名を現す子音の他に、「sb」あるいは「sd」と読めるヒエログリフが発音しない文字として挿入されていることが分かる。「手」の形をしたヒエログリフは「b」あるいは「d」と読み、「sb」と読んだ場合には「ヘバト(Hebat)」や「シャプシュ(Shapash)」と同じく「蛙の太陽女神」的な性質が強まるが、「sd」と読んだ場合には「kd」という子音で現される「蛇女神」に近い子音構造となる。おそらく、どちらにでも読めるようなヒエログリフを配置することで、意図的に「蛇女神」とも受け取れるような「女神の作り替え」がここでも行われているのであろう。そして蛇女神ということになれば、ヌト(Nut)のように「月の蛇女神」というように、「月の女神」としての性質が強くなるのである。

テフヌトについて

テフヌト(Tefnut)の名は、子音に分解した場合、テフヌト「Te-f-nut」と分解できるように思われる。古代エジプトにおいて、半月形のパンで現される「t」の音は、女神の場合、語尾につけられることが多いのだが、この女神の場合は、語尾と語頭の両方に「t」がつけられている。接頭辞としての「t」は、いったい何を意味しているのだろうか、ということになる。
メソポタミアにおいて、女神の名に接頭辞的に使われることの多い「Nin」という文字を調べてみることとする。すると「sal-tag」という文字を当て文字的に「Nin」と読んでいることが分かる。「sal-tag」とは子音で分解すると「(k)s-t」ということになり、ヘケト(Heqet)の最初の文字を省略した形である。要するにメソポタミアでは「蛙」と書いて「Nin」すなわち「蛇」と読むような操作が書き文字の上で成されており、それが女神の名の接頭辞として使われていることが分かる。「sal-tag」という言葉の前半を省略すれば結局この言葉は「T」という子音しか残らなくなる。女神の名に接頭辞として「T」をつけ、それを「Nin」と読むことはメソポタミア的なのであろうが、楔形文字をそのまま読めば「T」ということになる。要するに、接頭辞的に女神の名に「T」をつけるのはメソポタミア的な名付け方であるのだが、それを「Nin」と読まず、そのまま読んでいるところがメソポタミア的ではないのである。そう考えると神の名に接頭辞的につける「T」とはメソポタミアにおける「Nin」、省略すれば「N」あるいは「M」と同じ意味の言葉となる。
そのように考えると、テフヌト(Tefnut)の「T」はメヒト(Mehit)の「M」、ネイト(Neith)の「N」と同じ意味の言葉といえる。またテフヌトの「f」という子音は、「b」という音から派生したものと考えられる。テフ(Tef)と「T-b」が同じ子音から発生した言葉であるとすると、テフ(Tef)に近い言葉にテーベ(Thebes)という地名が存在する。上エジプトのテーベはエジプト第11王朝(紀元前約2130年)からエジプト第18王朝(紀元前約1300年)にかけて都が置かれた都市であり、古代エジプトにとって重要な都市であると共に、宗教的にはアメン信仰の中心地でもあった。アメン神の妻はハゲタカの女神ムト(Mut)である。ムトの「M」と、ヌトの「N」は交通性のある子音であって、ほぼ同じ意味となる。テフヌト(Tefnut)の名を、二つに分解し、テーベ(Thebes)のムト(Mut)と解せば、ムト女神とテフヌトは「同じ神」であるということになる。ムトもまた「ラーの目」と呼ばれる女神であり、この点でもその性質は獅子頭の女神達と共通している。
また、テフヌトの娘とされるヌト(Nut)は、テフヌトからテフ(Tef)を省いた女神であるので、本来1つの同じ女神であったものを、テフヌトとヌトに分けたものであると思われる。結局は、テフヌト、ヌト、テーベのムトは本来同じ女神であったのであろう。ただし、名前を分けるにつれ、複数あったトーテムが1つに固定されて、それぞれに固有の性質を持つに至ったものであると思われる。そして、分化するにつれて、太陽円盤を抱く太陽神であるよりは、月女神としての性質が強くなるように作り替えられていったように感じるのである。

