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687 バイト除去 、 2025年12月29日 (月) 15:16
阿蘇(あそ)という言葉を「ア(接頭辞)」+「ソ」とすると、「ソ」は何なのか、ということになるであろう。
=== 名前の類似性から ===「スギ」という言葉が「ス(ス)」+「キ」に分けられるのであれば、「阿蘇」の「蘇(ソ)」は「ス」と交通がある音で「杉」のことと指すとは受け取れないだろうか。「スギ」という言葉の内「ギ(キ)」が略されている。「阿蘇」という言葉は、いわば「御(お)杉」という意味ではないだろうか。熊本県は少なくとも中世にまで遡って植林が行われ、林業のための木が植えられたことが分かっている。[[五十猛神]]は自然木の神というよりは林業のための植林の神といえ、、武五百建命、健磐龍命(別名阿蘇神)は名前の類似性から「同じ神」と考える。* 須佐之男の子孫とみなす場合:[[五十猛神]]、武五百建命、健磐龍命(別名阿蘇神)がいずれも名前が同じ神であるとすれば、これらはまた「植林の神」、主として「杉の神」として性質も共通している可能性が高く、名前の点からも性質の点からも「'''同じ神'''」と結論づけて良いのではないだろうか。とすれば、* 信濃国造とみなす場合([[神八井耳命]]の子孫):武五百建命* 阿蘇国造とみなす場合([[五十猛神神八井耳命]]の子孫が信濃国造でもあり、阿蘇国造でもある、といえる。の子孫):健磐龍命と分けているだけではないだろうか。
また神名における「す」や「そ」が「'''杉'''」を示すものであるならば、「'''須佐之男'''(すさのお)」とは、「'''杉の男'''」という意味である、と言えないだろうか。木の神であり、男神である。「'''杉の木'''」が「伊弉諾の三貴子」として太陽(天照大神)、月(月夜見)と並び立つ神である、ということから古代の日本人がいかに杉の木を重要視していたのかが分かる。ただ、「杉の木」は木工芸の神とも近しい関係にあり、ただ生えているだけでは人間にとって意味がない、といえる。切り倒して加工し、柱や材木、木工芸品に加工してこそ、意味をなしてくるものである。すなわち、杉の木は「'''切り倒して死んだもの'''」でないと意味がない。人の役に立つように加工されてこそ、その価値は生きてくる。また、優れた木工芸の技術を縄文系の人々が最初から有していた、とは考えにくいため、須佐之男は'''弥生の人々の神'''、といえるであろう。そして、「'''死んでこそ'''」意味のある神でもある。須佐之男は死んで役に立つ物(柱、木工芸品など)に生まれ変わることもあるが、必要のない細かな枝葉は'''ゴミ'''であって「'''死んだままのもの'''」、すなわち「'''黄泉の国の物'''」といえる。そのため、神話的には、須佐之男は「'''再生の神'''」でもあり「'''死霊'''」でもある、ということになるのではあるまいか。そして、そのような性質は、同じ系統の神である[[五十猛神]]、武五百建命、健磐龍命(別名阿蘇神)にも共通している、といえるのではないか。

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