== 歴史的背景 ==
古代中国における父系社会の「ゆりかご」といえるのは長江下流域(現在の上海付近)の太湖周辺で発達した'''[[良渚文化]]'''(紀元前3500年頃~紀元前2200年頃)である。これが次の時代に黄河文明側の竜山文化に発展して、父系の階級社会が確立していくのだが、その発生起源は長江文明側にあった。(紀元前3500年頃~紀元前2200年頃)である。これが次の時代に黄河文明側の龍山文化に発展して、父系の階級社会が確立していくのだが、その発生起源は長江文明側にあった。
[[良渚文化]]の起源は、その前身の崧沢文化(紀元前3900年頃~紀元前3200年頃)、更にその前身の[[馬家浜文化]](紀元前5000年頃~紀元前4000年頃)にさかのぼる。[[馬家浜文化]]はすぐ南側の地域にある[[河姆渡文化]](紀元前5000年頃~紀元前4500年頃)とほぼ同時期に存在し、互いに交流があったと考えられる。
よって、台湾原住民の神話を知ることは、とりもなおさず[[馬家浜文化]]・[[河姆渡文化]]とその後継といえる[[良渚文化]]で、どのような神話が語られていたのかを知ることとほぼ同じと考える。それが後の中国神話につながっていくであろう、と考える。
=== 馬家浜文化 ===
台湾原住民の神話を見ると、大きくパイワン族の神話とアミ族タバロン社の神話に分かれるように思う。パイワン族は毒蛇をトーテムに持ち、毒蛇を食べない。一方アミ族は[[ブタ]]をトーテムに持ち、[[ブタ]]がトーテムになる前には[[イヌ]]がトーテムだったと示唆される伝承を持つ。また、アミ族は祭祀において[[ブタ]]を食すが、これは「親食い」も同然であり、かつては禁忌とされていたけれども、来訪神(太陽女神)によって食べる祭祀を求められた、と示唆される伝承も持つ。
おそらく、[[馬家浜文化]]と[[河姆渡文化]]では[[馬家浜文化]]が上位にあり、[[馬家浜文化]]が'''パイワン族'''、[[河姆渡文化]]がアミ族タバロン社のそれぞれの故地だったと考える。[[馬家浜文化]]の方が、[[河姆渡文化]]に使いを送って、祭祀の采配を振るう側にあり、パイワン族は祭祀において「トーテム食い」を行わないのに、アミ族タバロン社の側に対しては「トーテム食い」やと-テムの変更を要求できるくらい権力があったのだろう。
そしてパイワン族のこの上位性が沿海部に拡がって、沖縄などにみられる「来訪神」となっていくように思う。現地の人々が行う祭祀はパイワン族が支配していたのだろう。
== 神型の分類 ==