アケルとの関連

古代エジプトの獅子神には、「太陽が通過する境界の門」を守るアケル(Aker)がいる。アケルの名は「(K)A-ker」と分解できるため、蛙の神であるクク(Kuk)に近い名を持っている。本来は太陽神であったものが、神々の役割が細分化されるにつれて「境界の神」とされていったものであろう。獅子頭女神のメヒトも、聖域の守護女神であったとも言われており、現実と異界(聖域)との境界を守る、という点で、古代エジプトの獅子(女)神達は共通した性質を持つようである。
アケルは東西の一対の神として描かれ、太陽が昇る「東の境界のアケル」を「セフ(Sef)」、太陽が沈む「西の境界のアケル」を「ドゥアウ(Duau)」という。
「セフ(Sef)」という言葉を「(K)S-(b)f」と考えると、東のアケルの名は「K-B」で現される蛙の太陽神から派生したものといえる。「ドゥアウ(Duau)」という言葉は「Du-(k)a-(b)u」と分解でき、「K-B」という神の名に「Du」が接頭辞的に付けられたものといえる。「Du」を「D-(b)u」と分解すると、これはテフヌト(Tefnut)のテフ(Te-(b)f)と近い言葉となる。また、ヌト(nut)という女神は、蛇神であり「夜の女神」でもあり、葬送の女神ともされている。蛙の太陽神が「東から上る夜明けの神」であるとすると、夜をもたらす蛇の女神は「西に沈む夕暮れの神」として現されており、その2つが1対の「アケル」とされていることが分かる。太陽の通る「東と西の地平線を守る獅子神」であったアケルとは、獅子頭女神達と同起源であったのである。
セクメトやメヒトといった「蛙」と「蛇」を意味する言葉を2つ持つ女神達は、豊穣の女神であると同時に、死と破壊の女神でもあるという両極的な性質を持つが、それは豊穣の女神である「蛙」と「死と破壊の女神」である「蛇」を合成した結果であり、「死と破壊の女神」としての性質を強調すればするほど「蛇」の神としての性質が強まり、かつ夜を象徴する「月の女神」としての性質も強まるように思われる。この合成パターンに沿った形で、アケルも「夜明けの蛙」と「日暮れの蛇」に分けられているのであろう。
これを図像で表す場合には、「獅子」で現される部分が「死と破壊の女神」なのであり、「獅子から発せられる蛙の手の太陽光線」が「豊穣の女神」を象徴しているのだと推察される。初期王朝時代のメヒトの図像には「蛙の手の太陽光線」の名残がまだ残されているが、時代が下るとそれらは取り去られ、彼らはただの「獅子頭の女神」として現されるようになっていったのだと思われる。

まとめ

古代エジプトには、複数の獅子頭女神が存在し、彼らのトーテムは「蛇」でもあって、「月女神」としてみなされる傾向が強かった。しかし、その起源を探ると、彼らはナカダIII期(紀元前3200-3000年)にまで遡る古い神で、同起源だと思われる。そして、本来は太陽光線(蛙の手)を有する太陽神と合成した架空の「合成神」であったことが分かった。「破壊と荒廃をもたらす死に神」としての性質は、「月の蛇母神」の性質として、蛙に象徴される豊穣の太陽女神に付加されたものだということが分かる。また、同じ「獅子形」ということで、地上と地下の国(冥界)との境界を守るとされているアケルとも同起源であることが示唆されている。
また、神の名に接頭辞的に使われている「T」の子音は、アッカド語の楔形文字の「Nin」という言葉を文字通りに読んだ「ST」という子音から「S」が省略されたもので、意味としては「Nin」「M」「N」といった子音と共通したものであることが明かとなった。

関連項目

外部リンク

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