差分

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また、これを「特定の氏族のトーテム」とすれば、その氏族を「人」よりも下位の存在として、人身御供を要求したり、高い税金などを要求するような'''ラベリングの神'''ともいえたのではないだろうか。凌家灘文化において、人々のトーテムを勝手に書き換えたり、神の性質を変化させたりする機能があり、それが「王権」でもあったのなら、「王」とはどの人々からどれだけの税金や貢納品、人を含めた犠牲を求めるのか決め得る存在であり、それは人々の「トーテム」を王が神の名によって定めることで決められたのではないだろうか。豚神は、単なる神や祖神であるうちは、適度に敬われ、人々に自身を食料として供給してくれる神なのだが、いったんどこかの氏族・民族が「豚神」のトーテムを押しつけられたら、その人々を「食料」とする、という意味にもなる。豚神を鳥神や蛇神と合成して、「龍神」などの新たな神々を増やすことは、上位にくる凌家灘文化にとって、「食い物」となる食料のトーテムが増えることにもなる。蛇も鳥も「食料としての豚」と習合しているから「食料」なのである。
そして、人々に自らのトーテムを食べるように強要すれば、それは「同族食い」「食人」「殺人」と同じ意味になって、その禁忌に対する自らの神々の怒りから逃れるために、人々は「昊天上帝」の意向に頼らなければならなくなるし、自らの祖神や神々の地位を低下させざるを得なくなる。自らの神々の地位を低くしておかなければ、彼らを食べた罰を防いでくれる「昊天上帝」に頼れなくなるからである。そして、人々に自らのトーテムを食べるように強要すれば、それは「同族食い」「食人」「殺人」と同じ意味になって、その禁忌に対する自らの神々の怒りから逃れるために、人々は「昊天上帝」の権威に頼らなければならなくなるし、自らの祖神や神々の地位を低下させざるを得なくなる。自らの神々の地位を低くしておかなければ、彼らを食べた罰を防いでくれる「昊天上帝」に頼れなくなるからである。
ということで、人々に食料を供給し、神々にも食料を供給し、人と神々を結び、神の怒りを人に与え、あるいは守護し、あらゆるトーテムを食べ尽くしてしまった豚神はやがて「'''[[饕餮]]'''」あるいは「饕餮紋」というものになって殷周の祭器(鼎)に描かれるようになると考える。でも凌家灘文化の時代には単なる「豚」という単純な姿だったようである。

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