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<blockquote>古に 在りけむ人の しつはたの 帯解き交へて 伏屋立て 妻問しけむ 葛飾の 真間の手兒名が 奥津城を こことは聞けど 真木の葉や 茂くあるらむ 松が根や 遠く久しき 言のみも 名のみも吾は 忘らえなくに([https://www.manyoshu-ichiran.net/waka0431/ 万葉集 巻の三・431])</blockquote>
;高橋虫麻呂
{{Quotation|<blockquote>鶏が鳴く 東の国に 古へに ありけることと 今までに 絶えず言ひける 勝鹿の 真間の手児名が 麻衣に 青衿着け ひたさ麻を 裳には織り着て 髪だにも 掻きは梳らず 沓をだに はかず行けども 錦綾の 中に包める 斎ひ子も 妹にしかめや 望月の 足れる面わに 花のごと 笑みて立てれば 夏虫の 火に入るがごと 港入りに 舟漕ぐごとく 行きかぐれ 人の言ふ時 いくばくも 生けらじものを 何すとか 身をたな知りて 波の音の 騒く港の 奥城に 妹が臥やせる 遠き代に ありけることを 昨日しも 見けむがごとも 思ほゆるかも
;反歌
葛飾の 真間の井見れば 立ち平し 水汲ましけむ 手児奈し思ほふ
|[https://www.manyoshu-ichiran.net/waka1807 万葉集 巻の九・1807]|[https://www.manyoshu-ichiran.net/waka1808 1808]|}})</blockquote>
天平9年(737年)に行基がその故事を聞き、手児奈の霊を慰めるために弘法寺を開いた。現在は手児奈霊神堂に祀られている。また、亀井院には手児奈が水汲みをしていたとされる井戸が現存している。

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