このように、同じ女神でありながら、物部氏系のウナギ女神と葛城氏・賀茂氏系のナマズ女神は、一方で善神、一方で悪神というパラレルワールド的な神話世界を展開しており、これが中国とエジプトのような遠隔地でそれぞれに行われているのではなく、同じ上野国の中で、'''それぞれの側で意図的に行われている'''、ということが最大の特徴である。好美女は一之宮貫前神社の主祭神なのに、雷電神社でナマズに変換されて悪神として食べられてしまうのに、物部氏系の人々はこの状況を止められるほどの力を持っていない、ということが分かる。
だから、中国神話では[[グミヤー]]も[[伏羲]]も起源的に良く似た神々と言わざるを得ないのだが、上野国では[[グミヤー]]を倶那羅(くなら)太子と呼び、女神の兄とする一方、[[伏羲]]の方を悪しき'''狗留吠(くるばい)国王'''と呼んで非難するのである。雷神信仰から見た場合、倶那羅(くなら)太子が經津主命であり、狗留吠(くるばい)国王が武甕槌命に相当すると考える。
また、疫神として見た場合は、經津主命が「身代わりになってくれる神」なのに対し、葛城氏・賀茂氏系の神・須佐之男は「災厄をばらまく神」である。ここにもパラレリワールド的な神話世界の相似と違いが存在している。
ちなみに赤城大明神縁起で、「宇津尾山」といわれる山は、信濃国水内郡にある「五百山」と関連するかもしれないと考えるのだが、こちらは山中に近戸皇大神社という神社があり、その祭神の一つは武甕槌命である。山の中のそれほど大きくない神社なのだが「狗留吠(くるばい)国王である武甕槌命」がどこに隠れているのかは、上野の衆はもしかしたら割と把握していたのかもしれないと感じる一致である。さすがに「鉾の女神」を擁する人々なので矛先を向ける相手も心得ていた、という言うべきなのだろうか。
== 参考文献 ==