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ともかく、単純に言うと「親神」として見たときに、海部氏の月の父親神は[[河姆渡文化]]に由来し、後の中国神話で「間男」とされてしまった「'''伯陵'''」なのであり、台湾の伝承で「人妻と関係した豚神」として殺されてしまった神なのである。彼の本来の祭祀は人身御供を禁止するものであった。一方、記紀神話の父親神・[[伊邪那岐命]]は暴力的で妻神に対して薄情なところがあり、こちらの原型は「間男と妻を惨殺した'''呉剛'''」と考えられる。賀茂氏系の神話と比較すると、[[伊邪那岐命]]と[[須佐之男]]の関係は、賀茂建角身命と別雷神に相当すると考える。賀茂氏の伝承では別雷神の父として他氏族の者と思われる「火雷神」が設定されているが、これが「'''伯陵'''」のことを指すのだろう。別雷神の母とされる玉依姫は別名を「葛媛」といったとも考えられ、太陽女神ではなく最初から月女神だったと考える。賀茂氏系の氏族と、海部氏ではいわゆる「祖母女神」はどちらも共通した同じ女神なのだけれども、台湾の伝承に「豚(呉剛)と犬(伯陵)の夫を持つ女神」があるように、子孫は互いに近縁であるにもかかわらず、どちらを父にする神話を持つかで非常に争いせめぎ合っていたのだ。それは「'''祭祀における人身御供を許容するか否か'''」において争うのと同じことになっていたから、単純に生物学的な父の争いにとどまらず、宗教的な思想と信念をかけた対立ともいえた。
そこで、記紀神話は対立する賀茂系氏族の神話と海部氏系氏族の神話の折衷をとり、太陽女神が広く信仰されていたことから、直接の皇祖神としては[[天照大御神]](太陽女神)を採用したけれども、その両親神については、賀茂系の神話を採用し呉剛的な神を「(太陽女神)を採用したけれども、その両親神については、賀茂系の神話を採用し[[桂男|呉剛]]的な神を「[[伊邪那岐命]]」として定めたものと考える。賀茂氏系は「母神」であり「月女神」であった「葛媛」を「玉依姫」と改め、「月の女神が直接の祖神である。」という神話を放棄したものと思われる。一方の海部氏も「月女神」であった豊受大神を豊穣神に改め、結果として「月の神」は「'''男性形の[[月読命]]とする'''」と纏めたのだと考える。[[天照大御神]]を「総母神」とする代わりに、どちらの側も「月女神」を放棄したのだろう。ただし、賀茂氏系の側で「月神」を呉剛的な神に寄せようと画策する動きがあったので、その点でまた対立が生じることを恐れて、記紀神話における「[[月読命]]」はうっすらと須佐之男的な神話があるだけの名のみの神に留められることになったのだろう。そして、記紀神話に定められた以外の「月神」は男神も女神もおおむね各氏族の系図から削除されてしまったと思われるが、伊勢においては正史として書かれた言葉ではなく、神社の配置と口伝に本来の海部氏の伝承を残したものと考える。だから、記紀神話の[[月読命]]は、似てはいるのだけれども、海部氏の'''月夜見尊'''とは異なる神なのである。
そして、結局「記紀神話」を纏めた目的とは、ということになる。古代において日本の各氏族は、それぞれ独自に太陽神と月神を祖神に持つ神話を持っており、それが海部氏系の神話と賀茂氏系の神話とに、大きく分けて2系統に分かれていたのだろう。彼らは互いに似通った神話も持っているのに、祭祀に対する考え方が全く異なるので、そこから来る争いを避けるために、各氏族の「太陽神」「月神」そして賀茂氏系の氏族の外せない祖神・須佐之男を一つにまとめ、「皇祖神」という扱いにして統一した神話を残すと共に、各氏族特有の太陽神、月神、須佐之男を別の名前、別の性質の神などに変更させて残すことだったのではないか、と考える。要は'''各氏族が独自に太陽神と月神を祖神として祀ることを禁止した'''のだ。そうしないと、海部氏系の神話と賀茂氏系の神話の対立からくる政情不安がいつでも引き起こされる可能性があったからだと考える。 そして、伊勢神宮とは内宮に'''娘・天照大御神'''、外宮に'''母・豊受大神と父・月夜見尊'''を祀った、まさに「海部氏的」な世界観で神々が配置された記紀神話とは異なる神社といえると考える。を祀った、まさに「海部氏的」な世界観で神々が配置された記紀神話とは異なる神社といえると考える。海部氏は氏族の神話の消滅の危機に際して、伊勢に「神話の形」を残すことで対抗したのではないだろうか。
== 参考文献 ==

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